人間ではないのですね
そうして私はひとりの亡霊に辿り着く。旧王室。盛衰の
深紅の目をした淑女。
「レブレ……」
彼の第一声が、全てだ。すでに死んでいるはずの、この世に存在していてはならない人間の名。
レブレは死装束めいた
「久しぶりだね。クエレ、フーカ……それと、アイル」
夜空と
一糸まとわずとも完全な生来の美に対し、着飾ることで真価を発揮する素朴な美だが、それゆえに高貴な衣装がよく映えた。
「只今、ご友人を連れてまいりました」
バルタザールは
「ヘカーテ。ご苦労さま」
一般的な養親子とはかけ離れた会話への戸惑いも束の間、バルタザールは立ち上がってマントを
「クエレ君。彼女こそが
言葉の余韻を裸足の音が
私の
「青女の日は、願いが叶う日。予感がまったくなかったと言えば嘘になる」
彼は一瞬、私の脚を見る。おそらくそれについては同意見だ。私の願いが叶ったのだから、彼の願いだって叶うこともあるだろう。
しかし、肝心の彼のようすがおかしい。叶えた望みを喜ぶどころか、今、頬の肉は重力に
二人の関係が複雑なことは知っている。青の時代の未熟な才覚では取り戻せなかった負い目や、天賦の才を遺憾なく発揮し始めた彼女への嫉妬心、見捨てられた思いも少なからずあるだろう。
それでもだ。
いかなる感情の濁りで苦悩したにせよ、「間違いなく愛していた」と認められるのなら、掛けるべき言葉が他にあるはずだった。
私だったら。命だとか魂だとかの摂理云々はさておき、激しく湧き起こる情動のままに抱きすくめてやるし、愛とはそうあるべきだと信じている。この
もともと彼には人間らしい感情の
「わたしに
「空が近いからね」
レブレのわけのわからない質問に、彼がわけのわからない返答をする。こうしてみると彼とは似ても似つかない容姿である一方、言動や所作の一つひとつは生き写しみたいで目が離せなくなる。
「生臭い。それ返り血?」
「
「本物の血みたいだ」
「見ての通り完璧主義なもので」
私は擬態部を見せびらかす。退魔稼業の本営ではあるので、厄介事の種を
「ふーん、鳥のモノマネかあ。でもキミは飛べない」
「飛びましたよ。空中ブランコみたいな感じでこう、びゅーんッと」
「無理に隠さなくてもいい。
「お肉ッ!」
「……となると、あの爆発もキミのしわざだったんだね。
にやりと笑うレブレを見て、立ち寄った街灯が月の光ではないことに気づく〈
「いまのは口を滑らせたアルラウネの真似です。うまいでしょう。安易に暴力で解決しようとする野蛮な
「面白い子」
「喧嘩売ってません?」
「なにも売らないよ。お金持ちだから」
やっぱり似ている。
「人間、なんですよね」
おそるおそる、
死者を蘇らせる魔法が存在しない以上、死体利用を疑うのが蓋然性の高い推論だけれども、当然ながら皮膚組織の
「確かめてみる?」
レブレは挑発的な態度で右手を差し出すと、荊棘のうちのとりわけ鋭利な一本を使って指の腹を切りつけ、数滴の血を垂らしてみせた。潰れた
「食べません、ぜったい」
女体の梢々にめぐる新鮮な
「悪ふざけはやめて。アイルが困ってる」苛立ちを
「ああッ……」
本能だからね。許してほしい。
「へえ、仲いいの」
「うちの娘」
「そんな自慢の娘だなんて……えへへ、さすがに血の繋がりはないですよう」
「あったら怖いわ」
調子に乗るな、と手刀で
レブレはくすくすと笑った。
「魔女の家系だから後継ぎは娘がいい、だっけ。キミは自分自身の力で夢を叶えたんだ」
ここでも夢か。筆を握ってからというもの、頻繁に夢やら願いやらを口にしたり耳にしたりする。
唐突に明かされた彼女の夢は、まさしく夢らしい夢だった。
程よく明瞭な形を保ちながら程よく漠然としていて、自分自身では叶えようがなくて、叶わなくても一向に構わないもの。
正しい願い方とやらの、模範解答のような夢。すでに満たされている人間が、
ともかくあの日、あたしの夢はもう叶っちゃった、と嬉しくなさそうに言っていたのはこのことだったのか。
魔物の私では不満だった?
いや、フーカに限ってそれはない。私は彼女を信頼している。なにか別の理由があったのだ。私が魔物であることによって生じる何らかの不都合が……。
すると無意識に
「大袈裟。あたしの努力どうこうではなくて、アイルの従順さと成り行きで叶ったの」
「思いもよらない巡り合わせもまた、個々に宿りし力のひとつだ。運命の女神フォルトゥナは己の半身たる
「占い師に転職?」フーカの眼光が鋭さを宿す。「……あんただったのね。バルタザールにクエレの情報を漏らしたの。ふたりの接点が無いわりに手際が良すぎるとは思ってた。おかげで
はっとなる。宮廷魔術師との繋がりがあり、かつ彼の狭い交友関係のなか失魔症を知る間柄で、フーカでもジェイドでもない人物は、確かにレブレしかいなかった。今の今まで死者だからと嫌疑をすり抜けられた内通者。
「わあ、こわい。綺麗な顔が台無し。まるでわたしが裏切ったみたいだ」
「ほかに
「手荒な真似はしたくなかったの。ほんとだってば。日付が変わるまでにクエレを連れてきて。わたしはそう言いつけただけ」
「ふうん。お手柔らかな真似が善良なるいち市民への実力行使ねえ……。随分とお上品な性格に矯正されたのね、ご令嬢サマ」
フーカの強烈な魔力から成る風に送られて、
「ごめんね、たしかに手段までは指示しなかった。大体、キミたちには野心が足らないからさあ、わたしが礼儀正しく王室名義でお茶会に誘っても来てくれないじゃん。まずはジェイドの潔白を喜びなよ」
「死人に口なしとは言うけれど、金持ちは舌の根も買い足せるみたいね。あれほど白が似合う男はいないし、あたしならまだしも、死人らしく血の
そういって側頭部に人差し指を突き立てた。
この間にも、私は垂れた
「うん、フーカは平気で裏切るもんね。なんだかんだ最後は助けてくれるんだけど、しっかり買収もされて、いーッつもひとり勝ち」
「負け方を知らないの」
フーカが
「ちなみに呼んだら来てくれた?」
「うちの店は年中無休」
「えっ、定休日ありますよね」
「余計なことは言わんでいい」
「ほらあ!」
跳ねた語尾の行方を彼が見守っている。レブレは舌休めに息を継ぎ、親しみを
「……フーカが元気そうでよかった。キミは次の時代を
「はいはい、どーも」
あんたで百人目、と毒を吐き捨てる。
「そういやキミたち付き合ったんだよね、おめでとう。わたしが死んでも、あの子は幸せそうにしてる?」
「ンなわけ……。ジェイドが変わったのは、良くも悪くもレブレが危険な任務に
もっとも、あいつは
「筋金どころかサイボーグじゃん」レブレが口元を押さえて笑った。「そんなジェイドが好きなんでしょう」
「……否定はしない。とにかくあたしたちに余計な気を遣わせたくなくて、幸せなふりしてくれてんの」
「そっか。あの子は偉いね」
レブレはそう言って玉座の裏に飾りつけの一振りを見やり、過去に想いを馳せるようにして微笑みかける。
四面を
「ん、飲み物が気になった?」
流れで声を掛けられる。私の身体は直線上のテーブルのほうを向いており、飲みかけのスープに興味があると勘違いさせたらしい。
戦闘職らしからぬ綺麗な指先に
「
「わーい」
「
「おえッ、なんてものを!」
うっかり共食いしちゃったじゃないか。階下の紛らわしい香水といい、この城のスープはどうなっているんだ。
憤慨のはずみで陶器を叩き割ってしまい、その片付けのためにフーカは杖を下げた。柔らかな〈風〉が足首を撫でる。そして彼女という華やかな行き場を失くした視線同士は意図せずに絡み合う。
「あらためて、アイル」
「どうして名前を?」
「憶えてないかあ。わたしたち、昔会ったことあるのになあ」
「……あなたを殺してしまったのが、私、だったり……ごめんなさい。憶えていられなくて……」
私がアイルと名付けられた後、つまり彼がバクロの森に
外界に
考えるうちにひどい寒気がした。命のやり取りに慣れきって退屈と
「死に際に立ち会ったという意味なら反対かな」
「私があなたに食べられた?」
たまらず首を傾げる。
「なんでキミは生きてるのさ」
「それはですねえ」
人間を食べた記憶はあるが、食べられた記憶はなかった。もしも私が野原に生い茂る雑草だったなら、本体の
だが私はちがう。本体の再生ができてもクローンまでは生み出せず、魔力の供給が断たれた部位は
「やー、年端も行かないは褒めすぎ」
「
時間の長さではね。全てを誤差とみなすには容姿の変化が
「あはは、だったらそれも反対だ。わたしは
言われるがままに記憶を
彼女はずっと前から生きていた?
なおかつ、その生には秘匿されるべき事情があった。理由は考えなくともわかる。
「あなたはやはり、人間ではないのですね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます