第29話 有蓋車

 煌びやかな客車と比べ、人目につかない故に無骨な荷物車は何処も薄暗く埃っぽく、車両の揺れも大きいために乗り心地は良くないが。


 ――確実にこっちの方が良かったな。


 2両程進んだ所で俺は姿勢を低く立ち止まる。

 と、後ろから勢いよく追いかけてきていたらしいイアルが、ポスンと軽い音を立てて背中にぶつかった。


「あぅ、ど、どうしたの――」


 静かに、と振り返らないまま後ろへ人差し指を立てる。

 車両の片隅。金属製らしいコンテナの傍ら、見えたのは座り込んでいる人影だ。

 青い肌に包帯を巻いた肉体持ち。それも明らかに囚われている様子とあれば。


 ――不真面目な執事長が居たもんだ。


 周囲の気配を探っても、車内に何者かが動く様子はない。

 敢えて灰に還さず捕らえたということは、バンハルドに何らかの利用価値があるからだろうが。


「ここで待て。息を殺してろ」


「わ、わかった。気を付けて」


 イアルが頷いたのを確認し、俺は影からゆらりと体を浮かばせる。

 どうせ奴の前まで行けば、荷の少ない貨物車の中に隠れる場所はないのだ。こそこそしたって仕方がない。


「こんな所で仕事ほっぽり出してお眠か、ブルースキン?」


 軽く巻かれた包帯の隙間から、鋭い視線がぎろりとこちらを睨む。


「……骨身と言うのは、何処まで行っても品がないな」


「そりゃどうも。屈辱だと思うなら、自分の実力を見直せ。それとも、触らん方がお前の為か?」


「言葉遊びをしている時間はない。ただでさえ――」


 ガチャリと鎖が鳴る。だが、バンハルドに体を動かした様子はなく。


「後ろだッ!」


 叫ぶと同時に俺は左へ体を転がせていた。

 一瞬後、自分の居た場所へと巨大な拳が突き刺さり、床に張られた木製の化粧板が砕け散る。

 餌に釣られた奴を処理する番犬、と言ったところだろう。それがこんな継ぎ接ぎだらけの巨漢だとは思わなかったが。


「執事長様にご挨拶くれてる最中だってのに、礼儀のなってないデブだな」


「――黄ばンだ骨? お前、何故ココに居ル」


 口の調子が悪いのか、片言のような喋り口調に、俺は穴しかない鼻をフンと小さく鳴らしてやった。


「理由が必要か? ああそれとも、ルームサービスに来たキョンシー野郎は兄弟か何かだったかな?」


「ふゥー……ッ! 相棒を、よくモ!」


 死体の癖に、熱のこもった息を吐く。

 キョンシーとの関係がどうだったのかは知らないが、少なくとも情を感じる繋がりはあるのは事実らしい。滲む怒りを隠そうともせず金属製の籠手をガァンと打ち鳴らすと、重々しいパンチをこちらへ繰り出してきた。

 半身を捻って躱せば、拳は貨車の屋根を支える柱へ火花を散らす。鋼でできた鉄骨が、まるで飴細工のように変形した。


 ――良くできた継ぎ接ぎ野郎だ。動きはともかく、力の強さは見かけ以上。何より。


 伸びきった腕を掻い潜るように俺は体を沈ませ、がら空きとなったみぞおちへワンツーを叩き込む。

 しかし、力を込めたはずの拳には衝撃が伝わったという手応えがなく、自分に落ちた影だけがジワリと滲むように動いた。


「そンな軽い攻撃、俺にハ、効かナいぞ」


「っ――このッ! うぉっ!?」


 握りこまれた首元に体を捻って抵抗するも、片手の拳すら振りほどくことができない。

 スケルトン最大の弱点とも言える体の軽さ。巨漢からすれば、まるで紙切れを持ち上げるようなものだっただろう。

 次の瞬間、俺の体は積み上がった木箱へ叩きつけられていた。


「ぐぅッ!?」


 偶然か奇跡か。潰れた木箱の木片とおがくずのおかげで、身体の何処かが折れたり砕けたりすることはなかったらしい。

 それでも衝撃は凄まじく、肺もないのにむせ返りそうになって咄嗟に動きが鈍る。

 ズン、と床に響く足音。


「相棒の、仇。粉にしてやル」


「や、ろう……調子に……!」


 咄嗟に木箱の破片を拾い、そいつをデカブツの体目掛けて振り抜く。

 しかし何のことはない。防具すらつけていない腰にぶつかった板切れは、音を立てて真っ二つに割れてしまった。


「効かなイと、言ってル」


 奴は勝ち誇っていたことだろう。たかが骨の1匹を相手に。

 相性の悪さは見た目の時点で分かっていたことだ。完成度の高いパッチワークコープスが如何に頑丈であるかくらい、俺だってよく知っている。

 だからこそ、俺は背後の影にニヤリと口元を開いた。


「なら、これは如何かね」


「ブフゥ!?」


 それはそれは綺麗な音。腕に巻かれた金属チェーンが、禿げあがった石頭をぶっ叩いた音色である。

 ズウンと床を揺らし、デカブツが膝をつく。その後ろには、パッチワークデブかあるいは俺かを見下すような、冷たいレヴナントの目が合った。


「ぺっ……遅いですよ執事長。縄抜けくらい、お手のものかと思いましたが」


「寝ていていいぞ骨。貴様が軽いのは事実だろう」


「言ってろ」


 野郎の目を逸らしてやったんだから、礼の1つくらい欲しい物だが。

 慇懃無礼な執事長様はコキリと首を鳴らし、白手袋を嵌めなおして拳を構える。

 これを挑発と取ってか、デカブツは獣のように吠えた。


「こンの、使用人風情ガぁ! 邪魔すルなぁぁぁぁ!!」


 狭い有蓋貨車の中、詰まれている荷物を蹴散らし、木箱を吹き飛ばしながら旋風のように迫るパッチワークコープス。

 車両の側面に大穴を開けるパンチに、俺であれば回避以外の選択肢がなかっただろう。

 しかし、バンハルドは違う。種族として特別製であるレヴナントは、重い攻撃を綺麗に受け流し、或いは拳の横っ面を叩いて反らして見せる。

 飄然とされていることに焦れてか、攻撃は一層苛烈になり、叫び声は車両をビリビリと震わせさえしたが。

 それは興奮による視野狭窄の証でもあった。

 突如としてジャリリという金属の擦れる音に、デブ野郎は自分の腕にようやく違和感を感じたらしい。


「く、さり?」


「どこ見てる。お前の相手はこっちだろ」


 先ほどまでバンハルドを吊るしていた鎖を手に、俺は木箱から木箱へと体を跳ばせた。

 羽虫を振り払うような太い腕を躱し、スライディングで股下をすり抜け、バンハルドに鎖の先端を投げ渡し、また投げ返されて走る。


「ぐぉぉぉぉ!? ぐるぐる、すルなぁ!?」


「そう騒ぐなって。こいつは俺からの餞別だ」


 そんなパルクールを繰り返し、長い鎖に余裕がなくなってきた頃には、デブ野郎はまるでミノムシのようになっていた。

 如何に力自慢の大型アンデッドとて、幾重にも巻かれた鎖を早々に引き千切るのは難しい。立っていることで精一杯というところか。

 ふと、奴のパンチが穿った穴から、外の景色が目に入った。


 ――山を抜けたか。


 思い切りよく、貨車の扉を引き開けば、湿気を纏った風が吹き込んでくる。

 凪いだ湖沼と沈んだ建物の群れ。それは線路沿いまで広がっており、俺は握っていた鎖をくるくると回した。

 始末をつけるにはちょうどいい。

 ヒョッと音を立てて投げた鎖は、ちょうど目の前を通り過ぎた信号機に引っかかる。

 その光景に、蠢くばかりだったパッチワークデブは、目を点にして俺を見た。


「精々、途中下車を楽しんでこいよ」


「があああああああ!?」


 余韻を残しながら、扉の外へと飛んでいく巨体。

 軽い骨身を木箱に叩きつけてくれた礼としては、これでトントンと言ったところだろう。


「うわぁ……痛そう」


 物陰から一部始終を眺めていたイアルは、なんだか申し訳なさそうに両手を合わせる。

 実際、彼女の言う通り、痛いで済んでいることだろう。ここならいきなり灰にされる心配もない。


「同情は不要でしょう。お嬢様に手を出した報いとしては、この程度生温いくらいです。にしても――」


 お仕着せを払いながら、バンハルドは俺の前に立つ。その視線からは明らかな呆れが滲んでいた。


「随分と手間取ったものですな。あの程度の相手に」


「不意打ちで捕まった奴がよく言う。そのお嬢様の居場所は分かってるのか?」


「ほぉ? では、コンパートメントに引き籠っていただけの者に、それが分かると? 力もなければ思考も鈍いとは」


 コキリと手の中で骨が鳴った。

 存在しない肺から、ゆっくりと息を吐くフリをする。


「途中下車したいならそう言え。切符なら余ってる。お嬢様にはちゃんと休暇だって伝えといてやる」


 青い額に言葉通りの青筋が走った気がした。


「骨風情にお嬢様を任せられるか!」


「手前がヘマやらかした結果だろう! 誰が尻拭いしてやってると思ってる!」


「お、落ち着いて2人とも、今は喧嘩してる場合じゃ――」


 今にも掴みかからんとする俺たちの間へ、イアルはワタワタと入ってくる。

 こいつが居なければ、既に骨の拳がレヴナントの頬に突き刺さっていたかもしれない。その逆も然り。

 ただ、もう1体。わざわざ喧嘩の仲裁に入ろうという変わった輩も居た。


「そぉの首ぃ、貰ったぁぁぁあああ!!」


「ひゃあ!?」


 跳んできた陰に、イアルは咄嗟に体を伏せる。

 そう、彼女だけは。


「ぁばがッ!?」


 宙を舞う歯とナイフ。顔面に残ったのは2つの靴底の跡。


「「すっこんでろ」」


 ハイキックの姿勢を維持したまま、しっかり声が重なった。

 なんだってこんな奴と息を合わせねばならんのかとは思うが、なってしまった以上は仕方ない。ため息1つで足を下ろす。おかげで頭も多少は冷えた。


「見えてたんだね」


「あれが隠れる気あるように思うか」


「躾の成っていない野良犬です。致し方ありますまい」


 バンハルドはパンと服を正しながら、俺を見る以上に侮蔑の籠った視線を、床へと転がったキョンシーへ向ける。

 改めてよく見れば、どうにもコンパートメントで眠らせていた奴のようだ。薬を盛られたというのにこの短時間で起きてくるとは、なかなか気合の入った奴である。

 悶絶するキョンシー男を前に、イアルは心配そうな面持ちでしゃがみこみ、しかしふいにアッと声を出した。


「なんだ?」


「もしかして、だけど。このキョンシーさんなら、こだまの居場所を知ってるんじゃない?」


 バンハルドと目が合った。

 その先は無言だった物の、やるべきことはお互いに共有できている。


「うぐぉぉ……え?」


「前言撤回だパーサー。ちょっと車内で困ったことがあってな」


「客室乗務員として、是非ともお力をお貸し願いたいのですよ」


「え、あ、ちょっ――」


 目を伏せ耳を塞いでいたのは、イアルなりの優しさだったのだろうか。

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アンデッドトラベラー ~死体娘と骸骨男は、壊れた世界で旅をする~ 竹氏 @mr_take

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