あなたの考えそうなことですよ


「ジェイドさんはどうして身体が機械なんですか」と風呂上がりの私はいった。


 脱衣所の清潔なバスタオルで全身の水分をき取り、今しがた、適量の〈風〉を送風する魔道具を借りて髪の毛をかわかしたところだ。

 人間は入浴の際に浴槽よくそうという水をめた箱にかる独特の文化がある。通常は〈火〉で水を四十度前後に温めるらしいのだが、私は湯が苦手なので水風呂にした。

 かくして人生初入浴となったわけで、非常に気持ちの良い体験をさせてもらった。植物用石鹸のふわふわとした香りが私は好きだ。さっぱりして生まれ変わったような感覚がみつきになりそう。

 汚れを落とす目的にしては過剰で水が勿体もったいない気もするけれど、人間にとって体臭は交尾に関わる重要なステータスだから、娯楽をねる入浴は必要なのだろうね。

 

「ま、よくある事故だ。おまえみたいな魔物に身体のほとんどをわせてやっただけさ」


 ジェイドはこちらを見向きもせず、がらくたみたいな金属片をこねくり回している。

 私はあらためて容姿をみる。

 巨大な金属の右腕に気を取られてばかりいたが、鼻や耳、あごの一部、側頭部、右脚も金属製のパーツにげ替えてあった。壊れた義眼は作業台の上で修理中である。服にかくれた箇所はわからないが、腹や背中、もしかすると臓器も金属である可能性が高い。


「……食べ残しが多い魔物ですね」

「まったくだな。食うならもっと上品に食べやがれっての」


 肩を揺らしてジェイドが笑う。全身の金属が、がちゃがちゃと耳障みみざわりな音を立てた。


「医療にたずさわる人間は、〈復元〉の魔法が使えると本で読んだことがありますが……」

「俺は偽肢レプリカには頼らない主義だ」

「偽物の身体、ですか」

「ジェイドは魔法を信用してないんだ。確かに魔法で失った肉体を復元させることはできるんだけど、それが本物の肉体になるわけじゃないのは、アイルもわかるだろ」


 彼が補足した。慣れた手つきでジェイドの助手をしている、というよりジェイドの隣にいる彼がとても自然だった。

 この二人も長い時間を共にしてきたのだと私はなんとなく思う。


「まぁ……」


 魔法は万能だが完全ではない。たとえば魔法で臓器を復元した場合、それは厳密にいえば臓器の形と機能を持つ魔力なのだ。

 もしも他者によって解呪ディスペルされたとき、あるいは失魔症などで魔力を失ったとき、魔法で復元した臓器は消滅してしまう。


「にしてもジェイドは馬鹿だよなぁ……解呪されるなんていうまれなケースをうれいて機械を選ぶとは、当時の僕は思わなかったし」

「はっはっはっ! 俺の見てくれは本物の不細工ぶさいくだってフーカにも言われたな」

「全然自慢するところじゃないですけどね。あなたたちが友人になれた理由は、わかった気がします……」

「まるで僕も変人みたいな言いかたはよしてくれ」

「あ、自覚なかったんですね」


 むしろ出逢いから今の今まで、変だと思わなかった日は一日たりとてないのですが。


「自覚なしは重症だな。しゃべる魔物と逃避行をしてるクエレは、俺からみてもくるってると思うぜ」


 ジェイドの生身の輪郭りんかくから、事故以前は精悍せいかんな顔つきだったのだとわかる。

 そのめぐまれた容姿を捨て、みにくい機械を選んだのは単に魔法不信で片付けられない理由があるはずだ。


「ジェイドさん。真実を教えてくれませんか?」


 これはたぶん、私が魔物だからこそおくすることなくたずねられた。


「おう、どうせよみがえるなら強くなりたかったんだよ。誰にも傷つけられねぇ無敵の身体が欲しかった!」といってジェイドは自らの巨腕をかかげた。「多大な犠牲ぎせいを払ったが、それなりの身体は手に入れた。おまえらにはもう負けねぇ」


「……楽しみです」と絞りだすような声で私はいった。「あなたはどんな味がするのか」


 それ以外に人食いの私から掛けるべき言葉が見つからなかった。おとずれた沈黙にかぶさるように室内の環境音が反響していた。

 溶断やら鍛造たんぞうの音をひたすら聞いているのも暇だったので、私は作業室内を徘徊はいかいする。

 どこに行ってもさびと油の臭いが鼻腔びくうを刺激したし、光沢を失った物騒な工具も壁にり下げられている。清潔になった身体が臭いだけで汚れてしまいそうだ。

 防音壁に沿って積まれた鋼材の横には大鋸屑おがくずまみれの姿見すがたみがあり、私は自分の姿を銀膜にうつす。

 人間の少女がいる。

 両腕のつるあぎとはアルラウネの、半人半草が正解か。擬態とは比較にならないくらい可愛らしい女の子。

 フーカの魔法が切れかけているのか、髪の毛の半分が元の花弁に戻ってしまっていた。


「なんだ、人間のままがいいのか?」


 背後からジェイドの声がした。人間の足音に気づかないほど、私は鏡面上の少女に夢中になっていたらしい。

 

「……はい」


 人間だからいいのではなく、彼と同じだからいいのだ。彼が〈粘獣スライム〉なら私も粘獣のめすになりたい。


「これでいいか?」


 ジェイドがおもむろに杖を振って魔法を重ねがけする。

 鏡に映った少女の変化に、私は絶望した。絵心のない人がいた、きめ細やかさに欠ける髪みたいな何かが頭に乗っていた。


「いいわけないでしょう」

「でもあれだ、持続期間はフーカの三倍あるぜ」

「クオリティは十分の一以下ですけどね。ていうか、この下手くそな髪が三倍も続くとか嫌がらせの領域ですが?」


 魔法を台無しにされて私は憤慨ふんがいする。同じ魔法でも二人の間には雲泥うんでいの差があった。

 天才の基準を周りに当てはめてはいけないのだと私は学ぶ。


「わりぃな、ほら、俺の発明品をやるから機嫌なおせ」


 ジェイドが交差する刃のついた道具を渡してくる。


「なんですかこれ」

「こいつははさみだ。異なる刃同士の剪断せんだん力によって間にはさんだものを切る道具だ。細かい作業に役立つ。問題があるとすれば、うすい布くらいしか切れねぇから、二歳児の〈切断〉に劣ることと、二歳未満はまずこれをつかめないことだな」

「ごみですね」

「ついでにいうと、はるか昔にこういった切断用の魔道具は開発されていて、あっちは鉄も切れるから、はさみが勝ってる部分なんて一つもないんだよ」


 彼が優しい口調で追いちをかける。


「うぐッ……だがこれはほんの序の口だぜ。ここにライターってのがあってだな。〈火〉を使わなくても……」

「魔法のランタンのほうが優秀ですね」

扇風機せんぷうきはどうだッ! 〈風〉いらずに納涼のうりょうを満喫できるぞ」

「風速二メートルといったところですか。これ手回しですし、すずむどころか熱中症で死にませんか?」


 不毛なやり取りを何度か続けた後に、ジェイドは奇妙としか形容できない機械を持ち出した。

 それは木製の台に固定したハンドル付きの銅板を、U字型の磁石に挟ませた構造の機械で、何をするのか皆目見当もつかない。


「完成したてのとっておき……世紀の発明だ。こうやってハンドルを回すとな、微弱だが〈いかづち〉の魔法と同じ現象が起きる」といいながらジェイドは実践してみせる。「発電機はつでんきと俺は名付けた」

「やはりそれも魔法でよくないですか」

「わかってねぇな。これは始まりに過ぎないんだぜ。今はガキの魔法にも劣る性能だが、もっと技術が進歩すりゃあ、失魔症の人間にも魔術師みてえなことができる世界が来るかもしれねぇ」

「失魔症の人間にも」


 私は彼のほうをみた。彼もおどけずに耳をかたむけている。


「それにだ、真面目な話をするとな、失魔症って病気がひろがり始めたのは最近になってからなんだ。精霊の魔力が弱まっている話も耳にする。各地で異変が起き始めてる。極論をいえば、俺たちは明日、いきなり魔法を使えなくなる可能性もゼロじゃない。未曾有みぞうの危機に備えて足跡あしあとを残すやつが、この世界に一人は必要だ」


 ジェイドの勢いに気圧けおされ、私は閉口する。この男は他人のために馬鹿にされるがらくたを作り続けているのか。

 とんだ狂人だ。馬鹿で、聡明で、温かみのある狂人だ。

 

「優しい男なんだよ、ジェイドは」


 そうたたえた彼は、床に散らばった工具を木箱に仕舞う。


「クエレ、どうした急に。気持ちわりぃ褒めかたしやがって」


 彼はいぶかしむジェイドから顔をそむけた。


「僕のせいなんだ」と声をふるわせていう。「十二歳のときに大怪我して、それがフーカとの出逢いだっていう話をしただろ。実はあれ、魔物におそわれたんだ。僕をかばおうとしたジェイドが巻き込まれてね……それで身体を……」

「その話は忘れろといっただろ」ジェイドが怒気をはらんだ口調でとがめる。「生きるために改造人間サイボーグになっちまったわけだが、俺はこれでも満足してんだ。最高の彼女もできたしな」

「フーカと付き合ってからのきみは幸せそうで嬉しいよ」

「……嫉妬くらいしろよな」

 

 してやれよな、とも聞こえたような気がした。

 私は蔓を巻いて思考にふける。

 付き合う。人間が扱う理解不能な単語の一つであり、世界中でそれを主題とする退屈な物語が数多く書かれていた。

 信じられないが人間という生き物はたかだか生殖行為を行うまでの過程で非常に面倒な手順を踏む必要があるのだ。

 要するにおすめすが、互いに異性の価値を認めなければならない。魔物にも優秀な種を後世に残すために一定の条件を設ける種族はいるのだが、人間には絶対的な条件が存在せず、それは個体によってさまざまだ。

 相手にすぐれた容姿を求める人もいれば、そうでない人もいる。富や権力にすがる人もいれば、そうでない人もいる。優しさを欲する人もいれば、暴力を頼りがいだと錯覚する人もいる。必要なものは知性であるかと思えば、馬鹿だからいいという人もいる。無個性さや大衆的であることをとする人もいるのだから、才能や個性ですら信用ならない。

 それは一途さだったり、奔放さだったり、タイミングだったり、年齢だったり、共有した時間の長さだったり、愛とやらは不定形な感情だ。

 無差別に花粉を飛ばしたり、地下茎を分裂して数を増やしたりする私たちとは進化の道をたがえた生き物。

 たった今、この生き物に詰問きつもんしておかねばならない事項が追加された。


「――それで、あなたはのですか」

「なんのことだい」

「あのとき食べられるべきは僕だった」と私は彼の声色を模倣もほうしていった。「あなたの考えそうなことですよ」


 いつもは剽軽ひょうきんな仕草をまじえて受け答えをする彼が、私の知る限りでは初めて大きな動揺をみせた。

 人間は理解できないけれど、理解できないあなたを私は理解している。だってそばで見てきたのだから。

 魔物ごときに見抜かれるはずがなかろうと高をくくっていたに違いない。私がどれだけあなたのことを考えていたのか知りもしないくせに。

 フーカやジェイドのそれには勝てないかもしれないが、私は彼のことを考えて過ごしてきたのだ。に取るほど簡単にわかってしまう。

 同時にこうも思う。あぁ、今まで彼は私をおもってくれていたのではなかったのだな。

 全てがそうだとは言わない。

 だけど、私のことを自分の過去の贖罪しょくざいのための道具として接していた側面も少なからずあるのだ。

 その事実が、どうしようもなく私を失望させる。

 ――果たして。

 これは失望なのだろうか。

 であれば私は彼になにを望み、一体なにを喪失そうしつしたのだろう? 私にはわからないことばかりだ。


「肉食のアルラウネか」ジェイドも悟ったふうに顔をゆがめた。「おまえのそういうところが俺は嫌いだ」


 巨腕につかまれた廃材が悲鳴を上げてひしゃげる。ごめん、といった彼の声を拒絶するかのような大きな音だった。



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