気になっちゃいました


 私たちは同時に息をんだ。彼の肩がびくりと震え、振り返るか否かを逡巡しているようすを表皮はだで感じた。

 清掃の行き届いた石畳のみちを一人の子どもが駆けていった。楽しそうにはしゃぎながら、〈風〉の魔法で紙コップ内のジュースを球体状に浮かせて遊んでいた。子どもの笑い声が遠ざかると今度は、「飲み物で遊んではいけません!」とたしなめる母親の声が横切っていく。

 ひづめを有する魔獣に荷物をかせた〈蹄獣車〉の車輪の音も聞こえてくる。そのわだちを眺めていると、ぎこちなく彼の身体が反転する。背中にいる私の視線も自然と同じ方向になる。


「どうかしましたか?」


 彼の声音から緊張が伝わってきた。


「警戒しなくていい。おれはしがない商人だ」と男はいった。低くしゃがれた声だった。「イバ商店って聞いたことあるだろ。あれはおれの名前から取ってる」

 

 イバと名乗る男は、無精ひげまんで「飼育魔道具専門店フリークスショップ」と刺繍ししゅうされた衣服を見せつける。そでには師団公認の証である〈マナの木〉の若葉の紋章が確認できた。

 私は両脇の街路樹に目を向ける。ここは平民居住区と中心街とをつなぐマナの木の並木道で、ヘドリスの観光名所の一つだった。

 赤橙の葉、黄緑の葉、青藍の葉がそれぞれ等間隔に植えられており、夜間は街路灯の役割を果たす。

 この木は魔力を流し込むとその濃度によって葉の色彩を変化させる特性を持つ。そのため魔力を通しやすく、魔術師が扱う杖を作るのに最適の素材とされる。


「……魔物調教具の」

「そうだ。特殊な分野ではあるがな」

「どうしてこの子が野生のアルラウネだと?」と彼が単刀直入にたずねた。


 イバは当然だと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「おれは職業柄多くの魔物をみてきた。そのアルラウネは野生種特有の大顎を持っている。飼育用のアルラウネは肉をめないように品種改良されてんだ」

「そうなんですね」

「見たところ、あんたは魔物使いってわけでもなさそうだな。そいつがやけに従順そうなのはどんな魔法を使ってんだ?」


 イバの問いを、彼はかぶりを振って否定する。


「いえ魔法は使ってません。怪我のせいで弱ってはいますが」

「アルラウネは人に懐かないって有名なんだがな……」

「山火事で助けたことが大きいのかもしれません」

「派手に燃えた〈バクロの森〉の個体か。なんでも竜の怒りにれたって噂だぜ」

「竜は森を燃やしませんよ」

 

 たまらず私が口をはさんだ。イバは虚をかれたような表情で固まり、申し訳なさそうに首肯する。


「おっとすまねぇ、それはおれも聞いたことがある。だが世の魔術師たちは竜を目のかたきにしてるからな。竜が悪いってことにしたいのさ……お嬢ちゃんは喋れるのか」

「えぇ」


 わずかな沈黙の後、イバは彼のほうに向き直った。


「ま、いい。本題に移ろう。あんたはアルラウネを無断で飼育してる。師団にバレたらしまいだ。ここまで懐いたアルラウネを手放すのは惜しいだろ。そこで〈トールストン〉で開発された新しい首輪があってだな。従来の首輪には〈服従〉の魔法がかけてあり魔物への負担の大きさが問題視されていたが、こっちのほうは……」

「〈戒律かいりつ〉の魔法ですね」


 私はつるで調べながらいった。


「そう、それだ。よく知っているな。お嬢ちゃん」

「魔物ですから」


 擬態部の両腕にあたる二本の蔓には魔法を識別する能力があった。なぜ、という問いに答えるのは困難をきわめる。

 人間が二足歩行を説明するようなものだ。できるから、できる。としか言いようがない。

 過去をさかのぼって全てのアルラウネにその能力が備わっていたとは限らないが、一つ確かなことがあるとすれば、つるで魔法を識別できたアルラウネだけが生き残り、他は全滅したということ。

 私に限った話ではないけれど、魔の物としるすだけあって、魔物は本能的に魔法を知覚しやすいとされている。

 それゆえイバも私を一瞥いちべつし、納得したふうにひげぜるのみだった。


「おれも仕入れたのは今回が初めてでよ、まだはっきりとした安全性がわからねぇ。代金はらねえから使ってみてくれ。あんたは正式に飼えるし、おれは商品の安全性を確かめられる。悪くない提案だろ?」


 相互利益となる取引をし進めようとするイバに、彼は暗い表情で返した。


「……遠慮しておきます。僕はあまり、そういった道具は好きじゃない」

「ふん、愛護派か。いいだろう」とイバは不愉快そうに腕を組む。「お嬢ちゃんは勝手にめてるけどな」

「何してんのアイル」

「……気になっちゃいました」


 彼が、私のためをおもって拒否してくれたのは分かる。精神を支配するたぐいの悪趣味な魔法への嫌悪もある。しかしながら私の知的好奇心がそれらにまさり、躊躇ためらいもなく首輪の施錠音をひびかせていた。


「もう魔法はかけられていますか?」

「まだだな。リードの先端の素材にマナの木を混ぜてあるから、所有者が握って魔力を流したら発動だ」

「でも彼には魔力がありませんよ」


 私が言うと、イバはあからさまに顔をゆがめて舌打ちをした。


「愛護派で失魔症の不能者か……これを貸してやる。なにか命令してやれ」


 それは携帯式の〈充魔器〉だった。長旅の途中で魔力を枯渇こかつさせたときや、失魔症患者への簡易補給として使用される、魔力そのものをめた魔道具だ。携帯式の他に大容量タイプと高速補給タイプがある。魔法ではないので、ただ使うだけでは何の意味もなさない。


「アイル、首輪を外すんだ」

「無理です。あなたが外してください」

「えぇ……魔法効いてないのかなあ」


 彼は困惑しながら私に嵌められた首輪を外す。


「〈戒律〉は強力な魔法なので私に耐性はないかと」

「そうなのかい? イバさん。言いにくいですけど、この首輪壊れてますよ。不安なので返却しておきます」

「いや不良品ではないと思うが……ようわからんな」


 半ば押しつけるように返却された首輪をつかむイバの手元を、その場にいる三人で注目していた。

 気まずい空気が流れるなか、彼はゆっくりと歩きだす。


「じゃあ、僕たちはこれで」

「あぁ。せいぜい見つかるなよ。イバ商店はこの並木道を抜けた先にある。買いたくなったらここに来い」


 にわかになびきだしたマナの木に気を取られていた私は、彼と反対方向に歩を進めるイバの背中を無言で見送った。





 この世界の生命はすべからく魔力を持って生まれてくる。

 人間、魔物、精霊、細菌、植物――生命だけでなく、水や空気のような無機物にすら微量の魔力が含まれている。

 その中で完全に魔力を持たないことは一種の病気として扱われた。

 失魔症。発症すると文字通り魔力を失ってしまう疾患である。先天的なものと後天的なものがあり、発症の起源は後天的な要因とされる。ある研究では有性生殖を行う生物の場合、片方が失魔症に罹患りかんしていた時点で、胎児は魔力を保有せず産まれてくるという内容の論文が発表されていた。辺鄙へんぴな集落では遺伝性がたたりだと恐れられることもあった。

 失魔症患者への治療方法は未だ確立されておらず、魔力を保有することを前提で構成される人間社会では不能者とも呼ばれ、しばしばさげすみの対象とされた。

 唯一、有性生殖でありながら魔力を持たない生物は存在する。それは竜である。彼らは一切の魔力を持たず、また一切の魔法を受けつけない特殊な鱗に覆われているので、魔術師にとっては天敵とも呼べる存在だった。竜をみ嫌う理由の一つだ。

 生態の多くは謎に包まれているが、新たな失魔症患者の発生前後でため、何かしらの関連があるのではないかとする説もある。

 という話を、私は〈巨岩礼拝堂〉前のベンチで休憩を取りながら聞いた。

 彼自身が失魔症患者であり、定期的な通院を余儀なくされているため、自分の病気についてはよく調べてまわったのだという。

 魔物である私が、人間の苦悩を正しく理解できているかはわからないけれど、いつもは目を合わせてくれる彼の横顔が印象に残った。表情を悟られたくなかったのかもしれない。

 礼拝堂はへドリスを上下に分断する境目の位置にある。中心街のさらに中心、そこから転じて〈巨人のへそ〉ともいわれていた。 

 やはり中心街は建物の外観から人々の顔つきまで彼の住む場所とは異なった。廃墟になった建物の瓦礫がれきはどこにも見られないし、錆とも無縁の白い煉瓦れんがの街だ。 

 清潔さの代償にやや。〈風〉の魔法でチラシや郵便物をポストに入れたり、ゴミをいて片付ける人。〈水〉で花壇に水やりをする人。小さな〈火〉を指先にともし煙草に移す人。〈大地〉で建物の修復をおこなったり、みちの陥没をめる人。路地裏の暗がりを〈光〉で照らす人。逆に、照りつける太陽を〈闇〉のひさしさえぎる人。

 これだけ至るところに魔法の痕跡があれば、におうのは必然だった。私でさえ魔力いをしてしまいそうになる。

 平民街であまり臭いを感じなかった理由は察しがつく。魔法が不得手な人間や、失魔症の人間たちは社会的に不利な立場をいられ、貧困におちいる割合が高いのだろう。

 

「ところで。イバという男に通報される心配はないのでしょうか。必要とあらば口封じしときますけど……」

「物騒なこというなぁ。僕をおどしたところでふんだくれる金はたかが知れてる。そのくらい商人のイバさんはわかってるよ」

「そうですか」

「あと僕は人を食べないでくれとしかお願いをしていないけど、そこには傷つけないでくれという意味も含ませてるから、安易に暴力で解決しようとするのは良くない」

「……気をつけます」

「そう落ち込まなくていいよ。説明しなかった僕も悪いし」

「落ち込んでません」


 そっぽを向いて答える私に、彼は機嫌を損ねた幼子をあやすみたいな口調でいう。「食べるかい」


 彼の手には購入したばかりの生肉の紙包みがあった。美味しそうだが私にもプライドがある。見え透いた誘いに乗るわけにはいかない。


「ご機嫌取りのつもりですか?」


 食欲を抑えつけて、いってやる。


「そうかもね。でもアイルに休憩がてら食べさせてあげたい、と思ってたのは嘘じゃない」


 僕のお気に入りの場所だから、と彼は付け加えた。礼拝堂の広場に繋がるみちは黒煉瓦で整えられていて、白い建物の街では別世界のように見えた。

 

「……いただきます」


 紙包みをつるで受け取って口に運ぶ。

 

「ここはね。失魔症の建築家が建てた場所なんだ」と彼はいった。


 広場の中央には大きな噴水が二つあり、どちらも魔力の気配がしなかった。魔法に頼らず純粋に人の手で設計されたことを意味する。


「魔法を使える人間に建てさせたほうが手っ取り早いのに、わざわざ手間をかけるんですね」


 私は人間の非効率といえる行動に疑問をいだいた。


「手間をかけたからこそ、なんかこう、魂を揺さぶられる感覚になるだろ」

 

 きらきらと輝く彼の瞳は、噴き上げる水しぶきに透かした景色に似ている。


「よくわからないです」私は蔓を巻いて考える。「……わからないですけど、あなたの絵は、嫌いじゃないです」


 分野はまったく違うけれど、彼の描く絵も魔法に頼らず手間をかけたものだ。私は、彼が絵を描かなかった日に寂しいと思うくらいには彼の絵を必要としていた。


「そうか」

「もっと上手に描いてくれないと点数は上がりませんよ」


 声をはずませた彼に釘を刺しておく。調子に乗らせませんよ、と心の中でつぶやいた。そうして残りの生肉にかじりついたときだろうか。

 空で何かが弾ける音がした。こちらまで魔力の残滓が漂ってくる。魔術的な何かが打ちあがり、爆発したのだ。

 私は即座にあぎとを持ち上げ戦闘態勢に入る。


「敵襲ですか」

「これはただの祝砲だよ。今日は〈巨人の庭〉でパレードがあるんだ。このあいだ魔術師団の遠征部隊が帰還したらしいから、それだろうね」

「パレード」

「お祝いの行進さ。いってみるかい?」


 私が頷くと、彼は微笑んで立ち上がった。



 巨人の庭には多くの人だかりができていた。群れひしめく餌の匂いに頭がくらくらとする。

 私は無意識に涎を垂らしていたが、幸いにもそれを気にする人はいなかった。体内で鳴り続ける消化液の音も、パレードの音楽が塗りつぶしてくれた。

 曲の指揮者が空中に浮き立ち、魔法で楽器自身にかなでさせている。簡単そうにやってのけるが、あれは高度な技術を要求される。

 その音の輪の下を魔術師たちが列をなして歩く。一様に同じ服装をした戦闘魔術の熟練者たち。

 私の直感が、彼らは「強い人間」だと告げていた。一人ひとりのまとう雰囲気がパレードの見物に来た人間とは比べ物にならない。

 特に胸元で勲章を光らせる人間の放つ魔力は化物じみている。なるべく関わらず平穏にやり過ごしたいと思った矢先、長身の魔術師がこちらを向いた。腰に黒杖をして片眼鏡モノクルを嵌めた男だ。

 私は彼の背中に隠れる。すると私たちの前方にいる人々の歓声が上がる。男はしばらくこちらを見つめた後、列に戻った。

 彼はというと、男の行動に後ろめたさや動揺を見せることもなく、しきりに首を動かして列全体を眺めている。


「何か気になる人でもいますか」


 挙動不審な彼にいた。彼の首の動きが止まる。引きめた唇からワントーン低い声がれた。


「うん……いるはいる。僕の幼馴染をさがしてた。それで見つからなくて安心したんだ」

「前にいってた話の」


 私は、彼と出った夜の記憶を辿たどりながらいった。


「そうそう。冒険者は、魔術師団の下部組織に所属する予備団員……魔術師見習いを指すんだけど、昇格が早ければ遠征部隊に配属されていてもおかしくない時期でね。……今の僕には努力がむくわれた人を見るのはつらい」


 言葉とは裏腹に、彼の声音は寂しさをはらんでいた。私はそれと背中越しに伝わるかすかな体温の変化から顔色を想像する。


「安心したわりにはけわしい顔してますけど」

「……生きて帰ってきて欲しい気持ちもあるんだ」

「人間は面倒くさい生き物ですね」

「まぁね」


 彼は肯定し、巨人の庭の時計塔を見やる。時刻は十五時に差し掛かったところだ。「そろそろかな」と独り言をいい、彼はきびすを返した。

 パレードの影響で閑散とした大通りを抜けると、丘のようにふくらんだ十字路があり、その脇で紅紫こうし色のマナの木の幹が小さな看板をぶら下げていた。

 そこで待つ一人の若い女に向かい、彼は手を挙げていった。


「やぁ、待ったかい」



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