甘えてもいいですか
笑いを
凍りついた
私の瞳に映るのは、天井の抜けた礼拝堂。二度と針が進まなくなった時計塔。明かりの
寒いが、いい眺めだ。
人間が自然をいじめて造った夜景は美しい。皮肉を込めたつもりはなかった。人間だって時の流れにいじめられる。そして時は傷ついた自然を
グリフォンの背に搭乗したときも高揚したな。彼と出逢うまではどちらかといえば空に
弱者は嫌いだった。すぐに死ぬからだ。だから強く、自由で、太陽にもっとも近づける翼が欲しかった。
――昔の理想だ。
今となっては青い考えだと叱ってやりたくなる。私は小さかったのだ。自分が持っていないものについて偏見で語ってしまえるほど小さかった。強さを愛して機械の身体を求めたジェイドの
口には出さず、語り掛ける。
もしも翼を選んだら、おまえのように空を飛んでいたのだろうか。もう一度願いが叶うのだとしたら、私は翼を望むのだろうか。
ないな、と笑う。
おまえのせいで頭をぶつけた私だが、すこぶる機嫌がいい。願いを追加できるのなら、おまえに脚を生やして地上の良さを教えてやりたいよ。ちょうど、ここが痛むのだろう?
私によって砕かれた脚を蔓で
やつは振り落とそうと懸命になっているが、胴体に絡めた蔓が落下を防ぐ。飛行は不安定で、高度は下降気味。
どうしたものかと思案する。
「のんびり空の旅がしたいわけではないのですが……」
すると、背の高い建物の屋上に人影がみえた。
「アイルーッ!」
私の脳が、私のいちばん好きな高さで「僕」を再生する。彼が手を振っている、ではなくて。
「なんで来ちゃったんですかッ!」
いつかの山火事と同じセリフを、全く別の意味を込めて放つ。損傷が激しく三割ほどが原型を留めていない建物。危ないので早く降りてください。
新たな声に引き寄せられたのか、アエロウが彼の周りを飛び始める。私の緊張の糸は極限まで張りつめた。しかし、一向に手を出す気配はなかった。
怒りに理性を狂わされていようとも、おまえは強きを
「これ、受け取って!」
彼がタイミングを見計らい
誰にでも扱える杖。この状況では非常にありがたい。一つの魔法しか撃てない不器用な護身具だが、威力を変えることはできる。どのような魔法が装填されているにしろ、私の魔力量ともなると災害級に昇華させられる。
能書きは程々に、ひと思いに楽にしてやろうと杖をかざす。
そして魔力を込めてから、杖そのものがみるみるうちに膨張し始めてから、ある可能性が私の脳裏を
「……アエロウ。あなた、ギャンブルはお好きですか?」
人間の魔道具の一部は知性ある魔物による悪用を避けるため、魔物由来の魔力に反応して強制的に爆発する。
これは
意気揚々と大量の魔力を流し込んだのでもう遅い。杖は膨大な熱を発しながら今も膨らみ続けている。さすがに爆心地はまずいと思い、慌てて空中に投擲する。
「あなたには気の毒ですが、お互いに降りるという選択肢はないものでしてね。せいぜい、私を殺した夢でも見ていなさい」
誇り高き妖鳥と最後の言葉を交わす。その直後だった。耳を
次の寝覚めは最悪に近かった。口内は煙たく、耳鳴りがひどい。身体中の細胞が
彼の骨ばった膝が、私の寝返りを押し返す。大好きな匂いにつられて消化液が鳴った。もう罪悪感はなかった。多くの出逢いに恵まれたおかげで克服できた。ここにきてようやくスタートラインに立ったともいえる。それはそれとして、
「どれくらい眠ってました?」
言い終える前に、夜空に火の花が咲いた。夜市が始まりを告げている。彼は優しい笑顔を咲かせた。
「まだ余裕で間に合うくらいかな。今回は傷一つなくて安心してたけどね」
「最強ですから」
無傷なのは意外だ。魔力性の爆発には耐性があるといっても頑丈すぎるような気もする。でも生きているならなんでもよかった。
「お日様の匂いがするドレスに着替えさせてくれたんですね。ここで着るのは、もったいないですよ」
服がぼろぼろだったからね、と彼がいった。
「他に持ち合わせがなかったんだ。よく似合ってるし、綺麗だよ。きみに買ってあげられてよかった」
「えへへ」
勢いよく立ち上がり、その場でくるくると回って披露する。街灯の〈光〉の
「そうそう。いつも通り寝顔を描いてみたんだけど、採点してくれないか?」
彼は手帳型のスケッチブックを取り出す。もっとヒロインでいたかったな。わがままを夜風に
「懐かしいね」
とてもくすぐったそうな声。私は欲に身を
「はい」
こんなふうに切り株のテーブルを
「七十点」
「わあ、今までで最高得点だ。こんなときに描いたのに」
「こんなときに描いたから、です」
目を丸くした彼の、
「……きみも芸術がわかるようになったんだね」
「えらいでしょう」
「じゃあ、もう一枚」彼は楽しそうにスケッチブックを
冊子ごと破り捨て、踏みつけにしてやった。この無神経さは正真正銘、彼の個性であって腹立たしい。
あと私が壊した街ってなんですか。アエロウが壊したんですよ。喧嘩を売っているのでしょうか。
「マイナス千点。おかげで疲労が吹き飛びました、えぇ。ありがとうございますね!」
これでもくらえ。紙くずを顔面に投げてやると、彼は大袈裟に悲しむふりをした。掴みどころのないひとだ。
「アエロウは」
話の流れで戦闘を思い出し、短く
「気を失ってる。怪我の具合をみるに、しばらくは起きないだろう」
おもむろに上げられた片腕が、爆風で半壊した建物を示す。ほぼ吹き
私は血だまりのなかで眠るアエロウの傍に立った。本当だ、体温がある。生命力の
「手当てしたんですね」
患部に手際よく巻かれた包帯を触る。風の
「いちおう、息があったからさ。もしかして食べるつもりだった?」
「人間は、街なかで気絶した野鳥を見かけても拾って食べたりしません」
人間、の部分を強調して答えた。なりたいという夢は捨てたけれど、それは努力を放棄する理由にはなり得ない。はやく価値観の
言うなれば、夢は決意に置き換わった。寝て起きたら生えていた脚で、異形を捨てずに演じきってやる。きっと語るほど上手くはいかなくて、幾度となく壁にぶつかって悩んだり
外側も内側も汚れきった私を、私のままでいいと認めてくれた人間たちがいる。期待に応えるためにも、できることならヒトで
「まぁ、拾えるサイズではなさそうだ」
「そうじゃなくて」
あなたのためでもあるのですよ。公衆の面前でアエロウの肉にむしゃぶりつくアルラウネなど、通報沙汰に発展するのは目に見えていた。
通報沙汰というと私たちを介抱したせいで彼の服は血塗れだった。かくいう私も返り血を浴びすぎた。
私はアエロウから視線を外し、乾きかけの血を
「なんのつもりだい」
「擬態しましょう。私には着替えの魔法が使えませんし、あなたも〈放水〉の魔道具で
「なるほど、仮装か!」
「自分たちの恰好がさも当然のように振る舞うんです。どうということはありません」
「きみがいうと説得力が違うな」
ばたばたとハルピーの群れが私たちを避けて飛んだ。彼女の不在を指摘するまでもなく、ほろ苦い表情が全てを物語っていた。
「ケライノはきみが眠っている間に泣き止んで、夜市のほうに飛んでいった。おこぼれの餌が貰えるんだろうね」
「お礼も言わずに
「僕たちも行こうか」
彼が、私の手を引いた。それを優しく振りほどく。
「少し、待ってください」
取引に使用されたであろう護送車を探す。存外、近くで横転していた。車軸が外れた護送車の
「こうして生き延びたのですから、命までは取りません。罰は
幸いにも死者は出ていないし、なんだかんだで赦されてしまいそうだから、少しだけ卑屈な心持ちになった。私の同胞はだめな子ばかりなのでね。揃いも揃って凶悪。ほんと嫌になっちゃう。
大規模な人除けの結界が役目を終えて
行き場を失くした手を揉んで、彼は夜空を見上げている。
「アイルの声は、綺麗だね」
「いまさら」唇から嘆息が
「知っていたよ。ずっと昔から。言わなくても伝わると思ったんだ」
「想いとは口に出して初めて伝わるものです」
「それ、昼間の街で見かけたやつだ。ブライダル関連のキャッチフレーズだったかな」
「挙式はいつにしますか」
「いつでもいいけど、お金がなくてね。これもずっと昔から」
「甲斐性なし」
唇を尖らせたつもりが不思議とはにかんでしまった。そこに心なしか低いトーンの、綺麗だね、という
二人は同じ景色を見ている。
穴の空いた外壁から差し込む
えぇ、とても素敵な夜です。
破壊の爪痕から生まれたひとつまみの感動に言葉は不要と判断し、
「クエレさん」出し抜けに彼の名前を呼ぶ。「来てしまったことを
「魔法が解けた直後に全力疾走……と言いたいところだけど、坂の途中に別のゴーレムがいたんだ。
「それで息切れもせずに」
「時間には余裕があるっていうし、次の配達が夜市の方面らしくて帰りも乗せてくれるそうだよ。あんまり待たせるのも悪いから、そろそろ行こう」
今度は為すがままに手を引かれ、彼の腕にしなだれかかった。
「甘えてもいいですか」
「頑張ったからね」
恋人たちがそうするように腕と腕とを絡め、馭者の待つ夜道を歩いた。肌を触れ合わせているだけで、世界を構成するさまざまな色に特別な意味が与えられた。
分け
全ての事象が、二人のためにあるのだと錯覚した。
どさくさに紛れて唇を押しつけたら怒るかな。嫌がるかな。照れくさそうに受け入れてくれるのかな。重なる足音に幸福な妄想が
私の選択に何かしら重大な
結界による規制線が解除されていないにも関わらず、戦地を目指した馭者を真っ先に疑うべきだったのに、
己の過失に気づいたのは、馭者の姿を視認したときだ。全身が
待ち人は土くれの精霊ではなかった。魔力を
彼が気さくに、待ちぼうけの〈容器〉に話しかける。〈容器〉は答えない。彼は
唐突に、〈容器〉が彼の肩を掴んだ。掴まれている感覚がないのか、意に介する素振りを見せずに笑みを
私はすでに駆けていた。
「あなた、一体……」温存した魔力を荊棘に
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