フーカさんを知りたくて

 私を連れ出したフーカが向かったのは、マナの木の並木道を抜けた先の「イバ商店」だった。

 個人経営の店らしく一般家屋の名残なごりがみられ、店主のイバは冷えた炉端ろばたでくつろいでいた。

 灰とイグサの香りが入口にまでただよう。

 飼育魔道具専門店フリークスショップうたうだけあり、堅牢な魔物用のおりや首輪などが陳列されている。持ち運びが困難と思われるサイズの商品も混在しているが、そこは〈縮小〉の魔法あたりで解決するのだろう。


「なにを買いにきたんですか?」


 主に樹木種と称される魔物の生育に必要な肥料ひりょうぎ比べるフーカにたずねた。

 買い物に付き合ってもらうとは言っていたが、肝心の目的を知らされていなかった。


「あんたの首輪でも買ってやろうかと思ってね。いつまでも違法飼育じゃ、立ち行かないでしょう」

「そういうことでしたか」


 許可証付きの首輪が手に入れば、私たちは日陰でこそこそとした生活を送らなくてもよくなる。

 しかし、意外だと思った。

 彼女は何かしらの魔物を自家栽培するつもりで、それでアルラウネである私の知恵を借りるべく同行させた、と予想したのだが違ったようだ。


「許可証付きなら首輪じゃなくてもいいけどね。アルラウネ的にはどんな拘束具をご所望で?」

「望みといわれましても」

 

 もとよりアルラウネは生粋のナチュリズムだ。着たい服も付けたい拘束具もない。第一、拘束具を付けて欲しがる魔物はいない。

 蔓性植物の要素を含むので、支柱にくくり付けるという意味合いをねてひも状の拘束具だろうか。そのむねを伝えると、フーカは納得した後で首を振った。


「さすがに紐はないわ」

「ですよね」


 魔物の皮膚組織を繊維状に引き伸ばしてめば、ある程度の強度を持つ紐をこしらえること自体は可能だろうけど、需要に対して手間がかかりすぎる。

 浅く息を吐き、イバのほうを見やる。さっきからこちらに向けられる視線が鬱陶うっとうしい。


「あんまりじろじろ見ないでくれる?」とフーカがいった。腐肉にたかる昆虫を追い払う際に浮かべるような表情だった。

 我に返ったイバが自身の下顎をみながら、ばつが悪そうに視線をななめにずらした。


「……すまねぇな。野生種のアルラウネを連れてるやつを、こないだ見かけたばかりでね」


 思わず、それは私です、と答えかけてこらえる。他意はなさそうな口ぶりで安心した。


「ふうん、アルラウネにおすすめの首輪があればいいんだけど」

「それなら天然素材の首輪がおすすめだ」イバが腕を振ると、端のほうの売り場がかすかに発光した。「あとな、おれの店は魔法厳禁だ。貼り紙に書いてあるだろ」

「あんたも使ったじゃない……」


 呆れた口調になりつつも、フーカは店のルールに従い〈浮遊〉を解除する。私は遠慮がちにつるを伸ばし、彼女の背中にお邪魔させてもらう。うなじから甘ったるい匂いがして、あぎとおさまりきらない粘液がれてきた。

 久しぶりに若い女の肉が食べたい。なんていう劣情(魔物としてはこれがしっくりくる)をいだいていると、歯を立てるな、とフーカにたしなめられる。無意識にんでいたみたいだ。あぶない、あぶない。


ねえちゃんの好みを否定するわけじゃねえが、そいつは飼育には向いてないぜ」

「この子は無害よ。人れしてるし、ほらっ」


 フーカにうながされて、私はイバにつるを振った。


「ワタシ、ヒト、スキデス」

「お嬢ちゃん……でいいのか? あんたは昔、誰かに飼われてたんじゃないか。その姉ちゃんにはなついてなさそうだが」


 魔物に関わる魔道具の売買を生業なりわいとしているだけあって、イバは私たちの関係性をあっさりと見破った。正しくは現時点でも飼われているのだけれど。本当の主人がフーカではないことは確かだ。


「え、あんた、あたしに懐いてなかったわけ?」


 それなりに顔合わせてるんだけど、と彼女は不満げに唇をとがらせた。フーカがいい人間だというのは百も承知だが、魔物わたしにとっていい人間であるかは全くの別問題である。

 私にとっていい人間であったとしても、いつか彼を取られるのではないかとはらはらするめすの自分がいて、名状しがたいもどかしさにさいなまれる。しかしながら私もお世辞くらいは覚えた。


「ワタシ、フーカサン、ダイスキ」 

「あたしのことは食べようとしないもんね」

「肩に唾液ついてるが」


 すかさずイバが突っ込む。よだれらした箇所をぬぐい取る現場を見られたか。


「あんたねぇ、これ余所よそ行きのローブなのわかってんの?」といって、フーカが杖を握ったままの拳を私の口内に押し込めた。

「ぐうぇッ……」

 

 アルラウネのあぎとに腕を入れるなど危険極まりない行為だが、いきなりそんなことをされると嘔吐えずいてしまう。


豪胆ごうたんというか、命知らずというか……仲良さそうで何よりだ」


 イバは説得を諦めたようだった。賢明な判断だ。フーカにしろ、彼にしろ、基本的な恐怖心が欠落している。

 彼はともかく、フーカは魔物との線引きをおこたらない人間だ。先ほどの行為も、愚行ではあるが決して無謀むぼうではないことを私は知っている。

 杖を握ったままだったということは、何かあれば魔法を使用する意思の表れだ。彼女は本心から私を信用していない。反撃の可能性を想定し、じ伏せられると見込んでの行為なのだろう。

 愚昧ぐまいという言葉は、彼のように何の力も持たないくせに、人食いの魔物を心底信用しきった人間にこそ相応ふさわしい。

 それからフーカは適当にシンプルなデザインの首輪を掴み、「これでいい?」と私にたずねる。

 控えめに頷き、値札をみてから仰天する。ひと言でいうと私の身体よりも高価だった。これでは違法飼育の一つや二つしてやりたくもなる。魔物の飼育が金持ちの道楽といわれる所以ゆえんだな。

 二人で顔をしかめていると、イバがわざとらしくしわぶいた。


「トールストン製の新作ならお試しで無料にしておくが……」


 以前と同じ提案をする。商人は利己主義の権化であるから、イバが不利益をこうむることはないのだろうけど。

 わずかな商機すら逃そうとしないあたり、とりわけイバには食肉植物のげた進化との近しさを感じる。実際、金銭がからむと人間は魔物になりがちだ。アルラウネの私がいうのだから間違いない。


「いいの? 魔法が〈解呪〉されてるみたいだけど」


 イバの差し出した首輪を受け取ったフーカが、それを指の腹でなぞりながらいった。

 今度はイバが顔をしかめる番だった。


「マジか」

「マジよ。嘘ついてどうすんの」


 記憶が正しければ、〈戒律〉の魔法がかかっている首輪だったはず。魔法がかれているのなら、私にかなかった理由に説明がつく。

 手元にある〈識別〉の魔道具で首輪を調べ、彼はがしがしと頭をいた。


「……今まで気づかなかったぜ。まだ一個しか売れてないのが幸いだが……」


 未だに半信半疑といったふうにイバがいった。


「禁術のたぐいになるから、普通の人間は気づけなくて当然よ。恥じることではないわ。即刻、魔法犯罪として師団に通報すべきね」


 解呪ディスペルはかけられた魔法を魔力に還元かんげんする効力があり、それ自体に危険性はないのだが、魔術文明に依存した人間社会では禁術として見做みなされた。

 もし首輪に使えば魔物は野生を取り戻し、建物に使えば崩落してしまう。レプリカとも呼ばれる、〈復元〉によって修復された四肢や臓器がある人間に使おうものなら、直ちに致命的な結果をもたらす。


「やー、でもこいつ、師団が仕入れてきたモンだぞ」

 

 イバは不機嫌に腕を組んで反論する。ややあって、フーカは翡翠ひすいの目をしばたたかせた。「どういうこと?」


「どうもこうも、師団の上のやつが、捕獲用に開発したものを使ってみてくれとおれに言ってきたんだ。しかもそのうちの一個をわざわざ自分で買い取ってな……目ン玉飛び出るぐれえの値段でよ。おかげで無料配布ができたわけだが」


 いかにもきなくさい話だと思った。ようやく合点がいったと言いたげに、フーカは緑杖を指でまわした。


「ひょっとして、あんたの店、さび止めやらの魔術加工は自分でやってる?」

「そうだ」

「利用されたんですね」と私が口を挟んだ。「魔力の痕跡を消すために」


 複数の人間を経由して魔力の痕跡を消そうとするのは、魔術にけた人間による魔法犯罪の常套手段だ、という注意喚起をうながした記事が新聞にもせられていた。


所謂いわゆるロンダリングってやつね。魔物でもわかるくらいの見え透いた手口に引っ掛かるなんて信じらんない。誰に売ったのかあたしに教えなさい」

「顧客情報は漏らせねぇよ。こっちは信用で食ってんだから」

「あのねぇ……最悪、あんた冤罪えんざいで捕まるわよ? くだらない矜持きょうじなんか魔物にわせたほうがましだと思うけど」


 彼女はいら立ちを隠そうともせず、おどしをかけるようにせまった。

 悩んだ末に観念したのか、イバは無精ひげさすりながら声をひそめて白状する。

  

「……バルタザール卿だ」


 聞きおぼえのない名前だった。しかしフーカには心当たりがあるようで、意味深に口元を動かしていた。


「あー……納得いったわ。黒い噂は聞いてたけど、まさか首輪に細工をしてたとはね。魔獣テロでも起こす気なのかしら」

「なんでもいいが首輪規制は勘弁かんべんしてくれよ。ただでさえ客足が少ねえのに、店をたたまなきゃならなくなる」

「お金に目がくらんだ守銭奴をかばいたくはないけど、民間人が巻き込まれるのは避けたいわね。……そういや、あいつは〈闇〉専門の魔術師だっけ」

「〈闇〉といえば」


 半年前に私たちを尾行したのも〈闇〉の魔法で生み出された使い魔だった。偶然にしてはできすぎか。


「クエレも面倒な魔術師に目を付けられたものね。ま、ここで許可証を頂戴すれば、心配する必要なくなるんじゃない?」


 その言葉にうなずいた直後、つるで魔法を識別したときの感覚を思いだした。


「……気になることがあります。私がさわったときは、魔法がかかっていると思ったのですが」

「それはあんたの識別能力が鋭敏すぎるせいで起きた、ただの勘違い。残り香みたいなものに反応したんでしょう」とフーカがいった。「裏を返せば、この首輪が第三者の手によって〈解呪〉されているのは間違いなさそうね」


 胡乱うろんな者でもみるかのような目つきで、イバがたずねる。「随分と博識なようだが、あんたは何者なんだ?」


「フーカ・エリクシャ。名前くらいは知ってるでしょう」


 私に名乗ったときと変わらない音調で、なんとなくそれに頬がゆるんだ。


「あぁ、魔法薬のか」とイバが間の抜けた声でいった。「……あんたも苦労してきただろ」

「べつに。大した苦労はしてないけど」

「そうかい、ならいい」


 短いやり取りを終えて、結局、識別代金ということで旧式の首輪を無償でゆずってもらえた。定期的なメンテナンス(魔法の重ね掛け)が必須なため、多少の維持費は覚悟せねばなるまい。覚悟するのは私ではなく、彼なのだが。

 何にせよ、これから私たちは大手を振って娑婆しゃばを出歩けるわけだ。フーカには感謝してもしきれない。

 彼女の背中でひとり盛り上がっていると、フーカはやれやれと溜息をいて店外に出た。閉まりかけた扉の隙間から、ぼそりとしたイバのつぶやきが抜けてくる。


「アルラウネ流行はやってんのか……」


 いえ、流行ってはないと思います。彼がアルラウネ用の商品を仕入れない未来を願うばかりだ。





 帰りがけに私は、ある事柄についてただそうとした。


「……あの。フーカさんの名前のことで、人違いなら失礼なんですが、新聞にもっていて……」


 賢者の系譜けいふであるエリクシャ家の才媛さいえんとして有名な彼女だが、たびたび好ましくない方面で話題にのぼることがある。


「あたしのお母さんが魔法犯罪者なのは事実よ」とフーカは簡潔にいい、からかうみたいに口角を上げた。「魔物のくせに人間を気づかってどうすんの」


 過去に毒性の強い魔法薬をあやまって頒布はんぷし、多くの人命をそこなう大事故をまねいた責任者として逮捕されたのが、フーカの母親にたる人物だった。


「気遣ってはないです。人食いの私にとってはどうでもいいことですから」

「なんでいたのよ」

「フーカさんを知りたくて」 


 私は魔物でありながらフーカにあこがれていて、嫉妬もしている。だから彼女のことを知りたいと思うのだと、そう自己分析する。知ったところで人間になれるわけでもないのにね。


「ほんとは肩身のせまい思いをしたり、いじめられたりはあったけど、ふたりに比べたら魔法の才能があっただけめぐまれてると思うの。それにあたしは可愛いし」


 ふたり、というのは彼とジェイドを指しているのだろう。


「自分で言いきりますか……可愛いのは認めますけど」


 容姿端麗ようしたんれいのほうがてきした表現だけれど、そこを訂正するとより認めてしまうようで嫌だった。

 しばらく風波かざなみ揺蕩たゆたう落ち葉のように不安定な〈飛行〉を続けたフーカは空中で静止し、〈浮遊〉させた私を正面から見えた。


「アイル」


 彼女に名前を呼ばれるのは初めてで、わけもなく緊張する。


「はいっ……」

「あんた、夜ってどうしてるの?」

「どうしてるとは」

「クエレと一緒に寝てるの?」

「寝てます」

「毎日?」

「毎日です」

「舐めたりしてない?」

「えっと、まぁ、たまに……」

「そう……」


 フーカの表情にかげがかかる。何かを言いかけ、そのまま飲み込んだみたいに喉を鳴らした。

 胸騒むなさわぎだろうか。嫌な予感がする。げた灌木かんぼくの臭いがよみがえって、私はあぎとを強く噛みめた。





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