いただきます


 そうはならなかった。


 私たちの手前で〈反射〉し軌道を大きくらした雷光は、遥か頭上の夜空にぜた。

 全身に叩きつけられた爆風と、闇に散らばる無数の羽音。バッタたちが驚いて逃げたのだろう。

 私は土の被さった上体を起こし、くち先をすぼめてふくらみを解消する。粘液に包まれながらぬるりと滑り落ちた彼は、ひどく顔をしかめていた。


「路地裏にへばりついた吐瀉物の気分を味わえたよ」

「まぁまぁ……ここが一番頑丈ですから」


 彼を格納した大顎は最もかたく、魔法への耐性にもひいでた部位だ。あの〈いかづち〉が直撃したとしても無事だったに違いない。

 脳震盪くらいは起こすかも。打ち所によっては死ぬかもしれない。より安全性を求めるなら即座に擬態部と分離させ、種子のように飛ばす必要があったか。

 一部の双弓獣(頭蓋骨の側頭部に穴が二つある種族)は尻尾などの末端器官を切り離すと言われるので、私のあぎと自切じせつできるように設計図いでんしに描き足しておきたい。

 しかしと、私は意識を反転させる。先刻の攻撃をふせいだのは人間の魔法だった。魔獣の敵意もすでに消えている。


「ひょっとして、僕たちをまもってくれたのかな」

「だといいですけど……」


 警戒をいて間もなくよい紗幕しゃまくを染め返すだいだいの〈火〉がともり、そこに術者とおぼしき老人がたたずんでいた。

 かびたみたいにすすけた朽葉くちばのローブから見える肌は浅黒く焼けていて、年相応に肉がけ、くぼんだまなじりのホクロに目をかれる。

 老人がいた杖の先端には砂時計に似た形状のランタンがひもわえてあり、歩みに合わせて金具がぎりぎりときしろいをかなでた。 


「ご苦労や。ハネツキ」


 老人は親しげに蹄獣の名を呼ぶと、角をでて落ち着かせた。ハネツキ。小さな翼にあやかって「羽根付き」なのだろうか。

 従順なようすでこうべを垂れる〈一角蹄獣ユニコーン〉を見て、飼い主はこの老人だと確信した。彼らが角を触らせるのは心の底から信頼し、あるじと認めた人間だけである。


「そこの青いの。夜のリーテリーゼは危険だと習わんかったか? 危険なのはリーテリーゼに限らんが……どうせあんたらも〈火食い虫〉の夜景を眺めにきた異邦人だろ。夜間は〈火〉をともすのが常識だぞ」


 老人が杖を振る。〈火〉の魔法に反応してあちこちが青白く点灯する。しっかりと整備されたみちが存在するようだ。

 光源は〈火食い虫〉という昆虫種である。この虫は〈火〉を食らい発光する性質を持ち、その光には魔除けの効力があるらしく、直視すると受け入れがたい嫌悪でつるの表面がささくれ立った。

 虫唾が走る、というほどでもないのは、街の魔法に慣れすぎてしまったせいかな。


「知ってはいましたが、僕は……」

 

 そこで言いよどむ。彼を注目していた老人は、んだ欠伸あくびを一つ挟み、ランタンの〈火〉は消さずに腰におさめた。

 魔力の供給が断たれるとだいだいは青白い光にむしばまれる。どうやらあれはランタンではなく〈火食い虫〉入りの虫籠むしかごだったらしい。


「不能の者か。それは申し訳ない。であれば尚更、外界では気を引きめねばならんよ」


 不能者とは失魔症患者の蔑称だが、それを意識しての発言ではなさそうだ。ふるい時代に生きた人間特有の鈍感さかな。


「責めるなら私にしてください。かれは悪くありません」


 自責の念に駆られて申し出る。あの程度の数の昆虫や、たかだか草食獣が放つ一矢ごときに手こずるようでは護衛失格といえた。


「ほう。お前さんは人間の皮を被り、人間の言葉を話す魔物かね」

「私は、アイルです」

「アイル?」

「僕が彼女に付けた名前です。〈擬人花アルラウネ〉の変異種……のなかでもさらに変わった子ですが」


 変わり者の彼にだけは言われたくなかった。


「心外ですね。私はふつうのアルラウネ」といって、少女の唇をとがらせてやる。すると彼は薄い笑みを浮かべ、うつむ きがちに首の後ろをいた。


「今のは言葉のあやみたいなものだよ。僕にとってアイルは特別って意味さ」

「トクベツ」


 褒められたとわかり嬉しくなった私は、トクベツ、と反芻はんすうさせてえつる。少々単純すぎるかもしれないと思ったり。ややあって枯れ葉をむ蹄鉄の音がした。


「恩人が挨拶にきたね」


 彼は、鼻同士を擦り合わせようと近寄るハネツキを撫でていう。次いで私のほうに。

 腹でも空かしたのか、私の匂いをぎ終えたハネツキが花弁かみのけんできた。

 

「やめてもらえませんかね」


 どこぞの鳥野郎の既視感にうんざりしながら、鼻づらを噛んでやると情けない声を上げ、飼い主のもとに逃げ帰った。

 フラれちまったみたいだな、としゃがれ声で老人は笑った。


「改めてハネツキの非礼を詫びよう。お前さんが人間を襲っていると早とちりしたもんでな」 


 ひよわな青年と人食いアルラウネの構図だ。捕食の最中さなかだと勘違いしたのであれば、その件については溜飲を下げておこうと思った。


「なんでもいいですけど、よだれがくさいです」


 これもこれで私にとっては大事だった。人間の姿でいるといつも髪の毛ばかりだめになるのはなぜでしょうか。


「〈水〉で洗ってやると言いたいが、お前さんに掛かっている魔法はちっとばかし質が良すぎる。他人の魔力でいじくると劣化するやもしれん」

「そういうことだったんですねえ。じゃあ、くさいままで」


 可愛いほうを優先した。当然である。めすは常に、美しいおんなであることを重要視するものだ。


「……僕もきみの粘液でべとべとだし、お揃いでいいんじゃないか」


 謎のフォローをしてくれる彼。一緒にべたついて何がいいんですか? それとも私の粘液がくさいとでも言いたいんですか? 

 まぁ、それよりもだ。

 私はあぎとについたハネツキの匂いをぎ取り、遠い記憶を呼び起こす。


「このけものは〈有翼蹄獣ペガサス〉の血統のようですね。ユニコーンだと思っていましたが……彼らはすでに地上から姿を消したのでは」


 老人は、あぁ、と掠れた声をだす。


「ペガサスは絶滅した。こいつは生き残りだがユニコーンとの混血でな。とうに翼としての機能は捨てちまってる」

「どうりで」


 空をける獣にしては、翼が退化しすぎていた。かろうじて名残がみられる程度の大きさだ。


「魔力汚染による気候変動が絶滅の原因だと言われているよね」と彼がいう。

「人間のせいだったんですか」


 世界では魔力汚染が進行している、というフレーズがでかでかと強調された雑誌が街の書店に並んでいたな。

 人間による魔法の使いすぎが自然の魔力に悪影響を及ぼしているのだそう。信憑性には欠けるけれど、魔力自体が希薄になりつつあるのは事実だ。近年、急速にひろがりをみせる失魔症はそのさいたる例である。

 それは単に惑星の周期に過ぎないとする説や、人間という単一の種のみが原因にはなり得ないといった否定派も数多く存在していて、陰謀論やら悲観主義ペシミズムの妄想と同じく未観測の可能性を面白がるための記事だった。稀に信じきって公共の場で魔法抑止の演説を披露する人間がいるものだから、私は望まなくして内容を覚えてしまったよ。


「一説ではな。わしらだけとも限らんよ。もともと空でも陸でも中途半端な生き物だった。グリフォンには勝てず、人間の罠やアルラウネの餌食にされちまったり……環境など変わらんでも、遅かれ早かれ淘汰とうたされたさ。現に魔法やあしの速さに特化した蹄獣は、汚くなっちまったらしい世界でも元気に生き延びてるだろ」


 しわの深い手で白亜のたてがみすくうようにく。ハネツキはかすかなさびしさをはらませて鳴いた。

 夜風が吹く。

 消化液もくつくつと空腹を告げる。場違いに大きくひびいたので、二人の反応をうかがうとしっかり視線を向けられていた。恥ずかしい。


「ごめんよ、肉はこれから探さないと」

「そうですか……」


 お互いに夜目よめが利かない生き物なので苦労しそうです、となげいた矢先、老人が肩に掛けた金属のゆみをこちらに見せた。これは確か、猟銃、というやつだ。ジェイドが一丁所持していた。込めた魔力を〈加速〉させて撃ちだす、シンプルで強い武器。


「バッタの駆除に向かいがてら、これで群狼ウルクスの成獣を仕留しとめてきた。夕餉ゆうげのアテがなけりゃ、ご馳走してやる」かたむいた銃口が、森林へと続く〈火食い虫〉の光の道を指し示す。「ベースキャンプは目と鼻の先だ。わしに付いてこい」




 

 老人の案内で訪れたベースキャンプには、簡素な造りのテントと囲炉裏いろりの他に必要最低限の調理器具が乱雑に置かれていた。

 こごえた灰の稜線がみえる炉端ろばたに腰を下ろし、開口一番に彼がいた。「恐れ入りますが、あなたは〈狩人ハンター〉ですよね」


 おこしたての〈火〉がぱちぱちと舞う。密猟、という物騒な単語を思いだす。

 まきべていた老人の手が止まり、代わりにハネツキがひづめでって寄越した。その薪を拾い、焚き火へと放り込む。火のたねが育つ。手持ち無沙汰をうったえるかのように、老人は大きく息を吐いた。

 

「そりゃ、昔の呼び名だ。狩猟の仕事はみんな魔術師に取られちまった。今では害虫駆除に落ちぶれた山猿ヤマザルよ」


 寂寥めいた火影が頬の傷痕を隠している。老人はゆっくりと手を伸ばし、した〈勘違いの花バロメッツ〉の葉に炎を移す。燃え尽きた葉身がくゆらせる紫煙を、彼は躊躇ためらわずに吸った。


「しかしおかげで助かりました」

「このへんの魔物はバロメッツの花粉に耐性があるはずなんだが、外来種のバッタどもは別でな。花粉を浴びると悪食あくじきになるんさね。根が臆病なのは変わらんから〈いかづち〉の音でおどかしてやればいい」

「悪食にさせる花粉ですか」

「バロメッツは〈幻覚〉の力を持つ植物ですからね」と私が答える。


 根が薬草である反面、葉や花粉には強い幻覚作用があり、それによる束の間の快楽を味わう嗜好品としての用途で親しまれる。一方で量をあやまると非常に高い依存性を発揮し、人間の理性を著しくそこなうため、少なくともへドリスではこの手の植物は規制対象であった。

 幻覚耐性を持つ私には独特の臭みを持つ植物……まぁ、ちょっと苦手な隣人みたいな感覚かな。

 しばらくすると、老人が魔道具に〈収納〉していたウルクスをさばき、ロクデナシの枝を差して火に通す。

 香ばしい匂いが立ちこめる。

 美味しそうだなぁ。

 人間だったら、もっと美味しそうなんだろうなぁ……。

 無意識に人間の味を想像してしまう自分がいて、得体の知れない恐怖に足がすくんだ。

 ここに居るべきじゃない。焼きあがる頃合いをみて、そっとその場を離れようとした。


「肉は食べんのかね」と老人が呼び止める。

「いえ……お小水に行きたくて」

「植物は用を足さんだろ」


 返答が思いつかなかった。やり取りをみていた彼は何かを思案するように首をひねった。


「急ぐべき用事が見つかったのかい?」

「……フーカさんがバロメッツを欲しがっていたのを思い出して。人間には厄介な植物ですし、火があるうちにみにいきます」


 私は嘘をついた。全てが嘘ではなかったが、このときの気持ちは嘘だった。彼が肉を用意し忘れたと知ったとき、気を落とすふりをしながらも内心では喜んだのだ。

 彼の前で肉を食べなくていい、これは僥倖だ、と。食わずには生きられないが、一日くらいなら我慢できる。

 今更なのはわかっている。出会いから食べ続けてきた。遠慮は不要だ。けれども、わけもなく逃げ出したくなった。

 動悸と痛みを感じた。

 おさまるまで彼を視界に入れたくなかった。自分が魔物であるという事実を忘れたままでいたかったのかもしれない。

 せめて私が、少女の姿でいるうちは。


「わかった。気をつけていっておいで」と彼は疑いもせずにいった。そこに低いしゃがれ声が混じる。「冷めても知らんがね」


 耳をふさぐようにして逃げた。できるだけ遠くに離れ、大木の下でうずくまってやり過ごした。

 私はおびえている。なにかに怯えている。

 私は弱くなった。彼と離れたいだなんて思いもしなかったのに。いつからこんなにも弱くなったのだろう?

 故郷たる森ならば、弱くなった自分をなぐさめてくれる気がした。

 森のなかに独りぼっちでいるのは随分と久しぶりで、気が楽で、とても寂しくて、どうしようもないから夜空にすがった。

 空はただ何も言わず、深い漆黒の瞳で私を見下ろしている。やけに暗いと思ったら、いじわるな雲が月光を独り占めしたのか。これじゃあ、暇潰しもできないな。



 辺りを照らす青白い光が細くなりだしたくらいに、それを辿たどり、私はベースキャンプに戻る。

 まだ火はともっていた。

 く眠りこけた彼の傍に座る。物足りずに触れてみる。手は冷たいが、身体は温かい。今のうちに食べ残しの肉にをつけるのもよかったが、こうしてもたれかかるのも悪くない。

 もう少し、このままでいよう。


『お前さんは悩みでもあるのかね』


 突然降ってきた声に驚く。知らず知らずうたた寝をしていたのか。声の主は老人だった。


「あなたは、魔物の言葉が話せるのですか?」

「風の民はみな、話せる。古来より風に道をたずね、魔物と共生し、遊牧で栄えた血がそうさせる」

「へぇ」


 生い立ちにはさほど興味がなかったので軽く流し、私は老人のほうに身体を向け、魔物の言葉で返す。


『あなたも変な人間ですね。魔物の私に悩みの有無を聞くなんて』


 私に名前をたずねた人間がいた。その人間は趣味も訊ねた。夢を訊ねた人間もいた。揃いも揃って変わった生き物だ。呆れてやるつもりが、どうにも頬が緩んでしまっていた。

 炎越しに杖を立てた老人は、目深まぶかに被った毛皮のフードを脱ぎ、冷めたウルクスの肉塊を金網に転がす。


『わしの知る限りでは、肉をこばむアルラウネなどおらんかった。おかしいのはお前さんじゃないかね』


 はっとなって固まる。


「変なのは、たしかに、私のほうかもしれません……」


 ほほう、と老人はうなり、度数のきつい酒のコルク栓を抜くと、〈大地〉でこしらえた木器に二人分ぐ。

 渡された木器を曖昧に笑って受け取り、そのまま捨てた。酒は飲めない。アルラウネに飲まそうとするな。


「ワケを話してみんか。酒のさかなになるやもしれん」


 面白半分で打ち明けるほど安い悩みではない、つもりだった。だが迷った末、洗いざらい話してしまうことにした。

 人間を食らい生きた過去。はた迷惑な彼との出逢い。山火事や逃避行を経て、魔物でありながら彼を愛してしまったこと。強さゆえに彼を痛めつけたこと。彼以外にも大切なひとができたこと。かつてそのひとたちの命を奪い、あまつさえ餌とあざけっていたのは私自身であること――今、私の心がとてもとても苦しいこと。

 私はどこから間違っていたのかも、なにを正せばいいのかもわからなくなっていて、それで……。

 吐き出して楽になりたかった。

 誰かにぶちまけたかったのだ。心の奥底に堆積たいせきした、ぐちゃぐちゃでどろどろなき出しの感情を、せせらぎに耳をますように黙って聞いて欲しかった。

 旅先で出逢っただけの、たったそれだけの縁で結ばれた他人だからこそ、おくさずに話せた。

 一通りの話を聞き終えた老人は、ぎ足した酒をあおるや否や、アルコール臭のするおくびを出し、こんがりと焼けた肉を私に食べさせようと近づける。途中で焼いてましたね。……いやいや、そうじゃなくて。


「私のはなし聞いてましたか?」

「食え」

「あの、だから……」

「いいから食え。生きることにおびえるな。腰抜けの泣き虫女が」

「だッ、誰がッ、泣いてなんかッ……!」


 いきどおり、口を開いたその空隙くうげきに肉を入れられる。血の匂いと溢れ出る肉汁。生肉より硬く、切り分けもあらいが、その分臭みは消えて下味もよく染みている。


「ウルクスの肉はどうだ」

「……美味しいですよ。好物ですから」

「不合格だ。もっと食え」


 杖で地面を叩く音が二度ばかり届き、魔法で〈浮遊〉した肉が次々と運ばれてくる。


「むぐッ……なんのつもりですか」


 入りきらない分を蔓で退しりぞける。この男は嫌がらせでもしたいのか。


「立派なあごが付いてるなら、もっとよくめ。んで、味わい、肉の熱さを感じてみろ」


 欠片ほどの悪意も宿さぬ綺麗なまなこで老人はいった。


「感じてますよ、熱いです。食べやすい温度です」


 おもむろに杖の先端を向けられる。魔法の解けた肉が、私の手元に落下する。じんわりと熱が伝わる。


「では忘れるなよ、そいつが命だ」

「いのち?」

「命はあたたかろう。この熱はな、さっき殺したウルクスがわしらに分けてくれた熱だ。命の火は死んだとてえず別の命に宿ともる。熱した肉も、冷めた肉も、ちた骨でさえも草木に養分を与え、他者を生かすようにできている。わしらの胃におさまる血肉こそがウルクスの生きた証だ。その価値を無駄にするな」


 私は声が出せず、唾を飲み込む。なんだ、この、喉のかわきは。焼けただれそうなほどの消化液の熱さは。

 うつむいて黙りこくるしかできない私の顔に、冷たい〈風〉が吹きかかる。もてあそばれた髪を押さえ、老人に目を向ける。


「……お前さんよ、生きることはそんなに恥ずかしいかえ?」

「そこまでは……」


 厚く硬い手が近づき、私の頭にぽんと乗る。大人が幼子をさとすときやなだすかすときによく使う、ほんの少し安心したり勇気がでたりする、なんでもないおまじない。てのひらが離れた後もけ残りの雪みたいに体温を感じた。


「なら、お前さんはこの先、殺した命は骨のずいまで食らえ。食えるものだけを殺せ。食らうことを恥じるのではなく、命の火を絶やすおこないや悩みを恥じろ。無駄死むだじにとは、食われずに死んだ命を指す言葉だと肝にめいじよ」


 言葉に圧倒されそうになり、私は、私のなかにたぎる純粋な感情で抵抗する。


「あなたの考えは正しいのかもしれません。でも……、私はっ、人間が食べたいんです。……いまでも」


 どれだけ耳障みみざわりのいい言葉でつくろっても、人食いの欲求はみにくかろう。


「辛抱ならんなら、初めにわしをおそえ。きっちりお前さんを殺して食卓に並べてやるからの」


 だから、全部、わしがゆるしてやる。そんなふうに聴こえた。なんとも無責任で、救われる言葉なのだろうか。

 

「はい」

「よし、えらい子だ」

「えへへ」

「命に不誠実な生きかたをするな。それだけ覚えていればいい。わしらは生まれてしまったからには、生まれてしまったのだ」

「最後のは意味不明ですよ」


 不覚にも笑ってしまった。胸がすっと軽くなった。仮に相談相手が彼でも、フーカでも、ジェイドでも私は受け入れてもらえたのだろう。なにせ身の回りにいるのは優しすぎる人たちだから。

 だが全くもって不思議なことに、このいた狩人の言葉でなければ、私という怪物は救われなかった気がした。

 フーカたちの優しさは、無垢むくで聞き取るにはあまりに遠い。

 対して老人の優しさは、血でけがれきって私の耳にもよく届く。

 狩猟とは森のおきてで生きること。死と隣り合わせの生活。生きるために奪い合い、限られた資源を分かち合う、生の最前線にて身につけた凄絶せいぜつさを年の功とくくるのは失礼かな。

 太陽と違って、人間はひとりじゃない。フーカが教えてくれた言葉の意味がやっとわかった。

 栄養不足がひとつ解消されたみたいだ。しかし成長と呼べる段階に至るには足りないのだろう。

 ゆっくりでいいのかな。

 うてみても、やはり夜空は口をつぐんでいる。息を吸う。炭の匂いがして、その根元に私を生かす命が眠っているのだと思うと、生への感謝が言葉をつむぐ。


「いただきます」

 

 私はウルクスの肉をかじる。頬っぺたが落ちてしまうくらい、格別の美味しさで、骨まであまさず味わった。




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