鳩首疑議
小狸
鳩首疑議
「あれって結局ライトノベルなんだよな、読む気失せるわ」
「ほほうそれは聞き捨てならないなあ君はレーベルやパッケージで小説を差別するのかいなかなかどうして奇妙な真似をするじゃないか読書家を気取っておいて所詮君もそれだけの奴だったということだやれ外見で判断するなだのやれ人は心で勝負などと嘯いておいて結局君も奴らの同類か残念だよとてもやれやれ一人友達が減ってしまったが明日から一人でお昼ご飯を食べることにするよさようなら」
「聞き捨てならないな、ていうか待って。置いてかないで」
そんなやり取りの元、ぼくらは話すことになった。大学の食堂での話である。
お互い喋りながら食べられるほど器用ではないので――完食し食器を片付けた後、コンビニで飲み物を買った後のことだ。チェーン店なのだが飲み物の品揃えが大量にあるのだ。ぼくの隣にいる自称友人の
いや、こんなことを言うと本当に批判の的になってしまうのだが――少なくともぼくの進学した文学部国文学科では――国文学科を志望するだけの理由を持って入った人が、一人もいなかった。
附属高校からの進学で、国文学科は最低ラインであったらしい。成績の落ちこぼれで劣等感だらけの人間たちと――そして何となく小説が学べるというどうでもいい理由で、大金を溝に捨てるような奴ばかりだった。
そうして、色々な人と話し、半年が過ぎ――軽く絶望して首を
この男――五桐と出遭ったのだ。
その時の会話は、こんな風だった。
「なあ、君。面白いから僕と友人になってくれまいか」
「……別にいいけど」
以上である。
どうやら、直前の講義で「生涯読んだ本の数」を聞かれた際、僕が言った言葉が気に入ったらしい。『数える程度しか読んでいない奴が、この国文学科に存在するわけないですよ、先生』。別に皮肉でなく普通に発言したつもりだったのだが――やはり最初に当てられたというのが悪かったのか。場が凍り付いてしまった。それ以降、誰一人として挙手をせず、講義は最悪の雰囲気の中終わってしまったのだった。少し申し訳ないと思いながら、そっと教室を出たところで、五桐と仲良くなったのである(ちなみにあの後『あの教授は多く本を読んだ人間が偉く、つまり自分は偉いと思っていたのだ。いつか鼻をへし折ってやろうと思ったのだが、君がやってくれてせいせいしたよ』と言っていた。鼻をへし折るって、大人に使う言葉か?)
仲が良い――という表現が、果たして正しいのかは分からない。持っている知識の量にしたところで、五桐は僕の十倍は有しているだろう。大概話は、僕が不適切な発言をし、それを諫める形で始まる。時々口論にもなったりするが、そんな仲である。
これは同じゼミの人から聞いた話なのだが、ぼくには『書痴』、五桐には『書狂』という綽名が付いていたらしい。ゼミの教授が付けた名前だそうだ。
お前と同列にだけはなりたくないなと言ったら、五桐も同じことを返した。
どんぐりの背比べ。
「ふう、やはり食後のカフェインは必須だな。眼が開く」
カフェイン中毒のきらいがあり、やはりというか、カフェオレを頼んでいた。カフェオレのカロリーのために食事を減らしているという。食事よりカフェイン摂取が優先か。早死にするだろうなこいつは。ぼくは無難に天然水にした。味のついた水は苦手だ。
「さて、
偉そうな口調で五桐は言う。常に偉そうなのだこいつは。
「小説とはどういうものだと思う」
「いきなり観念的な話だな。小説とはどういうものっつって――ううん。
「成程、君らしい意見だ。僕からの反論にそこまで怯えているのかい。まるで反対されるのを気にしているような表現だと見受けるが」
「実際そうだろ。人の
「あっはっは。僕はそこまで非道な人間ではないよ」
非道な人外が何か言っている。
「ならば聞いてみよう。小説という言葉には『小』の文字が入っているが、これはどういう意味があるのだろうね」
「小って――ああ、まあ確かにそうだな。大説とは言わないし。短いってことか」
「いや、繋げて長編小説と言う。短くとも短編小説という。君の定義で行けば、短編の方が意味が重複していることになるだろう。今巷間で嘯かれている『正しい日本語』とやらの規則には引っかかるね。因みに大説という言葉は存在するよ。君子が国家や政治のための志を著した書物だ。四書五経くらいは知っているだろう」
「ああ――『大学』『論語』『孟子』――あとは」
「『中庸』だね」
五桐は嫌そうに言った。『正しい』という言葉が嫌いなのだ、この男は。
「じゃあ、その小さいってのは、つまり王が書いたという訳ではなく、庶民だの何だのって奴が書いたってことから、大説の対義としてできたのかい」
「里中君にしては理解が早いな」
口の減らない男だ。
「そう。対比として考えるのなら間違いではないが、少し違うね。小説という言葉自体は中国由来のものだ。小、と、説。『漢書』の芸文誌では――日本語訳ではあるがこう定義されているね。『口頭によって語られた価値のない言説は、内容の是非と問わず、皆小説と称す』。
「語られる価値のないとは随分な言い草だな」
「そりゃ
「たった一つの勘違いで戦争に――ってのは今でもありうる話だよな。言葉のすれ違いで喧嘩して離婚して、ネットだって炎上続きだ」
「君の感想はどうでもいいよ」
酷い言い草である。
「君だって文学部なんだから、『
「……高校の授業で、読んだくらいだよ」
事実ぼくは中国文化史に
「日本史の知識として、モリソンというイギリス人を知っているかい」
「モリソンというと、あれかい。
「そう。そう言えば君は片仮名には強いのだったな。そのくせ国文学科に進むとは何とも矛盾している」
「話を続けろよ」
ぼくを罵倒しなければ呼吸ができないのか。
「正解だが、
「異国船打払令だ」
江戸期あたりの歴史用語は記憶していた。
「そして、その体制に反対した、その高野長英だか、
「全く、里中君は話を読まないな。単語を覚えて、試験で点数を取るだけだったのだろう? モリソンというのはイギリスの東洋学者の名前でね。兵学者である長英は、その学者の名前と、舟の名前を混同していたのだ。アメリカ船を、イギリス船だと誤解してしまった。『
「……どういうことだよ」
「きちんと情報の真偽を調べず、表層だけで何かを批評しようとすると、そうなるということだよ。浅慮先行は毒にしかならない。君の意見に同調するのも癪だが、現代こそそういう風潮が強いのではないかな」
「………」
肝に銘じておこう、と言った。成程、この男は、ぼくにそれを伝えるためだけに脇道にそれたのだ。回りくどいとは思うが――すぐに熱くなってしまう僕にとって、その手法は効果的だった。故に腹立たしくもある。こいつの掌上で踊らされている気分だ。
「それで? モリソンは何の関係があるんだ」
「彼はイギリスの宣教師であり、中国学者でもあったのさ。イギリス東インド会社は知っているか」
「ああ。うろ覚えだが――十七世紀ごろにできたイギリスの商業会社だろう。独占的かつ政治的なものだと記憶している」
「そう。まあそこの歴史を紐解くのは今度でいいだろう。ロバート・モリソンはそこの翻訳官として、牧師のかたわら職についていた。そして宣教者としては、プロテスタンティズムの中国宣教の礎を作り――いくつかの著作もあるね。『シナ語文法』『英華辞典』あたりだろう。英語と中国語の橋渡しというわけだ。日本においても有名な人物だったよ」
「ふうん。確かに信心は言葉の壁を超えるが、祝詞は言葉でないと伝わらないものな」
「たとえが下手だね、もう少しましなものはないのかい」
「五月蠅い、早く次へ行け」
適当にあしらわれた。
「さて、彼の著した『英華辞典』には、小説に関する項目があった。読んで字の如く、英語と中国語の架け橋だが――小説は英語で言うと、何かね」
「小説――そりゃあNovelだろう。ライトノベルだってそうなのだから。ノベルスという書籍形態だってある。それがどうかしたか」
「そう、ここの英華辞典こそが、その翻訳を紐付けたものと、僕は読んでいるのだよ。『英華辞典』には、Novel の見出しでこのように掲載されている。《A small tale 説書》。
「……taleは、物語だったか」
「ははは、流石に尻尾とは言わないか。賢明だね。そう。一八二二年だ。無論novel 以外にも翻訳の仕様はあるね。元よりnovel 自体は長編小説という意味を含有していたらしい。短編小説ならばshort storyで事足りる。創作ならばfictionであっても構わない。これはあくまで集合的な表現だがね。そこから派生してミステリだのジュブナイルだのというジャンルの言葉が生まれてきたという訳だ。まあ、やはり英語までさかのぼると日が沈んでしまうからね――とかく、ここでは――まあ僕の意見ではあるが、小説が物語的な意味を与えられた切っ掛けは、この辺りではないか、と僕は思うね」
「そう、か」
いや、だから何だというのだ。下らない御託に突き合わせるな、とはぼくは言えなかった。興味深かったからだ。
「いや、novelについてはぼくも少し覚えているけれど『小説神髄』ではなかったか。ほら、あの、壷がどうとかの」
「固有名詞くらい覚えたまえ、坪内逍遥だろう」
「そう、それだ」
漢字の書き取りで、
「雑に覚えるなよ、歴史が泣くぞ。
「おいおい、そりゃないだろ」
ぼくは反論してしまった。
「なんだい、
無視した。鳩が豆鉄砲で、瓢箪から駒で――いや、考えるのはよそう。
「いや、いくら逍遥が優れていたからといって、ぽんと『小説神髄』で、これはこうだよ、と述べたら、それが一般社会に膾炙するというのかい。事実、小説を訳せば和英辞典ではnovelと真っ先に出るだろうさ。そんな簡単なものなのかい」
「そんな簡単なものなのだよ――小説なのだから」
五桐は笑わなかった。真剣である。ごくりと、ぼくの
「今だってある。著名人が遣った言葉、芸人の芸風か、かつてスラングであり世俗であり間違いだったことが、今では正しい意味となっていることなんて数えきれないじゃないか。それとも君は、言葉は昔から一切変化することなく今まで到達しているというのか」
「……そういうことは言っていないが」
「今君は、小説という言葉がどうできたかを知った。辞書でも調べればそう書いてある。見たまえ、定義はとてつもなく曖昧だが、こうして小説というものは出来てきたのだ。娯楽だからね、辞書への掲載も他の重要用語や世相を著した言葉よりも遅い。故に、それを理解してもらう必要があった。さてそれでは、ライトノベルについての話をしようか」
長すぎる前置きに、あくびすら失ってしまった。
「……ああ、ライトノベルの定義でも話すのか」
「ライトノベルのライトは、lightだな。里中君。この単語の意味は何だね」
「明るい、軽い、薄い――くらいか」
「そうだね。まあ恐らくこれを名付けた者も、そこまで深く考えてはいないのだろう。寧ろ僕の方こそ君に聞きたいくらいだよ。ライトノベルとは、何だい」
「…………」
答えることができなかった。何を言っても、この男の舌先寸分口八丁手八丁に掛かれば、赤子の手を捻るように一ひねりされてしまった。そう思ってしまうくらいに、今自分のライトノベルの定義づけが曖昧であることを――ぼくは一連のやりとりから気付いてしまっていた。否、恐らくこの男は、ぼくにそう思わせるためだけに、わざと長い
「言葉を定義するというのは難しいものでね。たとえ辞書に掲載していたところで、その辞書に改訂が加わるように、変わっていくものだ。君が考え、そして心の中で否定したものを当ててみようか。ライトノベルレーベルから出ている。作中に挿絵が掲載されている。文庫として販売されている。表紙にイラストがある。出版社及び作者がライトノベルだと公言している。中学生高校生向けに読みやすく書かれた娯楽小説である――あたりだろう。分類において正確な定義などないのだよ。動植物の科目分類でもあるまいしね。だから、ただの読者であるその辺のどうでもいい奴が、これはライトノベルだ、これはライトノベルではないと――そう議論するのには全く意味はなく、世界にとって何も影響を与えない。それは、理解していただけたかな。」
「理解――はできた」
ただ、と僕は続ける。こうなった時の五桐は冗談が通じないことが多い。慎重に言葉を選ぼう。
「始まりは一九八〇年代とされているね。角川の井上氏は『ジュブナイル』や『ヤング』としてくくられることが多かったと論じているが。朝日新聞出版のソノラマ文庫なんかは、七十五年に始まっていて、石津嵐先生が『宇宙戦艦ヤマト』を書いている。あるいは『さよならアルルカン』の氷室冴子先生なども有名だね。他にはコバルト文庫などがそれにあたるが、当初はライトノベルの専門ではなかった。転機になったのは、角川文庫から派生した角川スニーカー文庫、富士見書房だろう。若手向けに舵を切ったのは角川ということだ。一九九二年に、角川社内から数人の人材が出てメディアワークス、今でいうところのアスキー・メディアワークスが生まれた。スニーカー文庫からの引き抜きがあり、電撃文庫が創設されたというわけだ。そして電撃小説大賞が生まれた。元々はゲーム小説、ゲームシナリオを募集していたがね。そこから都市シリーズの川上稔先生、『ブギ―ポップは笑わない』の上遠野浩平先生、あるいは落選作でも時雨沢先生の『キノの旅』などが拾い上げられたりもしている」
「講談社はどうなんだ。講談社ノベルスって言っても、その頃じゃないのか。ゼロ年代とか言ってさ」
「さてね。そう思うのは勝手だし、確かにノベルスでもイラストが封入されているものがあるが――僕は世界を『レーベル』で、今のところ定義している。確かに西尾維新先生の戯言シリーズなどはイラストを伴うノベルだが――それのみをライトノベルと定義すると、僕の定義に歪みが生じるのだよ。それに、いつできた小説だからライトノベル――というのは定義としてもあまりにも曖昧だろう。元々結論がないものを無理矢理形にしているんだ。少しは我慢していただきたいものだね」
「でも――イラストがあるものをライトノベルだとする定義づけだって――あるよな」
彼に反論するのは、少し骨が折れる。
「ああ、勿論ある。ただしそれは個人の裁量に任せられるのではないかね」
「個人の、裁量だって?」
「そう。例えば表紙にイラストが使用されていた小説があったとしよう。それがどういうイラストであれば、君はライトノベルだと認識する。小娘が踊り狂っている絵か、アニメタッチで書かれたイラストかね。ただ、それだけではないだろう。風景を描いたイラストはどうなる。景色は? パソコンで作画されたもののみを示すのか。作中に挿絵がある場合もそうだ。電撃文庫などでは、表紙を開いてから数ページ、見開きでカラーページが入っていることが多いね。講談社BOXはどうだ。カラーは表紙のみで、しかも挿絵も冒頭のみだ。作中に挿絵が入っている場合も含むのかい。章の始まりに、漫画の扉絵のように記載されているのもあるな――それはライトノベルに含まれるのかな」
「そんなこと、ぼくに分かるわけがないだろう!」
ぼくはつい叫んでしまった。
食堂の周囲にいた人が、こちらを向いた。
ぼくが喋ったわけではないのに、何故か息が上がっていた。
「そう、君はそんなことも知らずに、ライトノベルなんて読みたくないと言っていたんだ。『なんて』だ。知らない癖に語ると高野長英になると、言ったね。僕はまだ温厚だからいいが、あまり大声でそれを言わない方がいい。曖昧な定義ならまず自分で調べて――それから使ってほしいものだ」
そう言って、五桐は肩を竦めた。
「…………悪かったよ」
回りくどく、長すぎる口調に辟易していたところだったので、そこで諦めることにした。
まあ、言わんとすることは分かる。何がライトノベルか、など、深く考えたこともなかった。
「まあ、言わんとすることも分かるがね」
と、しかし五桐は、どこに言うわけでもなく付け加えた。
「ゼロ年代以降、いや以前もそうだが、日本文化ではアニメや漫画の趣味がある人間は下に見られてきた。その傾向は未だ残っている。イラストが描かれた小説を読み、そう思われたくない。全く、いつから小説は人の人格を表す記号になったのだろうね。だからこそそういう論争が起こるのだよ。『自分が読んでいる小説をライトノベルだと認めたら、馬鹿にされるのではないか』『衆目に晒されるのではないか』。恥をかきたくないというのは『源氏物語』でも示された論理だ。気持ちは分からんでもない――ただ」
ばんと――五桐は机を叩いた。誰一人反応しなかった。
「読みもせずにレーベルだけで批判する輩には、僕は我慢ならない。小説を面白がるのは読み手の才覚だ。決して作者の技量だけの問題ではない。馬鹿な読者は推理小説を猟奇小説だと思うからね。面白いと思う努力もせずに、真相を分かろうともせずに、外面だけで判断するのは、僕らは江戸時代から何も進歩できていないに等しい。だから――」
読め。と。
そこには、今流行のライトノベルレーベルから出された、新人作家の小説が出ていた。
今流行の、長いタイトルと、異世界転生の傾向と、男が女に囲まれる展開と、才能が図式化して表示される傾向と、辛い思いばかりしてきた奴が報われる話に全て反抗し反発し全否定している、読者から猛反発を食らっている――反骨の問題作であった。表紙にはイラストは一切使われていない。否、どろどろに混ぜられた黒と灰色の異色の混合である。
「ああ――これは」
「僕の本だ」
その告白に、意外にもぼくは驚かなかった。
確かに、行き過ぎたこの男の知識は、そういう風に使うのが効率的だと思ったことも、なかったからだ。
成程、得心が言った。どうしてこいつが、あそこまで怒ったのか。
書く側の気持ちを、この男は、理解していたのだ。
ここまで話したのは――自分の本を見せるための、伏線。
それだけのために、わざわざこんな知識を?
馬鹿げている、失笑を禁じ得ない、笑止。
ただ――そういう風に真剣になれるからこそ、ぼくはこの男とつるんでいるのだ。
「人が書いたものを見もせずに無碍にする君を、僕は許さない。だからといって君を洗脳はしない。読むだけでいい。凝り固まったライトノベル思考を根こそぎにすると約束しよう。ただし常識は捨てておきたまえ。読了したら、君はもう、ライトノベル『なんか』などとは言えなくなると、ここに賭けよう」
格好良い台詞を言う。怖気づいたと思われるのも
「いいだろう。ぼくこそ、一冊程度の本じゃ歴史は何も変わらないってこと、証明してやるよ」
こうして――書痴と書狂の言葉による戦争が始まった。
いつも通りに。
【
人々が集まり、額を寄せ合って熱心に相談すること。
(了)
鳩首疑議 小狸 @segen_gen
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