世界最強ですか

 光をえると、私たちはみどりの風にまねかれた。晴れやかな空模様の下では広大な草原が続いており、ワタフラシ(綿毛を飛散させる魔物)やビスキート(菓子の一つに似た味の昆虫種)たちがおどっていた。吹きつける風が強いほど彼らは陽気に踊る。木陰では主に山岳地帯の風衝地を好む〈亜粘獣スライムモドキ〉ものたくっている。原種と異なり無毒で友好的だが、土壌をおかす細菌や寄生虫の温床であるために煙たがられた。


 あらためて、ほんとうに森が遠いんだな。


 私はそう思った。森で生まれ育った私には、低木がぽつぽつと生えるだけの草原は人間の街と同じくらい異端の地だった。

 みどりせまり、髪をさらって吹き渡る。周囲にさらさらと若草の波がひろがった。風の冷たさが少女の肌にみる。まさに木の葉をよろう青嵐。

 旅立ちの丘、リーテリーゼの風が吹く。という民謡がある。

 へドリスでは「シンリョクの丘」と称される地域を指し、トールストンの人々はこの辺りを〈リーテリーゼ〉とんだ。

 色付きの風は群生する〈勘違いの花バロメッツ〉の花粉が原因で、温暖な気候、肥沃ひよくな大地、多種多様なポリネーターの三拍子が揃った環境をあらわす。

 知ったふうに語った私であるが、この知識はすべて持参の観光用パンフレットからの抜粋です。しばし彼のを拝借しておりました。

 またバロメッツの根はアルラウネ症の治療薬としても扱われ、フーカの店では在庫不足だったはず。見かけたらんでおこう。

 私たちはそれぞれの理由ではしゃいだり散策をしながら〈地図みち〉なりに進み、彼の目的とする地点に着いたのは約一時間後。


「ここは歌詠みの聖地と呼ばれているんだよ」と彼がいった。


 ひと際大きな〈ロクデナシ〉がそびえる見晴らしのよい崖の上だ。成長しきった根は地面にとどまらず、真下の草原へとしなだれている。詩人が最初に寄りかかった木だから「ろくでなし」の木。感心しちゃう。


「うわぁ~ッ! 風に洗われてるみたい……」

「汚れもうれいもひと吹きで飛ばしてくれたらいいね。さっそくこの風をつかまえようか」

「いまの姿では厳しいかもです。人間の腕は短すぎて」


 蔓ならもっとこう、広範囲に伸ばせるのだけど。

 魔法で閉じ込めるにしても、空気の流れをき止めてしまったそれは、果たして「風」と呼べるのだろうか。


「いやぁ、つるでも無理だよ」と苦笑した彼は、バックパックから画用紙を取り出していった。「僕らにはそのための筆があるじゃないか!」


 長い思考停止を経て、私の知性は本来の役目を果たす。


「あー……あぁっ!」


 なんだかひどく不安定な声が抜けた。絵描きの旅行はただの口実ではなかったのか。

 私はすこし嬉しくなって、崖の向こうにひしめく緑の地平をにらんだ。風を受け、やや乾燥ぎみのまぶたを閉じる。

 まばたき。

 また一つ、人間に近づく。

 


 いざ描画びょうがを始めると、あっという間に日が暮れた。悩ましい日々とは裏腹に呼吸を忘れるくらい愚直に没頭できた。やはり絵を描くのは好きだ。インクや画用紙はあやまちをとがめない。人間も魔物も平等に扱い、種族の垣根ですら平気で乗り越えてゆける。

 私の手中つるおさまる筆は、言うなれば想像の翼だ。それは竜が空をつかむよりも速く、無限遠の未知なるそらへと羽ばたくことを許された翼なのだ。

 そろそろ休憩を終えて、作業に戻ろう。私は使いしのパレットを左手に乗せ、イーゼルにけた画用紙と向き合う。右手はつるに戻した。使い慣れた器官のほうが描きやすかった。

 彼のことが気になって視線を送ると、いつになく真剣な表情をしていた彼が深い息を吐いて立ち、絵画の中身がわかるように紙面をななめにずらした。


「今日のは何点かな」

「五十点くらい」

「せめて絵を見てから採点してくれないか?」

「あの、集中力が途切れるので話しかけないでもらえますか。佳境に入りたてで目が離せなくて」

「きみはいったいどんな絵を描いてるんだ……」

 

 しょぼくれる彼が可哀想になってきたので渋々鑑賞してあげる。

 リーテリーゼの風景画。

 まずまずに綺麗だ。

 という、感想がいた。

 彼の描いた絵は、本当に風を捕まえたと錯覚してしまうくらい繊細な技術が集約されていた。

 さりとて感動や衝撃とは程遠い。彼らしい、まずまずの絵。私がいちばんに好きな描きかた。

 同時に、おや、とも思う。 

 底知れぬ暗がりで孤独にうずくまっているような苦しみがみえてこなかった。

 幼馴染の死を知ったばかりであろう彼が、こんなにもつつましくあたたかい彩りで表現するなんて……。


「いつもより楽しそうにみえます」

「アイルといるからかな。……きみの絵にはめずらしく迷いがあるようだ」

「勝手にみないでください! セクハラで訴えますよ」

「勘弁してくれ。それにしてもフーカの教育はとんでもないな。ひとりになっても生きていけそうで何よりだよ……」

「あなたよりは稼いでますからね。売れっ子の看板アルラウネなので!」

「うら寂しい気持ちとはこのことをいうのかな」と彼はまたほろ苦い笑みで肩をすくめた。

「どういう意味ですか?」


 私が訊ねると、「いずれ教えてもらえるよ」と彼にはぐらかされた。その後、彼が遠くの空をあおいだので、つられて同じ方角を見やる。

 なだらかな丘の一部が隆起してできた岩の椅子。耳元ですさぶように巻いたリーテリーゼの風の。草原を疾走する蹄獣の集団と、ひそやかに愛をさえずつがいの鳥獣。それら全てをたばねるかのように赤らんだ空を悠々とまわる黒翼の竜。

 これだけ美しいものをあつめた景色にだんだんと影が伸びていくようすは、世界の終わりに立ち会ったみたいで身震いがした。


「アイルは知っているかい。神様は自らに似せて人間をつくり、人間は自らに似せて芸術を創ったという話」


 彼は臀部でんぶの土を払い落とし、崖のきわに突き出たロクデナシの根をさわる。


「フーカさんが言ってました。とても興味深く思います」


 私も魔法の足で立ち上がり、彼との距離を詰めた。


「この言い回しは僕も気に入っててね」今度は夕に染まる空に視線を移す。「……それで少し、踏み込んだ話をしてもいいかな」

「えぇ、どうぞ」


 十秒ほどの間をおいて彼は口を開いた。


「彼女は人間と表現したけれど、アイルたち魔物も含めて命と置き換えよう。すると命は神様の子どもで、芸術は命の子どもだ。命がつむいだ歴史の厚さに比べると、芸術はまだまだ雛鳥のように未熟で成長の途上にある。でもいずれは芸術も僕たちと同じように大人になり、子をなすと考えるのが自然だ。……さて、芸術の子というのは一体なんだと思う?」


 思いがけない質問に戸惑った。芸術は生殖行為をしないです、と私は言いかけ、訊ねたいのはそういうことではないのだと考え直す。


「……芸術の子ども。うーん……。感情でしょうか。楽しさとか悲しみとか感動とか」

「当たらずとも遠からずかな。着眼点は素晴らしいね」

「正解ではないのですか?」

「心は僕たちのものであって、芸術のものではないんだよ」

「言われてみればそうですね」と私はうなずく。


 彼は、雲間でうめいた薄暮の陽光を指差した。


「……あまねく生命は空と大地の狭間に誕生した。だから生をまっとうし役目を終えた命のうち、たましいと呼ばれるものは天にのぼり、のこりのむくろは大地をふとらせる」

「つまるところ、死んだら生まれた場所に戻ると」

「そうだね。命は死ぬと空と土――母親のもとにかえる。作品も死ぬと僕たちのもとにかえってくる。感情という形としてね。僕たちは死んで乾涸ひからびた我が子らと対面し、その亡骸なきがらに感化されて、笑ったり、怒ったり、悲しんだりするんだ」


 踏み込んだ話というだけあって、私の理解力ではすぐには追いつけなかった。脳内で噛み砕き、整理しながら言葉を探る。


「この絵は死んでしまったのでしょうか」


 途端に、費やした時間と労力のあぶくが弾けてしまったみたいで悲しくなった。


「うん。芸術は短命だ。完成し、それが誰かの目に触れたときに寿命は尽きる」

「へぇ……では、芸術の子どもとはなんですか?」

「分からない」と彼はその一言に期待の感情を込めていった。「僕らが想像だにしない法則――あるいはそれすらも存在しない世界や、空想上の生物かもしれない。そして、それを運よく見つけられるとしたら、アイルが最もその場所に近い命だと思うんだ」

「なぜ、私が?」

「絵を描くアルラウネは、世界中を探し回ってもきみだけだろう。きみの才能に比類する芸術家は、きっとこの時代のどこにもいないはずさ」


 すなわち。


「私が、世界最強ですか」

「世界最強だ」


 響きの良さにたまらず笑いがこぼれる。彼も笑っていた。よくわからない話の着地点で、何を目的としたのかもわからず仕舞いだけど、楽しいから私は満足だった。

 闇が迫っている。

 無情にも流れゆく時間が憎たらしい。少しくらい、歩幅を縮めてくれたらいいのにな。


「すっかり日が暮れてしまいましたね」


 足元に散らかった画材道具を片付け、草臥くたびれた声で背を伸ばした彼は、インクで汚れた手を作業用エプロンで拭いた。


「最後に行きたい場所があるから、移動しようか。観客も多くなってきたし」

「さっきから飛んでますもんね。バッタが」


 しかもめちゃくちゃこちらを凝視してる。一、二メートルはあろうかというほどの大型の集団である。

 彼が平気そうにしていたので無視し続けたが、創作活動中にもかなりの数が岩場でうごめいていた。

 名はたいをあらわすともいうし、〈飛蝗虫ひこうちゅう〉ゆえにはねを休めれば窒息するかのごとく飛び回るのは予想がつくにしても、やたらと一箇所につどいさざめく魔物だろうかという懐疑は常にあった。


「アイルが植物だってバレてるのかな」

「どちらかというと、あなたのほうを見てませんか? あーッ、ほらっ、よだれまで垂らして。これ絶対、肉食べるやつです。肉食の目つきですよ!」


 魔力をいて威嚇してはいるものの、これが全く動じてくれない。言語の通じない昆虫は嫌いだ。


「きみと同じ変異種か。虫除け魔道具スプレーも効いてないし、全部倒せるのかい?」

「百……二百……無理ではないと思いますが、この至近距離だとあなたが死んじゃいます。加減ができなくて」

「あちゃあ……」

「もっと危機感を持って、お願いですからッ……」


 あちゃあ、で済んだら魔術師はいらない。まずい状況になってきた。敵を昏睡状態にさせたり、目くらましをしたりする小細工的な魔法は使えない。壊すのは得意なんだけど。

 戻した右手のつるを彼の腕に巻きつけ、走りだす。案の定、巨大なバッタの群れも羽音を立てて飛翔する。音を立てるというより、打ち鳴らす音がした。


「あまり速くはないみたいだ」

「一応は警戒してくれているのでしょう。アルラウネがいない土地ですから……でもお馬鹿な子もちらほらとッ!」


 飛びかかってきた数体を叩き落とす。彼らに特別な仲間意識はないだろうが、一瞬の攻防が群れを刺激したらしく、枝のような触角を細動させ、一斉に急降下し襲い掛かる。


「〈土繭たま〉!」


 束ねた魔力に合わせ繭状に固まった土が私たちを覆い、攻撃をしのいだ。がりがりとけずれる音がするが、それを上回るペースで土のまゆを形成する。

 私の残存魔力とまゆのおおよその損傷具合を考慮すれば、持久戦に持ち込み諦めさせることはできそうだ。しかし自らの逃げ道をふさいでしまった以上、彼らが他の攻撃手段(魔法を扱う知性はないと思われる)を隠し持っていた場合、たちまち絶命の危機にひんしてしまう。

 さらに歯痒はがゆいのは、防御のかなめである地層の内壁が私たちの視界をさえぎり、敵の位置を見失わせている。

 自然に放出される魔力で得られるのは「いる」か「いない」かの簡単な情報のみ。これだけ密集されていては把握しようがなかった。


「どれくらい持ちそうなんだ?」

「お腹が鳴るくらいまで、なら……」

「それっていつだい」

「もうだいぶ減ってますね」


 私はどうしても植物であるから、人間のように長時間の活動を行うには不向きな体質だ。

 早いうちに打開策を見つけねばなるまい。「食事のことまで考えてなかったよ」などと抜かす声を背中で聞きつつ、外部の魔力に意識を向ける。すでに濃度は半分程度に下がっていた。執念深い魔物ではないらしい。


「フーカに助けを求めるのはどうだろう」

「ぜひともそうしたいところなんですが、別の魔法を使うとこちらが崩れてしまうので……」

「なるほど。僕も魔法が使えたらきみの力になれたのに」

「あなたが悪いわけでは……ッ」


 繭と一体化させている両蔓りょうてに伝わる震動が増す。パラパラと降る土が髪を汚した。

 何もできないわけではない。彼を犠牲にする前提であれば、やつらを一方的に蹂躙じゅうりんし、ひとり生き残るのは容易たやすい。

 でもそれでは意味がないし、フーカに合わせる顔もなくなる。耐えろ、耐えろと自分に言い聞かせる。

 攻撃の手がむ。有効打がないと諦めたか。逃走を試みる、もしくは反撃へと転じる好機。しかしとりでを放棄しては彼をまもりきれる自信がなく、余分に魔力を消耗してでも現状維持に徹することを選んだ。

 ――直後、外部で強大な魔力を感知する。

 拡散した魔力はまたたく間に収束し、上位の魔法へと昇華されていった。明らかにこちらに狙いをさだめている。

 これはけものの魔法だ。

 第二の敵か!

 昆虫とは違い、魔獣には知性がある。私たちが籠城しているのを見かけ、横取りをたくらむ狡猾なけものが現れたのは厄介だ。

 野生のままでは決して生まれなかったはずの甘さが、私の判断を鈍らせた。

 つたない、と吐き捨てる。私の魔法は、私自身が高い魔法耐性を持つため、物理的な衝撃以外にはもろいという欠点があった。


「大丈夫。僕に魔法は効かないよ」

「えぇ、ですが……」


 失魔症の彼は魔法を分解する。だがそうはいっても、病による分解速度を超える威力でぶつけられたらひとたまりもない。

 それに彼が普段、魔法で建てられた家屋に住み、魔法でつくられた道具を使いこなすように、皮膚自体は魔法による攻撃に対し裸も同然のはずである。


「死ぬときは一緒さ」と彼はいった。

「生きるのも、です」と私が首を倒して返す。


 生きるためにはこもっていても仕方がない。直ぐにひるがえって魔法をき、敵の姿を視認する。

 そいつは闇が降りた低木のほとりに悠然と立ち構え、〈いかづち〉の力をひたいから突き出たつのに充電していた。

 その光が全貌を暴く。

 尖りのあるひづめに白亜のたてがみ、体格に似つかわしくない小さな翼。有翼の一角蹄獣種。

 草食ならば、私が目当て。狙いが彼でないなら、心置きなく戦える! 

 抑えていた魔力の一部を解放し、いたばかりの土くれを巨大な槍へと変化させる。


穿うがてッ!!」

 

 うでを振り、対象の破壊を命じる。咆哮するように砂塵をまとい、大地の槍が飛ぶ。

 次いで蹄獣が前脚を上げ、大きくいなないた。

 森林をるがすほどの爆鳴ばくめいを伴って発射された雷光は、私の放った槍を衝撃波のみで溶かしきる。

 桁違いの威力であった。

 あらがうには手遅れだが足は動く、と咄嗟とっさに思い至り、飛び込んで彼をかばった。


 

 まばゆい閃光と着弾の衝撃、かすめた魔法の熱に人間の肌がめくれ、剥き出しにされた内部組織までもが焼けげる……。




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