第16話

「最後はこの坂だ! あいつの足じゃ遠くには行けねぇ、間違いなくここにいる!」

「当然の判断を、わざわざ声に出さなくてもよいのでは?」

「あ? なんか言ったか?」

「いいえ。それよりも仕事に集中しましょう」


 静寂を切り裂いて、二人の男が視界に現れた。

 片方は乱暴な口調の中年男。無精ひげを生やした短髪からは暴力的な印象が漂う。

 片方はすまし顔の青年。中央で分けたブロンドヘアーからは理知的な印象が漂う。

 両者に共通しているのは、『回収屋本舗:安樂』という社名の入った作業着を着用している点だ。


 『回収屋』――『魂物』の犯罪に対処する警察と同じ、もしくはそれ以上の権限を与えられた特殊会社。その仕事は『メタモルフォーゼ』現象全般に行われるが、主に『魂物』の回収と廃棄を目的としている。

 持ち主は警察、もしくは精神病院へ。『魂物』は『回収屋』へ。

 対策を迫られた国の方針は、概ねこのような形だった。


「なあそこのお嬢ちゃん、この写真に似た女の子をここらで見なかったかい?」

 

 汗一つ掻いていない青年とは対照に荒い息を吐く中年男は、巫女服の少女が映った写真を懐から出した。


「こいつは捕獲要請が出てる『魂物』なんだけどさ、護送の途中で逃げられちまって」

「…………」


 少女が、びくりと身を震わせる。


「黙られちゃうとおじさん傷つくなぁ」


 疑り深く、見透かすような目線を浴びる。覗き込む角度は誰かに似ていて、額からは脂汗が滲んだ。

 私がここで体を一ミリでも動かせば、背中に隠した少女はたちまち捕獲されるだろう。

 護送などと繕った発言をしているが、この場合の保護対象は人間だ。人間から、『魂物』を護送していたのである。

 つまり、化け物を捨てる途中に逃がしてしまった――そう言っているのだ。


「――別に俺たち怪しくないよ? ただ仕事の聞き取り調査がしたいだけで」

 現代社会に生きる一般人として自分の身が可愛いなら、警察と連携している『回収屋』に歯向うべきではない。


「……そんな女の子、知りません」


 ――しかし。

 どうしても、後ろで袴を握って震えている女の子を、化け物として見ることができなかった。

 ほんの少しの会話で、私は彼女の中に人間よりも人間らしい心を感じてしまった。

 少なくとも「助けて」と言える時点で、私よりもよっぽど素直だ。

 もっとこの少女と話したい。無垢な心に触れてみたい。

 リンゴと出会ってから感じている胸騒ぎの正体が、それで明らかになると思った。

 だから彼女のため自分のため、出鱈目を言った。

 自分に嘘をつける私にとって、他人に吐く虚言ほど容易いものはない。

 『魂物』を庇うなんて私もとうとう壊れ始めたか。そんな風に自嘲しつつ、切れ長の瞳を平然と向ける。


「嘘はついてないよね?」

「……しつこいですよ。私そろそろ電車に乗らなくちゃいけないので、行ってもいいですか」


 正確には向こうにどいて欲しいのだけど、直接的に言うと怪しまれる。

 私は迷惑そうな顔を作って声を低め、ローファーの先をかつかつと鳴らした。持ち前の威圧的な風貌がここでは役に立つ。


「……そうかい。時間取らせて悪かったな」

 

 中年男――よく見ると胸ポケットに「浩二」という名札がついている――は、無精ひげを二本指でなぞると、不服そうな声を出した。言葉とは裏腹にちっとも申し訳なくなさそうで、これが大人の処世術なのかとうんざりする。

 私に興味を失った彼はそのまま階段を上り、駅のロータリーに首を伸ばした。

 都会でも田舎でもない中途半端なこの町には隠れられそうな草木が多くあり、駅周辺にもその名残が残っている。

 浩二は剪定されてもなお残る自然に頭を掻き、相方の青年を見下ろして叫んだ。


「おい、ぼさっとしてねぇで次の場所行くぞ! 捕獲できずに給料減らされたいのか!?」


 カイと呼ばれたハーフ風の青年は、その端正な顔つきを階段上へと向けた。

 恐らくは上司である浩二の呼びかけに反応しようと、不気味なまでの無言を保って段差へと動く。

 浩二とはまた別種の、鋭く射貫くような視線が外れて、私は詰めていた息をそっと吐いた。

 彼ら(主に浩二)が焦り短慮を起こすほど、目的とは遠く離れていく。

 そうだ、そのまま――。


「やっぱり、ここにいますよね」


 ことなきを得るはずだった状況が、一変する。

 階段を二段まで登っていたカイは突如として身を翻し、確信を持った歩調でこちらに迫ってくる。

 目線は私のお腹を見ているようだけど、間違いなく奥にいる少女を捕捉していて。


 なんだ? どうして気づかれた?

 足の隙間から赤袴が覗いていたのか。

 否、少女の体は八割方フェンス奥の茂みに隠れていて、残りの二割を私の背中で塞いでいる状態だ。彼らの角度からはどう工夫しても視認できないはず。

 隠しきれなくなった汗が、頬を伝って顎へと溜まる。


「わ、私はなにも……」

「ああ、別に貴方の話なんかこれっぽっちも信じていなかったので。御託を抜かすなら背中にいる『魂物』を見せてからにして頂けますか」


 目の前に立たれて、カイの威圧感の正体が身長にあると悟る。

 私よりも一回り大きいその体躯は、最低でも百九十センチ。なぜバスケットボール選手ではなく『回収屋』に勤めているのか質問したいぐらいだった。

 この高度から同じ人間にはあるまじき凍てつく眼光を注がれて、肝が冷えないわけがない。

 ひえっひえである。

 周りから見た自分もこんな感じなのかなーなどと、場違いにも想像してしまう。


「今日のカイは一段と生意気だな、ええ!? 俺の命令を無視して女子高生としっぽりお喋りってか!」

「いえ、目標を発見したので聞く必要がないかなと」

「――――はぁ?」


 怒髪天を突く勢いで階段を駆け下りて来た浩二に対し、カイは平坦な口調でそう答えた。

 まるで理解が追いついていない様子の上司に向かって一瞥をくれると、瞬きをする間もなく私の威圧を再開する。

 正反対な彼らに共通しているのは作業着と、任務の遂行を急ぐ意識のみ。


「そこで見ていて下さい」


 もはや言葉を挟む余地など存在しないとばかりに、カイが私の右肩を素早く掴んだ。


「ちょ、触らないで……!」


 無機物のような感触に抵抗しようとも、成人男性との間には厳然たる力の差がある。

 指をフェンスに絡めローファーの靴底で踏ん張っているのに、爪と足の皮が悲鳴を上げてねじ伏せられてしまい、残った素の体幹ではなすすべもない。

 剝がれかけた糊を千切るように、私の体が横へとズレていく。


「――いきなり一般人に暴力振るってんじゃねぇよ!」

「一般人かどうか判断するのは、早計だと思いますけど――ねっ!」


 浩二が部下を止めにかかるのと、私の学校指定の靴底が擦れきれるのと――二つの出来事が重なった瞬間、カイにコンクリートの上へと押し倒される。

 尻もちの対策を講じていた私も、横受け身の練習はしていない。

 男相手なので仕方ないとはいえ、せめぎ合いに負けた悔しさが喉からせり上がる。母にも久留里にもカイにも――最近の自分は敗れてばかり。

 むかつくくらいに綺麗な空を憎々し気にねめつけながら、そんな思考と衝撃の空気圧を肺から零す。


「っつ……」

「こりゃぁ一体どういうことだ……? ええ嬢ちゃん、『魂物』は見ませんでしたって?」


 私が除け者にされて生まれた空白――その奥の茂みに埋もれていた少女と目を合わせ、浩二は野太い声をより一層低くした。

 フェンスと茂みの間から飛び出して逃亡しようとする彼女の腕をはっしと掴み、通行人が驚くのも構わず大音声を上げる。


「ここに立派なのがいるじゃねぇかよ!」


 中年とは思えない鍛えられた腕力を振るい、少女をトロフィーのように持ち上げる。


「……離せっ」


 捕縛された両腕を捻じり、地面で傷ついた白い生足を懸命に繰り出そうとも、巌の

 前には痛痒たりえない。

 獲物を追い詰めようやく捉えた浩二は、その達成感と共に決して拘束を緩めはせず。

「ぱし、ぺし」と。力の差はどこまでも残酷なのだと、作業着の生地が乾いた声を漏らした。


「お前はそっちの嬢ちゃんを押さえてろ。本社に連れてから、警察の連中に引き渡す」

「――もしもし、俺だ。目的の『魂物』を捕獲した。ロータリー下の階段にいるから、なるたけ急いで車を寄こしてくれ」


 浩二はスマートフォンに向かって慌ただしく話している。

 と同時に、ロータリーの上から法定速度を守る気があるとは思えない急発進の音がして、それを上塗りするように電車の到着アナウンスが響いた。

 三葉高速鉄道。私が本来であれば乗車する予定だった車両と行先が告げられる。

 護送車が二本の信号を経由してこちらに到着するが先か、それとも一番線のドアが閉まるが先か。

 どちらにせよ、私本来の目的が達せられることはもうなさそうだ。


「女性を地面に押しつけるのは気が引けますが、元はと言えばあなたの異常行動が原因ですのでどうかご容赦下さい。今の内に反省しておけば釈放までの時間も早まるので、悪しからず」

「……絶対、んなこと思ってないでしょっ……!」


 私が身じろぎをするとカイはその数倍もの圧力で関節を極め、澄まし顔のまま毒を吐いた。抵抗する相手は容赦なく無力化しましょう、とでも教えられたような、規範的で機械のような行動だ。


 ――全く、寡黙気味な少女といい、暴言濃縮還元の青年といい、まだまだ世の中にはおかしな存在がいるものだ。

 常識の範疇で、という言葉を連呼していた学校の先生にこの光景を見せてやりたい。そして、そんな存在たちをして異質と言わせる自分についても、認識を改めさせてやりたい。

 そう――自分についてなんて問いを四六時中してしまう私なら、理屈っぽくて机上の空論を脳内で弄んでいる私なら、少女を助けようとする危険性が理解できていたはずなのだ。失敗した後の結末を、あらかじめ予測できていたはずなのだ。

 そう――これはリンゴを捨てようとした時の思考遊びとは違った。あの時には猶予があった。

 目の前に差し迫った窮地があって、それが高い確率で起こると分かって、なぜ間違った判断をした。


 間違い?

 それなら、最初から間違えていたじゃないか。

 『メタモルフォーゼ』が目の前で発現して、なぜ悲鳴をあげ泣き叫ばなかった。なぜ『回収屋』に連絡をせず、隠蔽するような真似をした。

 対話を試み、なし崩しと言いつつも行動を共にして、あまつさえ心を揺らされてしまうなど。

 不安だった不愉快だった不可解だった――不正解だった。

 なら正解はどこにある? 世間が納得する正解など心得ている。それを選ばなかったのは私だろう?

 私が納得する正解は――。

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