人間でも魔物でもないみたいです


 その声に反応した女が軽く腕をいだ。

 瞬間、マナの木から一本の小枝が切断され、彼のひたいを目掛けて一直線に飛翔する。

 それは思わず感嘆の息をらすほど見事に命中し、避けられなかった彼の悲痛なうめきが青空に吸い込まれた。間髪入れずに狙撃女はずかずかと足音を立てて歩み寄り、額を押さえてうずくまる彼の胸ぐらをつかんだ。


「あんたねぇ……! 今日はパレードがあるから十三時に待ち合わせようって約束したでしょう? 二時間よ、二時間! 待たせるのも大概にしなさいよねぇ……!」


 物凄い剣幕けんまくで怒鳴る彼女は、森の渓流の反射光を連想させる美しい翡翠ひすいの目をした端正な顔立ちの少女だった。彼が夜空のような黒髪であるのに対し、彼女の髪は朝焼けのような茜色。怒りでり上がらせた眉にすら美を見だせるほどの白い肌がそこにはあった。

 何よりほっそりとした肢体の柔らかそうな肉に私の荊棘けいきょくを突き立てれば、ほどよい弾力を返してくれるに違いない。とはいえ不健康にえ太った人間のほうが食べごたえがあって好みなので、餌としての評価はいくらか落ちるか。


「そんな約束したかな」


 乱暴に揺さぶられる彼は首をかしげていた。


「はぁッ? ちゃんと使い魔に手紙を送らせたわ」

「あぁ……扉の前に置いてあった手紙か。魔法で封をしただろう? ああいうの、僕には開封できないんだよね」

「普通に切ればいいでしょうが!」

「正直に言うと、読まずに放置してた。一人暮らしの男の家に届く手紙にろくなものはないからね」と彼は悪びれもせずに白状した。「この子に街を案内したかったし」


 急に紹介された私は硬直する。狙撃女の表情ににじんだ怒りが呆気に取られて霧散した。


「え、何それキモッ……。寄生されてんの?」と彼女は眉をひそめていった。

「寄生してません!」

 

 彼の名誉のために否定する。身体に蔓を絡ませているだけだ。


「あっそう。まぁ、日陰でほこりでも食べて生きてそうなあんたにはお似合いのペットじゃない」


 狙撃女は関心がなさそうに吐き捨てた。見下されたことだけはわかったので、あぎとに生えそろった棘を向けてやる。


「アイル、そう威嚇しないであげてくれ。口は悪いけど、フーカの魔法薬の効き目はこの街で一番いい。つまり一番人助けをしているいい子なんだよ」

「あなたは、いい人間」

「そうよ。あたしはフーカ・エリクシャ。魔法薬学のプロフェッサーでもある正真正銘の天才なの」

「へー、すごいですね」


 私も興味がないので適当に褒めておく。フーカという名前だけを覚えておけばいいだろう。


「いけ好かない魔物ね。んだりしない?」

「します」

「なに食べるの」

「人間」

「クエレ、友人のよしみで忠告しといてあげるけど、このペットは飼わないほうが身のためよ」


 フーカが至極真っ当な助言を彼にした。ここで初めて彼の名前は「クエレ」なのだと私は知る。


「こう見えてアイルはかしこい子なんだ。人をおそわないように言いつけてある」

「今年は討伐指定の魔物の放し飼いをした途端に食い殺された事故が二件。首輪付きでも飼い主の留守中に子どもをあやめてしまった事故が一件。皆がみんな、魔物に似たような夢をみてたはず」

「でもアイルは――」言いかけた彼の唇をつるふさいだ。

「……フーカさんのいう通りです。あなたがいなければ、私はただの人食いアルラウネに過ぎません」

「僕がいれば大丈夫だろう」

「だからこそ不安なんですよ」


 私の手綱たづなを引きめているものが、彼であることが最大の不安要素なのだ。

 単純に力がないだけならまだしも、何かあればすぐに死んでしまう種族。寿命もまばたきするうちにきてしまうほど短い。

 すると私たちのやり取りを見ていたフーカは、諦めたように息を吐いた。


「クエレが無害と言い張るならいいわ。ここで話すのもあれだし、私の店に入りなさい」


 そして案内をする前に、私を指差し、美しい翠眼すいがんすがめていった。


「あんた、変な菌とか持ってないでしょうねえ?」

「ない……とは言いきれませんが」

「多少のばい菌はあると思うけど、何かあったら僕が責任を取るから安心してくれ」


 人間よりはましですよ、という台詞の続きは彼に奪われてしまった。彼女の攻撃的な態度を考慮すると、言わなくて良かったと私は胸をなでおろす。



 フーカの店は待ち合わせ場所の看板が示した先の薄暗い路地裏にあった。店内に入った彼女は、杖を振って明かりをけた。入口には観葉植物と薬草の鉢植えが置いてあり、その横に植物型の魔物を販売するテラリウムケースが存在した。ケースの中では壁にもたれかかった〈マンドラゴラ〉が草臥くたびれたように欠伸あくびをしている。

 マンドラゴラはアルラウネと比べて希少価値の高い魔物で、ストレスを感じると叫びながら絶命する特徴を持つ。薬草としての効き目もアルラウネより優れているが、とても繊細なので鮮度を維持しにくく捕獲及び流通はまれである。

 フーカに手招きされた彼はカウンターの丸椅子に座った。カウンターには毒々しくにごった液体入りの瓶や、うっすらと緑の色素が付着したすり鉢が乱雑に置かれていたり、奥の棚には未知の薬草を乾燥させたものや、あやしい錠剤が並んでいたりと圧倒的な物量に眩暈めまいがした。カウンターの裏手にまわった彼女は、再度、杖を振って衣服を萌黄もえぎ色のローブに着替えた。


「はいこれ、今月の薬。新しい薬草を調合してみたから。朝夕の食後に二錠ずつ飲んでね」


 フーカはそういって棚の三段目にある錠剤を詰めた布袋を〈浮遊〉させる。空中で静止した袋を、彼はおずおずと腕を伸ばして受け取った。


「助かるよ。いつもありがとう」

「……べつに。失魔症患者が友人だとあたしとしても都合がいいだけ。研究に役立つし」

「フーカは相変わらずだね」

 

 冷たく突き放された彼が苦笑する。刺々しい物言いのわりには親しみを感じられた。

 カウンター上に散らばったビーカーやらシリンダーを片付けながら、唐突にフーカは「また絵を描き始めたの?」と彼にいた。

「うん……よくわかったね。どこかに絵の具でもついてたかな」

「表情でわかるわ。こないだまで干乾ひからびた〈墓荒らしグール〉みたいな顔してたのに、今は生気が戻ってる」

「僕が生き返れたのは、アイルのおかげさ」


 彼は私の身体を持ち上げ、自分の胸元で軽い抱擁ほうようをした後、隣の席に座らせた。

 こちらは椅子が古くぎしぎしときしんだ。私には初めての感触で、何度も軋ませて遊ぶ。ちょっぴり楽しい。


「そう」フーカは短くいい、私に視線を向けた。「ありがとね。クエレを救ってくれて」


 目を細めてお礼をいう彼女の声音は、まるで人間の子どもに話しかけているような優しさがあり、その違和感にどきりとした。

  

「いえ、私はっ……」


 しどろもどろになる私のつるをフーカがでる。彼女の体温が伝播しているのか、魔力同士が呼応しているのか、触れられた箇所が不自然に熱を帯びた。私は熱を逃がそうと蔓を引っ込め、虫媒花ちゅうばいかのテラリウムに目をやった。

 それに気づいたフーカが嬉々として生態を私たちに解説し、「虫媒花ってなに?」と突っ込んだ彼に風媒花ふうばいかとの違いや、被子植物が持つ自家不和合性(受粉の際の近親相姦きんしんそうかんを防ぐ仕組み)について懇切丁寧に語り、だんだんと雑談は二人の思い出話へとれていった。

 彼は孤児院暮らしだったこと。フーカとの出逢いは十二歳のときに大怪我をい病院に運び込まれた彼と、〈森毒〉の発作(森に棲息する魔物が原因の病気)で入院した彼女の病室が同じだったこと。彼が絵を描き始めた時期と、フーカが魔法薬をきわめる道を選んだ時期が重なること。

 私が知らない彼の話を聞いていると、まるで彼がまったく別の人に変わってしまったような気がした。それが寂しいのか、嬉しいのか、私には判断がつかなかったけれど、二人が積み重ねてきた過去の厚さが羨ましく思えた。細長いとげが胸に刺さっているのではないかと疑いたくなる痛みも生じた。

 一時間ほど会話をわしたあたりでフーカが席を立ち、店の奥に足を運んだ。


「あのさ、あんた、どうせまともに食事もれてないだろうから……ご飯の余りあるんだけど……これっ」


 三十秒ほどで戻った彼女は、彼を見つめ、ためらいがちに〈防腐〉の魔法をかけた器を差し出した。


「フーカの手作りかい?」

「そうだけど」


 なぜか警戒し始めた彼をよそに、私はその器をつるかすめ取り、本能がめいずるまま口内に入れた。咀嚼そしゃくし、飲み込んだあたりで急速に拡がる刺激に耐えきれず吐瀉物がせりあがる。


「アイルッ! 大丈夫かッ……!」といって彼は嘔吐おうとを繰り返す私の擬態部をさすってくれた。

「ん……大丈夫です、ちょっと私には刺激がきつくて吐いてしまいましたが」

「そりゃ魔物の食べ物じゃないもの」とフーカがあきれた口調でいった。「味はどうだった?」

「美味しかったですよ。道端みちばたに一カ月放置された〈人喰らいトロール〉の糞尿みたいな味で」


 私が答えると、その場が一瞬でこおりついた。時を止める魔法をかけたように停止している。

 何か間違った発言をしただろうか。トロールの糞尿みたいな味がしたのは事実だし、美味しかったのも事実だ。どうでもいいが植物は糞尿でもよく育つ。


「……まぁ、魔物にいたあたしが馬鹿だったわ」


 またしても見下されたが、彼の緊張がほどけた瞬間に見せる顔から察するに、今回は私が悪かったのだろう。

 凍りつかせた原因をこっそり彼にたずねようとしたとき、店の外側で不審な影がらいだ。


「ちょっと!」フーカが血相を変えて彼の手首を引っ張る。「けられてるわよ」


 彼女が腕を振ると、周囲の音が消えた。二人の足音も同時に消える。〈遮音〉の魔法を使ったのだ。


「人間でも魔物でもないみたいです」


 生物ではない何かが店の周囲をうろついている。言うなれば魔力のみで形成された空洞の人形。そこに魂はなさそうだ。

 あくまでも尾行に気づかぬ振りをしながら、私たちは店の裏口にまわった。


「〈闇〉の魔法ね。術者は相当な手練てだれよ」とフーカは彼に耳打ちした。「やばい魔法犯罪に関わってないでしょうねえ」

ちかってそれはないけど、アイルのことがバレたのかも」

「かもしれませんね」


 店の魔法薬が目的でないとすれば、心当たりは一つしかない。しかし決めつけるには早すぎる。

 透明な窓に不気味な染みをつくる影をにらんだフーカが、杖の先端を私の頭部にあてがった。


「失魔症のクエレには魔法かけても全然効果ないし、あんたに〈地図〉の魔法をかけとくわ」


 杖が淡い光を放つ。凄まじい速度で脳内にへドリスの地図が書き込まれていく。立体ではなく平面図のイメージだが、行き先を示す赤い線も混じっていた。


「はぁ……」


 光が消え、脱力した身体から声がこぼれた。


「あんたの頭に街の地図を刻んだの。私が予測した逃走経路も一応入れといたけど、〈予知〉は専門外だからあんたが判断しなさい。ジェイドの家に辿り着けるようになってるから。主人が大事ならあたしを信じて」


 人間でいう両肩の部分を掴み、語気を強めていった。私が頷くと、彼女は別れの挨拶とばかりに彼の頬に軽いキスをする。

 

「じゃあクエレ……捕まるんじゃないわよ。あとそのっ……ジェイドにもよろしく言っといてね」

「任せてくれ」

「ジェイドさんとは」

「発明家さ。変わり者だけど信頼できる男だ。最近、フーカと付き合い始めて、それで彼女はジェイドのことを意識してる」

「人間のつがいですか」


 面白そうに友人の近況を暴露した彼と、耳まで赤くなってうつむくフーカを交互に見比べる。彼の発言に頬を染めたフーカの気持ちが、魔物の私にはわからなかった。


「うっさいわね」と彼女はいった。「せめてカップルといいなさい」


 フーカが裏口の扉を開くと、そこは路地裏とは別の場所に繋がっていた。距離をいじる類いの魔法だろうか。


「すごい魔法ですね」


 素直に感心する。これほど難度の高い魔法を扱える術者はそう多くない。


「フーカは天才なんだよ」 


 確かにその通りだ。とはいっても油断は禁物である。〈座標まど〉と呼ばれる魔法は、移動させた物体の重さとその距離を合わせた分の疲労を術者本人が負担する。

 私たち二人を移動させる場合、期待できるほど遠くまでは運べない。術者であるフーカ自身がそれをよく理解しているはずなので、彼の賛辞さんじに表情をゆるめなかった。


「目くらましにはなるでしょう」


 といい、彼の質素な衣服を魔術師のローブへ、私の姿をお揃いのローブを着用するへと変えた。

 肌色の四肢がすらりと伸び、頭部の花弁はあざやかな群青の髪となり、胸は控えめにふくらんでいた。


「あのう、これは」


 私は、突起のない五本の指の動きを確かめていった。


「あんたの望みよ」

「望みですか」

「クエレの話をしたとき、あんた一瞬、あたしに心を開いたでしょう」とフーカは悪戯いたずらっぽく笑った。「魔女に対し迂闊うかつに心を開いてはだめよ、シンデレラさん」


 ぽかんと口を開けて固まる私たちの背中を、彼女は優しく押して扉をくぐらせる。言葉を返す間もなく扉は閉じてしまい、知らない建物の壁だけが残された。




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