人間でも魔物でもないみたいです
その声に反応した女が軽く腕を
瞬間、マナの木から一本の小枝が切断され、彼の
それは思わず感嘆の息を
「あんたねぇ……! 今日はパレードがあるから十三時に待ち合わせようって約束したでしょう? 二時間よ、二時間! 待たせるのも大概にしなさいよねぇ……!」
物凄い
何よりほっそりとした肢体の柔らかそうな肉に私の
「そんな約束したかな」
乱暴に揺さぶられる彼は首を
「はぁッ? ちゃんと使い魔に手紙を送らせたわ」
「あぁ……扉の前に置いてあった手紙か。魔法で封をしただろう? ああいうの、僕には開封できないんだよね」
「普通に切ればいいでしょうが!」
「正直に言うと、読まずに放置してた。一人暮らしの男の家に届く手紙にろくなものはないからね」と彼は悪びれもせずに白状した。「この子に街を案内したかったし」
急に紹介された私は硬直する。狙撃女の表情に
「え、何それキモッ……。寄生されてんの?」と彼女は眉を
「寄生してません!」
彼の名誉のために否定する。身体に蔓を絡ませているだけだ。
「あっそう。まぁ、日陰で
狙撃女は関心がなさそうに吐き捨てた。見下されたことだけはわかったので、
「アイル、そう威嚇しないであげてくれ。口は悪いけど、フーカの魔法薬の効き目はこの街で一番いい。つまり一番人助けをしているいい子なんだよ」
「あなたは、いい人間」
「そうよ。あたしはフーカ・エリクシャ。魔法薬学のプロフェッサーでもある正真正銘の天才なの」
「へー、すごいですね」
私も興味がないので適当に褒めておく。フーカという名前だけを覚えておけばいいだろう。
「いけ好かない魔物ね。
「します」
「なに食べるの」
「人間です」
「クエレ、友人のよしみで忠告しといてあげるけど、このペットは飼わないほうが身のためよ」
フーカが至極真っ当な助言を彼にした。ここで初めて彼の名前は「クエレ」なのだと私は知る。
「こう見えてアイルは
「今年は討伐指定の魔物の放し飼いをした途端に食い殺された事故が二件。首輪付きでも飼い主の留守中に子どもを
「でもアイルは――」言いかけた彼の唇を
「……フーカさんのいう通りです。あなたがいなければ、私はただの人食いアルラウネに過ぎません」
「僕がいれば大丈夫だろう」
「だからこそ不安なんですよ」
私の
単純に力がないだけならまだしも、何かあればすぐに死んでしまう種族。寿命も
すると私たちのやり取りを見ていたフーカは、諦めたように息を吐いた。
「クエレが無害と言い張るならいいわ。ここで話すのもあれだし、私の店に入りなさい」
そして案内をする前に、私を指差し、美しい
「あんた、変な菌とか持ってないでしょうねえ?」
「ない……とは言いきれませんが」
「多少の
人間よりはましですよ、という台詞の続きは彼に奪われてしまった。彼女の攻撃的な態度を考慮すると、言わなくて良かったと私は胸をなでおろす。
フーカの店は待ち合わせ場所の看板が示した先の薄暗い路地裏にあった。店内に入った彼女は、杖を振って明かりを
マンドラゴラはアルラウネと比べて希少価値の高い魔物で、ストレスを感じると叫びながら絶命する特徴を持つ。薬草としての効き目もアルラウネより優れているが、とても繊細なので鮮度を維持しにくく捕獲及び流通は
フーカに手招きされた彼はカウンターの丸椅子に座った。カウンターには毒々しく
「はいこれ、今月の薬。新しい薬草を調合してみたから。朝夕の食後に二錠ずつ飲んでね」
フーカはそういって棚の三段目にある錠剤を詰めた布袋を〈浮遊〉させる。空中で静止した袋を、彼はおずおずと腕を伸ばして受け取った。
「助かるよ。いつもありがとう」
「……べつに。失魔症患者が友人だとあたしとしても都合がいいだけ。研究に役立つし」
「フーカは相変わらずだね」
冷たく突き放された彼が苦笑する。刺々しい物言いのわりには親しみを感じられた。
カウンター上に散らばったビーカーやらシリンダーを片付けながら、唐突にフーカは「また絵を描き始めたの?」と彼に
「うん……よくわかったね。どこかに絵の具でもついてたかな」
「表情でわかるわ。こないだまで
「僕が生き返れたのは、アイルのおかげさ」
彼は私の身体を持ち上げ、自分の胸元で軽い
こちらは椅子が古くぎしぎしと
「そう」フーカは短くいい、私に視線を向けた。「ありがとね。クエレを救ってくれて」
目を細めてお礼をいう彼女の声音は、まるで人間の子どもに話しかけているような優しさがあり、その違和感にどきりとした。
「いえ、私はっ……」
しどろもどろになる私の
それに気づいたフーカが嬉々として生態を私たちに解説し、「虫媒花ってなに?」と突っ込んだ彼に
彼は孤児院暮らしだったこと。フーカとの出逢いは十二歳のときに大怪我を
私が知らない彼の話を聞いていると、まるで彼がまったく別の人に変わってしまったような気がした。それが寂しいのか、嬉しいのか、私には判断がつかなかったけれど、二人が積み重ねてきた過去の厚さが羨ましく思えた。細長い
一時間ほど会話を
「あのさ、あんた、どうせまともに食事も
三十秒ほどで戻った彼女は、彼を見つめ、ためらいがちに〈防腐〉の魔法をかけた器を差し出した。
「フーカの手作りかい?」
「そうだけど」
なぜか警戒し始めた彼をよそに、私はその器を
「アイルッ! 大丈夫かッ……!」といって彼は
「ん……大丈夫です、ちょっと私には刺激がきつくて吐いてしまいましたが」
「そりゃ魔物の食べ物じゃないもの」とフーカが
「美味しかったですよ。
私が答えると、その場が一瞬で
何か間違った発言をしただろうか。トロールの糞尿みたいな味がしたのは事実だし、美味しかったのも事実だ。どうでもいいが植物は糞尿でもよく育つ。
「……まぁ、魔物に
またしても見下されたが、彼の緊張が
凍りつかせた原因をこっそり彼に
「ちょっと!」フーカが血相を変えて彼の手首を引っ張る。「
彼女が腕を振ると、周囲の音が消えた。二人の足音も同時に消える。〈遮音〉の魔法を使ったのだ。
「人間でも魔物でもないみたいです」
生物ではない何かが店の周囲をうろついている。言うなれば魔力のみで形成された空洞の人形。そこに魂はなさそうだ。
あくまでも尾行に気づかぬ振りをしながら、私たちは店の裏口にまわった。
「〈闇〉の魔法ね。術者は相当な
「
「かもしれませんね」
店の魔法薬が目的でないとすれば、心当たりは一つしかない。しかし決めつけるには早すぎる。
透明な窓に不気味な染みをつくる影を
「失魔症のクエレには魔法かけても全然効果ないし、あんたに〈地図〉の魔法をかけとくわ」
杖が淡い光を放つ。凄まじい速度で脳内にへドリスの地図が書き込まれていく。立体ではなく平面図のイメージだが、行き先を示す赤い線も混じっていた。
「はぁ……」
光が消え、脱力した身体から声が
「あんたの頭に街の地図を刻んだの。私が予測した逃走経路も一応入れといたけど、〈予知〉は専門外だからあんたが判断しなさい。ジェイドの家に辿り着けるようになってるから。主人が大事ならあたしを信じて」
人間でいう両肩の部分を掴み、語気を強めていった。私が頷くと、彼女は別れの挨拶とばかりに彼の頬に軽いキスをする。
「じゃあクエレ……捕まるんじゃないわよ。あとそのっ……ジェイドにもよろしく言っといてね」
「任せてくれ」
「ジェイドさんとは」
「発明家さ。変わり者だけど信頼できる男だ。最近、フーカと付き合い始めて、それで彼女はジェイドのことを意識してる」
「人間の
面白そうに友人の近況を暴露した彼と、耳まで赤くなって
「うっさいわね」と彼女はいった。「せめてカップルといいなさい」
フーカが裏口の扉を開くと、そこは路地裏とは別の場所に繋がっていた。距離を
「すごい魔法ですね」
素直に感心する。これほど難度の高い魔法を扱える術者はそう多くない。
「フーカは天才なんだよ」
確かにその通りだ。とはいっても油断は禁物である。〈
私たち二人を移動させる場合、期待できるほど遠くまでは運べない。術者であるフーカ自身がそれをよく理解しているはずなので、彼の
「目
といい、彼の質素な衣服を魔術師のローブへ、私の姿をお揃いのローブを着用する人間の少女へと変えた。
肌色の四肢がすらりと伸び、頭部の花弁は
「あのう、これは」
私は、突起のない五本の指の動きを確かめていった。
「あんたの望みよ」
「望みですか」
「クエレの話をしたとき、あんた一瞬、あたしに心を開いたでしょう」とフーカは
ぽかんと口を開けて固まる私たちの背中を、彼女は優しく押して扉をくぐらせる。言葉を返す間もなく扉は閉じてしまい、知らない建物の壁だけが残された。
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