第18話

「てめぇ、ふざけるのも大概にしろよ!」

 

 柚たち一行が逃げ去った後。

 呼吸を整えた浩二は真っ先にカイへと掴みかかった。


「嵌って動けないだぁ!? 引っかかってすらいない癖に、明け透けな嘘言いやがって!」


 胸ぐらを持ち上げられたカイは、一切の抵抗なく直立になった。枝すら刺さっていなかったその虚言に、浩二は額を突き合わせて口角泡を飛ばす。


「動けなかったのは事実ですので」

「こいつッ……!」


 しかし音圧で肌が震えるほどの罵声にも、飄々とした態度が崩れない。汗は滲まず視線も泳がず眉毛も動かず――

 浩二がなにより気に入らないのは、カイに反省の色が見受けられない点だった。

 彼が浩二の命令を無視したのはこれが初めてではない。

 日常的な口答えから始まり、買い出しの拒否や事務仕事の滞納、現地での独断行動などその内容は多岐にわたる。

 それまでは『魂物』の廃棄業務に致命的な支障をきたすことはなかったので厳重注意で留め、独断行動で成果を上げてきた功績にも免じて目を瞑っていたのだが、今回ばかりは看過できない。


「お前、わざと見逃したろ?」

「…………」


 普段は詭弁などを用いてのらりくらりと躱していたカイも、この時ばかりは口を噤んだ。


「俺はお前に利用価値があると思うから組んでるんだぜ? 成果を上げて家族養うために『見逃して』やってるんだからさ、働いてもらわないと困るんだよ」


 通行人もおらず、派遣された運転手も気絶して聴いていないのを確認してから、浩二は声を潜めて語る。

 耳元で囁いているとは思えないドスの利いた低音を放ち、徐に相手の後頭部を触りながら。

 カイの頭蓋骨は、後ろが不自然に凹んでいた。伸ばした髪の毛で隠そうとはしているものの、触ると骨とはまた違った硬質な溝が浮き彫りになる。

 頭皮でもないツルツルとした材質で、押せばカチリと鳴りそうなそれに触れた者はこう答えるだろう。

 電子機器の電源のようだと。


「不良品なら、捨ててもいいんだぜ?」

「っ……」

 

 浩二がそこを軽く叩くと、カイは大袈裟ともとれる挙動で相手の手を払いのけた。

 上司の吊り上がっている口元と、反比例した冷たい眼球に嫌悪感を示すように、冷静さを取り払って距離をとる。

 彼の左腕は明らかに後頭部を庇っていた。


「さぁ選べ――仕事を辞めてここで死ぬか、俺に詫びて忠実な犬になるか」

 

 職業選択の自由だな、浩二はそう言って口元の笑みすら消した。

 カイに懊悩する器官は備わっていない。しかしこの理不尽極まる二択を前に、脳天から先がじんわりと痙攣した。

 仕事を止めればカイは死ぬか?

 もちろん。その前提条件は覆らない。


「……申し訳ありませんでした。これまでの非礼を謝罪します」


 故に。

 まだ死にたくない――処分されたくない一心で、カイは痺れた脳内で即決した。

 心からの誠意を込めるフリをして、今にも泣き出しそうな声色で、無機質な表情が見えないように深々と頭を下げる。


「……いいだろう。ただし、謝意はこれからの働きで示してもらう」

「――かしこまりました」

 

 あれだけ激昂していた浩二も、カイの陳謝をあっさりと受け入れた。

 まるで一連の流れを読んでいたかのように平常の仮面を被って、項垂れる頭に手を添えたりなどする。

 カイはこうなることを知っていた。

 自分が本気で謝らなくとも、浩二が受け入れてくれることを。

 だからといって反旗を翻せば、本気で消されることを。


「おし、まずはテメェの尻拭いからだ。さっきの嬢ちゃんと『魂物』の位置を特定しろ。お前のことだから、マーキングは済ませてあるんだろ?」

「……はい」

 

 それは茶番と呼ぶに相応しいやりとりだった。

 浩二に逆らえなくなったカイは、渋々ながら己の力を解放する。

 『魂物』としての能力を。


「対象は北東に向かって線路沿いに移動しています。距離は現在地から約六百メートル」


 カイは幾何学模様の浮かぶ眼球から中空へホログラムを照射し、その映像の動点Pを捕捉する。

 彼の脳内からはおよそ人間とは言えないモーターの駆動音が鳴り、まだ肌寒い大気に白い靄を生み出した。

 

 彼は機械。正確にはスマートフォンが『メタモルフォーゼ』した存在。


「この地図にあの嬢ちゃんの制服、どっかで見覚えが…………ああ、そうか」

 

 浩二は迷いなく一定間隔で点滅する映像を見て得心がいったのか、独り言を口内で弄ぶ。


「映像はもういい。あいつらがどこへ向かってるのか分かった」


 どこか苦しそうに、しかし品よく佇んでいるカイの頭を叩いて、浩二は黒バンの助手席へと座る。

 柚を簡単に押さえつけたカイは、たったそれだけの衝撃で膝をついてしまう。

 ホログラムを眼窩にしまった彼の目は赤く充血、点滅しており、バッテリー切れの画面とよく似ていた。


「どこへ行きますか……うう、頭いてえ」

 

 叩き起こされた運転手が振り向いて尋ねると、カイを見ていた無感動な横顔がそのままの口調で喋る。


「一駅先の――船橋三栄高校だ」

                  ***


 リンゴが私と少女を脇に抱え、船橋三栄高校の屋上へ着地したのは、予冷の鳴る五分前だった。学校への拒否反応で急激に顔色が悪くなる私を慮って、はしゃいでいたリンゴと少女が口を噤む。


「リンゴと、えっと――『魂物』の子はここでモノに戻って……」

「…………わたしの名前はゴエモン」

「あ、ゴエモンって言うんだ……ゴエモン?」


 ようやく名前を聞き出せた少女とのやり取りも、いささか迫力に欠けていた。普段なら特徴的な名前だね、くらいの返事はしていたけど。

 全裸のまま爆走していたリンゴに服を渡し、着替えている間に元の姿――つまりはモノとしての姿に戻って欲しいと説明する。

 人から逆行するのは抵抗があるらしく、


「……むり」

「それじゃぁ柚と話せないじゃん! ボクも御免だね!」


 などと苦言を呈していたけど、目を伏せて頼んだら納得してくれた。

 百の言葉よりも一の態度が物事を雄弁に語る時もある。

 なにせ、話せる状態というのが問題なのだ。

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