私がいれば無敵です
「――ということがありましてね。以前よりも女性らしいカラダつきを獲得したと思いません?」と私は嬉々として彼に語りかけた。
彼が顔を見せたのは正午を過ぎたあたり。フーカの店が定休日のため、彼女に〈風〉の魔法を教わろうとしたときだ。
私たちがいるのは白煉瓦の家屋と石畳の
「そうだね。どうりで今日はフーカと瓜二つな感じがしたんだね。ペットは飼い主に似るとも言うし、僕はそういうものかと自己解決していたんだけど……」
彼は、正面の私とカウンター付近にいるフーカを交互に見比べて面白がった。最近は容態が安定してきたようで、息遣いは健康的な印象を受ける。
アルラウネは発芽先の生態系に応じて擬態部の形状を変化させる能力を持つ。主食である人間が不在の場合に、他の生物の
その不完全さを逆手に取り、今回のような手順を踏むことによって擬態の精度を高めることができる。以前は口内に入れた食べ物はすぐに溶解させていたし、そもそも着衣状態でしか人間を食べたことがないのだから、所々に人間らしからぬ
昼間の森では役立たずの
……ふふ、人間たちよ。存分に驚くがいい。私の容姿に失笑を浴びせられたのも一昨日までの話。
進化を
「フーカさんの体臭も再現してます。ほら」
私が香りを放つと、彼は身を
「ほんとだ。フーカの匂いがする」
わわっ、思ったより近いです。久々の距離感にときめいていたら背後から本人に殴られた。彼もついでに。
「
「痛っ、なにも僕まで本気で殴らなくても」と後頭部を押さえる彼。
笑いだしそうになるのを堪え、私は涙声で訴える。「痛かったです……フーカさん……」
ただの芝居なのだが、フーカはわずかに動揺して「あーはいはい。やりすぎたわ。ごめんごめん」と適当に謝りながら甘やかしてくれる。
彼女は私にとても甘い。暮らし始めは意思疎通できる魔物程度の扱いだったけれど、いつからか情愛の片鱗を見せるようになり、私は味を
「少しばかり嫉妬するよ」私たちの様子を眺めていた彼がぼそりと漏らす。「出逢ったのは僕のほうが先なんだけどな」
「
「だめ人間にはなりたくないなぁ~」
「そっくりなのは見た目だけだと油断してたよ」
彼は肩を
私の花粉や唾液には毒性魔力が多く含まれている。彼が近くにいるときは、気をつけるように言われていたのだった。
「クエレはうちに何しにきたの。薬は渡したばかりで、今日はお店も閉まってるのに」
留守にしてたらどうするのよ、とフーカが呆れた口調で付け加える。私も大きく
「私も
そっか。じゃあ、僕の運はよかったんだね。などと
「たまにはアイルを連れて、近郊の都市に旅行したくてね」
「アイルを連れて?」とフーカは
「うん。区域外でも絵を描きたくてさ」彼は〈収納〉の魔道具を使い、お揃いのイーゼルを取り出した。「ついでに言うと、護衛の魔術師を雇うよりもアイルのほうが強いだろう」
それを聞いたフーカが
「どこまで行くつもり?」
「トールストンの〈シンリョクの丘〉に行きたいんだ。風景画を描くにはうってつけだと美術誌で紹介されてたのを思いだして」
「ふーん、なんでこの季節に?」
「どういうことだい」
「トールストンでは毎年、〈
ある地方ではバッタとも言われ、農作物を食い荒らすので討伐対象に指定された昆虫種のことだ。
樹木の季が過ぎるあたりで活性化し、稀に人間よりも巨大な個体からなる群れが出現するのだとか、しないのだとか。
「今年の個体数は例年よりも激減しているらしいじゃないか」
「妙ですね」と私はいった。彼の発言に引っ掛かりを覚えたのだ。「魔物の情報は……」
突然、私の口がひとりでに閉じて喋れなくなる。すぐにフーカの仕業だと判明した。彼女は目配せをして首を縦に振った。
「アイルのことを考えてるなら許可しましょう。ただし日帰りね。それ以上はあんたの体調に関わるわ」
「安心してくれ。もともと日帰りの予定さ」
「
フーカが彼に
ここでいう切符とは〈
「往復分を買っておいたけど、市販の充魔器では出力不足だったんだよね」
「当然よ、生活用だもの」
「行きはフーカに頼んでいいかな」と彼は申し訳なさそうにいった。「帰りの分の指導をアイルにしてもらえると助かる」
「まったく魔女使いの荒いやつなんだから……」といってフーカが溜息を挟んだ。「アイル、〈地図〉をかけるから大人しくね」
魔法は疲れる。肺の空気が重たくなるのは共感できた。脳内に入り込む
「私に肺とかないですけどね」
「なんの話よ」
「いえ……アルラウネなりのジョークです。強いていうなら」
「はぁ? クエレに病気でもうつされたの?」
「
「自然に
「うん。褒められる僕よりは、貶される僕のほうが似合うと自覚してる」
そのやるせない表情をみて、フーカの機嫌は明らかによくなった。彼の溜息は肥料なのかも。
だからこそ彼が望んで愚か者を演じている可能性は大いにある。
……と言いたいところだが、あのひとがそこまでの気を利かせられるとは信じがたい。ジェイドなら信じた。
働きだしてわかったけど、だめだめなキャラクターを
でも二人は仲がいい。
根っこの部分はまっすぐで幹はぐにょぐにょの彼と、とげとげしい見かけで樹液は甘ったるいフーカ。似た者同士ではあるか。ほんのちょっぴりね。
なにやら湿気を
「さ、次は切符の使いかたね。……といっても、この紙切れに適量の魔力を注ぐだけで、他に説明のしようがないのよね」
彼女は困ったふうに唇を
魔道具である切符は無機物。無機物は疲労しない。ゆえに込めた魔力次第でどこまでも瞬時に移動できる。
という説明をしながらフーカは杖を切符にあてがい、
ともかく要点は把握した。私の
「こう……? あっ、あれれっ……あぅ……」
私が魔力を込めるとみるみるうちに切符が膨張していった。なんだか異常に熱を帯びてます。ヤバいやつじゃないですか?
「わーっ! 入れすぎ入れすぎ!」
「ち、違うんです!」
私は大声で否定した。絶対におかしい。魔力の操作に関しては器用なほうなのだけれど。
「まぁまぁ。アイルは魔物だし、切符との相性が悪いんだよ」
「……そうね。普通、魔力量を間違えたところで爆発まではいかないか。わけわかんない場所に飛んじゃうくらいで」
「それも十分に大事故だと思いますが」
冷静に突っ込む。すると彼は小さく笑って腕を組んだ。
「昔は切符による遭難が後を
フーカがわざとらしく口元を手で覆う。
「あら。クエレにしてはまともな考察でびっくり。知性ある魔物による悪用回避のため、あたりが妥当よね」
きみは僕をなんだと思ってるんだ。今にも聞こえてきそうなほどがっくりと
私たち捕食者への対策を
「帰りは徒歩……?」
「ははっ、いいかもね。僕の足なら二十日も歩けば帰れそうだ」
何も考えてなさそうな口調で彼はいった。日帰りと釘を
「いいわけあるか! タイムリミットがあるってのに……大体ね、トールストンで〈
「あぁ! フーカは賢いね」
「おまえの計画性が皆無なんでしょッ! 馬鹿にしてんの? ま、今回はそれでも体調面は
クエレさん、ついに「おまえ」呼びに格下げです。でも彼が誰かに怒られていると胸の中心が温まる。これも愛だろうか。降って
「難解な魔法ですね」
「戦闘用に開発された魔法は構成がややこしいのよ。効力自体は単純で、あんたの肌で感じた通り」
居場所を知らせる戦闘魔術。専門的な機関で学ぶはずの魔術師の魔法だ。これは彼女が、過去のいずれかの時期に魔術師との接点を持った事実を示唆している。
芽吹きかけた疑念は、次のひと言によって
「トールストンは〈
アルラウネの私の姿が、群青の髪の少女に変わる。人間モデルの変わり身の魔法。フーカを
ニンゲン。
ヒト。
私がなりたくて、いちばんなりたくないもの。素直な気持ちでこの姿を受け入れるなど到底できなかった。
「かわいいよ。アイルが人間だったら、きっとこんなふうに海の色を
彼はそういって、両手で群青の髪をくしゃくしゃにしては丁寧に
一音一音が
「……最近、竜の出没する回数が増えたと聞くわ。へドリスの森も、南の海岸も、トールストンの上空も……。魔女の勘というやつかしらね。魔力のないあんたの未来は〈予知〉できなくて、はっきりと言えないけれど
「僕らは大丈夫だよ。竜たちは理由もなしに他の生き物を襲わない」
「ほんとうに?」
さらにフーカは魔力を
「ほんとうだとも。僕らはこの旅では血の一滴も流さないし、死の
知ってか知らずか、誰にでもわかるような嘘を彼はついた。断言してますが隕石は無理ですよ。みえたら死んでますって。
肺がひっくり返りそうなほど深いため息に、ふふっ、という苦笑いを被せたフーカは、そっと指を離して私の頬に当てた。すこし冷たい。
少女の姿になった私は、自力で直立できることを忘れていた。立ち上がるという発想がなかったのだ。
華奢な足で地面を蹴りつけて感覚を確かめていると、フーカの視線を感じ取った。目が合う。恥ずかしくなって逸らす。
「アイル」名前を呼ばれ、肩に力が掛かる。「楽しんでらっしゃい」
何を、とは言わなかった。ただフーカに肩を叩かれると霧が晴れていくようでもあった。
「はい!」
そうしてフーカが切符を起動させる間際に、それとなく彼の顔色を
十中八九、読んだのだろうな。
彼の生活圏内で、季節の魔物の詳細な情報を
私とふたりきりで旅行したいだなんて、随分と都合のいい話だとは思ってたし。いや、小難しい憶測は根の末端にでも追いやろう。
別の場所へと
たとえ泣いて頼まれても、あなたを食べてなんかやりませんから。
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