第21話

 笑顔ながらも有無を言わさぬその姿勢に取り巻きたちも追及を諦め、各々の持ち場へとついていく。

 指示を出せるサッカー部のいない自陣は烏合の衆そのもので、文科系の男子が不安そうな顔つきでポジションを決めるだけ。


「そ、その、蕪木……さんは、こっちで」


 まして、その指示すらも聞けない人間がいるのだから壊滅的である。


「あ、うん……ごめん」

「いや……」


 委縮した脳みその大半は、久留里への恐怖で埋め尽くされている。

 男子の言う通り後ろの配置につきつつも、私は目線の意味を考えるので精一杯だった。

 久留里がリスクを冒してまで、本性を垣間見せた意味を。


「では――試合開始!」


 東金が体育教師らしく気取って笛を鳴らそうが、元より乗り気ではない勝負だ。私は後衛に乗じて、意識を宙に浮かせていた。

 空気となって時間を潰せるのだから、先ほどの男子には感謝するべきだろう。


「いくよ!」

「わ、旭くん一人で突っ込みすぎー!」


 曇り始めた空が暗がりを作って、引きこもりの私を少しだけ元気にしてくれる。

 今日は午前から雨の予報だったので、あわよくば試合中に振り始めてくれるかも。

 そうなれば教室に戻るまで久留里と関わらずに済むからと、農家でもないのに恵みの雨に期待する。

 そう考えると、久留里の眼光の正体は「逃げるなよ」という牽制だと思えてきた。

 彼女の完璧を乱さないために、大人しくレクに参加しろと脅したのだ。我ながら素晴らしい予想。


 心配しなくても、今日だけは学校の奴隷になってやるよ。

 負け犬根性たっぷりでね。


「おい、危ない!」


 ――――ガッ。


 その直後、私は文字通り地に這いつくばる負け犬となった。

 衝撃を浴びたことに体が反応できなかったのか、うつ伏せに倒れてから鼓膜が弾ける音がして、除夜の鐘のように反響する。

 痛みは感じず体が動かない。

 なんだ、なにがおきた。

 ぐわん、ぐわんと三半規管が揺れ、口に入った砂利の味が吐き気を増幅する。

 暗いんだか赤いんだか判然としない視界の隅には、サッカーボールが転がっていた。


「おい蕪木、大丈夫か!」


 どうしてあからさまに平気でない相手に向かっても、定型句のように聞くんだろう。

 悪態の一つでもついてやりたい気分だったけど、舌べらの感覚が根元まで消えていた。もはや喉奥に触れているのか軟口蓋にくっついているのか分からない状態。


「ごめん……! まさかそっちに飛ぶとは思わなくて……!」


 そんな最低最悪のコンディションで、彼の姿を捉えてしまう。

 気道確保のために仰向けになった私を覗き込む、乳白色の瞳を。

 アッシュグレーの髪ごと忘れようとしていた、彼の名を。


「先生、僕たちはどうすれば……」

「――保健委員は担架を持ってきてから、保健室の先生に連絡を入れろ! 他の奴は氷とガーゼを用意して患部を冷やせ!」

「なるほど……みんな聞いてたね! 柚のためにも協力して動こう!」


 慌てた素振りを見せつつも、周囲に向かって寸刻の迷いなく指示を飛ばす男。

 彼こそが久留里の彼氏――クラス副委員長の鏡戸旭だ。

 旭はボールを当ててしまったことをしきりに謝りつつ、氷嚢を同じサッカー部の仲間に頼んでいる。


 涙目になりつつ汗を垂らして激励する姿は、誠意と献身に満ちていた。

 すごく、感動的な場面だ。眉目秀麗の男が働くと絵になる。

 私は冷たい地面と呼応した冷めた感情で、虚ろな瞳を向けた。


「もう少し辛抱すれば、保険の先生が来るからね! みんな柚のために頑張ってるんだ、だから――」


 ――――うるせぇ白々しいんだよ。


 私はその激励を、脳内で切り捨てる。

 私が不登校になった原因は舞浜久留里にある。それは変わりようのない事実だけど、半分は正解で残りは不正解だ。

 彼女には取り巻きなど比にならない、完璧を手助けするための駒がいた。

 そいつは上辺だけの関係でなく、真に久留里を理解し、そして支える存在だった。

 秀才だろうが眉目秀麗だろうが、鏡戸旭は間違いなく彼女と同等の屑だった。


「先生! 担架を持ってきました!」

「じゃあ保健委員がそのまま連れて行って――」

「いえ、運ぶのは僕にやらせて下さい!」

「しかし――」


 渋る東金に、旭が前のめりになる。


「こうなったのは全て僕の責任なんです。柚を傷つけて、クラスレクを台無しにしてしまった……。罰として、せめてもの心構えとして、これくらいは手伝わせて下さい! それに僕は、みんながこんなに頑張っているのに、指示を出してふんぞり返るだけの人間になりたくないんです……!」


 旭の熱弁に東金は唸り、久留里の取り巻きやサッカー部、さらにはクラスメイトの全員が彼に羨望の眼差しを向けた。

 久留里の恐怖支配に彼氏として対抗できるだけではなく、単身で流れを変えるカリスマ性。

 爽やかさと本心の隠し方は、彼女よりも優秀かもしれない。

 私が憎々しくも好きになった要素。恋するメルヘン女子を罠に嵌める甘い蜜。

 その蜜に触れたが最後、骨の髄まで溶かされるとも知らないで。


「分かった、じゃあこの仕事は旭に任せる!」

「―――ありがとうございます!」

「きゃー! 旭くんカッコいいー!」

「今はそんな場合じゃないんだ。冗談でもよしてくれ――っと、柚も放っておいてごめんね。すぐに先生のところまで運ぶから」


 淡白な反応に更なる歓声が上がり、音程がオクターブ高くなった瞬間に旭の気配が眼前に迫る。

 重くなっていく眼球をこじ開けると、惚けた表情をしている女子生徒が目に入った。

 内股になってもじもじしている姿は発情期の豚そっくりだ。

 自分が数週間前に同じ表情をしていたのかと思うと、光の速さで意識を手放しそうになる。


 きっともう、私が告白した時にグループラインの晒し上げをしたのが旭だなんて、誰も気にしていないのだろう。それどころか久留里が手を回し、私が承認欲求を満たすために告白を喧伝したと広めているようで、もはや事実を誤認した人数の方が多いのだろう。

 実際、彼は告白されたのを不快だとは言わなかったし、多くは語らなかった。

 でも。

 なぁ、その溶けきった脳みそで少しは考えなかったのか?

 こんなに周囲に好かれる存在が、その逆の方法を熟知していない可能性なんて。


「――なぁ淫乱豚野郎。どうしてまた僕たちの前に姿を見せた?」


 ゼロに決まっているだろう。


「ノコノコ学校に来るなんて、脳みその栄養を胸に吸われたか?」


 表情の色が消え、能面のような眼光が私を穿つ。

 まろやかだった声も硬質の響きを帯び、遠ざかる意識でもはっきりと聞き取れた。

 感情的な久留里のいじめを陰から支え、証拠を証拠にさせない手腕を持つ旭の本性を、初めて目の当りにする。


「誰か運ぶのを手伝ってくれないか!」

「あ、それなら私が……」

「ちょっと! 抜け駆けは禁止よ! そもそもあんた普段から力ないアピールばっかして――」


 そして、人格を切り離したやり取りに畏怖を禁じ得なかった。

 私を罵倒しつつも担架に乗せ、その直後に爽やかな声を張り上げる。言動を継ぎはぎ合わせ、成り立っているのが異常だった。

 久留里と旭。お互いがお互いの二面性を知った上で組んでいるなら、つけ入る隙はないように思える。


「――あたしがやる」


 女子が旭の役に立とうと口論をしていると、その脇を足早に抜ける人間が一人。

 舞浜久留里だ。

 彼女は迷いのない手つきで旭とは逆の取っ手を掴み、掛け声もなしに持ち上げる。

 息の合った連携に争っていた集団が静まると、責めるような口調で畳みかけた。


「あのさ、誰が運ぶとかじゃなくて、今はユズっちを保健室に連れていくのが大切じゃない? 話すよりも先に動かないで、取り返しがつかなくなったらどうするのよ」


 完膚なきまでの正論に鎮静される。

 旭に好かれようとした彼女らを庇うわけでは決してないけど、どの口が言っているのだと思う。久留里だって私がどうなろうと構わないはずなのに。

 なんなら、この状況を喜んでいる側の外道なのに。

 私が確信を持ってそう断定すると同時に、静かになった聴覚が靴音を捉える。

 口を噤んだクラスメイトを置いて、保健室へと出発したようだ。


「―――――こいつ、まだ意識あるじゃん。ちゃんと気絶させろって言ったよね?」

「力加減が難しいんだよ。殺したら問題になるだろ?」


 揺れも相まって意識が朦朧とする中で、屑同士の会話が聞こえてくる。

 今日の天気を話すみたいに、加虐の方法を議論する彼ら。

 ボールを意図的に蹴ったと証言する旭に、私のなにかが崩れていく。

 夢はもう、見なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る