第28話 可憐な死体
目の前が霞む。
自分は今何処に居る。お嬢様は。
「……慢心したか。全く情けない」
痛む頭をうっそりと上げてみれば、ガチリと背後で金属が音を立てる。
どうやら、鎖で縛られているらしい。この様子だと、力ずくで外すのはほぼ不可能だろう。
「彼奴め、何を考えている?」
満総裁は亡き御当主との旧知。故にこそ、よもやお嬢様に手を出すようなことはあるまいと思っていたが、どうやら自分の妄想に過ぎなかったらしい。
とはいえ、彼は実業家だ。口惜しくも今の穂芒という名に、彼がリスクをとって直接手を下すような価値など無いはず。にも関わらず無理を通したとなれば、狙いはお嬢様の力である可能性が高い。
ならば、害するような真似はしないはず。側仕えの身として失格であることは既に確定しているとしても、主様の身柄を取り返すチャンスはまだある。
「期待していル、ような、目だ」
頭上から投げかけられた滑舌の悪い声に視線を動かせば、大柄な腐肉の塊が興味深そうにこちらを覗き込んでいた。
「パッチワーク……何を知っている」
継ぎ接ぎだらけの体を睨みつける。ガスでも溜まっているのかと疑いたくなるような膨らんだ腹と、木の幹にも思える巨椀をして、自分を後ろからぶん殴ってきたのはこいつだろう。
一撃でレヴナントの意識を飛ばすなど、たとえ奇襲であったとしても難しいはず。となれば、その醜い巨体がただの張りぼてということもあるまい。
暴れようともしない私に対し、そいつは縫合されたような口をにたりと開いて見せた。
「安心しロ。影は無事」
「であるなら、私を灰に帰さなんだのは失敗だな」
「お前は役に、立テる。だから残す。そういう命令ダ」
私は道具だ。お嬢様の為に存在する道具。
それが敵対者の役に立つと。これほどの侮辱はない。
「礼儀を知らぬ木偶め。穂芒の号を見くびるなよ」
体温など、当の昔に忘れた話。
だというのに、腹の奥は燃えるように熱く、それは口から青白い炎のような声になってこぼれ出る。
すると巨漢のパッチワークは、まるで殺意を向けられることが面白いかのように、フフと笑いを零した。
「精々足掻け。俺の、暇つぶしには、もってこい」
■
そーっとそーっと。
木製らしい蓋をじわりと押し上げる。隙間はほんの少しだけ。音を立ててもいけないから。
細く差し込んだ光は薄く、目が焼かれるということもない。
私は客車ではない場所に連れてこられたのだろう。この棺桶が石製じゃなくてよかったと心から思う。
震える腹筋に力を込めてようやく見えるのは、客車と繋がっているらしい扉から零れる光と、その前に立っている2人の死体。
「で、俺たちはこいつをいつまで見張ってればいいんだ?」
「総裁の仰ったことだ。給料分は働け」
ツナギ姿の死体は、どっちもミイラのようだった。
片方は扉のすぐ横に立っていて、もう一方は荷物にもたれる形でしゃがみこんでいる。
少なくとも、私が覗いていることに気付いた様子はなく、荷物にもたれている方は面倒臭そうに大きなため息を吐いていた。
「働けったって、ありゃただの抜け殻だろ? なんだって自分が入れるわけでもねぇのに、こんな高級棺桶を眺め続けなきゃならんのよ」
「それだけ価値があると言う事だろう。俺たちには分からん価値がな」
入っている方の私には分からないが、どうやらこれは相当いい物らしい。今までは普通のベッドで眠ることがほとんどだったけれど、もしかするとアンデッドたちにとっては棺桶の方が贅沢に思えるのだろうか。
――そんなに寝心地がいいとも思えないんだけどなぁ。
お尻の下に感じる硬さに、私はうーんと首を捻る。どこでも真っ暗の中に居られるのは寝やすいかもしれないが、せめてもう少しクッション性が欲しい。
と、どうでもいいことに頭を使っていれば。
「……ちょっとだけ覗いてみていいか?」
胸の奥がドキリと鳴った気がした。死体なのに。
蓋を閉めないと不味いかも。いやダメだ、注目されている中で動いたらそれこそ怪しまれてしまう。
ピクリとも動かず、今の状態を維持しなければ。必要ないのに息まで止めて、蓋を支える手にグッと力を籠めた。
私が緊張する一方、外では扉の方に立っていたミイラが訝し気な声を出す。
「お前は何を言ってるんだ。ダメに決まってる」
「いやいや、これも仕事だって。俺たちはあのデカブツが運んできたのを見ただけで、中身が言われた通りの物かは確認してない」
早く興味を失って。そっちのミイラさんの言う通りだから。
元々運動なんて得意な方じゃない私は、震えそうになる腕をどうにか気合だけで抑え込む。
ただ、そんなもの大して長持ちするはずもない。お願いだから休憩させてと、祈るように歯を食いしばっていた。
しかし、非情にもミイラたちは棺桶の話題を引き延ばす。
「正直に言え、見たいだけだろ」
「違う違う。考えてみろって。これで傷でもあって、俺たちのせいにされたらどうするんだ」
「そんな口車には乗らんぞ。絶対に触るな、俺まで連帯責任に――」
あっ、と思った時には遅かった。
震えを堪えていた腕は限界を迎え、軽いはずの蓋もコトンと小さな音を立てて元あった形に収まる。
体中から嫌な汗が噴き出してくるが、外をはガタガタうるさい列車の中だ。きっと気付かれてはいないはず。
「今の聞こえたか?」
「……ああ」
なんでこんな時だけ察しがいいのか。ついでにさっきまで言い合っていたはずなのに、急に仲良くならないでほしい。
言いたいことは色々あったが、近付いてくる気配に声を出せるはずもなく、私はいそいそと顔周りの冷や汗を拭い取り、体を丸めて死体のフリをしなければならなかった。
「ただの防腐死体、だよな」
「確認しよう」
「お前も見たいんじゃねぇか」
「違う、これは職務だ」
ギィと音が鳴り、流れ込んでくる外の空気に木の匂いが攫われていく。
目を開ける訳にはいかないが、頭上で誰かが息を呑んだ気がした。
「ふぉ、なんだこりゃ。まるで人間じゃねぇか……! こんな綺麗な死体は見たことねぇ」
「女性、のようだな。こりゃいい所のお嬢さんだぞ」
「お人形さんみたいってのは、こういうこと言うのかね?」
「だろうな。こんな可憐な身体が――ぶへぃッ!?」
ゴンと鈍く、続いてパリンと激しく何かが割れるような音が響く。
唐突に途切れた声に、何が起こっているのか分からない。ただ、今の私は死体なのだ。周りを確認したくても目は開けられないし、怖いからと言って体を強張らせるわけにもいかなかった。
「見る目あるなお前ら。外見だけなら、俺もそう思う」
聞きなれたその声が降ってくるまでは。
■
最初の感想を言うなれば、外からこそこそ荷物車を覗いた自分が阿呆のようだ。
この乾物共が見張りだったのか、それともただの荷物員だったのかは知らない。仮に前者だとすれば、害意ある連中も中々人員不足なのだろうし、後者だとすれば間の悪い奴らだと思う。
ただ、とりあえずガラス瓶の1発だけで伸びてくれたので、こいつらのことは放っておくとして。
「そ、素宮さぁん! よかった、助けに来てくれたんだ!」
随分と豪勢な棺桶から、勢いよく起き上がってくるドレス姿のちんちくりん。目尻に涙まで溜めている辺り、影のお嬢さんは外出中なのだろうが。
「この馬鹿2匹に感謝しとけ。こいつらが覗いてなかったら素通りしてた。それで、お前はなんでこんな所で寝てる?」
「……っ! こだまは捕まったんだ。満っていうアンデッドと、よくわからない用心棒みたいな奴に」
状況を思い出したのか。イアルの声が想像以上に張り詰める。
おかげで、想像していた以上に厄介な事態が起こっていることは察せられた。それもイアルが原因ではなく、穂芒のお家に関わりがありそうな問題であることも。
――満といえば、ウエストメンテナンスライン鉄道グループ総裁のワイトだったか。
時勢に疎い俺でも流石に知っているくらいの超大富豪であり、どうすればそんな奴と敵対できるのか頭が痛くもなったが、今更ボヤいたところで何を変えられる訳もない。
「道理でパーサー服着た奴が、コンパートメントに殴りこんでくる訳だ。だが、青カビ野郎はどうした。影のお嬢さんに手を出すなら、アイツが黙ってないだろ」
気になる点はここだ。如何にワイトが上位種のアンデッドと言っても、霊体型と比べれば劣った存在であり、金持ちらしくそれなりの手勢を引き連れていたとしても、曲がりなりにも戦闘慣れしたレヴナントに敵うとは考えづらい。
しかし、俺の疑問にイアルはぴょんと跳ねた髪を小さく横に揺らした。
「多分、不意打ちされたんだと思う。途中まで私と一緒に運ばれてたけど、これに入れられちゃったからその後はわからない」
「あの番犬。肝心なところで役に立たんな」
前に殴り合った時も思ったことだが、アイツは詰めが甘すぎる。自分の能力を過信しているのか、それとも根っこがただの間抜けなのか。
どちらにせよ、このまま放っておく訳にも行かない。何せここは列車という閉鎖空間であり、隠れてやり過ごした所で終着駅は完全に向こうのテリトリーだ。穂芒無しで俺たちが安全に抜けられる可能性は極めて低い。
時間は向こうの味方と考えるべきだろう。ならばと奥へ進もうとすれば、袖口をピッと引っ張られた。
「どこ行くの?」
「お前はそのまま隠れてろ。その方が安全だ」
「私も行く、連れて行って」
袖を握る力が強くなる。
相変わらず、頑固さだけは人一倍らしい。
「一応聞いてやる。理由は」
「友達が大変なのに、私だけ隠れてるなんてできない。それに素宮さんなら、きっと守ってくれる、よね?」
薄暗い荷物車の中でもわかる、まるで疑いのない微笑み。
あまりにも真っ直ぐな視線に、俺は問答を続ける気が失せた。
「好きにしろ」
こうなればどうせ聞かないだろうと、ため息代わりに下顎が鳴る。
にも関わらず、歩き出そうとすれば、再び腕を引っ張られた。
「あ、ねえ、もう1つだけ聞いていいかな!?」
「なんだ」
早くしろ、と出かかった言葉を飲み込む。余計なことを加えて、キーキー喚かれても面倒だと。
ただ、自ら呼び止めたのだろうに。イアルは先程と打って変わって、どこかモジモジとしながら視線を泳がせ、口篭った声で唇を震わせた。
「え、えと……さ、さっきの事なんだけどね? 私のこと、見た目は綺麗って――ホント?」
沈黙。
ガタタンガタタンと、三軸台車がレールの継ぎ目を叩く音だけが響く。
「……さぁな」
別に照れくさかったとか、そういう訳では無い。ただこの状況で、どう返事をしても面倒臭くなりそうだったと、ただそれだけ。
今度こそ袖を振り払って歩き出せば、後ろからガタガタと木棺の揺れる音が聞こえてきた。
「あっ! ちょ、ちょっと! 勇気出して聞いたんだから教えてよぉ! ねぇ!」
こいつは見た目通り、本当にただの子どもなのだろう。
死体はあくまで死体。色気づいた所で何になる。
親でも教師でもない立場から、お節介がましく現実を享受してやるつもりなど更々ない俺は、沈黙を盾として大股に歩き、奥の貫通扉を引き開けた。
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