人間ではないのですね

 

 そうして私はひとりの亡霊に辿り着く。旧王室。盛衰の航跡こうせきを漂わせるおくりなを与えられた部屋の中心で、生前の姿を保つ華奢な体躯のたましいは、へドリス様式の代表とも呼べる大きな窓枠にすっぽりと収まっていた。

 深紅の目をした淑女。

 あるいは、黄泉よみ帰りの生命。

 幽世かくりよから取り戻した若々しい肉体を、室内の照明魔術がけざやかに描画びょうがする。その明輝めいきに照らされたペールオレンジの御前みまえでは、宝飾家具のきめ細かい花浅葱はなあさぎの光りも、朱華はねず色の燭火の微明びめいも、鳴禽めいきんと名高い白妙しろたえの籠鳥も、キアロスクーロの暗い背景に成り下がる。


「レブレ……」


 彼の第一声が、全てだ。すでに死んでいるはずの、この世に存在していてはならない人間の名。

 レブレは死装束めいた高貴なる白エーデルワイスのコタルディに身を包み、民族舞踊の流れをむ宮廷式の挨拶を私たちに披露した。彼女がその大胆な引き裾をはらはらと波打たせるたび、鮮やかなコチニールレッドのペディキュアでめかした素足が見え隠れする。


「久しぶりだね。クエレ、フーカ……それと、アイル」


 夜空と見紛みまがう漆黒の美髪をたま手櫛てぐしですべらかすと、芙蓉ふようまなじりに歓迎の喜色を描いた。

 一糸まとわずとも完全な生来の美に対し、着飾ることで真価を発揮する素朴な美だが、それゆえに高貴な衣装がよく映えた。


「只今、ご友人を連れてまいりました」


 バルタザールは空殻あきがらの玉座に向かって片膝をつき、黒杖のきっさきを騎士の剣に見立てて忠義を示す。マントを結わう留め具がやけにうるさい。


「ヘカーテ。ご苦労さま」


 一般的な養親子とはかけ離れた会話への戸惑いも束の間、バルタザールは立ち上がってマントをひるがえす。


「クエレ君。彼女こそが其方そなた名指なざした理由だよ。そして此度こたびの再会の真意を、其方そなたは深く理解しておられよう」


 言葉の余韻を裸足の音がさえぎった。レブレは彼の手前で足を止め、薄い笑みを浮かべる。

 私のあしうらは根であった頃の機能の一部を引き継いでいるため、床越しに伝わる微細な震動からこの亡霊が実体である事実を割り出せた。


「青女の日は、願いが叶う日。予感がまったくなかったと言えば嘘になる」


 彼は一瞬、私の脚を見る。おそらくそれについては同意見だ。私の願いが叶ったのだから、彼の願いだって叶うこともあるだろう。

 しかし、肝心の彼のようすがおかしい。叶えた望みを喜ぶどころか、今、頬の肉は重力にし潰された。

 二人の関係が複雑なことは知っている。青の時代の未熟な才覚では取り戻せなかった負い目や、天賦の才を遺憾なく発揮し始めた彼女への嫉妬心、見捨てられた思いも少なからずあるだろう。

 それでもだ。

 いかなる感情の濁りで苦悩したにせよ、「間違いなく愛していた」と認められるのなら、掛けるべき言葉が他にあるはずだった。

 私だったら。命だとか魂だとかの摂理云々はさておき、激しく湧き起こる情動のままに抱きすくめてやるし、愛とはそうあるべきだと信じている。この奇蹟きせきの再会を不動でやり過ごせるわけがない。

 もともと彼には人間らしい感情のはげしさをくきらいがあるけれど、今回ばかりは不自然さが目立つ。なので二人の会話に耳目じもくしょくすると決めた。


「わたしに相応ふさわしい場所だと思わない?」

「空が近いからね」


 レブレのわけのわからない質問に、彼がわけのわからない返答をする。こうしてみると彼とは似ても似つかない容姿である一方、言動や所作の一つひとつは生き写しみたいで目が離せなくなる。

 あかの瞳が、ななめに転がる。凝視しすぎてしまったせいだ。彼女は剣士の足捌あしさばきで私との間合いを詰め、無遠慮に花弁かみのけを摘まんでいじくりだす。


「生臭い。それ返り血?」

化学擬態かがくぎたいの練習です。赤いのは模様に過ぎません」

「本物の血みたいだ」

「見ての通り完璧主義なもので」


 私は擬態部を見せびらかす。退魔稼業の本営ではあるので、厄介事の種をんでおくに越したことはなかろう。


「ふーん、鳥のモノマネかあ。でもキミは飛べない」

「飛びましたよ。空中ブランコみたいな感じでこう、びゅーんッと」

「無理に隠さなくてもいい。巨人の肋骨リブズ・ヒルでの一件はアルラウネの手柄しわざだと報告を受けてる。ぜひともお礼をしたいと思ってさ」

「お肉ッ!」

「……となると、あの爆発もキミのしわざだったんだね。坂街さかまちの復興には時間がかかるそう」


 にやりと笑うレブレを見て、立ち寄った街灯が月の光ではないことに気づく〈夜蛾キシタバ〉のような恨めしい心持ちにさせられる。


「いまのは口を滑らせたアルラウネの真似です。うまいでしょう。安易に暴力で解決しようとする野蛮な魔物やからは嫌いでして、弱きに寄り添い避難の労苦をおもんばかる戦闘を心掛けております」

「面白い子」

「喧嘩売ってません?」

「なにも売らないよ。お金持ちだから」


 やっぱり似ている。


「人間、なんですよね」 


 おそるおそる、たずねた。

 死者を蘇らせる魔法が存在しない以上、死体利用を疑うのが蓋然性の高い推論だけれども、当然ながら皮膚組織の薄橙色きれいないろとは結びつかずに破綻している。


「確かめてみる?」


 レブレは挑発的な態度で右手を差し出すと、荊棘のうちのとりわけ鋭利な一本を使って指の腹を切りつけ、数滴の血を垂らしてみせた。潰れた一露いちろが感覚毛にみる。


「食べません、ぜったい」


 女体の梢々にめぐる新鮮な血潮ちしお。青く嫩葉どんようめく雌肉めじしの弾力を想像するだけで鼓動が高鳴った。

 

「悪ふざけはやめて。アイルが困ってる」苛立ちをあらわにするフーカ。「ほら、あんたもッ! 食べないなら指を舐めまわすな。はしたないわ」

「ああッ……」

 

 本能だからね。許してほしい。


「へえ、仲いいの」

「うちの娘」

「そんな自慢の娘だなんて……えへへ、さすがに血の繋がりはないですよう」

「あったら怖いわ」


 調子に乗るな、と手刀ではたかれる。

 レブレはくすくすと笑った。


「魔女の家系だから後継ぎは娘がいい、だっけ。キミは自分自身の力で夢を叶えたんだ」


 ここでも夢か。筆を握ってからというもの、頻繁に夢やら願いやらを口にしたり耳にしたりする。

 唐突に明かされた彼女の夢は、まさしく夢らしい夢だった。

 程よく明瞭な形を保ちながら程よく漠然としていて、自分自身では叶えようがなくて、叶わなくても一向に構わないもの。

 正しい願い方とやらの、模範解答のような夢。すでに満たされている人間が、いて余生に望むならと見る夢。多くの望みをて去りせめて一つと絞った私からすれば、羨ましいの一言に尽きる。

 ともかくあの日、あたしの夢はもう叶っちゃった、と嬉しくなさそうに言っていたのはこのことだったのか。

 魔物の私では不満だった? 

 いや、フーカに限ってそれはない。私は彼女を信頼している。なにか別の理由があったのだ。私が魔物であることによって生じる何らかの不都合が……。

 すると無意識によだれが垂れた。燃え盛るような欲求が胎動している。とても嫌な予感がする。


「大袈裟。あたしの努力どうこうではなくて、アイルの従順さと成り行きで叶ったの」

「思いもよらない巡り合わせもまた、個々に宿りし力のひとつだ。運命の女神フォルトゥナは己の半身たる成り行きアザールことのほか愛している。図書館の展示室ギャラリーにもあるように鏡に映した裸体によって表わされるのは、そんな自己愛に人間なりの解釈を加えた結果らしいね」

「占い師に転職?」フーカの眼光が鋭さを宿す。「……あんただったのね。バルタザールにクエレの情報を漏らしたの。ふたりの接点が無いわりに手際が良すぎるとは思ってた。おかげでに落ちたわ」


 はっとなる。宮廷魔術師との繋がりがあり、かつ彼の狭い交友関係のなか失魔症を知る間柄で、フーカでもジェイドでもない人物は、確かにレブレしかいなかった。今の今まで死者だからと嫌疑をすり抜けられた内通者。


「わあ、こわい。綺麗な顔が台無し。まるでわたしが裏切ったみたいだ」

「ほかにりようある?」

「手荒な真似はしたくなかったの。ほんとだってば。日付が変わるまでにクエレを連れてきて。わたしはそう言いつけただけ」

「ふうん。お手柔らかな真似が善良なるいち市民への実力行使ねえ……。随分とお上品な性格に矯正されたのね、ご令嬢サマ」


 フーカの強烈な魔力から成る風に送られて、奢侈しゃし風采ふうさいの生地が裏返る。

 

「ごめんね、たしかに手段までは指示しなかった。大体、キミたちには野心が足らないからさあ、わたしが礼儀正しく王室名義でお茶会に誘っても来てくれないじゃん。まずはジェイドの潔白を喜びなよ」

「死人に口なしとは言うけれど、金持ちは舌の根も買い足せるみたいね。あれほど白が似合う男はいないし、あたしならまだしも、死人らしく血のめぐりが悪いのかしら」


 そういって側頭部に人差し指を突き立てた。

 この間にも、私は垂れたよだれを拭う。誰も異変に気づかない。


「うん、フーカは平気で裏切るもんね。なんだかんだ最後は助けてくれるんだけど、しっかり買収もされて、いーッつもひとり勝ち」

「負け方を知らないの」


 フーカが気怠けだるげに杖を抜くと、敵意を察知したバルタザールも動きだす。私も緊張の根が張る。当の本人はあっけらかんとした調子で、大丈夫、と言いながら相好そうごうを崩してさえ見せた。


「ちなみに呼んだら来てくれた?」

「うちの店は年中無休」

「えっ、定休日ありますよね」

「余計なことは言わんでいい」

「ほらあ!」


 跳ねた語尾の行方を彼が見守っている。レブレは舌休めに息を継ぎ、親しみをたたえた眼差しをそれぞれに向けた。


「……フーカが元気そうでよかった。キミは次の時代をになう、由緒正しき純血の魔女さんだから」

「はいはい、どーも」


 あんたで百人目、と毒を吐き捨てる。


「そういやキミたち付き合ったんだよね、おめでとう。わたしが死んでも、あの子は幸せそうにしてる?」

「ンなわけ……。ジェイドが変わったのは、良くも悪くもレブレが危険な任務にいてから。死んでからはもっと変わった。失魔症患者のための発明なんてね、あんたに対するつぐないに決まってる。誰にとがめられたわけでもなしに、ひとり勝手にありもしない責任を背負しょい込もうとしてる、呆れるくらいクソ真面目で筋金入りの大馬鹿野郎」


 もっとも、あいつはきつけられた馬鹿が世のためになってる稀有けうな例ね。辛辣しんらつののしるわりには温かさを含んでいる。


「筋金どころかサイボーグじゃん」レブレが口元を押さえて笑った。「そんなジェイドが好きなんでしょう」

「……否定はしない。とにかくあたしたちに余計な気を遣わせたくなくて、幸せなふりしてくれてんの」

「そっか。あの子は偉いね」


 レブレはそう言って玉座の裏に飾りつけの一振りを見やり、過去に想いを馳せるようにして微笑みかける。衍字えんじ祝言しゅうげんが刻まれた魔術製のさや。これは生前の彼女の昇進祝いにジェイドが鍛えたもの。

 四面をいろどるインテリアのなかでは最も粗造で、量産品の武器にすら劣る強度の両刃だが、美しい思い出にまもられた最強の剣だ。


「ん、飲み物が気になった?」


 流れで声を掛けられる。私の身体は直線上のテーブルのほうを向いており、飲みかけのスープに興味があると勘違いさせたらしい。

 戦闘職らしからぬ綺麗な指先にさらわれた陶器は、弧をえがききる過程で満足気に水面を揺らす。


夜市よるいち名物とろみ付きゴルゴーンスープ。美味しいよ。ひとくち飲んでみて」

「わーい」


 においは気になるものの独特な舌触りが面白い。


素材レシピしぼりたてのラミアエキスと原種アルラウネの可食毒膜のとろみ」

「おえッ、なんてものを!」


 うっかり共食いしちゃったじゃないか。階下の紛らわしい香水といい、この城のスープはどうなっているんだ。

 憤慨のはずみで陶器を叩き割ってしまい、その片付けのためにフーカは杖を下げた。柔らかな〈風〉が足首を撫でる。そして彼女という華やかな行き場を失くした視線同士は意図せずに絡み合う。


「あらためて、アイル」

「どうして名前を?」

「憶えてないかあ。わたしたち、昔会ったことあるのになあ」

「……あなたを殺してしまったのが、私、だったり……ごめんなさい。憶えていられなくて……」


 私がアイルと名付けられた後、つまり彼がバクロの森に足繁あししげく通ってくれていた最中さなかにも人食いは続けた。

 外界にむ魔物の詳細が全土に知れ渡り、貧富を問わず最低限の教育が行き届いた現代では、完全なる無知によって危険域をあさる者は稀である。とはいっても自殺志願者や目立ちたがりなど各々に事情はあるだろうが、とりわけ出世に成果を求められる人間、稀少素材の調達を目的とする人間、または安全域の開拓にたずさわる人間が魔物の餌食になりやすい。冒険者や魔術師はその筆頭だった。

 考えるうちにひどい寒気がした。命のやり取りに慣れきって退屈ととらえていた日々の何頁どこかしらで、彼の幼馴染とは知らずにレブレをあやめてはなかろうか。


「死に際に立ち会ったという意味なら反対かな」

「私があなたに食べられた?」


 たまらず首を傾げる。


「なんでキミは生きてるのさ」

「それはですねえ」


 人間を食べた記憶はあるが、食べられた記憶はなかった。もしも私が野原に生い茂る雑草だったなら、本体のあずかり知らぬところで繁殖した分身が、この年端も行かない少女の足元で死に顔を晒すことはあるだろう。

 だが私はちがう。本体の再生ができてもクローンまでは生み出せず、魔力の供給が断たれた部位はたちまち腐り果てる。


「やー、年端も行かないは褒めすぎ」

樹齢ねんれい的に八十歳までは誤差」


 時間の長さではね。全てを誤差とみなすには容姿の変化がいちじるしい、などと巡らせた思考をひとつの笑い声がかき乱した。


「あはは、だったらそれも反対だ。わたしは花盛はなざかりの雌蕊めしべを好んで食べたりはしないし、アイルよりもうんと年上。もっと言うとクエレの願いはね、わたしとは無関係。だって願われなくても生き返れた。……どうにも、昔からひどく遠いと感じているものが二つあってね。そのうちの一つが死だ。わたしにとって死はつねに一番遠いところにある。……さあさあ、可愛い子にはヒントをあげよう。バルタザールがいつ、キミたちに近づいたのかをよく思い出してみなよ」


 言われるがままに記憶をさかのぼらせてみる。はじめに片眼鏡モノクルの魔術師を見かけたのは一年近く前のこと。彼の願いが本当にレブレの生死に関与しているとしたら、一年ひととせの遡行では辻褄つじつまが合わない。あの泉に願いを投じたのはつい昨晩きのうの出来事なのだから。

 彼女はずっと前から生きていた?

 なおかつ、その生には秘匿されるべき事情があった。理由は考えなくともわかる。


「あなたはやはり、人間ではないのですね」



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