愛してもいいのでしょうか


 だからといって以降の空気が険悪になったとか、そういうことはまるでなく、作業台の清掃を終えると普通に談笑をする二人の姿があった。

 私だけがわだかまりを解消できずにいたのだが、工具の代わりに夕食が並ぶ頃には消化してしまった。

 どうすることもできないほどに、私は魔物なのだ。食事ができればそれでよくなってしまう。大量の肉を焼いてくれたので、ジェイドはいい人間だと思った。

 彼はちょっとしか与えてくれないのが不満だけど、たくさん構ってくれるので、どちらかを選ぶなら彼がいい。

 そんなことを考えながら食事をませ、彼と一緒に髪の結びかたを試行錯誤していた。

 自身の入浴後、私たちに今晩の宿泊をすすめたジェイドは右腕の整備にいそしんでいる。

 手を止め、葉巻をくわえなおしたジェイドは、発明品のライターを作業台の脇にどかすと盗聴防止の魔道具をこちらに投げた。


「おまえら、どこで追手にバレたか心当たりあるか?」

「昼間のパレードでしょうか」

「僕もそう思う。師団が近くにいたのはそのタイミングだった」

「パレード? だったら妙だな。〈人型〉の使い魔は地上では厄介な代物だが、空中の標的には無力だ。ましてや人間は空を飛べる。失魔症患者を含めても、純粋な数でいえば、この世界の人間はほぼ全員が飛べるといっても過言じゃない。〈浮遊〉や〈飛行〉は義務教育で習うからな。だから普通、人間相手は空中に対応した使い魔を送るはずなんだ」


 ジェイドの疑いはもっともだった。魔術師は魔法社会における有資格者だ。あらゆる状況下で最適解をみちびけるように訓練されている。それが上位の魔術師ともなれば、平凡なミスを犯したとは考えにくい。


「失魔症を見抜かれたのかも」といって彼はコップに水をみ、ちまちまとすすった。

「その可能性はある。ただパレードの人混みじゃあ、いくら魔術師でも誰が失魔症かまでは分からないだろ」

「言われてみれば、そうですね」


 魔法を使いこなす生物なら、相手が失魔症であるかどうかは容易に見抜ける。しかし集団のなかの一人を特定するのは難しい。黒色の絵の具に垂らした一滴の白と同じだ。割合が均等なら目立つけれど、黒い人間の数が増えるにつれ、白い彼は人混みに攪拌かくはんされて希薄きはくになる。

 

「だからよ、追手として最も考えられるのは……クエレ。おまえの知り合いか、知り合いと繋がりのある人物だ」


 ジェイドの核心をいた発言に、その場が静まり返る。ややあって、彼が重々しく口を開いた。


「ジェイド。僕の交友関係のせまさをめないでくれるか。僕が失魔症だと知る人物なんてほとんどいないぞ」

「ま、そうだろうな。おまえは人を信じやすいから、忠告しておくが、俺たちもその一人だということを忘れるな」

「……フーカも?」

「あぁ。あいつに限ってそれはないだろうと言いたい気持ちはある。しかし魔術の天才という事実まで考えるとゼロじゃない。あいつじゃなく俺だという可能性も大いにある」


 握りしめたドライバーを卓上で無意味に回転させ、ジェイドは冷静に分析する。先入観にとらわれず、自分の恋人にすら猜疑さいぎの目を向けられるとは恐ろしい男だ。


「ジェイドは違うよ」


 脊髄反射といったふうに彼が否定する。ジェイドはドライバーを手放し、あき れ混じりの息を吐き出す。


「人の話聞いてないだろおまえ……アイルだったか。クエレはこういう奴だ。はなから期待しちゃあいない。今の話はおまえに聞かせるためにいったんだ。言葉を理解できるならわかるな?」


 思いがけず話を振られた私は、首だけで返事をした。


「……かれが失魔症である情報さえ持っていれば、追手が知り合いである必要はないですからね。ただ、やはり私もあなたがたであるとは考えにくいです。通報するメリットが皆無なので」

「世の中には色んな人間がいるからな。個人的なうらみを晴らすため。他人の不幸をたのしむため。ストレスの発散。所構わず正義を振りかざす正義中毒者。罰を与えることそのものがメリットの人間もいる。魔物には難しいか」

「はい……」


 アルラウネは仲間の悪事をあげつらい弾劾だんがいしたりしない。私たちの根は、自重を支えるくらいで精一杯。

 比べて、人間は他者を支える余裕がある。なのに他者に指を差さないと生きていけないほど、心に余裕のない生き物でもある。皆がみな、一貫して矛盾しているようだ。

 考えすぎて頭が痛くなってきた私が顔を上げると、ジェイドが柔らかい表情で私に話しかけた。


「おまえの直感が的外れってわけでもないがな、アイル。さげすまれたり、嘲笑わらわれることはあるだろうが、クエレは恨みを買うような人間じゃない」

「ですね、あなたは、私の自慢のご主人様なので」


 私はうなずき、彼に視線を送った。


「やめてくれ。二人して褒められると居心地がわるい。罵倒してくれたほうが気が楽だ」

「変態ですね」


 私とジェイドの声が重なった。ほんのちょっぴりだけ、人間と分かり合えたような気持ちになる。


「話は変わるが、クエレ、師団関連の新聞は読んでるか?」とジェイドが彼にたずねた。

「読んでないよ」

「だろうな。ここ一年分だが、おまえにとって重要そうな内容をわざわざフーカが集めてくれたらしい」


 ジェイドはそういって経年劣化により寸法のずれた抽斗ひきだしから新聞の束をつかみ取り、〈浮遊〉させた紙袋に入れて寄越す。ふわふわとただよう紙袋を、彼が払いのける仕草で返した。


「要らないよ。失魔症の僕には師団の情報は無価値だ」

「おまえの幼馴染のことだ。読まないと絶対に後悔すると思うぜ」

「それだけは読みたくないんだよ!」と彼が声を張り上げた。「……わかってくれ」


 激情をあらわにする彼に、私はびくりと反応してしまう。


「……じゃ、アイルに渡しとくからな。興味がでたらでいい。フーカのためにも読んでやれ」

「ジェイドッ!」

「アイルが読みたいならいいだろ? 読みたいだろ、おまえ、クエレに関わることだしな?」

「えぇ、まぁ……」


 ほとんど強制的に新聞の束が入った紙袋をつるで受け取った。つまり、蔓で触れてしまった。

 否応なしに、私はジェイドの嘘をあばいてしまう。

 新聞にはフーカの魔力の痕跡がなかった。魔力の残滓というものは指紋みたいなもので、簡単にいつわることができない。

 

 まったく人間は、素直じゃない生き物だ。





 翌日。太陽がのぼりきった頃に遅めの朝食をり、私たちはジェイドに連れられて工房の外に出た。


「おまえらに翼を貸してやる」


 ジェイドが薄雲うすぐもの快晴をあおぎ、金属のゆみで発砲すると、二対四枚の翼を生やした大型鳥獣が上空から舞い降りてくる。


「〈グリフォン〉ですか」

「竜殺しの勇者を背に乗せたと語りがれる伝説の鳥獣だ。ま、その辺にいるけどな。伝説ってやつは裏山に住んでる」

「見ないうちに大きくなったね」と彼がいった。

 

 静かに着地したグリフォンは彼に近づき、鉤爪かぎづめを丸めた太い前脚で彼の鳩尾みぞおちを小突くと、大きく翼をはためかせた。


「毎回言ってるけど、そんなに変わってないぞ」


 尾羽をでたジェイドにも猛禽もうきん種の挨拶あいさつをする。あと私にも。


「あの、ついばまないでもらえますか? 引っ張るのもだめです」


 礼儀のなってない鳥野郎ですね、こいつは。

 

「こらッ、その魔物は餌じゃないぜ」とジェイドはしかりつける。

「アイルはグリフォンが苦手かい?」


 さっと背中に隠れた私に彼がいう。


「苦手というか、私の天敵ですからね。よくもまぁ、あなたたちはこんな怪物とれあう気になれましたね」


 彼がそばにいるので軽口を叩けているが、私だけなら恐怖で硬直していただろう。

 たてがみのように逆巻く羽毛。さかしくぎらぎらと光るまなこ獰猛どうもうそうなくちばしに、鋼鉄をも引き裂く鉤爪かぎづめなめらかにたなびかせた二股の尾。そしてグリフォン自身の巨躯きょくを空へと運ぶ四枚の鷲翼は、地上に生きる私たちを絶望のふちに吹き飛ばす。

 さらにグリフォンは人間との絆をはぐく稀有けうな魔物で、人と共に竜とたたかう強さの象徴としてもえがかれてきた。

 太古にグリフォンの祖先が人間に〈風〉の魔法をさずけたとされるなど、聖獣級の扱いをされる生物であるが、今ではどこにでもいる野鳥だ。

 ちなみにアルラウネでは地上戦でも勝てない。手も足も出ないというやつ。出せる手足などそもそも持ち合わせていないのだけれどね。


「どんな使い魔もグリフォンのかける速さには追いつけない。そんで昨夜ゆうべの話が本当なら、おまえらを狙ってたのが特権階級の魔術師なのは間違いねぇ。だから平民街に戻っちまえば、王宮街に住むような魔術師に見つかることはまずないだろう。薬のことも、フーカのほうからクエレの家に出向くように俺が言っておく。ま、安心しとけ」


 といって、ジェイドが生身の親指を立てる。


「何からなにまで、ありがとう」彼は深く頭を下げ、グリフォンの鷲翼を叩いた。「僕の家までお願いするよ」


 グリフォンは猛禽種特有の鳴き声で応じ、巨躯きょくを折りたたんで地面にせる。

 私たちが背に乗ると、グリフォンが激しく身を震わせて青空に飛び立った。鷲翼は〈風〉をまとうため、上昇にともなって生じた凄まじい風圧に身体が翻弄ほんろうされる。


『変わったアルラウネの小娘だねェ』


 魔物にしか話せない言語でグリフォンがいった。


「この鳥獣ッ、いま、私を馬鹿にしましたね? 魔物風情が調子に乗りやがって……」

「それアイルがいうかなぁ」


 彼は苦笑しつつ、金属の腕を振り続けるジェイドに手を振り返していた。グリフォンは魔法で起こした気流に乗り、彼方かなたに広がる蒼穹そうきゅうを滑空して進む。

 

「わぁー! わたしたち飛んでますッ!」私は蔓の先端を地上に向けた。「みてください! 街があんなにちっちゃく……」


 小さくなった街が眼下を目まぐるしい勢いで通り過ぎていく。

 排煙が立ちのぼる錬金街、厳重に管理された精霊園、光りのおびただしい王宮街、白煉瓦の中心街……。

 息をむほど美しいというわけでもないけれど、ただただ私は感動した。まばたきすら惜しかった。


「そうだね。アイルがこんなにはしゃぐなんて思わなかった」


 私は植物で、一生、空を見上げることしかできないのだ。それが今はグリフォンにまたがり、大地を見下ろしている。はしゃぐなと言うほうがおかしい。

 グリフォンは加速を続け、ほどなく私たちは平民街の上空に差しかかる。

 今朝方に飲んだフーカの新薬の影響もあるのか、彼は寝息を立て始めていた。落下しないかと冷や冷やしながらつるで支えてあげる。世話の焼ける人間だ。


『空はどうだい』


 まるで空が自分のものであるかのようにグリフォンがいう。


「最高ですよ。あなたのことは嫌いですけど、あなたの翼はとても好きです」

『やっぱり変わったアルラウネだねェ』

「そうですかね?」

 

 あぎとの生えかたが奇形でしょうか、とたずねてみたが返事はなかった。

 旋回をしながら、グリフォンが二股の尾で彼の身体を固定する。私の耳元を〈風〉が吹き抜けた。


『もし、わたしがあるじに傷をつけようとしたら、お前さんはどうするんだね』


 そういえば、グリフォンは尾だけでも人間程度ならめ殺してしまえる。

 つまらない質問だと思った。答えは決まっている。


「え、そんなのあなたを殺して食べるに決まってますよ? なのでかしこい選択とはいえませんね。私、アルラウネですけど、最強ですから」

『勇敢だねェ……でもねェ、その感情はアルラウネの範疇を超えてるんじゃァないかい』

「よくわかりませんが」

『その感情はねェ、魔物というよりは、人間に近いものなんじゃァないのかい?』

 

 ひゅうひゅうとすさぶる風が、私を揶揄からかってくるみたいだった。


「私は……」


 言葉を詰まらせる。途切れた言葉の続きを探す時間を、グリフォンはくれなかった。


『魔物だろうねェ。とはいっても、この世に不可思議など何一つないのサ。たとえば人間がのろいでアルラウネに変えられていようと、アルラウネが人間になりつつあろうともねェ。不思議ではないよ。魔法があるのだからサ』

「なにが言いたいんですか」


 瞬間、グリフォンが笑った、ような風の音が聴こえた。


『愛してもいいんじゃァないのかい』


 私は目をみはった。

 魔物の私が、人間の彼に愛されるわけがない。ましてや、愛していいわけがない。


「愛しても……いいのでしょうか……」


 心とは正反対の言葉が、葉の間隙かんげきかられる陽光のように降ってくる。


『……さぁねェ。忘れちまったよ。図体はでかいが、なんせわたしは鳥なものでねェ』

 

 ゆるりと空中姿勢を変え、とぼけたふうにさえずった。警笛けいてきを連想させる甲高い音が響き、彼が目をます。

 私たちに到着をしらせたらしい。

 出逢いと同じように地上へ舞い降りたグリフォンが、私たちに挨拶をして、また空へとかえっていった。

 二人でその姿を見送り、歩きだそうとしたときだ。浮遊感に慣れきった脚がひとりでに動き、私はつまずいて転びかける。


「大丈夫かい?」 


 咄嗟とっさに彼がうでつかんでくれた。


「だいじょうぶ……です」


 あの会話のせいか、彼を意識しすぎてしまい、ぎこちない喋りかたになる。

 グリフォンの背で眠りこけていた彼は、そんな私の心のうちなど知りようもなく、私の動揺にも気づかずかがんで一枚の羽根を拾い上げた。


「これ、アイルにあげるよ」と彼が照れくさそうにいった。「グリフォンの羽根には強大な魔力が宿り、魔除まよけの加護があるとされているんだ」


 グリフォンは去り際に羽根を抜いて残す習性がある。信頼の証だとか、縄張なわばりを示すため、わたりの季節の道標みちしるべにするためともいわれている。


「あー……えーっと……私、いちおう魔物なんですよね」


 魔物に魔除けの羽根を渡すのはどうなのか。嫌われているのかと誤解しそうになった。


「まぁそうなんだけどね、幸運の御守りみたいな感覚で受け取ってほしい」

「御守りですか。グリフォンの羽根をみたアルラウネは大抵、食べられて死にますけど……守ってくれますかね?」

「嫌なら全然、捨ててもらっても構わないんだけど……」


 慌てふためく彼が可愛らしい。


「冗談ですよ」と私は笑った。「大事にします」


 彼から貰った初めてのプレゼント。幸運というより、幸福の御守りだ。


「あとさ、僕は……あの夜、僕を食い殺してくれる魔物を探していた。息の根を止めてくれるなら誰でもよかった」彼は思いつめたような、泣き出しそうな顔で私を見ている。「でも今は、もし食べられるのなら、きみがいい」


 彼のあまりの真剣さに、ふふふ、と笑い声をこぼしてしまった。


「信じてあげません」


 でもいいんです。と心のなかで続ける。


「これからは、ちゃんと、私のことをみてください」


 人間の姿で伝えられた、私の最後のセリフだった。

 愛してもいいとそそのかされたけれど、私にはまだそこまでの覚悟がない。咲きかけのつぼみなのだ。

 これからの彼次第で開花もするし、しおれてしまうかもしれない。できればたくさん、私の絵を描いてほしい。

 


 そうして、私にかけられた魔法はけた。


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