「青女の祈り」


 へドリスには旧王宮街を舞台にした「青女の祈り」という有名な物語がある。戦地におもむいたきり消息が掴めない恋仲の青年を待つ、大病をわずらった若い村娘の話だ。



 村娘は青く美しい髪をなびかせた溌剌はつらつなる少女で、水をたたえたように瑞々みずみずしい肌を持ち、人付き合いが良く勤勉で畑仕事にも精を出したため、彼女をうとましがる村人は誰一人としていなかった。

 娘には歌詠みの才もあった。毎日村の子どもたちと連れ立って海辺に向かい、そこでみ聴かせをし、入相いりあいかねが鳴ると青年の無事をこいねがった。


 炎陽の季、娘の身体に異変が起きる。猛暑の時季であるにも関わらずひどく冷え込

んだ手足。氷菓子を含んだように冷たい吐息。身動きができないほどの寒さでかちかちと奥歯を鳴らし、一日中、毛布にくるまり自分の身体を揉んで過ごした。寝ても覚めても寒さに悩まされた。だんの取れそうなものは手当たり次第に取り寄せたが、どれもその場しのぎで解決には至らず、間もなく村医者によって病を知らされると彼女は静かに泣いた。

 それは木枯こがれの季節にかけて徐々に全身がこおりつく不治の病であった。帷子かたびら袖口そでぐちに霜柱を垂らすことから、その病は「霜垂しもしずり」と言われていた。

 涙はすぐに氷の粒となり、娘のまかぶらをぽろぽろと転げ落ちる。無数のあられが彼女の足元を冷やした。


 日を追うごとに容態は悪化していった。病は一つひとつ、娘の積み上げた努力を否定した。

 畑を歩けば作物がいたむと仕事を失った。触れた書物をらすと書斎を追い出された。うたが耳を凍らせると喉をつぶされた。皮肉にも残ったのは生来の美しさだけ。

 やがて雪をあざむくようにほの白く妖艶ようえんな光りを帯び始めた彼女を、村の人びとは「雪女」とさげすむようになった。


 それでも娘は、愛する人への祈りをやさなかった。やめれば助からないと思っていたからだ。自身の快復を祈ったことなど、一度たりともなかった。


 季節が巡ると病はさらに娘を追い詰めた。凍瘡しもやけれた手足は腐り、移動はおろか食事も満足にれず、氷室ひむろとなった自室にす日々が続いた。


 ある朝、みずからの死期を悟った娘は雲がてつくほどの寒空の下、靴を捨ててふらふらと海辺に向かった。かつて足だった氷柱つららは自重に耐えかねて砕け、骨は剥き出しというさまであったが、傷口はただちに凍り、もはや痛覚すら麻痺していた。蹌踉よろぼうたびにあてがわれた死のかまにもひるむことなく懸命に歩を進める。海岸へと伸びる三叉路さんさろには氷の足跡が咲き乱れた。


 ついに浜の砂上で力尽きた彼女は、たいらな流木を枕に潮騒しおさいを聴いた。思いだすのは海が好きだった彼。よくこうして貝殻を耳に当てていた。

 貝殻かれが喋る、幻が聴こえる。


 ――おまえは綺麗だ。声は海よりも綺麗だ。いつか歌詠みになれ。


 娘は笑う。


 ――あなたの声も、匂いも、姿も、波をかぶせた砂楼のごとく失われていたというのに、今更、言葉だけで温めてくれた彼がおかしくてたまらない。


 音の出ぬかすれた声でうたい、切なる願いを空にたくす。最後に一度だけあの人に会いたい。叶うなら彼の抱擁で死にたい。氷の身体に温もりを浴びたい。それができぬなら、せめて彼を生きて帰してください。


 本当は、願いはそれだけではなかったのかもしれない。だが娘の命はそこで果てた。死は彼女を待たなかった。しもおかされた身体も、絶えればただの冷たい遺体に置き換わる。だから死は、娘を楽にしてやりたかったのだろう。


 すると孤独な娘をあわれんだ空がつかわせたのか、むくろの傍に一頭の竜がたたずんでいた。

 竜は夕映えのまなこを見開き、その息吹一つで、娘の姿を雪雲に変えた。するどく湾曲した赭土あかつちの翼は空を動かす。

 あの青く美しい髪の面影を残してたなびく雪雲に寄りい、竜は地上を去った。


 青女の雪は異国の地に降り積もったのだという。




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