第25話
「どうしてこんなことをしたの?」
単純なひらがなの羅列は、残酷なまでに私の心を抉った。
カウンセリング担当教師の柔和な笑みや、それを帳消しにする警察官の冷徹。どちらも大人が向ける正しい顔をしていて、いけない子供に詰め寄ってくる。
「…………」
リンゴが連れ去られてからほどなくして。
悄然とした顔の養護教諭が、示し合わせたようなタイミングで戻ってきた。
彼女も頭を押さえて体調が悪そうにしていたが、保健室の惨状を見て息を詰まらせた。いつの間にか復活していた学内の喧騒に負けじと、金切り声で私に詰め寄る。
「あなた――これ――――答えな―――」
「…………」
言葉の断片だけを切り取る私の耳には、未だに苦し気なリンゴの呻き声がこびりついていた。私が消耗品のように、いやその通りに摩耗させた、身勝手な末路を。
助けて。
その後、『回収屋』から連絡を受けた警官が訪れて、職員室の横にある生徒指導室に私を導いた。カウンセリングの先生は急ごしらえで作られた生徒資料に目を通し、「ふむ……」などと頷いて。
そんな紙っぺらでなにが分かる。
「ゆっくりでいいから、あなたの考えを聞かせて?」
「……………」
理解されない主張を述べるのは、例外なく億劫である。
そして、私は目の前にいる類の大人が心底苦手だった。だから、この部屋に入ってから一度も口を開いていない。
そして、だから私は苦しくて。
「もういいでしょう」
若くやる気に満ちた角刈りの警官は、柔道で潰れた耳をボリボリと掻いた。耳垢がついた指をアイボリーの机に擦って、そのままトントンと叩く。
「不登校で部屋に引き籠りがちな女子高生。動機は社会への屈折した想いと思春期特有の反骨精神。『メタモルフォーゼ』でやらかした奴はだいたいそんなもんです」
「ちょっと、そんな言い方……」
カウンセリングの教師が遮るのもお構いなしに、警官は一息でまくし立てる。
「だって事実でしょう。資料も典型的な『メタモルフォーゼ』発症者ですし、この子は既に『魂物』を庇って法を犯してる。相手に寄り添うのが規則だとしても、はっきり伝えないのは却って逆効果だと思いますがね」
私が相も変わらず無言を貫き、さらに反抗的な態度を滲ませているのをどう捉えたのか、教師までもが口を噤む。この時点で上辺だけの優しさが嘘であったと証明された。
警官が取り調べの実権を握るのは通例らしく、そのまま淀みない質問を浴びせかけてくる。
なぜ『メタモルフォーゼ』を発症した瞬間に『魂物』を捨てなかったのか。所持しているだけで法に触れると理解していなかったのか。
「…………」
なぜ『回収屋』の業務を妨げたのか。どのような目的があって従業員に危害を加えたのか。
もう一匹の『魂物』をどこに隠したのか。
「…………」
私には全ての質問に答える義務があったけど、それと同じく黙秘する権利も持っていた。
警官の整えていない爪が机を激しく叩き、刻む速度が秒針よりも早くなる。教師は目線を送るだけで効果があると思っているのか、下手糞なつけまつ毛を細やかに動かして。
「なぁ、俺だって好きでこんな話をしてるわけじゃないんだ。きちんと説明してくれたら拘束せずに済むし、お前だって気が楽になる。悪いことじゃないだろ?」
痺れを切らした警官が私の前にしゃがみ、頬杖をついた姿勢で語る。敬語をとった投げやりな口調は、幾ばくかの人懐っこさを帯びていた。
「ほんの数分、頑張って話すだけでいいの。あなたのことを知れば、私たちが力になれるかもしれない」
顔を上げた私を見て好機と捉えたのか、教師がここぞとばかりに畳みかけてくる。多数の大人が女子高生に詰問している時点で寄り添ってなどいないのに、自己満足も甚だしい。
力になれるという言葉には、「更生の」という主語が隠れている。
これは通過儀礼だ。私が悪者でしたと認めるのを待つ、現代の拷問。
義務も権利も大人も、嫌いだ。
「お前らに私のなにが分かる」
喉奥からそう絞り出して、それっきり口を開かなかった。
嫌いなはずの黙秘権を行使して、嫌いな大人に抗った。嫌いで嫌いに抗ってみた。
そんなことをしても、心の虚は消えないし、どんどん嫌いが増えていく。
矛盾している自分が嫌いになっていく。
暗転。
「こんなに出来損ないの子だったなんて……」
呆れた様子の警官と、憐憫の表情を保った教師が消えると、私は自室のベッドに腰かけていた。遮られた冬の陽光は蛍光灯で補われ、人工の明るさが母の怒り顔を照らしている。
学校から帰って、ずっと叱られていた……ような気がする。電子時計が三月二十二日の午前四時を示しているので、丸一日は過ぎたのだろうけど。
一時間にも、数世紀にも感じた時の流れは、母の一言で急速に元の勢いを取り戻した。私よりも情緒豊かに咽び、嘆いていた親が扉の向こうへと消える。
有象無象の大人と同じ、軽蔑と無関心の背中を向けて。
「出来損ない、だってさ」
唇で紡いだ旋律が、想像よりも腑に落ちた。世間一般で言うところの正論だったし、これまでの醜態を鑑みれば当然だった。
私の話より、教師や久留里の弁を信じるだろうから、今回は口答えもしなかった。
概ね予想通りにことが進んだものの、溜まった心労は拭い難い。打撲した青痣に触れないように、そっと膝を抱えて目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、さっきの母親の顔。およそ娘に向けたものではない、失望の顔。
ふと、引きこもっていた頃よりも心の均衡が危うくなっていることに気がついて、学校に赴いたのは軽率だったと後悔する。親に、環境に流されて、唯々諾々と従っていた自分を恥じる。
時が過ぎるのを待つだけでは、この閉塞感に耐えられない。心の澱が体にまとわりついて、頑張らない己を叱咤する。
「……柚は、立ち止まるの?」
布団にくるまって隠れていたゴエモンが、無人になったのを察して這い出てくる。緑黄色の垂髪を揺らしながら、含蓄があるような問いかけを残して。
リンゴの体内――綿の中と言えば伝わるだろうか――に隠れていたゴエモンは、リンゴが『回収屋』に輸送される直前に、道路に打ち捨てられたそうだ。
「……リンゴは、諦めてなかった」
昏倒していたリンゴが最後の力を振り絞って助けたのだと、ゴエモンは悄然とした声で訴える。ぼんやりとした無表情の癖に、問い詰めてくるのは存外に早かった。
私は未だにリンゴが連れ去られたのが信じられなくて、隣にいる少女を夢想する。
そう、『魂物』を匿っている布団にいるべきなのは、天真爛漫な少女のはずだ。こんな風に小声で話す巫女ではない。
「……柚は助けに行かないの?」
ゴエモンが一定の距離を保ったまま私に問いかける。
リンゴだったら抱きついてきそうなのに……。
「……リンゴは柚のために捕まったんだよ?」
頭で思い描いていた幻想は、ぼやけた輪郭が形を成すと同時に壊れる。目線の先にあるのは自分の股ぐらと皺だらけのシーツ。
頭を上げれば、無表情なのに泣きそうに見えるゴエモンの顔。
「私は……もうリンゴと関わりたくない」
鏡写しのような感情を目の当たりにして、怯えた私はまた俯く。
自分の言葉で傷んだ心を見透かされるのが嫌だった。リンゴを拒絶しようとするほど、体の震えが止まらなくなる。二人が一人に変わっただけなのに、全身の衝動が拠り所を求めて彷徨っている。
ああ、虚しいほどに空っぽだ!
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