馬鹿はそんなに悪いですか


 その時、夕空のくらがりがぼんやりと彼の家を照らしていた。めかけの悪夢にもみえる景色を、はっきりとおぼえている。

 施錠された扉を叩いても返事がなかった。フーカの顔が思いつめたようにこわばる。

 嫌な予感が止まらない。

 こういった予感というものは、往々おうおうにして本人のもっとも望まない形で的中してしまうものだ。

 仕方なく魔法で〈開錠〉し、中に入ると床にうずくまって胸部を抑える彼。点々と彼のものと思われる血痕が目にまり、ただならぬ喘鳴ぜんめいが聴こえてきた。

 甲高かんだかい悲鳴じみた声を上げ、フーカが彼の名前を呼んだ。しかし彼の反応はない。

 フーカが駆け寄り、彼を抱きすくめた。紫がかった唇の端でかわききっていない血がしたたる。

 意識が混濁こんだくしているため意思疎通のままならない彼に向け、彼女は何かの呪文を唱えだす。解毒効果のある魔法だろうか。私も二本のつるを伸ばし、彼の容態を調べようとした。


「あんたは近寄るなッ!!」


 鋭い声がさる。すぐに詠唱を中断したフーカの魔法で、私は伸ばしたつるごと壁際まで吹き飛ばされる。


「うぅ……」


 酷く身体を打ちつけた痛みにうめきながら、私はフーカをにらんだ。次いで殺傷能力をいだ魔力を弾丸にして放つ。ささやかなる抗議のつもりだったが、彼女は無視して〈解毒〉を再開した。

 失魔症はえず魔力を失い続ける病であり、患者自身に魔法をかけても分解されてしまうことを思いだしたのか、舌打ちを一つはさむと虚空こくうから魔法薬の瓶を出現させた。

 コルク栓を抜き、どろどろの液体を少しずつ彼の口内に流し込む。嚥下えんげがうまくいかずこぼれたものを含め、四分の一ほどを飲み込ませたあたりでフーカが口を開いた。


「〈森毒〉の症状よ。それもかなり進行してる」


 森の魔物が原因とされる魔力中毒の一種だ。症例には猛毒のアルラウネとの接触歴が多く、その別名は〈アルラウネ症〉である。


「そんなはずは……だって私には毒は……」


 肉食性のアルラウネは、進化の過程で捕食機構と高い魔力を得たことにより、不要となった猛毒を捨てたはずだった。


「そうね。あんたに猛毒はないわ」

「ならどうしてッ……!」

「でも毒はあるのよ。アルラウネの毒は魔力由来のもの。生物毒と似て非なるのは当然のこと。あんたの親戚しんせき……といっていいのかわからないけど、草食性のアルラウネはを濃縮した毒液で体表を保護している。つまりあんたたちの魔力は、何もしなくても毒素なの」


 アルラウネ種の母体として知られる草食性アルラウネは、花弁と細い触手を有する以外に私との類似点が見当たらない。根を退化させ、蠕動運動ぜんどううんどうによっていまわり、植物でありながら植物を餌とする。これが本来のアルラウネという魔物である。

 私に名前がなかった理由は、私の種はもともと魔物として生まれたのではなく、この草食性アルラウネの餌として繁殖するよう、アルラウネ自身がいた自我なき植物に過ぎなかったためだ。

 今、こうして私が思考できているのは、先祖が突然変異によって魔物化してくれたおかげだった。

 つまるところ何が言いたいのかというと、私は猛毒のアルラウネから生まれてきたわけで、その毒の一部を受けいでいてもおかしくないということ。だが私は受け入れられなかった。どうにかして否定しようと記憶を探る。


「万が一、私の魔力に毒があったとしても……魔法医学の文献によれば、私の種による症例はゼロじゃないですか」

「じゃ、あんたが一例目」と彼女は冷たく言い放った。「あたしたちは〈霊的中枢〉と呼ばれる器官で魔力を生成しているんだけど、ここには免疫みたいな機能があって、無意識のうちに抗体を作ってくれているの。あんたくらいの毒だと赤ん坊でも無毒化できるから、実質的に無毒ともいえるんだけど……」


 フーカの言わんとしていることがわかってしまった。確かに私は無毒なのだ。魔力を持つ人間にとっては――という大前提において。


「かれが失魔症だから」 


 魔力がない彼は、同時に抗体もない。赤子ですら無毒化できる程度の毒にさえ、対抗できず身体をむしばまれるのか! 


「失魔症は魔力的な免疫不全でもあるのよ」


 魔法には耐性があるんだけどね、と彼女は付け加えた。私の毒は魔法じゃない。ゆえに彼にも効いてしまう。〈森毒〉は水面下で徐々に進行し、臨界に達するとせきを切ったように次々と深刻な発作を起こした後、最終的に発症者の命を奪うとされている。

 失魔症と異なり魔法薬による治療法が確立されているとはいえ、長期的な服薬を必要とするほか、原因となる魔物との接触を避けなくてはならない。


「ええっと……」


 私はうつむいた。俯くことしかできなかった。あんたはわかってるでしょうけど、とフーカがいう。

 

「クエレとは離れて暮らしてもらうことになるわ」 


 目の前が真っ暗になった。動悸どうきの激しさに息をするのもやっとで、息苦しさから逃れようと身をよじった。


「……嫌っ、……です……」


 彼と離れて暮らす? この人は何をいっているんだ? と耳を疑った。言葉の意味などわかりたくもなかった。

 なぜもっと早く、私に言ってくれなかったのだ。これほどまでに進行しているのなら、どこかで初期症状があったはずだ。

 薬の量が増えたのも、フーカが頻繁にやってきたのも、二人で出掛けることが増えたのも、それがそうだと言うつもりか。


「クエレが死んでもいいわけ?」  


 責め立てるように語調を強めるフーカに合わせ、彼の喘鳴ぜんめいが悪化する。


「それはぜったい……いやぁ……」

           

 普段なら駄々をこねる子どもと区別がつかないと自嘲するところだが、これが精一杯で、ありったけだった。あとは嗚咽おえつを噛み殺した声しか出てこなかった。

 

「あんたは自分の強さを自覚しなさい」とフーカがさとすようにいった。「弱い生き物にしてみれば、強い生き物っていうのはね、ただ存在するだけでも暴力なのよ」


 私は耳をふさいだ。引きちぎってしまおうかとも思った。彼女の告げた真理こそが、私にとっては暴力だった。

 絶望に打ちひしがれ、しおれた花のように首をらした。

 私がそばにいるだけで彼を痛めつけてしまうのなら、私がいなくなる以外に手立てが見つからなかった。

 彼が弱く、私が強かったせいだ。どちらかが欠けていたとしたら、こんなことにはならなかったのに――。

 どちらかが欠けていたとしたら? そこで、私はひらめく。


「……私の魔力がなくなればいいんですね?」


 考えてみれば、単純な理屈だ。私の魔力が彼を苦しめる諸悪の根源なのだとしたら、そのしき根を断ち切ってしまえばいい。

 フーカの話でいうところの霊的中枢(魔力の心臓)とやらを破壊し、私も魔力を失えば問題は解決する。

 ゆらりとあぎとを持ち上げ、魔力をまとわせて強化する。人間が自分自身の鼓動を感じ取れるように、私は中枢の大体の位置を知っていた。

 自分でいうのもあれだが、私の再生力は驚異的であるから、念のため完全に破壊しくしたほうがいい。そう思い、最大限に膂力りょりょくを引き上げた大顎の無数の荊棘けいきょくを擬態部に食い込ませた。

 表皮をつらぬいた荊棘は、中枢をまもかたい内皮にまで一撃で到達する。痛みに顔がゆがむ。体液の苦みが口内にひろがる。これも彼と暮らすために必要なこと。しのぶのは容易たやすい。

 中枢をひと思いにみちぎる寸前、虚空からあらわれた金属の腕につかまれる。〈座標〉の魔法か。忌々いまいましい。


「そうはさせねえ」


 空間を引きがすようにしてジェイドが室内に割り込んでくる。それに構わず、あぎとを支える蔓を振りまわした。

 しかしどれだけ乱暴に振りまわしても、万力のごとく締め上げる巨腕は微動だにしない。


「離してくださいッ!」


 なんで私の邪魔をするのだ。魔力の吐息を漏らしながら抵抗する。掴まれたあぎとごとジェイドの身体を持ち上げ、力任せに地面に叩きつけた。生身であれば絶命するほどの威力だが、この男がそれでえる人間でないことはわかっている。

 

「頼まれて離すならここに来ねえだろ」


 ふらふらと立ち上がりながらもさらに巨腕の握力を強めた。魔法で衝撃を緩和したようだ。

 当然だ。これでも手加減している。魔物が本気で殺しにかかれば、人間ごときの魔法では到底かなわない。敵わないからこそ魔術師という職業が成り立つのだ。

 私は強引に蔓をひねり、金属の手首に噛みついた。


「これは警告です。その手を退けないというのなら、み潰しますよ」


 言いながらあぎとに力をめる。激烈な生存競争を勝ち抜かんと獲得した圧倒的な咬合力。それによって金属はみしみしときしみ、いくつかの棘が折れてしまうが、着実に破断へと向かう負荷をかけていく。


「やれるもんならやってみろ」


 ジェイドはひるまず、凄まじい殺気で対抗する。収拾がつかないまま殺し合いに発展しそうなくらいの雰囲気だ。そうなれば彼を悲しませるだろうけれど、今は挑発を受け流せるほど冷静ではいられない。

 たかぶりが極まったところで急に身体に力が入らなくなる。同様にジェイドも巨腕をだらりと垂らし、片膝をついて動かなくなった。視界の隅でフーカの杖が光を発していた。私たちのにごりきった空気を〈弛緩〉の魔法が清めてくれたのだ。

 

「あんたらが争っても病気が治るわけではないでしょうに。クエレが余計に苦しむってわからない?」と彼女は私たちをなじった。「アルラウネの構造はよくわかってないし、魔力を失った魔物のほとんどはすぐに死んでしまう。特に外傷だと魔法で再生できなくなるから……あんたも死ぬわよ」


 反論できずに項垂うなだれていた私は、やはり納得できなくて顔を上げる。


「離ればなれになるよりはいいです」


 嘘偽りない本心だ。死など怖くなかった。それよりも彼と居られなくなるほうが怖かった。


「おまえが死んだらクエレが悲しむだろうが」


 ジェイドはそういって魔法を中和し、よろめく体勢を整えた。

 どいつもこいつも正論ばかりで攻撃しやがって。何ひとつもさない正しさはうんざりだ。


「やってみないと分からないじゃないですかッ……!」


 今まで必死に食欲を我慢し続けて、その結果、彼を苦しめていただけだなんてあんまりじゃないか。


 そんなの絶対に認めたくない。


 怒りと共に膨張する魔力が石床せきしょうを派手にめくり、底から巻き上げた砂泥を鎖状に変形させてジェイドの首をめた。私の攻撃に眉ひとつ動かさなかったが、その両足は宙に浮いている。

 頸部が砕けないよう〈強化〉したらしいが、魔力量で劣る人間が力尽きるのは時間の問題だ。それに根競こんくらべで私が負けるはずがない。だがいつまでも均衡きんこうを保たせる道理はなく、ジェイドをあやめることも目的ではないので、すみやかに霊的自殺をこころみようと〈大地〉の槍の矛先を私自身に向けた。


「だめだよ、アイル」


 彼の声がした。弱々しくせた声。病による痛ましさを実感させられ、私の激情に拍車をかける。

 しかしそこに一陣の〈風〉が吹いて、絵画の破片が根元あしもとに運ばれる。御守りの羽根飾りの仕業しわざだ。

 無惨にもぐしゃぐしゃになった彼の作品をみて、私は正気に戻った。作品を壊すことは、彼を殺すことと同義である。

 なんてことをしてしまったのだと、後悔の念が朝露あさつゆのように身体を伝って私の熱を冷ましてゆく。


「ごめんなさい……」

 

 懺悔ざんげの言葉が口をいて出た。愛しい人の亡骸なきがらを抱き締めるように、割れた額縁とやぶれた画用紙をかき集める。本当はなにをゆるされたいのか自分でもわからなかった。

 フーカは深いため息で返した。


「これだから強いヤツは困るのよ。何でもかんでも力で解決しようとする。馬鹿で粗暴で短絡的。救いようがないわ」


 確かに私は馬鹿かもしれない。

 最善策を取るなら、そりゃあ、おとなしく森に戻るべきだろう。けれど二人で暮らすことの楽しさを知って、今更、ひとりで森で生きるのは嫌だった。

 嫌だったから馬鹿なりに考えたのだ。

 私の強さが彼の苦しみの原因だとして、その強い私が、弱い彼とこれからも一緒にいるためには今ある牙を抜くしかなかった。


「馬鹿はそんなに悪いですか……でも仕方ないじゃないですか……私にはっ、これしか……」


 これしか思いつけなかったのだ。彼を傷つけないやり方で、私が幸せを手にするにはこれしかなかった。彼と同じ失魔症になるしか……。


「ほんとに馬鹿ね」とフーカが笑った。「知性があるなら他人を頼りなさい」


 声にでられた感覚がして、その柔らかさに背筋があわ立つ。根元あしもとに首輪が投げられた。


「今日からあんたは、あたしのペットよ」


 全てはこのための行動だったのだとようやく理解し、胸の奥がじんわりと温まって、末端に生じたしびれをよろこんだ。

 涙は流せないけれど、もしも私が人間だったら、彼らの姿はひどくにじんでいたのかもしれない。


「あのっ……お願いします」


 首輪をめ、彼女に深く礼をいった。


「言っとくけどクエレに会わせて欲しけりゃ、あたしに絶対服従でいること。たまに魔法薬の材料にもなってもらおうかしら」 

「虐待じゃないですか」

「主人に不満でもあるわけ?」

「いえ、全然」

「よろしく。ま、あんたが嫌がっても、初めからそういう取り決めだったけどね……クエレ?」


 目を覚ませというふうに、フーカが彼の頬を二度叩いた。


「……うん。アイル、黙っていてごめん。もっと猶予があると思ってたから、きみにはぎりぎりまで知られたくなくてさ」

「そこはいいんです」


 むしろ嬉しかった。二人で出掛けていたのが、恋愛がらみのやましい理由ではなく私のことだったから。

 そうかそうか、交尾してなかったか。交尾くらいはどうでもいいけどね。彼がフーカを好いてさえいなければ。


「おまえら俺の心配はなしか」


 ジェイドの文句が聞こえたような気がしたけれど、私たちはこれを黙殺した。なごやかな笑いに包まれる。

 ひとしきり笑いながら、これから彼との日常を失ってしまうことを思い、心にぽっかりといた穴が痛かった。

 でもこの大きな空洞を埋めてくれるものができた。大切なひとは、彼だけではなかったということ。

 ワタシ、フーカサン、ダイスキ。なんて言ってみたり。



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