世界最強ですか
光を
あらためて、ほんとうに森が遠いんだな。
私はそう思った。森で生まれ育った私には、低木がぽつぽつと生えるだけの草原は人間の街と同じくらい異端の地だった。
旅立ちの丘、リーテリーゼの風が吹く。という民謡がある。
へドリスでは「シンリョクの丘」と称される地域を指し、トールストンの人々はこの辺りを〈リーテリーゼ〉と
色付きの風は群生する〈
知ったふうに語った私であるが、この知識はすべて持参の観光用パンフレットからの抜粋です。しばし彼のを拝借しておりました。
またバロメッツの根はアルラウネ症の治療薬としても扱われ、フーカの店では在庫不足だったはず。見かけたら
私たちはそれぞれの理由ではしゃいだり散策をしながら〈
「ここは歌詠みの聖地と呼ばれているんだよ」と彼がいった。
ひと際大きな〈ロクデナシ〉が
「うわぁ~ッ! 風に洗われてるみたい……」
「汚れも
「いまの姿では厳しいかもです。人間の腕は短すぎて」
蔓ならもっとこう、広範囲に伸ばせるのだけど。
魔法で閉じ込めるにしても、空気の流れを
「いやぁ、
長い思考停止を経て、私の知性は本来の役目を果たす。
「あー……あぁっ!」
なんだかひどく不安定な声が抜けた。絵描きの旅行はただの口実ではなかったのか。
私はすこし嬉しくなって、崖の向こうにひしめく緑の地平を
また一つ、人間に近づく。
いざ
私の
そろそろ休憩を終えて、作業に戻ろう。私は使い
彼のことが気になって視線を送ると、いつになく真剣な表情をしていた彼が深い息を吐いて立ち、絵画の中身がわかるように紙面を
「今日のは何点かな」
「五十点くらい」
「せめて絵を見てから採点してくれないか?」
「あの、集中力が途切れるので話しかけないでもらえますか。佳境に入りたてで目が離せなくて」
「きみはいったいどんな絵を描いてるんだ……」
しょぼくれる彼が可哀想になってきたので渋々鑑賞してあげる。
リーテリーゼの風景画。
まずまずに綺麗だ。
という、感想が
彼の描いた絵は、本当に風を捕まえたと錯覚してしまうくらい繊細な技術が集約されていた。
さりとて感動や衝撃とは程遠い。彼らしい、まずまずの絵。私がいちばんに好きな描きかた。
同時に、おや、とも思う。
底知れぬ暗がりで孤独に
幼馴染の死を知ったばかりであろう彼が、こんなにも
「いつもより楽しそうにみえます」
「アイルといるからかな。……きみの絵にはめずらしく迷いがあるようだ」
「勝手にみないでください! セクハラで訴えますよ」
「勘弁してくれ。それにしてもフーカの教育はとんでもないな。ひとりになっても生きていけそうで何よりだよ……」
「あなたよりは稼いでますからね。売れっ子の看板アルラウネなので!」
「うら寂しい気持ちとはこのことをいうのかな」と彼はまたほろ苦い笑みで肩を
「どういう意味ですか?」
私が訊ねると、「いずれ教えてもらえるよ」と彼にはぐらかされた。その後、彼が遠くの空を
なだらかな丘の一部が隆起してできた岩の椅子。耳元で
これだけ美しいものを
「アイルは知っているかい。神様は自らに似せて人間を
彼は
「フーカさんが言ってました。とても興味深く思います」
私も魔法の足で立ち上がり、彼との距離を詰めた。
「この言い回しは僕も気に入っててね」今度は夕に染まる空に視線を移す。「……それで少し、踏み込んだ話をしてもいいかな」
「えぇ、どうぞ」
十秒ほどの間をおいて彼は口を開いた。
「彼女は人間と表現したけれど、アイルたち魔物も含めて命と置き換えよう。すると命は神様の子どもで、芸術は命の子どもだ。命が
思いがけない質問に戸惑った。芸術は生殖行為をしないです、と私は言いかけ、訊ねたいのはそういうことではないのだと考え直す。
「……芸術の子ども。うーん……。感情でしょうか。楽しさとか悲しみとか感動とか」
「当たらずとも遠からずかな。着眼点は素晴らしいね」
「正解ではないのですか?」
「心は僕たちのものであって、芸術のものではないんだよ」
「言われてみればそうですね」と私は
彼は、雲間で
「……
「つまるところ、死んだら生まれた場所に戻ると」
「そうだね。命は死ぬと空と土――母親のもとに
踏み込んだ話というだけあって、私の理解力ではすぐには追いつけなかった。脳内で噛み砕き、整理しながら言葉を探る。
「この絵は死んでしまったのでしょうか」
途端に、費やした時間と労力の
「うん。芸術は短命だ。完成し、それが誰かの目に触れたときに寿命は尽きる」
「へぇ……では、芸術の子どもとはなんですか?」
「分からない」と彼はその一言に期待の感情を込めていった。「僕らが想像だにしない法則――
「なぜ、私が?」
「絵を描くアルラウネは、世界中を探し回ってもきみだけだろう。きみの才能に比類する芸術家は、きっとこの時代のどこにもいないはずさ」
すなわち。
「私が、世界最強ですか」
「世界最強だ」
響きの良さにたまらず笑いが
闇が迫っている。
無情にも流れゆく時間が憎たらしい。少しくらい、歩幅を縮めてくれたらいいのにな。
「すっかり日が暮れてしまいましたね」
足元に散らかった画材道具を片付け、
「最後に行きたい場所があるから、移動しようか。観客も多くなってきたし」
「さっきから飛んでますもんね。バッタが」
しかもめちゃくちゃこちらを凝視してる。一、二メートルはあろうかというほどの大型の集団である。
彼が平気そうにしていたので無視し続けたが、創作活動中にもかなりの数が岩場で
名は
「アイルが植物だってバレてるのかな」
「どちらかというと、あなたのほうを見てませんか? あーッ、ほらっ、
魔力を
「きみと同じ変異種か。虫除け
「百……二百……無理ではないと思いますが、この至近距離だとあなたが死んじゃいます。加減ができなくて」
「あちゃあ……」
「もっと危機感を持って、お願いですからッ……」
あちゃあ、で済んだら魔術師はいらない。まずい状況になってきた。敵を昏睡状態にさせたり、目
戻した右手の
「あまり速くはないみたいだ」
「一応は警戒してくれているのでしょう。アルラウネがいない土地ですから……でもお馬鹿な子もちらほらとッ!」
飛びかかってきた数体を叩き落とす。彼らに特別な仲間意識はないだろうが、一瞬の攻防が群れを刺激したらしく、枝のような触角を細動させ、一斉に急降下し襲い掛かる。
「〈
束ねた魔力に合わせ繭状に固まった土が私たちを覆い、攻撃を
私の残存魔力と
さらに
自然に放出される魔力で得られるのは「いる」か「いない」かの簡単な情報のみ。これだけ密集されていては把握しようがなかった。
「どれくらい持ちそうなんだ?」
「お腹が鳴るくらいまで、なら……」
「それっていつだい」
「もうだいぶ減ってますね」
私はどうしても植物であるから、人間のように長時間の活動を行うには不向きな体質だ。
早いうちに打開策を見つけねばなるまい。「食事のことまで考えてなかったよ」などと抜かす声を背中で聞きつつ、外部の魔力に意識を向ける。すでに濃度は半分程度に下がっていた。執念深い魔物ではないらしい。
「フーカに助けを求めるのはどうだろう」
「ぜひともそうしたいところなんですが、別の魔法を使うとこちらが崩れてしまうので……」
「なるほど。僕も魔法が使えたらきみの力になれたのに」
「あなたが悪いわけでは……ッ」
繭と一体化させている
何もできないわけではない。彼を犠牲にする前提であれば、やつらを一方的に
でもそれでは意味がないし、フーカに合わせる顔もなくなる。耐えろ、耐えろと自分に言い聞かせる。
攻撃の手が
――直後、外部で強大な魔力を感知する。
拡散した魔力は
これは
第二の敵か!
昆虫とは違い、魔獣には知性がある。私たちが籠城しているのを見かけ、横取りを
野生のままでは決して生まれなかったはずの甘さが、私の判断を鈍らせた。
「大丈夫。僕に魔法は効かないよ」
「えぇ、ですが……」
失魔症の彼は魔法を分解する。だがそうはいっても、病による分解速度を超える威力でぶつけられたらひとたまりもない。
それに彼が普段、魔法で建てられた家屋に住み、魔法で
「死ぬときは一緒さ」と彼はいった。
「生きるのも、です」と私が首を倒して返す。
生きるためには
そいつは闇が降りた低木の
その光が全貌を暴く。
尖りのあるひづめに白亜の
草食ならば、私が目当て。狙いが彼でないなら、心置きなく戦える!
抑えていた魔力の一部を解放し、
「
次いで蹄獣が前脚を上げ、大きく
森林を
桁違いの威力であった。
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