第26話

「……嘘をつかないで」

 

 どうして『魂物』というのは、こうも私の心を乱すのか。


「嘘じゃない」


 一度やったら百も同じで、黙りこくっていればよかったのに。

 ゴエモンが言い終えるや否や、私は彼女の言葉を否定していた。

 別に心中を吐露できるほど特別な信頼を寄せているわけでもないのに、ムキになって反駁してしまう。

 壁で固めていた自分の核心が、罅割れた体の奥で見え隠れしていた。どうにか誤魔化し秘匿するべき急所を突かれ、火照った顔が想いとは裏腹の言葉を紡いでいく。


「……ずっと一緒にいたのに」

「……違う」


 リンゴとは所詮、モノと人の関係でしかない。一時は絆されたものの、私の将来に害を与える存在とは縁を切って然るべきだ。


「……あんなに仲良しだったのに」

「…………違う!」


 私はかぶりを振って、耳を手で塞ぐ。頭を膝の奥に深く沈めれば、濃紺の闇がより一層深くなった。

 短いながらも色濃い記憶が、暗闇でフラッシュバックする。ここ数日の思い出だけが厳重に保存されているかと思えば、蓋を開けた瞬間に流れ出す白色の寂寞。

 初日。砕けたマカロン、結わえたポニーテイル、揺れるシャツ、スーパーマーケット。ひょうきんな笑顔や憂いをかき消す呑気な微笑みが敏感になった脳細胞を貫く。

 過去にはもう戻れない。

 私の求めた正解など、彼女がいなければ成立しない。


「……柚はリンゴの、友達だったのに!」

 

 ゴエモンが細い腕を懸命に振るって、私の頭を引きずり出した。閉じていた瞼に人差し指と親指が触れて、眼球が色を取り戻す。

 途端、闇に慣れていた瞳が部屋の灯りさえも閃光と捉え、太陽のような白が網膜を焼く。


「違う違う違う違う違う違う違う違う!!」


 突然のことで癇癪を起した赤子のように、ベッドの上で暴れ回る。

 私の中枢に土足で踏み込んだゴエモンに向かって、離れてしまえと踵と突き出す。

 「うっ」と声がすると軽く柔らかい感触が足首に伝わって、木目に膝を擦りむいたゴエモンが蹲っていた。擦過傷は残っていても血が出ない体に目を眇めつつ、暴力を振るった罪悪感に苛まれる前に声を荒げる。


「『魂物』に特別な思い入れなんてあるはずないでしょ!? 無遠慮でっ、場をわきまえないリンゴにはずっと辟易してたの! むしろ居なくなって清々した!」


 激情に駆られたまま、一線を超えた発言を轟かせた。私の言葉をゴエモンがどう捉えているのか、確認するのが何故か怖くて、自分に言い聞かせるような語り口だった。

 いつもの低音はどこへやら、掠れた金切り声で言い募る。


「そう、そうだよ! これまで片意地を張って世間とか、大人に歯向かっちゃってさ、痛い思春期の典型例って感じだったよね! 『魂物』に関わってきたせいで酷い目に遭ってきたんだから、間違ってた部分は正さないと!」


 喉に異物でも詰まっているのか、叫ぼうとする度に苦い塊がせり上がる。懸命に唾と息を呑んでも、膨れ上がって帰ってくる。

 私は間違ったことを言っていないはずだ。今までの自分を否定して、世間のあるべき女子高生へと己を刷新するのだ。私は悪い子供でしたって。

 下唇を強く噛みすぎたが余りに血が流れ、鉄分が口中で飽和した。


「リンゴが捨てられようが、私には関係ないんだから!」


 パチン。

 

 言い切った刹那、頬に衝撃と乾いた音が広がった。じんわりと広がる熱が痛みに変わるまで、私は叩かれたと理解できない。

 保健室で負った傷とは別の疼痛が染みて、そっと手をあてる。ひりついた感触はそれでも治まらず、むしろ酷くなっていた。

 呆然として顔を上げると、肩で息をするゴエモンと目が合う。


「……いい加減に、してよ!」


 初めて到来した感情に戸惑いを隠せないのか、言葉の端々が詰まっていた。ゴエモンは表情筋を強張らせて、潤んだ瞳を私に向ける。


「……さっきから、嘘ばっかりついて……!」

「別に嘘なんか――」


 この程度で動揺してはならないと、無理に平坦な声を作る。


「……本当にどうでもいいと思ってる人は、そんな顔をしないっ!」

 

 ゴエモンの絶叫で、私の時は止まった。

 徐に人差し指を持ち上げた先には、南に面したガラス窓。日が落ちて外の景色を移さず、室内の灯りを反射している鏡面を、見るようにと促してくる。

 用意していた反論を忘れてしまった私は、そのまま首を曲げる。左右対称になった世界では、ゴエモンの体が大きく見えた。

 そう錯覚するくらい、私は縮こまって、情けなかった。

 

「なにこれ……」


 猫背の体は前に飛び出し、首だけが無気力にしな垂れ。

 落ちくぼんだ眼窩には、憔悴した瞳が宿っている。

 柳眉は八の字に折れて、今にも泣きそう。罅割れた唇もわなわな震えて。

 叩かれて赤くなった頬以外は、ぞっとするくらいに真っ青だった。


「……これが柚の顔」

 

 堂々と立っているゴエモンはその反面――叩いた掌を力なく下げていた。

 元から血色が悪い彼女は、私と等しく土気色の頬をしている。始めから流れていないのに、光の陰影がそうさせるのだろうか。


「……『魂物』がどうでもいいなら、どうしてわたしを助けたの?」

「…………」


 ゴエモンの問いに、私は答えられない。瞳が交錯したのもつかの間、自分から視線を外してしまう。これでは後ろめたいと証明しているようなものだ。

 事実、私は理由を答えられないのではなく、答えたくないのだった。

「話してみたいと思ったから」――この素直な返答すらもままならず、その奥に隠している本音すらも語れない。

 吐き出したいのに、本音をぶつけるのが怖い。


「………………これ」


 私が岩のように固まっていると、ゴエモンが引き出しの奥から何かを取り出した。段ボール箱に覆われた物体は、少なくとも自分が入れた物ではない。

 ゴエモンが迷いなく取り出したことに違和感を覚えつつ、言われるがままに箱を空ける。


「……? この字はリンゴの……?」


 中に入っていたのは、ノートの切れ端と白い餅。関連を見いだせない組み合わせと、リンゴらしき筆跡に戸惑いを隠せなかった。

「ごめんね」そう書かれた文字が、どうしてか心を抉る。


「……柚に届けて欲しいって、リンゴから渡された。お詫びのマカロン」

 

 マカロン……マカロン?

 箱の中にはメモ用紙と餅しか入っていない。消去法で、餅とも生地とも言える後者がマカロンなのだろうけど、手に持った時点で有り得ないと否定したくなる。

 マカロン生地らしいサクサクとした感触は何処にもなく、焼き上げる前にもこんな形状は取らない。完成品として出すならせめて二枚の間にクリームを挟んで欲しいものだ。

 これじゃまるで、焼き上げる前のパン生地――。


「――――あ」


 私はゴエモンに見つめられているのも忘れて、小さな呟きを落とした。

 腑に落ちたが故の、懐古の吐息。

 リンゴはスーパーで、執拗にマカロンの材料を聞いてきた。買い物籠にも粉類を入れた覚えがある。

 確かあの時は悪巧みをするのかと勘ぐって、パン生地の材料を教えたはず。


「まさか、台所に入り浸ってたのも……」


 母親がいない間を縫って、リンゴは台所に通い詰めていた。監視しても意味の分からない行動ばかりだし、見ないでと追い返されたので、放置していたのだけど。

 全部、このためだったのか。


「…………」


 口の中に入れると、外はべちゃべちゃ、中はパサパサの二重苦が私を襲う。卵や牛乳、バターを入れていないせいか粉が溶けておらず、砂糖の味もしない。

 こんな物で私の機嫌を取ろうなど、愚かしいったらありゃしない。

 やることなすこと、全部が空回りだ。


「私の気も知らないで、好き勝手してくれちゃってさ」


 そう言いつつも、私は食べるのをやめない。

 腹を下しそうな生地を、精一杯にお腹に詰め込む。

 嚥下する音が湿っぽくなっていると、ゴエモンは察しているのだろうか。鼻を啜る音が次第に大きくなり、口の中が塩気で満ちている。


「リンゴって、馬鹿なんじゃないの……!?」


 最後の一口を飲み込んで、ここにはいない少女に呼びかける。私の罵倒を勘違いしてはにかんでいる幻覚が、潤んだ瞳にありありと浮かび上がった。

 褒めてなんかいないのに――。

 ――――いや。

 認めよう。

 リンゴも馬鹿なら、私も馬鹿だ。いじめられ、可哀そうな被害者という立場に酔っていただけの落伍者だ。

 リンゴだって、独りぼっちだったじゃないか。


「……柚?」


 急に取り乱し、すっくと立ち上がった私に、ゴエモンが心配そうな視線を向けてくる。

 ずっと周囲を恨んでいたせいで、こんな目の前の気遣いにも盲目だった。


「これ以上の大馬鹿者にはなりたくないよね」


 安心させるためにゴエモンの頭を撫で、私は考える。

 マカロンを返された今、私とリンゴの貸し借りは一つ減った。

 けれど、私の方には返済すべき謝恩がたんまり残っている。出会ってから今日に至るまで、散々溜めてきたありがとうの数々を。


「行かなきゃ」


 私は自分のため――リンゴのために、震える足で前に進む。

 保健室の時みたいに、リンゴに委ねるのはもうやめないと。


「どこに?」


 分かっている癖に、形式美のような質問をゴエモンが投げかける。

 仕方なく、上手く笑えない頬を引きつらせて強がってみる。


「リンゴを取り返しに」

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