第6話
「じゃあボクが柚と友達になる!!」
「はい?」
私が首を下に傾け、いよいよ拗ねた子供のようになっていると。
重石を易々と押しのけた白髪の少女が飛び出して、部屋中に響き渡る声でそう宣言した。息苦しかったのか、それとも興奮しているのか、鼻息荒く薄い胸を張り。
「ばかっ、出るなって言ったのに……!」
俯いていたせいで反応が遅れ、私が毛布で隠蔽し直そうとした時にはもう全身がまろび出ていた。
「あ、あなたは誰なにょ?」
母も怒りの炎に冷や水をかけられた顔で戸惑っており、動揺が滑舌にも表れている。それでも少女の観察を始めているのは流石と言うべきか。
少女は左膝を寝かして逆を立てる変な格好で私に視線を送り、謎のウィンクをかまして母親と向き直る。文句を重ねてやろうとしたのに、嫌に真剣な顔をしているので口を挟めなかった。
「柚をいじめるのは、ボクがぜーったいに許さない! 社会のお荷物? こんなに優しい柚が、悪い人間になるわけないもん!」
一息で言い切ってから、人差し指をビシィ、と母親に突き立てる。可愛らしい声だけあって、怒気を孕むと声の芯が強く感じられた。
目を瞬かせつつも、顎を引いて腹に力を入れたらしい母親。本人が上から目線なので、その上を行かれるのが不愉快らしい。
「鈴音はお母さんなのに、柚のこと全然分かってない! 自分が親にあんな言い方されたらどう思う!? 傷つくよね!?」
私を庇って、少女は声を荒げている。身振り手振りを大袈裟に使っていてスピーチとしては落第だろうが、少なくとも私の止める気は失せた。本来なら今すぐにでもぴちぴちに梱包して、『回収屋』に提出するべきなんだろうけど。
突然ぬいぐるみが人になったかと思えば、マカロンでいたずらして。そしたら今度は私に余計なお節介を焼いて。
「塞ぎこんでるな、辛そうだなーって感じたら、まずは一緒に話を聞けばいいじゃん! 頭ごなしに𠮟りつけるだけじゃ頑張ろうって気にもならないよ!!」
振り返ると行動原理がめちゃくちゃで、怒りを通り越して呆れてしまう。モノの癖に顔を赤くして、血が流れていないのにどんな理屈だ。
矢面から退いて、二人の様子が俯瞰して見れるような気がする。片方は顔を真っ赤にして、もう一方は語られる度に心胆が冷めていた。
「だ・か・ら!! 鈴音は柚に謝るべきだよ! 『言い過ぎました。ごめんなさい』って!」
「黙りなさい」
「えっ、いや――」
「私はあなたのような人間が一番嫌いです」
堪忍袋の緒が切れた母親は、少女の訴えを一言に切り捨てた。ベッドに小股で歩み寄ると、眼球をぎょろりと下に落とす。
「黙って聞いていれば、あなた一体何様のつもりですか。娘の教育方針を決めるのは私だし、他人が偉そうに口を挟む権利はありません」
母は瞑目しているのかと疑いたくなるほどの鋭い眼力で、腕を組んで二の腕の隙間に指を挟んだり離したりしている。
「ボクは柚の友達だから」
少女は怯んでもなお引き下がらず、シーツの端をぎゅっと掴んで反駁する。
「私はまず『あなたは誰?』と聞きました。にも関わらず答えは自分の主義主張の訴えなんですか? 名乗るのが筋ってものでしょう?」
「い、いや、ボクはそんなつもりじゃ」
「いつ教えたのか知らないけど、私の名前も呼び捨てにするし――こんな礼儀知らずが柚の友達だなんて、嘆かわしくって泣いてしまいそう」
しかし落ち着きを取り戻した母に勝てるはずもなく、淡々と言葉の刃に切り刻まれてしまう。少女はとうとう黙ってしまい、くるぶしまで伸びた長髪をしきりに弄んで。
あ、ちょっと涙目じゃん。泣けない癖に。
その涙目がゆっくりと私の方を向いた。憎たらしいくりくりの瞳と、雫を落としたような眉をくしゃくしゃに歪めて、唇を横一文字に引き結んでいる。
「柚……」
そして蚊の鳴くような声で囁かれた瞬間、私はこいつが馬鹿なんだと悟った。初対面の時から頭空っぽの感情任せで行動するから、支離滅裂に映るのだ。
「はあ……」
生暖かいため息をついて、私は風にたなびく二本の木に目をやった。事前に準備していた訳ではないけれど、少女に名を求められた時から決めていた気もする。
「リンゴ」
私が声に出すと、母は訝し気に首を捻って、少女は顔を初日の出のように輝かせた。
「突然どうしたの?」
「その子の名前、リンゴって言うの」
「林檎? 変わった名前ね」
母は名前そのものを不思議がったので、庭に植わった木からつけたのだとは悟られなかった。
林檎――すくすく育って柚の木から栄養を奪う嫌な存在。日光浴を妨げる目の上のたんこぶ。春になると花を咲かせるらしいけど、私は未だに見たことがない。
「そうだよ鈴音! 私の名前、リンゴだよ!!」
アザラシぬいぐるみの少女もといリンゴは、感極まってベッドから私の胸にロケット発射で飛びついた。
「うわちょい!!」
余りの勢いに姿勢を崩され、私は少女の下敷きになった。おまけに頬ずりしてくるし、たまったもんじゃない。犬かこいつは。
「リンゴリンゴリンゴリンゴ!! うぇへへへ」
自分の名前を連呼しているあたり、安易に命名したのは失敗だったかもしれない。寿命が近づいて光量の減ったLED照明を仰いで、後悔と所在不明の達成感を味わう。
「いきなり笑い出して、おかしな子……」
母は理解できないといった風に首を振って、それから部屋のドアノブに手をかけた。
「今日はこれで終わりにするけど、柚が不登校なのはどうしても認められません。通わない限りこうやって生活の確認に来るから、そのつもりで」
「あと」母は流し目でリンゴを見ると、珍しく淀みある口調でこう続けた。
「友達を作れと言ったけど、人は選びなさい」
「リンゴは友達じゃないから安心して」
私がきっぱりと断言すると、少女は「ひどい!」とまたぞろ眉を歪め始めた。
「そう? ならいいけど」
母が流し目を送って扉を閉めると、喜怒哀楽をローテーションで回しているリンゴの顔が怒で止まる。
「名前までつけてくれたのに、どうして柚は友達になってくれないの!?」
「逆を言えば名前をつけただけじゃん」
「うわ、屁理屈―」
「そんなら裸逆立ちで近所を一周してきたら友達にしてあげる」
言った傍からシャツを脱ごうとするので、その隙に私はすっくと立ち上がる。両手を裾にかけていたリンゴは支えもなしに床に転がって、本棚の角に頭をぶつけた。
もふん。実に柔らかく綿らしい音がして、リンゴの頭が棚の形に合わせて凹む。
万が一にも打撲音がしたらどうしようと焦ったので、詰めかけた息を細く吐いてそっぽを向く。こいつが苦しもうと私には関係ないはずなのに、さっきから矛盾してばかりだ。
「あいたたたた、これは脳みそが陥没しちゃってますね。これじゃぁ逆立ちどころか裸にだってなれないよ。ああー友達になってくれないと意識が薄れるー」
「嘘つけ」
大根役者の方がよっぽどマシな演技を無視して、背面飛びでベッドに舞い戻る。
ぬいぐるみの化身が衝撃に微動だにしないと知って、急に興味が薄れた。母親に絞られた疲れが、波のように頭上を漂って。
「なんちゃって! ボクは柚の愛があれば何度でも蘇るのでした!」
……冷たい反応にも負けない精神力だけは認めてやってもいい。愛だのなんだの、私の嫌いな単語を持ち出してくるのは気に入らないが。
「……柚ってば淡泊なんだから」
「別に。ただ反応するのがめんどくさいだけ」
リンゴが近づいて来る気配を背中で感じながら、腕を枕にしてむっつりと答える。私が一人で感じる孤独と、他人と接している時の煩わしさは同等だ。
それにこいつは人との距離を知らない。今だってベッドにもそもそ這い上がったかと思えば、次には私の体に抱きついている。腕を胸の前で結ばれて、太ももの間にほっそりした足が割り込んでくる。
「マカロンのことなら謝るからさ……」
私が今イライラしている理由の約三割を占めている事象に対し、リンゴは耳元の囁き声だけで許しを乞う。私の好きな声をしているだけに甘露な響きだったけど、内容が最悪過ぎて帳消しになっていた。
「このままいけば三割から二割になりそうだったのに、今ので五割になったから」
「? なんのこと?」
やはり、私の考えが全てリンゴに伝わっているわけではないらしい。一文飛ばしの言葉に首を傾げているリンゴは、演技をしている風には見えなかった――あんな大根演技、見抜かない方が難しい――。
纏わりつかれるのが鬱陶しくて、寝返りついでにベッドの縁から落としてやろうと試みる。
「下敷きアザラシ」
「こいつ……微動だにしない……!」
しかし吸盤もびっくりの密着性で貼りついたリンゴは、体をどう動かそうとも離れなかった。
寝返りをうてば楽しそうに下敷きになるし、体を揺すると嬉しそうに抱きついてくる。どう暴れようが余計に密着して、上機嫌になるだけだった。
「ずっと一緒だよ」
疲れて天井を眺めていると、リンゴが後ろから横へ抱きつき方を変える。さらさらの髪の毛がシーツに広がって、間から太陽の香りがさんさんと漂っていた。
目を横に流せば、私が忘れてしまった眩しい笑顔。
「私は今すぐにでも離れたい」
抱きつく熱を恐れるように、つっけんどんに。
「そう言わないでさ。ほら、柚もだんだん眠たくなってきたんじゃない?」
リンゴが悪戯っぽく囁いて、図星の私は何も言わずに枕に顔を埋める。そうして香った柔軟剤の匂いよりも、リンゴの体臭の方が好みだと認識して、また暗くなりそうだった。
いや、どうやら物理的にも暗くなっているようだ。重たくなった瞼は下へと落ちて、つけっぱなしの照明が消えていると錯覚してしまう。
「いつもみたいに、一緒に寝よう?」
ざぁざぁという梢と、甘い声が私をまどろみの中へと誘う。いつも下に重ねているタオルケットをご丁寧にかけられて、なんでそんなことまで知ってるんだという困惑と、見透かされた不快感が伴って――駄目だ、頭が回らない。
うなじにリンゴの鼻が当たってから、私は無意識が混在する脳みそで残りの五割を考えた。イライラしている理由、残りの五割を。
テレビで見た『メタモルフォーゼ』の記憶を手繰っている時に、わざと考えなかった、意識に蓋をしていた内容。
――『メタモルフォーゼ』した『魂物』は持ち主の理想を体現する。
「おやすみ、柚」
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