約束ですか


 私の眠りをさまたげたのは窓枠から差し込む陽光だった。頭上に降りそそぐ木漏れ日や湖面のきらめきとは違う、人工物による四角形の光が朝をげる。

 窓枠の上部に取り付けられたぼろ切れのような薄布うすぎぬが風を浴びてふくらみ、石造りの床にまばゆい光の絨毯じゅうたんいている。家屋の建築に魔法が用いられるこの世界では、石造りの建物が一般的だと書物で読んだことがあった。天然の石材を素材のまま切って〈浮遊〉させ、組み上げるだけで形になるからだ。

 私の視界は奇妙な板にさえぎられていた。天井。生まれて初めて見た。染みや埃にまみれてちかけている。素材は木だろうか。

 森の木々を思い起こし、形は変わってしまっても、青空にふたをするものは変わらず「木」なのだなと感慨にひたった。  

 全身がひどく痛む。あれほどの怪我を負ったのだから当然だ。思うように身体をあやつれず、諦めて微睡まどろんでいると付近に獲物の気配がした。

 消化液が一気に沸騰し始める。痛みもひどいが空腹もひどい。無意識にあぎとを伸ばし、獲物の頭部を飲み込む。

  

「起きてくれてよかった」


 飲み込まれているので若干くぐもった声になってしまっていたが、獲物は確かにそういった。

 口内をたすものがよく知った彼の匂いであることに気づく。私は覚醒した。


「すみません!」


 慌てて彼をき出す。赤い血の通った白い肌を持つ魔物であれば、表情は面白いくらいに青ざめていたと思う。


「お腹空いてる?」


 粘液で顔をべたべたにした彼がいった。


「めちゃくちゃ空いてます」

「僕を餌だと間違えるくらいだもんね」

「ま、間違えてないです! あなたは餌ですから」

「はいはい」


 適当にあしらわれた。わざとらしくねてやると、肉の入った紙袋と一杯の水をいでくれた。


「全然足りません」


 それらを一瞬で平らげてしまった。申し訳ない。ついでに言うと私は人間みたいに口から水を飲まない。根で吸い上げるタイプだ。その根は切断してしまったばかりなので飲むのに苦戦した。


「長いこと眠っていたようだからね。落ち着いたら買い物に行こうか」

「私、そんなに眠ってましたか?」

「三日くらいかな。このまま起きないんじゃないかと心配してた」

「それはそれは……ご心配をおかけしました」

かしこまらないでくれ。僕としてはアイルが目覚めてくれて一安心だ。山火事の鎮火も終わったらしいよ」


 あの規模の火災を三日で食い止めてしまうとは、大した生き物だ。災害を引き起こしるのが人間であれば、災害を食い止め得るのもまた人間である。


「よく私をあなたの家まで運べましたね。人間の街に人食いアルラウネを持ち込んだとなれば大騒ぎでしょうに」

「あぁー……いつもなら警備の人たちがいるんだけど、あの日はそれどころじゃなかったみたいでさ。街の入り口付近は避難する人たちであふれかえってたんだ。あとは魔術師団の人たちが消防のために頻繁に出入りしてたり、避難民を宿泊施設に誘導してたから、その混乱に乗じさせてもらったよ」

「はぁ。意外にちゃっかりしてるというかなんというか……」

「そこは腐っても絵描きだから、周りをよく見ているんだと思う」

「またまた、ご冗談を」


 今度はこちらが受け流してやる。彼はがしがしと頭をき、鼻歌じりに身支度を始める。私も何かをやらなければならない気がして、食べ終えた後の紙袋をごみ箱に入れた。すると彼は重要事項を思いだしたみたいに、そういえば、と声を出す。


「これから出かけるにあたって留意してほしいことがある。アイルの怪我の具合をみるとしばらくは僕の家で過ごすだろう。加えて僕が住んでいるのは森じゃなくて人間の街だ」


 自分の身体に視線を落とす。今更ながら傷口に包帯が巻かれていることに気がついた。

 包帯には〈治癒ちゆ〉の魔法がかけられていた。治療関連の魔法は専門外なので詳しい効力は不明だが、こういった市販の魔道具は長期にわたる使用期限と引きえに効力は気休め程度と相場が決まっている。


「そうですね」

 

 窮屈な感覚はあったもののそれが包帯によるものだと思い至らなかったのは、私が植物型の魔物であるからに他ならない。出血をせず、欠損しても生えわるパーツには関心が薄かった。

 傷口を物理的にふさいでしまうのは、再生力を持つ私にとっては逆効果になるのだけれども、彼の気持ちをんで数日はそのままにしておこうと思った。看病してくれた証拠を消したくなかったというのも、すこしある。


「いいかい。きみはここにいる間……少なくとも僕がきみの面倒をみている間は、決して人間を食べないでくれ」

「あー……」


 盲点だった。ひとまず命拾いしたことに安堵していたが、別の問題が発覚してしまった。

 彼に対しては今のところ食欲の抑制に成功している。しかし他の人間はどうだろうか。

 どうしようもない空腹に襲われたとき、生命の最たる欲求の一つともいえる食欲を抑えるのは並大抵の意思では不可能だ。人間にとっての空腹による苦痛の度合いは分からないけれど、アルラウネにとっての空腹による苦痛は耐えがたい。

 即答できずにいる私をみて、彼は念を押すようにいった。


「今後人間を食べるなとは言わない。アイルはそういうふうに生まれてきたわけだから、人食いをとがめる気はさらさらないけど、人間の街では人間のルールに従ってほしい」

「……わかりました。人間の肉は我慢するので、他の肉はあなたが食べさせてくださいね」

「もちろん、約束だよ」

「約束ですか」

「破ると針を千本飲まされる呪いの魔法さ。きみの身体でいうと棘になる」

「うわぁ」


 恐ろしい魔法だ。自分の荊棘を千本も飲まされたら死んでしまう。

 ほどなく身支度を完了させたらしき彼は、不摂生な生活の様相をていしたテーブルの椅子に座り、神妙な面持ちで自分の顎をさすっていた。


「その怪我が治ったらの話だけど、アイルは森に帰りたいって思うのかい?」

「えぇっと」


 唐突な質問に答えあぐねる。


「僕としては……ここで、きみと暮らしたい」


 私は考える。

 猛毒を持つ草食性のアルラウネと違い、私は完全な肉食性の個体。大食いで人間を主食とするため飼育には適さない。経済面での負担も大きい。大人しく野生に戻ったほうがお互いの利益になる。

 頭では正しく損得勘定ができているのに、「ごめんなさい」の一言が告げられずにいた。

 沈黙する私のつるを彼は両手で包んだ。そして真っ直ぐな瞳で見つめてくる。


「アイル」彼が私の名前を呼ぶ。「僕と一緒に暮らそう」

「わかりました」


 あっさり承諾させられた。仕方がないので発想を変えてしまおう。

 彼と一緒に暮らしておけば、彼が森に足を踏み入れる理由がなくなり、他の魔物に襲われる心配をせずに済む。

 それに、自分の身をていしてまで救ってくれた恩人の願いはできる限り叶えてあげたい。

 


 彼の家を出る間際、テーブルの隅で一枚の画用紙を発見する。鉛筆の跡が私の寝顔になっている。

 二十九点。

 ずっと看病してくれたからプラス五十点。でも私が見てないときに描いたからマイナス五十点。やっぱり二十九点。





 百腕都市へドリス。それがこの街の名前らしい。大地との繋がりを持つ人々が集まり繁栄した過去があるため、かつてのへドリスに豊穣をもたらしたとされる巨人ヘカトンケイルをあがめており、中心街にはの王をたてまつほこらまであるという。

 私にいわせてみれば、人間の信仰心は過剰で自己満足に寄りすぎている。供物をささげたり、石像を彫刻したり、感謝の意を込めた祭りをり行うといった行為を王は喜ばないだろう。恩を返すならば、助けを必要とされたときに返せばいいだけだ。

 まぁ、それで人間が満足するなら勝手にすればいいのだけれど。

 心のなかで悪態をつく私は、森が死んだ日のように彼に背負われ、街の雑踏と同化していた。

 私にとって人間の街はこの世のありとあらゆる財宝を詰め込んだ宝箱だった。大好物の肉があちらこちらで闊歩かっぽしている。彼のような平民街のぼろ小屋周辺でさえこの人口。繁華街や王宮に近づくほど増えるというのだからたまらない。

 その一方で宝箱は罠でもある。人間の街で人間を殺めるのは重罪。もしも開錠したならば、私は即座に命を奪われることになるだろう。

 宝箱を目前にして、喉からが出るほど欲しいそれを決して開けてはならないとは、なんとも形容しがたい拷問だった。

 彼の「一緒に暮らそう」を言い換えると、「死ぬまで苦しんでくれ」という意味になる。欲望と理性が波のように押し寄せえずせめぎ合う苦しみを、暢気のんきな顔で商店街を練り歩くこの男には到底理解できまい。

 とはいえ人間の築き上げた文明――すなわち人間の巣の完成度の高さは驚愕に値する。個の単位でみて人間よりもはるかに強大な魔物が蔓延はびこる世界でも淘汰とうたされないわけだ……あっ、美味しそうな匂いがする。なんだろうこれ。私の思考は香ばしさを放つ出店の料理に負けた。


「これはなんですか」


 木の棒で串刺しにされた〈怪魚〉をつるで指していった。怪魚は世界中の水域に分布し、幅広い生物の栄養源になってくれている。強い臭みで食欲をそこなうのが玉にきず


「怪魚の塩焼きだね」


 彼の説明によると捕獲した怪魚を焼いて殺すのではなく、殺して焼くらしい。鮮度を重視する場合、暴れないようにその場で失神させてから生きたまま焼いて食べるのだとか。

 いずれにせよ生き物を二度殺すなど残酷極まりない行為だ。


「塩焼き……生命に対する冒涜ぼうとくですね」

「食べてみるかい?」

「いえ、私は、その……」

「すいませーん! 塩一本。お願いします」

 

 彼は聞くやいなや怪魚の塩焼きを買って差し出す。おそるおそるあぎとで受け取った。

 

「う~ん。これは焼きますね。冒涜最高です。人間も焼けば美味しくなるんでしょうか」


 怪魚由来の臭みが消えて食べやすい。身がほろほろしていてとても美味でした。


「焼かないよりはましなんじゃないか? 僕は想像したくないけど」

「あーあ、私にも〈火〉が使えたらなぁ……」

「使えたとしても植物のアイルには酷だろう」

「忘れてました……火はこりごりです」


 焼きアルラウネになるのはさすがに嫌すぎる。当面は雷火らいか榾火ほたびとも和解できそうにない。


「私を外に連れ歩いても大丈夫なんですか?」


 巻きつけた蔓同士をきつく絡ませ、背中越しにたずねる。


「大丈夫。まぎれもない犯罪だ」と彼は苦笑する。「無許可でアルラウネを飼育していることになるからね」

「それ大丈夫じゃないですよね?」

「見つかったら僕は罰を受けるし、アイルは殺処分かな」

「さらっと私のせい、終わらそうとしてません?」


 彼のせいで殺されたら笑い事では済まされない。


「安心してくれて構わないよ。アイルのように人間に危害をおよぼす魔物を飼うには許可証付きの専用拘束具……安全なペットですっていう証明が必要になるんだけど、僕みたいな貧乏人の住む場所じゃあ滅多に確認なんてされない。きみが問題を起こさなければね」

「すごい圧を感じますが……」

「バレたか。まぁ、きみが弱っている間に連れ歩いて、人間の街に慣れてもらおうっていう目論見もある」

「なるほど」


 彼の動機に合点がいった。それ以上はかず、大人しく彼の背中に命を預けることにした。

 目的の精肉店に着く。色とりどりのご馳走たちに思わずが出そうになったが必死にこらえる。彼は慣れたようすで追加の生肉を購入する。家畜化された魔獣の肉らしい。


「よくうちに肉を買いに来ると思ったが……魔物を飼い始めたのか」

「はい……アルラウネに一目れをしてしまって。おかげで食費がかさんでますよ。楽しいですが」

「アルラウネは肉を食べるのか。まぁ、あれだ。なかなか可愛らしい見た目をしているな。飼いきれなくなったら貰ってやるよ。肉だけはあるからな」


 店主がいい、豪快に笑った。


「嫌です」


 彼の代わりに断っておく。なんとなく暑苦しくて不快だった。


「断るか! ますます気に入った。おまけに一切れ付けといてやるよ」

「わーい、ありがとうございます!」


 前言撤回。この人間はいい人間です。


「楽しいだろ」と彼が語りかける。「開き直って堂々としていよう」 

「それもそうですね」 


 私は同意する。魔物だからと無条件に嫌われたり、必要以上に注目を集めないのであれば落ち着いて楽しめる。

 商店街を行きう人混みにまぎれて、ちらほら魔物とその飼い主とおぼしき人物ともすれ違う。

 人間とはますます奇妙な生き物だと実感する。

 それから彼と一緒にへドリスの平民街を観光していると、不意に刺すような視線を向けられる感覚があった。


「おい」と背後から声が掛かる。「あんたそれ、野生種のアルラウネか」




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