一撃でぶっ飛ばします
「アイル」
呆気に取られる私の意識を現実に引き戻してくれたのは、彼の声だった。〈地図〉を開いてみると、どうやらここは建物の内部らしかった。
凹凸の激しい形状の建物だが一本道で
「あぁっ、はい」
ふと、私は自分の足元に視線を落とす。
大地を踏みしめた感覚。
「歩きにくいかい?」と彼は心配そうに声を掛けてくれた。
「いえ、慣れないだけでいい感じですよ。……それより」
明らかに人為的に造られ、維持されている庭園を指差していった。
「ここは〈
精霊がいることを伝えようとしたタイミングで、彼がいう。
「精霊園ですか」
「そう。アイルは精霊っていう生き物……存在は知っているよね?」
「はい」
精霊は膨大な魔力に魂が宿ったいわば魔力集合体のような存在で、体内の九十八パーセント以上を魔力が
もっとも魔物は精霊を「意思のある魔力」くらいにしか認識していない。
「精霊は数ある生命の中でも保有する魔力量だけは群を抜いている。たぶん、最下級の精霊でも、街のすべての人間の
「言われてみれば、精霊の魔法を見たことがないです」
私は、〈ウンディーネ〉という水の精霊が暮らす
霊体である精霊の目視はできないが、絶えず漏出する魔力がその存在を確かなものにしている。この魔力を全て〈水〉の魔法に変換したとしたら、先日の山火事など一息で消してしまえる。森や大地の精霊にしてもそうだ。彼らは災害に抵抗し
「人間は魔法を使えるけれど、個人では扱いきれない魔法もたくさんある。だから精霊の力をわけてもらう代わりに、僕らは精霊園――
「相利共生みたいなものですか」
「まぁそんなところだ。そして大勢の人々を納得させるには、精霊はか
人間は自分たちの
精霊は
「人間は」と私が
皮肉のつもりはなかったが、皮肉めいた言いかたになってしまった。彼が表情を
「ごめんなさい、あなたを傷つけたいとかではなくて……」
別に、私は彼が魔法を使えなくてもよかった。弱い生物は弱いだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
けれど人間は違うのだろう。きっと弱いことは同胞に見捨てられ、
……いいや、それは正しい。アルラウネも同じだ。私が魔力と
「見捨てられてなんかないさ。僕が生きているのがその証拠」
「そう、ですね」
たとえ貧困に追いやられたとしても、生かしてやるだけ人間は同胞に優しいのかもしれない。
「人間をね、ある一つの方面のみで語ろうとすると必ず
彼が何を言っているのかさっぱりわからなかったが、私よりもずっと
私たちの視線が鉄格子の窓の隅に吸い寄せられる。ぐねぐねと不規則に揺らぐ影が張りついている。
まだ話していたかったが、一旦お預けのようだ。
「あの使い魔がいますね。フーカさんの魔法が読まれていたようです」と私は
使い魔は人間じゃない。
ならば、傷つけてもいいということだ。今は魔法で人肌になっているが、
「いや魔法はやめておこう。精霊は魔力の
私がいくら捕食に特化した個体とはいえ、魔術師の精鋭に囲まれてはひとたまりもあるまい。
「それはまずいですね……でもちょっと待ってください。今、相手が魔法を使っているのならば、警報が鳴るはずでは?」
「うん。これでわかったことがある。追手は師団所属の魔術師で、しかも精霊園での特権を与えられるほどの人物だ」
「術者はひとり、というのも追加ですね」
もし部下を
しかし妙な話だ。単独行動であるにしても応援を要請すればいいだろうに、それをしないのは不自然ではなかろうか。
「ひょっとするとアイルの違法飼育を取り
「都合の悪い状況なのは変わりないですがね……」
敵が一人なのは不幸中の幸いだが、こちらも魔法を制限されるのは痛い。
「フーカの狙いが裏目に出てる」
苦々しく吐きだす彼の言葉が重たくのしかかる。
フーカが〈座標〉の転送先を精霊園にしたのは、術者を罠に
だが敵が特権を与えられた魔術師である以上、彼女の策は私たちを
「とにかく走りましょう!」
いいながら彼の腕を
「そうだね、僕らには
彼がいい、するりと腕を抜いた。不思議な感触が消え、何となく寂しさに
手の甲に触れる指先の温度がひどく熱かった。でも汗ばんだ二人の体温が溶けあって肌に
蔓を巻きつけるよりは、いいな、なんて思ったり。
「影たちは窓に張りついていますが、こちらには来ませんね」
「すり抜けられないのかな」
「……左に曲がってください。その次は直進です」
「了解した」という彼は何かを
「それがなんですか」
「この回廊は精霊園を一周するように作られた通路なんだけど、膨大すぎる精霊の魔力を遮断するために竜の鱗を素材にしている。それで、園内の使い魔はこの壁に
竜の鱗は一切の魔法を受けつけない。礼拝堂で彼に教わった知識だ。それは魔法によって生み出された使い魔であっても同じ。
「じゃあ、フーカさんは」
「天才ってことだね」
私たちの転送先が読まれ、敵が上位の魔術師であっても関係なかったのだ。互いの魔法が無力化されるなら戦力は
「……上からは
雨漏りをするように天井から液状の影が
「僕たちが移動してこられたように、出現させること自体はできるのだろう」
「もがき苦しんでいるうちに逃げましょう」
「そうだね。あれが厄介な魔法だというのは、僕にもわかるし」
苦しそうに
回廊を抜け、精霊園を脱出すると
通りにあらわれた影の使い魔も私たちを歓迎してくれた。
「外にもいましたか」
「待ち構えていたみたいだね」
そして驚くべきことに、〈人型〉は
「私に作戦があります」
「なんだい?」
「一撃でぶっ飛ばします」
石畳の
大地の槍は生き物のようにうねり、〈人型〉を宣言通り一撃で
「……頼りになるよ」
彼は、不気味に黒ずんだ身体を破壊されて
「まだですね」と私は
「夜は〈闇〉を強くするから、その影響かな」
「でしょうね」
だから闇使いは嫌いなんです、と私は毒を
「全力で走ろうか」
そういった彼が
「えぇ」
彼の落ち着いた声が無性に腹立たしい。はずなのに、魔法をかけられたみたいに力が
うっかり彼の手を潰してしまわないよう、細心の注意をはらって優しく握りかえす。
精霊園は人々が近寄りがたい場所であるためか、人通りは少なく、街灯の薄明かりが足元を照らすのみだった。
私たちは更に闇の深まる路地裏を
走りながら、魔法の力で建物の両壁を引き
「時間稼ぎになればいいですけど」
「あれ変じゃないか」
結合させた
「ほんとしつこいですねえ」
「やっぱり通りに出よう。このままじゃあ、捕まってしまう」
「あそこ、見てください!」
無人の蹄獣車を発見し、私たちは乗り込む。彼を荷車に乗せ、もちろん私が乗獣する。
荷車を牽引させる
すると
「これ盗んで大丈夫かな」
「緊急事態なので。あと私、捕まったら殺処分ですからね。盗んだところで痛くも
「そうだね……ひとつ言ってもいい?」
「なんですかッ」
蔓を振るいながら返す。蹄獣の振動でがたがたと
「僕、いま凄くどきどきしてるんだ。人生最高の瞬間かもしれない」
「よかったですねえッ!」
このまま振り落とされて死んでしまえばいいのにと思った。けっこう本気で。
「アイルッ! 前に壁が!」
「〈地図〉によるとここの壁は薄いので……突っ込んで破壊します」
「正気か?」
「正気です」
背中の
二頭の蹄獣がひと際大きく
「
私はよろめきながらも身体を起こす。痛みは生の証言者だと実感する。彼も流血していたが、大事に至っていない。安堵のため息が
蹄獣も自力で立ち上がれたようだが、荷車は壊れてしまっていた。これで帰り道は軽くなったのだからいいだろう。
彼らがほんの少しでも
「あなたたちのおかげで助かりました」私は二頭の
それぞれの頭部に蔓で触れ、魔法をかける。淡い光を
「〈地図〉の魔法だろ。アイルも使えたのか」
「はい。大地との関わりが深いので私にも使えます。……真似してみただけですから、フーカさんほど正確にはできませんが」
「それでも凄いよ」と彼が私の蔓を
「感謝してください」
一度
二人とも助かったのだから
そこからは負傷もあって、とぼとぼと道なりに歩いていたのだが、使い魔で
そんなことより――。
「さっきから魔物
十五分ほど前に
錬金街とは主に魔道具を製造する工場地帯を指すのだが、知性ある魔物の侵入を
「ここで休んでていいよ。ジェイドの家にはすぐ着くし、僕が結界を弱めてもらいに行くから」
「いえ、そこまでは……こうみえて私、つよいので」
彼だと思ったが、なにかごつごつとした金属の腕に支えられていた。
「おまえ、死にそうだな」
「な、な、誰ですかッ!」
飛び
「魔物のガキが
といい、男は金属の巨腕で私の
「ジェイド。久しぶりだね」
そんな金属男に親しげな声を掛けたのは彼だ。
「あぁ……いや誰だおまえは。俺はおまえと会うのは初めてだが」
ジェイドと呼ばれた男は眉を
「クエレだよ。あと僕はこっちだよ」と彼は金属男の肩を叩く。
「わりぃ、クエレか。そっち側はみえねぇんだ」とジェイドがいった。「壊れちまってるからな」
ジェイドは生身のほうの手で自分の左眼を
「調子はどうだい」と彼が
「まずまずだ。今日は小便の最中に股関節の
「きみの
「……おまえらの話はフーカの使い魔に
「聞き捨てならないこと言いましたね?」
躾のなってない魔物とは失礼な。フーカのことを見直しかけていたが、彼が死んだら
「この子はアイルだよ。仲良くしてくれると助かる」
ジェイドに紹介し、私を
「おまえらを俺の家……工房に連れていってやるが」ジェイドが疑いの目を向けてくる。「特に魔物女、俺の発明品を壊したりするんじゃねぇぞ」
「壊しませんよ!」
私が声を
怒られちまうなァ、と彼はぼやいて強力な闇
ジェイドの工房は徒歩で五分もかからない場所にあった。錬金街に到着するまでに三時間以上は経過しているので、フーカの店からはかなり遠い。しかし大抵の人間は〈飛行〉を習得しているはずだから、今夜の大移動は、彼らに言わせてみれば近所を散歩する程度の距離なのだろう。移動一つをとっても失魔症であることが不利に働くいい例だ。
開錠された扉の鍵穴をみて、おや、と私は思う。金属部分が
工房の夜でもわかるほどの赤
「お邪魔します」
といって彼が工房の扉を通った。
「おい、魔物女」といきなりジェイドに呼び止められた。彼は私のローブの袖を
「アルラウネは入らないですよ」
「うちに植物も洗える石鹸があるからまず風呂に入れ。俺は生き物の汚れが大嫌いなんだ」
「わかりました」私は先に入った彼を思いだして
ジェイドはすこし考える仕草をする。
「人間はいいんだよ」とジェイドは
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