かかって来なさい

「しつこい女ですねえ!」

 

 巨躯を投げ飛ばした私は思いがけず蹈鞴たたらを踏む。あれから八度、アエロウを地面に這いつくばらせた。勝敗は五分で決するだろう。九度目の立ち上がりを見せたアエロウのようすから、私は冷静に分析する。

 振り下ろされた片脚を噛み砕き、苦し紛れの〈水〉を断ち、無謀にも爪をいて襲い来る妖鳥を圧倒していた。

 魔術師を相手に暴れ尽くした手負いのアエロウが、万全の私に敵うはずもなかった。

 さらに私には脚がある。翼ほどではないにしろ、自由に移動できるという、それ自体がすでに強力な武器だ。他の変異種では厳しい体勢を立て直すといった芸当を、私はやってのけることができる。

 アエロウは満身創痍の半身をよろめかせ、こちらに趾爪しそうを繰り出す。難なくわして反撃を加える。

 好物の花粉の影響で判断力が鈍り、攻撃に精彩を欠いている。このまま畳み掛けてしまいたいところだが、掠めただけで肉体の一部を削ぎ落とすあの爪は、内皮に護られた私の中枢を破壊しる。焦らず、ゆるりと追い詰めていこう。

 ふと思考が止まる。

 針は、いくつ進んだ? 

 彼を縛りつけた魔法はとうに解けている。馭者のゴーレムが引き離してくれたとは思うけれど、今頃こちらに向かってきているのではないか?


「――ッ!」


 鋭い痛みにあえぐ。建造物の側壁から伸びた氷柱つららの穂先が両腿を貫通していた。力ずくで抜き、魔力を再生にてる。やつめ、死角に忍ばせた一矢で私にむくいるとは大した傑物だ。

 すぐさま足元の地肌じはだを〈隆起〉させ、その反動による跳躍でアエロウとの距離を取り、あぎとを振り回して着地時の隙を埋める。

 雑念に囚われていてはいけない。

 しっかりしろ、私。

 

「おまえの息の根が羽虫のささやきよりも細いものだから、迂闊うかつにも決着を忘れていました」


 くつくつと笑ってやる。傷口にまとわりついた冷気が腿の痛みをやわらげてくれている。

 しかしどうしても体液は溢れ出る。すぐに治る、痛がって恐怖を育てるな。やくざな脚など放っておけ。

 白い吐息を巻きながら大地を踏みしめる。きしろう腿に構わず、一歩ずつ前に出る。

 睨み合いからややあって、アエロウの発する魔力の質が変わりだした。ぎの羽根が少しずつ崩れていく。

 やつの魔力が底をついたのか。

 全身をよろっていた魔力は急激な縮まりを見せ、やがて灯滅を迎えた灯火ともしびのように輝きを増す。

 終わりを目睫にして、私の気は一層引き締まる。

 光のあぶくとなった魔力が趾爪しそうに向かって収束を始めていた。力の強大さが表皮はだを伝って感じ取れる。あれは命を奪う力だ。

 刺し違える覚悟の、最後の一撃。

 人真似ひとまねだと言ったが、順序は逆だったな。人間の武器は私たちが持つ自然の力を模倣したものに過ぎない。

 私は今、生身の切っ先を向けられているに等しかった。

 逃げる気はなし、か。

 未だに空に愛されていながら、命よりも誇りを優先するとは愚かな妖鳥だ。しかしながら救いがたい愚行を一蹴することは、この場に立つ私以外の何人にも許されない。

 防御をかなぐり捨てた全霊で挑むのであれば、私は生き残るために応える義務がある。必ずしも正々堂々といった形でなくともいいわけだが、こちらも時間が惜しいのでね。

 残り一分とは言わず、次で終わらせよう。


「さぁ、かかって来なさい」


 地表に砂煙が立ちのぼる。互いの魔力の波動が大気を揺すり、結界に亀裂を生じさせた。それが合図となってアエロウがける。

 私は重たいあぎとを持ち上げる。

 圧倒とは、紙一重の攻防を制した上での圧倒である。力の差に関わらず、気を抜いた者はあっけなく殺される。窮鼠の一噛みが致命傷に繋がる例も珍しくはない。故郷でうんざりするほど学ばされた。

 それよりも。

 私は、彼と生きたい。

 このおよんで、或いはそれゆえに、私は強く想った。

 だから油断をしなかった。

 アエロウの渾身の爪撃を掻いくぐり、ももの付け根に荊棘を食い込ませた。

 勝利を確信する。

 だが、すぐに異変に気づいた。

 鎧を失ったアエロウの筋組織は思いのほか柔らかく、深部の骨に刺さりすぎてしまっている。


ッ、けない……」


 重ねて不運なことに、痛みに驚いたアエロウが咬合部を凍らせてしまったのだ。

 口内が冷たい。

 あちらにとっても絶えるまでの苦痛を長引かせるだけ。一刻も早く脱したいに違いない。もがくアエロウが翼を大きく羽ばたかせる。

 浮き上がりかけたことに焦り、私は激しく抵抗する。凍結の侵食を魔力で阻むのが限界だった。とはいえ、やつの両脚は使い物にならない。優勢には変わりないのだ。あとは私ごと飛翔されないように根で踏ん張るだけ……踏ん張る、根……。


「脚になっちゃいましたね……あぅ、あぅ、……ぜったい、無理ッ!」


 抵抗虚しくアエロウは夜空にってしまう。宙吊りの夜間飛行。痛みが強いのか不規則に暴れまわる。あまりにも怖すぎる。

 蔓も届かない高度に達し、自力ではどうしようもなくなった。つたない、拙い、拙い、拙い……もう百万回くらいは唱えた。地上との繋がりが薄い空では、〈大地〉を操ることもままならない。しかも顎がりそう。

 消耗を抑えるために諦めてぶら下がった。いずれは勝つんだけど、物凄くもやもやする。かっこよく倒してやるつもりで啖呵たんかを切ったのに、なんでこうなってしまうんでしょうね。

 私はすっかりいじけていたので、振り子の重りのように空中で弧を描いたとき、近くの建物への注意をおこたった。気づいたときには指呼の間に外壁が迫っていた。

 全身を打ちつける衝撃の凄まじさに、私の意識は朦朧とする。だめだ、夜以上に視界が暗くなってきた。

 荊棘を伝う血のせいだろうか。錆と油の匂いを思い出す。





 擬態モデルの件でフーカにこっぴどく叱られた、その次の日だったかな。仕事で遠方に飛んだ彼女の代理として錬金街でのおつかいをこなし、帰りがけにジェイドの工房を訪ねた。

 この頃は脚がなく、私自身の犯してきた罪の大きさに打ちのめされたばかりだった。食事すらも罪悪感が付きまとう精神状態で人間の姿にしてもらうわけにはいかず、彼女の提案を断り、意地を張って台車による移動を選んだ。

 足の不自由な人のための魔道具や交通機関くらいは整備されているので、不便ながらもなんとかなった。

 錬金街には魔物除けの結界が張り巡らされており、嘔吐しかけた苦い思い出に眉をひそめたくなるけれど、今度はそこまでの嫌悪はなかった。一年という時間が私に耐性を獲得させたのかもしれないし、そういった効力の魔法をフーカがかけてくれたのかもしれない。

 赤錆と排気ガスにまみれた工房は、以前と変わらない古びた風貌で私を迎え入れてくれた。

 潔癖症(と私は勝手に思い込んでいる)のジェイドの要望に添って入浴を済ませ、作業場に向かう。


「なぁ、アイル」作業台の椅子に腰かけたジェイドがいう。「のこぎりを取ってくれねえか」

「のこ、のこ?」

「おまえのくちがあるほうの、右から三番目の工具だ」


 ここで物騒な工具の名前を覚えた。


「ど、どうぞ」


 遠慮がちに台車を転がし、手渡す流れで覗き込む。複雑な記号と数字ばかりの図面が散らばっていて、私にはさっぱりだった。


「悪いな。手が離せなくてよ。……おまえな、風呂入ったら服を着ろ。フーカに似てんだから目のやり場に困るだろ」

「あっ、すみません。人間の文化って難しくて」


 自分の裸体に視線を落とす。彼女に似せることができたんだなあ、と実感が込み上げる。


「他の生き物より工程が多いのは間違いないな。大変だろうが覚えてやってくれ。所かまわず裸でうろつかれるとフーカが泣く」

「よいしょ」小さめの作業服の袖にうでを通す。「フーカさん、泣き止みました?」

「おう。娘の成長を喜んでるさ」

「娘ではないですけどね」

「どうも最近、アイルの話を楽しそうにするんだ。あいつからは、手のかかる娘、って聞いてるぜ」

「へえ」


 手のかかる娘。

 すこし、笑ってしまう。

 私の十分の一も生きていない人間に言われるのだから、身体のあちこちが熱を帯びる。でも嫌じゃないな。

 のぼせたのかな、水風呂で。

 熱くなりだした頬をあおぎ、過剰な熱を追い出そうと試みる。それからジェイドの後ろまで移動し、作業のようすを邪魔にならない位置で見学する。


「……なんか緊張してんのか?」

「えっと」

「やらかしたンなら隠さず言えよー。うちに自力で直せないモンは、一つだってないからな」


 優しさが痛いな。心の呟きは木材とやいばこすれる音に吸い込まれて消える。直せる物を壊したのなら、どんなによかったことか。

 苦手な錬金街に長く滞在してまでジェイドのもとを訪ねた理由は、取り返しのつかないことについてだった。


「……お兄さんがいたんですよね」


 ぴたりとジェイドの手が止まる。「フーカに聞いたのか」


 顔をそむけ、私はうなずく。


「魔物が原因で亡くなったと、それだけ。他は教えてもらえなかったです」


 二人分の椅子を用意すると、ジェイドは大鋸屑おがくずを払って座り直す。金属の身体が、がちゃがちゃと音を立てる。

 私も座面によじ登り、なるべく目線を合わせて相対する。


「……兄貴は魔術師だった。昔から弱っちいくせに自分そっちのけで他人の心配ばかりの、ほんと危なっかしいやつでよ。万年冒険者みならいがせいぜいの器量だってのに、定員割れの繰り上げだとかで運よく魔術師の資格取りやがって、それからは事あるごとに自慢話のハラスメントだ。俺は〈耳栓〉の使いすぎで耳下腺が腫れちまって、き身をやつす思いとやらを味わったが、今じゃあフーカたちとの笑いぐささ」


 あの頃は楽しかったなぁ、とジェイドは懐かしむ。金属の手中で螺子ねじもてあそびながら記憶をさらに掘り進める。


「翌年だったか、トールストンでの討伐遠征に志願して、そこで勇者勲章を貰ってな。師団から届いた手紙には堅ッ苦しい文面が並んでた。

『このたび、賢兄の驥足きそくばすご活躍ぶりによって地方の安寧は保たれ、その大いなる功績をたたえて王宮より勇位ゆういが継承されますことを、つつしんでご伝達申し上げます。きましては叙勲の儀の日程は――』だと。

 こんなもん決まり文句だけどな、それでもあいつなりに頑張ったんだと思うぜ。結果だけをみれば兄弟そろって魔物にしてやられてんだ。俺はハルピュイアに。兄貴は……まぁ、笑えるだろ?」


 勇者勲章。魔物との戦闘で殉職したということ。


「アルラウネ」私はますます確信を深めた。「二人してはぐらかすということは、そうなんですよね」


 笑い話として受け止めることなどできるはずもなかった。ジェイドはやや困ったようにひたいを掻いた。


「はぐらかしたってほどでも……すまんな。無駄な気を遣わせたくなかったんだ。かしこすぎるってのは厄介なもんだ」

「憎くはっ……、ないのですか」


 変に力んでしまったせいか、声が上擦る。


「べつに。思うところが全くないって言えば嘘になるけどな。おまえを憎んでも兄貴が帰ってくるわけじゃないし、俺もアイルと他の魔物を混同するほどガキじゃない。それにアイルはもう、俺たちの仲間みたいなもんだろ」

「殺したの、私かもしれないんですよ!」

 

 魔術師、冒険者、剣士、調合師、登山家、生態調査中の遭難者。私が奪ってきた命には、そういった称号やら肩書きがついていたはずだ。

 狙われるようになる前は、もっと普通の、通りがかっただけの家族を殺したことさえあった。

 変異種のアルラウネなど探せばいくらでもいるわけだが、優しくされるほどに私が殺したのではないかと思えてくる。


「落ち着け。おまえはそもそもへドリスの個体だ。トールストンにはいなかっただろう」

「そうですか……そう、ですよね」


 篭りきった力が抜ける。蕾のほころびる季節を間違えた徒花あだばなが吐き出す諦念のような、かすかな息がれる。私の早とちりだったのか。


「おまえがやってきたことは、生きるためとはいえ、罪なんだろう。俺たちが生きるために取って食うことも罪なんだろう。それを言いだしたら、なんだって罪になる」


 薄暗い照明の尾を引く機械仕掛けの隻眼は、湖の底に沈みゆく命が発する燐光に似ていた。失って初めて得られるたぐいの美しさに、私は見惚れてしまう。


「人間はあれから何度目かの遠征でトールストンのアルラウネを根絶した。密猟が原因で姿を消した魔物もいる。反対に魔物によって滅ぼされた集落もある。生存競争って意味ではお互い様だ。……こう考えられるようになったのはな、発明をやり始めてからだ。もっと言うと、他人ひとのために働き出してから。昔はな、もっと真っ直ぐにおまえらを駆逐してやろうと考えてた。うらんでたんだろうな、やっぱり。でも違うんだ。フーカの言葉を借りるなら、俺たちはひとりじゃない。ひとりじゃないから、俺だけが強くなって、自分の恨みを晴らしても仕方がなかった。……そういうことを考えるために、人間は働くのかもしれないな。おまえも働かなかったら、罪とやらに気づかずのうのうと生きられたわけだろう?」

「えぇ」

「他者との関わりのなかで自分自身をかえりみる。これが人間らしさってやつだと思うぜ。ま、クエレは心がどうのとか言いそうだけどな。俺からしたら、おまえはようやく人間らしくなったと思う」


 私に向かって猿臂えんぴを伸ばしかけたジェイドは、そこで思いとどまる仕草をした。


「……俺は何を言ってるんだろうな」

「馬鹿なヒトです。あなたの言葉は、このあたりに届いちゃいました」


 胸の中心を蔓で指す。


「最近になって、おまえのなかに人間をみるんだ。お伽噺の姫みたいに、もとは人間だったとか、そういうンじゃあないけどな。フーカも同じようなことを感じているはずだ。だからわざと真実を教えて試したり、ヒトの価値観を刷り込もうとする。つまりアイルを人間にしたがってる。……ような、気がしてならない」


 そこで席を立つ。私はジェイドを見上げる。


「……大したもんだと思う。だが俺は、人間とは在り方である、と信じている。俺のスケールで測れば、アイルはすでに立派な人間だ。おまえ自身やフーカが魔物だと主張するたびに、よく分からんがイラっとするんだ」


 なにが言いたいのかっていうとな、えーっと。ジェイドは首を捻って言葉を探していた。

 あぁ、そうだ。

 俺はな。


「アイルがそうりたいと思い続ける限り、これからはおまえのことを人間の女として扱う。だからヒトとして振る舞え。そう振る舞う努力をしろ。魔物の習慣は捨てろ。おかしな部分は俺が正してやる。メンテは得意だからな」


 今なら泣かされていた。

 やっと理解する。できすぎた人間のフーカに釣り合う男がいるとしたら、確かにジェイドなのだろうなと私は思った。

 

「……買い被りすぎです。私はあなたが思うほど人間に近い魔物では」

「ほら。さっそくだ」


 額を指で弾かれる。表皮はだは痛くないけど、胸が痛む。

 きっかけは彼に近づきたかったから。無意識に人間のおんなの真似をしていただけ。

 いざ認められると、不思議な気持ちになるものだ。

 それに。

 ジェイドのことも好きになっちゃったなあ、と私は困り果てた。彼の抽斗ひきだしで表現するなら、まいったなぁ。

 彼がよくする苦い顔で、私は放心していた。しばらく経ってからジェイドが口を開く。


「おまえのことを人間だと思っている、という話に戻るとな。クエレ。あいつは初めからそうだった」


 同意を求める雰囲気を察し、頷く。


「ただ、あいつが見ている景色は俺たちと異なっているような感じがする。人間と魔物の区別がついていないように思うんだ」

「区別?」

「うーん……。もっと正確に言うと、そうだな。人間に対しても、魔物に対しても、自分が受け入れられて当然だと思っている。普通あるだろ、他人に対する壁みたいなものが。それがクエレにはまるでない」


 心当たりどころか撃ち抜いてすらいる。


「たとえば街なかで魔物が暴れ出したとするだろ。まともなやつは逃げたり、通報したりするんだが、あいつは魔物になんで怒ってるのかを話しかけに行く。正義感というよりは、そこで一番目立っているから、みたいな常人とはかけ離れた理由でな。信じられるか? 殺されるかもしれないのにだぞ?」 

「信じられませんが、ただ……」


 想像はしやすい。私に対しても人食いとわかっていながら近づいてきた。どんな死にたがりにも恐怖はある。しかし、彼にはそれを感じなかった。


「あいつは死に対する何かが欠落してる。もしあいつといるときに魔物が暴れ出すようなことがあれば、決して近づけたりはしないでくれ。縛ってでも止めておいたほうがいい」

「はい。磔刑たっけいに処す勢いで縛りつけてやります!」

「いい返事だ」


 ジェイドはそう褒めた後、私にのこぎりを持たせる。頭上にいくつもの疑問符が浮かぶ。


「ついでにきかたをレクチャーしてやるよ。どうせ接客も調合も向いてないだろ、おまえ。魔法薬学の資格はせまき門だって聞くし、クビになるのを見越してだな」

「せっかく慣れてきたのに、て、転職をすすめるなんてッ! 私、あなたが大嫌いになりました」

「おいコラッ、あぶねえ! 考えなしに刃物をぶん回すンじゃねえッ!」


 最後のほうは騒がしいやり取りをしたんだった。その夜は寄ってみてよかったと、出張帰りのフーカに話したっけ。

 



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