よるいちが
つばの広い帽子から垂れる茜色の髪。揺るぎない自信を帯びた
爪先を揃えて静かに降り立った彼女の美しさは、
「これはこれは、フーカ
いち早く声帯の機能を取り戻したバルタザールが、会話の主導権を握ろうとする。フーカは激昂と
「誘拐未遂の次はうちの家宝? 調理中に折っちゃったから、そんなもんこの世にないわ。あたしが持ってるのは贋作。……だけどね、魔法犯罪者の
どんな調理ですか。やけに冷静な思考が経緯を
論点をずらす方便と
「そうして
その一瞬、鎖を
しかし夜風に
振り向きざま、拳で頬を殴られる。鈍い痛みを堪え、
「生憎とあたしは若いから昔のことあんまり憶えてないのよ。二十年経ったら思い出せるかも」
彼女はそういって、空いている腕を
「いきなり鳴ったからびっくりして飛んできたわ。あんたら面倒なことに巻き込まれているようね」
「フーカさん……!」
私は、彼女に抱きついた。あのむかつく蹴りが〈
来てくれると思ってたよ。同じく両手を
「うちの子に暴力を振るうなんてサイテー。甘いのは口だけっていよいよ本物のダメ男じゃない。あんたを見損なった」
「あれは仕方なかっただろ!」と彼が抗議する。
「両手塞がってましたからねえ」
可哀想なので擁護してあげる。
「男が振っていいのは、鎖骨のラインが見えそうな角度での首と、別れ際の右手。あと興味本位で聞き出した秘密を嬉々として広める女くらいよ」
「きみの
やれやれ、と彼は何度も
「あんたのは痩せすぎ」
「いやっ、断じてそういう意味ではないから」
「アピールが雑でしたね。元気出してください。次こそは刺さります」
適当にフォローし、
金属の散らばる音がして、そちらに注意を向ける。魔力の斬撃によって断ち切られ、腐臭を発して霧消しかけの〈
「いつ仕込んだ?」
瞳が警戒の色を深めている。
「昨日からよ。偶然だし、あたしも忘れてたから変な誤解はしないでね」
再度、彼女が軽く腕を
バルタザールは素早く杖を構え、防護の壁で斬撃を
「誤解とは笑わせる。そもそも、われに杖を向ける意味を理解しておられるかな。
あの皮の舟に近い〈闇〉の力が
夜市の花火に
「……馬鹿ね。才能っていうのは、この世で最も理不尽な力の一つ。たかだか五年のブランク程度で、あんたら凡人があたしに追いつけたと本気で思ってんの? あんたらの百年の努力は、あたしの一秒の遊びといい勝負じゃない? 永遠の命でも願ってから出直しなさい」
彼女が来てくれた安心感と、迫力は凄まじかった。はったりだとは思えないほど、フーカの魔術は別格だった。
たとえばフーカは日頃から当たり前のようにトリミングをしてくれるが、私の
「
前触れもなく降りだした魔力の雨水が波紋を拡げ、バルタザールの靴底を黒い水で
身をもって味わわされたものと
彼女はおそらく魔術の
「ラミアのことですね」
半蛇たるラミアの
「いかにも。魔法に
フーカはうんざりしたように息を吐いた。
「天才で美少女なあたしは、魔術師の汗臭い魔物退治に
勝利宣言をして杖を
「
ぼそりと彼が呟いた。
「同感です。しかも自称ですからね」
私もほとんど負け惜しみで便乗する。街灯の傾いた明かりを弾く片側のこめかみに、青筋を立てたのがわかる。
「うっさい。なんかムショーに生き物を解剖したくなってきた。そういえば、失魔症に〈麻酔〉効かないの知ってた?」
緑杖の両端が小刀とピンセットに変わっている。ないはずの肝が冷えていった。
「――ジェイドが言ってた気がする。うん、そうに違いないな。まぁ、僕は三十でも四十でも少女派かな。花鳥フー月という言葉があるくらいだし、むしろ少女がきみに
「私もジェイドさんから聞きました」
「なすりつけんなッ!」
二人まとめて殴られた。前にも同じことがあったような。なんでもないふうに日常のやり取りに戻る私たちを、しばらく呆然と眺めていたバルタザールは、月の光に
「……学友に鋼鉄の魔女と揶揄されていた
郷愁めいて柔らかみのある声だった。
「なにが言いたいのよ」とフーカが
ほんのわずかに
「
「えっ、私の違法飼育が原因じゃないのですか」
竜だとかなんだとか言っていたけれど、事の発端は違法飼育の取り締まりではなかったのか?
「実害を伴わぬ軽微な罪など、われの管轄には
あっけなさに面食らう。私が不要であるのなら、初めから彼を追っていたということになる。上手く言葉にできないが、奇妙な引っ掛かりを
「あらそう。でもあたしのペットっていうのは、こいつも含めるの」
私と違って、フーカは動じなかった。至って平静なようすで虚空から鎖を追加し、彼の首に巻きつける。
「人間を〈服従〉させるのは人権侵害に
「同意を得ていれば問題ないでしょ。あたしはこいつのこと人間だと思ったこと一度もないし。……ねぇ? わんって言いなさい。アイルに悪いと思ってるなら」
「……わん」
「ほら。本人が望んでなきゃ、命令でもこんな恥ずかしい真似できないわ」
もはや言葉だけで刺し殺す勢いで
「茶番には付き合いきれん」今度はバルタザールが
人間一人に対しては破格の条件だ。是が非でも手に入れたい。発言の奥底から並々ならぬ渇望を感じ取れる。
「全部よ、全部」フーカは悪びれもせずに答えた。「その上でこっちからも譲れない条件を追加しとく。……あたしを王宮に連れて行きなさい」
理由はもちろん、あんたらへの嫌がらせになるだろうから。
「食えぬ魔女だ」
「あんたに食わせてやるほど安い女ではなくてよ」
「……よかろう。では拘束を解いてくれたまえ。わが使いのグリフォンが間もなく到着する。ご来賓となった以上、誓って
私たちは半信半疑で
となりで甘い香りがして、フーカに手を握られた。冷たさにびっくりして包んであげると彼女は微笑んでくれた。温もりを忘れてしまった人肌をなんとか温めようとしているうちに、甲高い
前脚で空気を
バルタザール、彼の順に乗り、最後にフーカが動いた。引っ張られてもつれかけた足で小さく抵抗する。私の口がたどたどしく音を
「よるいちが」
「またあたしが連れてきてあげるから」
湿っぽい唇から
そのわけを知りたいとは思わない。
*
へドリス王宮。かつては国を
魔物との戦闘激化に伴う人間同士の縄張り争いの減少により、多くの軍事機能が取り払われた上に、艶やかな精彩を放つカーテンウォールの内側の庭園などは一般開放されており、外交のための宿泊施設が連なった宮殿的な意味合いが強い。
しかし城の体を成すからには、歴史のどこかで王政の時代があったということ。変異種のアルラウネが猛毒を捨てたように、へドリスの民はいつしか身を滅ぼす猛毒となった王を捨てたのだろうね。
そうして〈
空の旅路の途中、例によって彼だけが楽しそうにムードもへったくれもなくへドリス史のさわりを
私たちは離れに建つ無人の見張り塔に降ろされた後、
マナの木の若葉の紋章が刻まれた鉄門扉へと繋がる曲がりくねった通路の石畳は、翼を
先導するバルタザールのおかげで面倒な手続きを省けたものの、長杖を
二人がかりの魔法で重々しい鉄門扉が開き、私たちは城内を
正面の大広間に
「ようこそ、へドリス最高峰の王宮へ。青女の日につき、城内はもぬけの殻だがね」
声はほとんど耳に入ってこない。門下の石段を登りながら、冷めやらぬ興奮と畏怖とで浮き足立つ。
人の巣の、その
これまで人間社会で
「わぁ……」
なんの感情なのか、自分でもよく分からない。
突き当たりまで
「アイル、上を見てよ」
彼の声に従う。
伸縮性に
芸術を
「いつ見ても落ち着かないわ。冴えない誰かさんの冴えない絵のほうがましかも」
王族の作法に則って野草茶を
「意外だね」彼の反応は早かった。「フーカって光り物とか権力が好きそうなのに」
時が止まる。彼女は飲み
「よくわかってるじゃない。あんたはくれたことないよね、あたしの好きなもの」
「いい香りになった」水浸しの彼は嬉しそうだった。「僕も頼もうかな」
「勝手にすれば」
ご立腹なようす。彼がぜんぶ悪い。私も
備え付けの魔法瓶に入っていた謎のスープも美味しかったのだが、
「諸君らの品性を疑いたくなる。……こちらへ」
宮仕えの魔術師はこめかみを押さえ、
一般市民向けの応接間まで通されると、二股のサーキュラー階段の右翼から侍女が駆け降りてきた。
「旧王室にて
「図書館は空いてる?」
帯杖の
「閉館時刻を過ぎているが、館内の司書に〈開錠〉させよう。
「場所はあたしが知ってる、結構よ。召使いは下がっていいわ」
「……では、われわれの準備が整い次第、迎えに参ろう」
半長靴の踵を揃えて応接間を後にするバルタザールに続き、彼女は深い一礼を残して立ち去った。
「行こうか、青女様」
わざとらしく
親しみを込めた使われ方ではあるし、伝承はからかわれるくらいがちょうどいいのだとは思うが、むかつきはするよね。
「馬鹿にしないでください!」
赤の他人はともかく名付け親が、私を名前でからかわないでほしい。
「きみに相応しいと思うけどな」
「どうせ、私って青臭い
「それは卑屈すぎる」
「言わせておきなさい。名前ぐらいでしかマウントを取れない、悲しいモンスターなんだから」
「もんすたー。私と同じ?」
「ニュアンスとしては魔物よりはケダモノかしらね。アイルより格下も格下、地の底で泥水を
表現が
「アイルとのデートの日なんだし、たまにはこう、僕の顔を立ててくれたっていいと思うんだ」
「あんたにもそういう感情あるのね」
切ない
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます