あなたの命令をください
「お姫様ではなかったです」
二人のあいだに挟まる風を
「僕が王子様ではなかったんだよ。そして、あの子も同じ無力感に
少年もまた、男性を
首輪付きである以外に二人の関係性を示すものはなかったが、少年の行動は幼さゆえの危機意識の未発達に思えたし、ラミア側も愛情というよりはただの無抵抗に近かった。
私の目には微笑ましくも淡泊な主従が映ったけれど、彼の目には深い愛で結ばれた背徳が映ったのか。
「あの子は、」
私よりも報われる。そう言いかけて口を
私たちは無言で少し歩き、
「二回目かな」彼の右手が
「あれは、あなたが一方的にしたので反則です」
「キスには変わりないだろ」
「……その理屈でいくと三回目だと思います」
彼が寝顔を晒している隙に、一回。反則だったがキスには変わりない。すると首を
木陰のベンチを占領していた老夫婦が立ち上がる。大きな手荷物を
雑踏に
「フーカの真似かい?」と彼が
「いえ」
真似をしたつもりはなかった。顔を似せてますから、と答えた。彼は開きかけた口を
「青女の話に戻りますが、ほとんどの人が忘れてしまった、と言っていましたよね……あなたはその話をどこで?」
彼は伝承や風習などの
あからさまに目を泳がせる彼。取り立てて
「レブレが、僕に
「そうでしたか……」
ジェイドの記憶のなかで、確かに彼女は難しそうな本を読んでいた。話題選び失敗。傷口を
「昔から好古家のレブレは神話とか、碑文とか、魔法古語学とか、歴史をひも解く資料に詳しくてね。よく図書館に通い詰めてたなぁ……。僕は読み書きが苦手だったけど、彼女の声は聴きやすかった。今でも耳に残っている。だから僕の
そこで
「本好きのレブレが剣を握ったのは、ジェイドが大怪我を負ってからだ。いつも僕にべったりで感情を表に出さないように徹していたから、本人は気づいていないだろうが、彼女はジェイドのことが好きだった」
木道がわずかに
「レブレには剣の才能があってね。半月ほどで剣術の基礎をものにした。二カ月が経つ頃には小柄な魔物と渡り合えるくらいになっていて、天賦の才だと思ったよ。失魔症でさえなければ、一流の魔術師すら夢じゃなかったさ」
「子どもが魔物に
「不可抗力的な戦いだったかな。向こう見ずに殴りかかるジェイドとは違って、レブレは極力戦闘を避けていた。冒険者になってからもそれは変わらなかった」
「才能は本物のようですね」
私は感心していった。
「うん。稽古ではジェイド相手に負けなしだった。当時は慣れない機械の身体というハンデも大きいが、全部を守りたがる彼は悔しかっただろうね」
想像しやすさに笑いを誘われる。あれはとにかく負けず嫌いな男だ。勝機もなしに挑み続けて若き剣士を呆れさせたに違いない。
どこからかフーカの店で栽培している薬草と同種の香りが運ばれてきて、その匂いが彼女に関する記憶をくすぐった。
「もしかして身体を売ったのは、ジェイドさんに好意を寄せていたから?」
「……そうだね。彼女とフーカは友人と呼べる間柄ではなかったけど、純粋にジェイドの幸せを願っていたから、彼のために死なせるわけにはいかなかったんだろう。聡明なレブレが馬鹿な選択をするくらいにはジェイドに首っ
彼の陶酔しきった口調には危うさを感じられたので、〈風〉で操った噴水樹の
「あなたの願望でしょう」
「そりゃあ、直接
虚空に向かい力なく首を振った後、彼は背中を丸めて足元のバックパックを
湿り気のある木道に投げ出されたネイの実はさぞかし驚いたことだろうと思い、彼の
「
「あ、私だけじゃなくて誰にでも名前をつける人なんですね。ジェイドさんのグリフォンや手元のハルピーとも距離感近いですし。私だけじゃなくて」
「大丈夫、僕がキスをしたのはアイルだけだ」
「分かってますとも、分かってますとも」
私は群れの魔力を
「うわっ、ほんとだ、取り違えてる。木陰でみんな黒っぽいんだよね。……きみはぬめりの酷い生乾きの雑巾みたいな臭さで、ケライノは炎天下の
本能的に言語の指す意味を理解したのか、ハルピーたちの壁はさらに厚くなった。餌やりで嫌われるのはさすがに同情を禁じ得ない。それでも自分の番が回ってくるとケライノは全身で喜びを発散していた。
こうしてみると愛嬌のある魔物だが、彼の鎖骨の
物事が思いもよらぬ形で悪い方向へ転ぶこともありえる。戦いに備えておいたほうがいいのかな。
「どうも上の空って感じだね」彼の声にはっとなる。「いつものアイルなら花弁を
「……ぼうっとしてました」
頭部に
「次は怖い顔。……僕が弱いからといって心配のされすぎは困るな。種族としての危険度できみとハルピュイアを
「私は襲いません!」
「そんなの分かりきってる。一般的なアルラウネの話さ。僕がどれだけアイルのことを知っていても、きみを知らない人にとってアルラウネは危険な魔物だ。
「私だって分かってますよ。あなたと居たときよりは、周りの人にも信頼されているとは思いますが」
「ちがう。みんながきみを信じているんじゃなくて、きみの首輪を信じているんだ。フーカの名前にも守られている」
「……残酷なことを言いますね。元はといえばッ……」
無理やり口を
「遠慮しなくていいんだよ」彼は見透かしたように目を細める。「昨夜、フーカに怒られた。きみを苦しめてしまったのは紛れもない僕の責任だ。アイルには僕を責める権利がある」
「……許しますよ。私の選択の責任でもあるのですから」
苦しまずに生きられる機会が与えられなかったというのは大袈裟だ。いつだって断れた。どこかで痛みを伴う共生であることは承知の上だった。
人間を傷つける魔物として生を
いよいよ
こうやって何世代も人間と触れ合い結んできたであろう絆の強さが羨ましい。子育ての一部を他種族に任せる在り方。本物の共生。その二文字に含まれる永劫的な輝かしさを
何かを言おうとしている。私は
「僕は……僕たちはさ、いつまでもきみと一緒には歩けない」
「歩くのが嫌になったのですか?」
心配になって
「寿命が違いすぎるんだ。百年程度の僕たちでは、きみの生の、ほんの一部分を飾るエキストラに過ぎないと考えている」
「悲しいこと言わないでください」
「悲しいことかもしれないね。でも事実として、その日はやってくる。今は僕がいる。フーカもいる。ジェイドもいる。周りの常連さんたちもアイルを可愛がってくれている……だが皆、きみより早くに死んでしまう。その後はどうする? また人食いに戻るのも一つの答えだし、人間と共に歩むのも一つの答えだ」
漠然とした知識は
「あなたの命令をください。私はきっと守れます」
もはや人肉の味は
「きみは守ってしまうだろうから、命令はできないな。生き方を他人の意思に
「私が、墓標?」
「いつか話したね」
話しましたね、と私は頷き返す。
「長生きなので、あなたがたのお墓になってあげます」
「だいぶ意味が違ってくるな」
「花をちぎって
「まぁ……うん」
「だったら人間と生きたほうが、何かと都合が良さそうですね」
供えるのは私の頭に生えてるやつでいいかな。
「あのさ。僕としては真剣な話のつもりなんだけど」
「やかましいです。死人は喋らないでください」
「手厳しいな……」
「一緒に暮らそうと言ったあなたが、寿命を言い訳にして、責任を取らないつもりなんでしょう? 自分のお尻を拭く葉っぱも用意できないだめだめな人。むしろ優しすぎるくらいの対応なのでは?」と私は笑った。
苦い顔で彼が同意する。
「できる限りのことはする。いつかアイルが自分の足で広い世界へ旅立つときまでに、きみが生きていく上での障害を取り除いてあげたいから」
「偏見をなくそう、みたいな?」
「そんな感じ」
「……小さいやつほど夢の規模だけは無駄にでかい。加えて馬鹿は独善を強要しがち。これはフーカさんの受け売りですがね。あまり無理はなさらないでください。……私は
「ですから?」
「責任を取るというのであれば、もっともっと私に構うべきなんです! あなたがたが去り、残された時間を独りで生きていけるほどの温もりを必要としています」
私はたった独りで生きてきた魔物だ。一切の他者を必要とせず、芸術や娯楽といった無駄を楽しむ心もなかった。
有り体にいえば孤独な生命。そんな私であるから、正直なところ、出逢いの裏に別れがあることを上手く想像できないでいる。
別れた後のことは不思議とわかる。
百の季節を共に数えたとして、千までは独り。思い出を
いらっしゃいませ。ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております。命がこんな仕組みなら、いいのにね。
「心のどこかで、きみを
そういって深く溜めた息を吐いた彼は、二人の太腿を行ったり来たりと落ち着かないケライノを肩に乗せる。他の子は人混みに散った。
「歩こうか」
「えぇ」
高台広場を離れ、私たちも街を賑やかす足音の一つに戻る。停留所の隣に設置された望遠魔道具で
――なぜ私の蔓は、五つに分かれなかったのだろう。
その瞬間においては、生物学的な要因を
「レブレさんのことはどう思っていたんですか」
言いながら、まるで人間同士でする会話みたいだな、と嬉しさが込み上げた。
「どうってまぁ、きみの想像通りだ」
曖昧に笑ってはぐらかす。明言を避けたがるのは彼らしい。
「ジェイドさんに負けちゃいましたね。フーカさんのことも含めて、二敗目」
残ったのは私だけですね、という部分は伏せておいた。
「あぁ、完敗だ。
彼はわざとらしく降参のポーズを取った。面白い側の人間が自分を棚に上げてそんなことを言うものだから、私は耐えきれずに噴き出した。おいおい、笑うところじゃないだろう。仕方ないじゃないですか。くだらないやり取りを挟み、私は
「これは憶測になりますが、ジェイドさんは彼女の好意に気づいていたのではないでしょうか。あなたが隠れ蓑のようなものだったとしても、それに気づかないほど鈍い人間だとは思えません」
「そうだな……。だとしたら、僕よりもジェイドのほうがレブレの身売りや、死に対する負い目があっただろうな。一度や二度、振られた程度では諦められないのは当然だよね」
「一度や二度?」
「フーカは二回ほどジェイドの告白を断っている。三回目で彼女が振り向いた理由は、ジェイドの努力が自分以外の誰かに向いたからなんだ。成長したともいうのかな。……発明家になっただろう。失魔症の人びとの一助となる科学や、魔法がなくなった後の時代を考えだした。付き合いだしたのはそれからさ」
「愛とは同じ方角を目指すこと」
「酔っぱらったフーカの決まり文句だろ、それ」と彼がおかしそうに指摘する。「酒の席に限らず、大抵の場合、発言と実態は切り離して
「フーカさんが大好きなのは人助け」
手の届く範囲を
「そうだね……フーカは、そうだろうね」と彼は二回肯定した。
「さっきから」私は
彼女に繋がるような話題を持ち出したのは私ですけどね。少しばかり理不尽だとは自覚しつつ、どうせなら隣にいる私を話の中心に置いて欲しかった。
「ごめんごめん、じゃあジェイドの話に戻そう――」
ジェイドが初めて僕にくれた発明品は
彼がこれほど理路整然と語ったわけではなく、無意味な相槌を打ったり、言葉を詰まらせながらの表現となりがちであったが、そんなことは二の次だ。
溜息が出てしまう。
私か、あなたのことを話して欲しかったのに、友人の話をしてどうするんですか。レブレさんのことは、あなたを知りたくて
しかし彼の立場で考えてみると、これは最後のチャンスだった。彼なりに焦っていたのだ。子ども時代に収集した宝箱の中身を自慢するみたいに、思い出を一つでも多く私に託す必要があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます