こんなに幸せでいいのかな
その
「
「魔力検査に引っ掛かっちゃいまして。私、検査官嫌いです。寄って
彼は平民街から、私は中心街からそれぞれの〈
――乗船手続きの際に飼育許可証と航空券を提示できるくらいだから大丈夫だとは思うけど、お時間をいただけるかな。
――へえ、君は野生種のアルラウネなんだね。……主食は人間かあ。いい子だからひとまず別室に移動しようか。
――いやいや、魔物差別だなんてとんでもない。この船は魔物連れのお客様も多くご利用になられている。ただねぇ、アルラウネの単独乗船は前代未聞でね。君のご主人に連絡取れるかな。
受付係の検査官は物腰柔らかな人だったが、なかには高圧的な態度の人もいて
やつらの毛髪を頭皮ごと引き
「災難だったね。……そうはいっても仕事だしさ、アイルを
「やつらの肩を持つと、そこの魔力
「きみは僕に厳しい」
「愛の
「痛いのは苦手だよ」
彼は
「翼の折れたグリフォンみたいな顔で突っ立ってますけどね、なにか私に言うべきことがあるのでは?」
「雰囲気が大人っぽくなった、かな。フーカの私服も似合ってる」
「……及第点です」
私たちはとても自然な流れで腕を組んだ。
脚を願ったのは彼の隣に立つためだ。彼と並んで歩くことが夢だった。あなたがそっぽを向いた瞬間に、それが叶ったということを、あなたは気づいているだろうか。
王宮街には精霊園より供給された魔力の増幅装置となる〈
「脚さ、良かったね」
「えぇ。あなたのほうこそ無事でなにより」
「僕の心配をしてたの?」
「昨日の今日で願いが叶うのは、
世界はパステルピンクで描かれているわけじゃない。目を
ともすると、あの場に居た彼が支払わされる事態を憂慮していた。彼の脚を奪ってまで叶えたい願いではなかった。まったくの
「僕の脚か!」彼の
あまりにも真っ当すぎて身体が火照りを
「笑わないでくださいッ! わりと本気だったんですよ、こっちは!」
彼はまたしても大きく笑い、王宮街の入り口ではためく〈青女の旗〉をみる。この旗は雪となった村娘になぞらえて氷の結晶をモチーフにしており、グレイシャーブルーで描かれた霜柱のデザインが可愛らしい。
悲しい物語であるから、せめて象徴くらいは明るくしようと頑張ったのかな。そう考えると、ランタンの火が灯ったみたいに心が
すれ違いざまに蔓で触れてみる。あっ、と声が出る。周囲を
記憶の
これはこれは、
「……本、読んだことあるのかい?」
青女の旗に
「『青女の祈り』ですか?」
「うん」
「
私は、本棚を漁っている彼女の姿を思い浮かべながらいった。
「フーカはいい母親になりそうだね……。アイル的にはどうだった?」と彼が
「面白かったですよ」
これも素直に認めた。私は芸術の世界に触れてからも物語だけは嫌いだった。人間を楽しませるために作られた文章は虚無だと思い込んでいた。
実際、読みかけるまでは気乗りしなかったし、デートに役立つと自分に言い聞かせてページを
あれほど嫌っていた物語だが、いざ読んでみると新鮮で、文字のみで
考察にも
フーカの研究室には、〈火〉の魔力の生成異常が原因とされる〈全身性発火症〉にまつわるレポートが
「そうか」と素っ気なく返す彼は、心なしか頬の筋肉をこわばらせていた。入退管理の魔術ゲート付近に立ち並ぶ屈強な警備員のせいだと察する。
私はフーカたちの付き添いで何度も訪れた経験があり、後ろめたいこともないのですんなりと通過した。一方で失魔症の彼は普段から様々な魔道具を持ち歩くため、その内の何かに反応したのか、数名の警備員に取り囲まれていた。よくある誤作動らしく、落ち着いた口調でいくつかの質問をし、最終的に手動でゲートを開けてくれた。
「緊張したよ。護身用の魔道具に反応しがちでね。本職の魔法には見劣りするけど、他者を攻撃できる武器ではあるから」と彼はわざとらしく額を
働きたての頃、誕生日という文化を教わった私が、無防備な彼の身を案じてプレゼントした杖だった。誰にでも使えるように
「これ見よがしに出さなくていいです。……あとなんですか、その形容しがたいポーズは」
彼は得意げに杖を構え、腕を交差させるヘンテコなポーズを決めていた。絶妙にダサく、注目を
「真の力」
「は?」
「いや、だから真の力」
なんなんでしょうね、この人は。
「子どもじゃないんですから……。浮かれてないで行きますよ。
私はすでに点数稼ぎなどはどうでもよくなり、彼をエスコートすることにした。期待を諦めさせる力が不思議と彼には備わっている。それを真の力と呼ぶのなら、そうかもしれない。
彼の手を取り、ユニコーンの
栄華を求めた人びとの欲望の
流行の
私たちはまず、雲の輪郭を写し取った形の装身具で有名な「ホメオスタシス」というブランドの服飾店に入った。お揃いのブレスレットを買った。
性別不問がコンセプトの「ギュノス
「ハイブランドってやつだと思うんですけど、大丈夫なんですか?」
もし値札をみてこの世の終わりみたいな表情をされたら自分で買うつもりだった。困らせてやりたい出来心のはずが、逆に花弁を
「構わないさ。僕の作品が高く売れてね。お裾分けだと思ってくれ」と彼は嬉しそうにしていた。
「へえ……」
購入者はたぶん、フーカさんですよね。実質フーカさんに買ってもらったのでは? と邪推したり。
次に口寂しさを感じたあたりで通りがかったのは、パンケーキみたいに屋根の上に屋根を
「アルラウネも飴を食べるんだね。美味しいのかい?」
実のところ、飴が美味しいのかと言われると微妙であった。
原材料は植物であるからどう転んでも共食いな気がしてならないが、何と答えれば彼が喜んでくれるのかを心得ていた。
「美味しいです」
「なら、よかった」彼がもう一つの飴を
どうやら彼は、食べ物を頬張る私をみるのが好きらしい。共食い万歳だ。私は二つとも平らげた。
結果的に助けてやったはずの女性も二人組も微妙な顔で解散してしまい、一部始終を目撃したらしい彼は腹を抱えている。
「きみは最高だよ!」
「こちらは最低ですよ。優しさというものは、過剰に押しつけてはいけないのですね」
「いや、ほんと……なんだろうね。アイルは正しくない方法で、正しいことを学んでいる感じがする」
「馬鹿にしてます?」
「まさか、まさか。面白いって意味さ」
「それ馬鹿にしてますよね!」
蔓でぽかぽかと叩く私の抗議は適当にあしらわれた。
「いいかい。面白さはアイルの魅力だ。僕がきみの才を馬鹿にしたりするものか」
真意の伝わりづらい言い分でのらりくらりと
なんでもないやり取りが、幸せだなぁ、と私は思う。
何をするでもなく、ただ街を歩くだけで楽しかった。あなたとなら、どこへでも行けそうだ。
私が今日、彼の腕に蔓を巻きつけて歩いている、と教えたところで昨日の私は信じないだろうな。
「こんなに、幸せでいいのかな」
いまなら死んでもいい。この瞬間に命が尽きれば、私は幸せの絶頂で死ねたことになる。文句なしに究極の勝ち逃げだ。最高の生だったと胸を張れる。
「よく考えてみなよ。きみに脚が生えたところでさ、他のアルラウネが
肯定しかけた姿勢のまま、私は首を
「自分で餌を探せるのはメリットですよ」
「意外と冷静だ」
「えらいでしょう」
そこで彼は少し、意地の悪い表情に作り変えた。
「ということはさ、冷静なアイルは、冷静じゃない理由で欲しがったことになる」
「う、うるさいですねえ」
それから路上で
雑貨店では空飛ぶ
縁結びの
「結果は、どうだった」
彼が
「好きです」瞳に水が
「僕もだよ」と彼が微笑む。
「そうじゃなくて」小雨が降ってきた、みたいなトーンで返されても私はちっとも嬉しくない。「……そうじゃなくて、ほんとうに好きなんです」
「僕もだって」
すぼめた肩を、蔓で小突いてやる。これくらいで勘弁してやろう。
ぱらぱらと、本当に雨が降ってきた。
雨宿りを兼ねて美術館を巡った。目ぼしいイベントは開催されておらず、常設展示室を三十分ほどかけて歩き回った。奥の額縁には魔物が描いた絵も飾られていた。絵を描ける魔物は私だけではないと、内なる世界の広がりを満喫した。
美術館を後にすると、ちょうど通り雨は止んでいて、うっすらと虹の半円が
最後に私たちは、水を噴き出す街路樹の
青い少女が、ここにもいた。
ずっと昔から、彼女のことを知っていた気がする。
潮風の匂いにくすぐられた気がする。
身体は青銅の鐘よりも冷たかった気がする。
この
吐き出した息は凍らない。私はひどく安堵している。魔力の乱れによる立ち
耳を
差し出された彼の手に
彼の視線も、少女の彫刻に釘付けだった。声を掛けようとすると、息の吸いかたを思い出したみたいに彼が口を開く。
「『青女の祈り』の結末は、青女が雪になった描写で終わる。今はもう、ほとんどの人が忘れてしまったのだけど、物語には続きがあるんだ。きみなら、どんな続きを用意する?」
私が物語に続きを書き加えるとしたら。降りしきる大雪が青年の所属する部隊の行進を
そのように話すと、彼は目を細めて、青銅となった娘の頬に触れた。
「アイルが物書きなら、この上なく優しい物語を書くんだろうね。僕は見てみたかったな」
「では本物の続きは?」と私が
「彼女の願いは、ちゃんと叶ったんだよ。竜の力によって」
永遠を生きると語り
「竜は願いに忠実だ。娘の最期の祈りの声が聴こえたとき、異国の地で恋人はすでに死んでいた。竜でさえもそれはどうしようもなかったし、亡骸を連れ帰ったところで娘を悲しませるだけだから、彼女の姿を雪に変えて、手向けの
恋人はすでに死んでいた、目を覆いたくなる真実にため息が出る。
馬鹿だなぁ……。
最初から叶わない願いだったのか……。
「全然、
「……そうともいうね」といって彼は眉間に寄った
「美しいから」と私は
「あぁ、美しいから。決して叶わない願いほど美しいものはない。美しさのためなら、彼女にとって、もっとも残酷な結末であってほしい」
僕が物書きならそうする、と彼は断言した。
「それが
青女の話が過去の事実にせよ、架空の物語にせよ、悲しいだけの結末はお断りだ。一人ずつ正座させて殴りつけてやる。もっと幸せにしろ、ってね。
「せめて筆で戦いなよ。僕らは絵描きなんだから」
独り言になっていたようだ。したり顔がむかついたけど、ぐうの音も出なくて、牙を
「青女の日だったんですね」
「年に一度、どんな願いも叶う日だ。あまり明るい話とはいえないから、表立って祝祭ともいかなくてね」
過去を懐かしむ、そんな声音の柔らかさに驚かされる。驚きはすぐに脚への意識が塗りつぶす。
願いが叶う日。だからといって脚が生えるとは到底思えない。それを言葉にするより先に、伸ばされた彼の腕が蒼穹を
「燃えてしまったバクロの森は、雪が降った場所とされている。その雪雲は王宮街の北部を分断する
彼の瞳に熱が
風が吹いた。
同時だったかな。
「もうじき鐘が鳴る」と彼がいう。
「鐘?」
「青女の日に、シスター・ベルの鐘の
青銅が空気を揺らす。
「キス」
「うん」
二度、三度、鐘が鳴っている。
「私は、女ではありませんよ」
「えっと、あぁっ、そうだ! ……忘れてた。男女じゃなくて、そう、生き物だ。
残響が尾を引いている。まだ尻尾は消えない。
「ふうん。生き物ですか」しどろもどろになる彼がおかしくて、私の頬は弛緩しっぱなしだ。「――じゃあ、仕方ないですね」
もう一度、
足の裏に力が入る。
私は残響を覚えている。
湿った息がかかる。
私は残響を覚えている……。
鼻先が触れる。
あーあ、ぜんぶ忘れた。
彼は唇の端に、花のひとひらを引っかけるような、とても短いキスをした。
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