第4話

 さっきまで萎れていたくせに、随分と切り替えの早い性格だ。


「ボクはボクだよ。いつも柚の布団で帰りを待って、夜は一緒に寝てるアザラシのぬいぐるみ」

「理解はできても受け入れられないんだけど」

 

 粉々になったマカロンを片付けてから、私たちはベッドに腰掛けて質問会を行うことにした。少女も散乱した欠片の回収には粛々と手伝ってくれたので、ひとまず、ほんのひと時だけは溜飲を下してやろうという話。


「あなたは私の部屋にいたアザラシぬいぐるみが『メタモルフォーゼ』した姿だって言いたいの?」

「めたもる……? ああ、皆はボクらをそういう風に呼ぶんだっけ? あれってどういう意味なんだろうね」


 疑う余地もなく自らをぬいぐるみだと言って憚らない少女を見て、私は腹の底がずしんと重たくなった。


 ――思春期の少年少女だけに起こる、モノが人に変わる現象、『メタモルフォーゼ』。確認された当時は現実ネット問わずのお祭り騒ぎで、ニュースも四六時中似たような内容を報道していた。

「モノと話せるなんてロマンチックだ」「少子高齢化社会への新たな光」「現代の孤独を癒す神からの贈り物」

 興奮した人々は、インタビューで根も葉もないことを騒ぎ散らした。研究者も曖昧な発言しかできなかったので、面白いからという理由で『メタモルフォーゼ』の印象はこのようにまとまった。


 そして、最初に『魂物』を発現させた少年が山に火をつけて、そのイメージはすぐさま覆った。

 

 少年が放火した一週間後、流れるプールで友達を殺そうとした少女が逮捕された。体には浮き輪のような女の子が巻きついていた。そのまた三週間後、スタンガン男を引き連れた青年が銀行で五百万円を掠め取った。そのまた二日、一週間後……。

 警察は逮捕した少年少女の殆どに、何らかの奇怪な力を使う半人の化け物がつき従っていると述べた。その頃にはインターネットで拡散された映像も手伝って、『魂物』が犯罪を促す悪魔のような扱いになっていた。

 

 今では『魂物』を持っているだけでカウンセラー行きは確定。話によると『メタモルフォーゼ』を体験した男女の約九割が精神疾患を抱えているという。

 通院を無視して『魂物』を隠していると、今度は多額の罰金を請求される。最低でも十万、危険度の高い『魂物』なら百万円のケースもあるらしい――。

 以上が、引きこもりワイドショー生活で得た知識の総まとめである。

 『メタモルフォーゼ』が引き起こす苦難を想像して頂ければ幸いだ。


「綿を出してきた辺りで、もしやと思ったけどさぁ」

 

 項垂れそうになるのをぐっと堪えて、足をぷらぷらさせて遊んでいる少女に視線を送る。

 身長一四五センチは本当っぽいけれど、痩せていて平坦な身体つきをしているせいか、外見よりも小さく見える。頭も目も耳も何もかもがまん丸で、鼻筋だけが真っすぐだ。眉も丸っぽくて――あれだ、麻呂ってやつ。頬にはひげ模様のペイントが二本ずつ入っており、元と同じで右側だけが一本欠けている。悔しいが、可愛い顔をしていると認めざるを得ない。肌も色白な私と違って、薄く焼けたいい色で――あざらしのぬいぐるみも、色褪せてからはこんな色だった。


「ん?」


 今私、「元」って言ったのか。それはつまり、目の前の得体の知れない少女を、ぬいぐるみの『魂物』と受け入れると。


「……あなたは」


 はっとして口を押さえると同時に、喉からまろび出た音が問いかけとなって部屋へ散った。

 何が面白いのか、満面の笑みを浮かべた少女はお尻だけで旋回すると、布団に余計な皺を作って身を乗り出す。


「…………何」

「ボク、『あなた』って呼ばれるのやだなー」


 言い終えてからにぃー、と殊更に笑顔を深くして、少女は髪と同じ純白の歯を私に見せびらかす。


「皆と同じように、ボクのことも名前で呼んで欲しいなー」

「嫌だ」

「まさかの即答!?」


 元気よく布団の上に転がる少女を冷めた目で見つめて、私は害虫を捕まえる時みたいに素早く相手の手首を掴んだ。


「それよりも、あなたが『魂物』っていう確信を持ちたい。さっきの綿、もう一度見せて」

 

 名前うんぬんよりも、まずは私の覚悟を決める必要がある。


「痛たた! ――ゆ、柚がそうしたいならやるけどさ……」


 握っていた手首に爪を立てると、少女は嗜虐心をくすぐる声で身をよじる――痛覚はあるのか、紛らわしいな。

 可哀そうだと私の中の善心が訴えかけてくるけれど、相手に情けをかけるわけにもいかない。

 それにこいつを放っておくと、いつまでもペラペラ喋って話が進まなそうだ。


「はい、これでいい……?」

「ああ…………うん」


 胸元まで下げたチャックから綿が出てきたのを確認して、私は気のない返事をする。心なしか少女の声が萎れていた気がするももの、そんな意識は右から左へ通り抜けてしまった。


「夢だったらよかったのに」


 もこもこと、緩やかに綿が広がっていく。ベッドの天蓋のように広がったそれは、ちょうど日傘くらいの角度で湧出をやめた。

 慣れ親しんだ綿の感触に心を馴らし、少女へ問いかける。


「この綿で、何か特別なことが出来るんだよね? 見せて」

 

 『魂物』は全て、モノに由来する特殊な力を持っている。例えばマッチだったら全身から火が出るし、浮き輪なら水中の浮力を操れる。

 これを確認しないと『魂物』廃棄の専門会社――『回収屋』に対応してもらえないので、細かい部分まで調査しないと駄目だ。

 本来なら今すぐにでも連絡した方がいいのだけど、分別の仕方すら分からずに捨てるのは気が引ける。


「嫌だ」


 長いこと心の支えになってくれたぬいぐるみを捨てるのは惜しいけど、こうなったからには仕方が――。


「は?」

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