コミックス①巻発売記念 書き下ろしSS

セルマの看病



 テオは聖女付きさいとして、一日の大半を私と過ごす。しかしそれだけでは体がなまってしまうので、武芸の特訓や肉体錬成にも余念がない。時には修道騎士らに交ざり、ともに訓練することもある。


 今日も彼らと一緒になって訓練に勤しんでいたテオ。ところが途中で雨に降られ、ずぶ濡れになってしまったらしい。私のところへやってきたのはごっそり着替えてからだったものの、くしゃみと鼻水が酷かった。昨日も喉の調子が悪そうにしていたから、雨にあたったことで悪化したのかもしれない。


「……テオ、今日は部屋で休んでいた方がいいんじゃない?」


 平気なふりをして座っているテオに一応告げてはみたものの、彼に呑む気はなさそうだ。


「なぜ?」

「だって見るからに風邪を引いているじゃない」


 くしゃみ、鼻水、顔も赤い。これだけの証拠が揃っていながら、強情なテオは首を振る。


「セルマの気のせいだ。俺は病気になどならん」

「自己紹介はもう必要ないのよ? 『バカは風邪引かない』っていうの、迷信なんだし」

「……それは……、……ん? それはどういう意味だ?」


 証拠が一つ増えた。頭も回っていないようだ。


「ごめんなさい、なんでもないわ」


 取り急ぎ発言を撤回し、代わりにテオの気を楽にさせようと試みる。


「大丈夫よ、午後の予定は私一人でこなせるもの。付き添いは騎士の誰かに頼むから、テオは――」

「いいや、おまえのことは俺が見張っていないと……ふぁ、ふぁ、……っくし!」


 ずいぶんとかわいらしいクシャミだ。


「本当にいいから。対話の最中にもそうやってクシャミで水を差すつもり?」

「クシャミ程度、我慢できる。俺はこれまでどんなに辛い訓練にも耐えふぇっくし!」


 すでに我慢ができていない。そもそもクシャミも鼻水も、生理現象なのだから気合いでどうにかできるものではないはずだ。

 私は立ち上がり、テーブルを避けテオの前に立った。逃げられないように肩に手を置き、反対の手を彼の額にぴたっと当てた。


「……かなり熱があるじゃないの! いいから早く下がりなさい。先日私が体調を崩した時、テオだってそう言ってくれたでしょう? 私はあの時ちゃんと休んだわよ。だからあなたも休みなさいよ」

「いいや、俺はこのまま――」


 押し問答が続くので、私は攻め方を変える。


「風邪をうつされたくないのよ! 私はまだ若いからいいとして、体力のない高齢者やしっ患持かんもちの信者たちはちょっとした風邪でも命取りになるの。彼らの健康を守るため、あなたを同席させるわけにはいかないって言っているのよ!」

「な……そ、そうか……わかった」


 ばい菌のような扱いを受け――実際似たようなものだけど――、テオはしょぼくれつつようやく納得してくれた。背中を丸めたテオが退室してすぐに、窓を開けて換気する。


 ――彼には悪いけど、仕方がないのよ。さ、仕事仕事! テキパキ片付けてしまいましょう!



「――というわけで、看病しに来たわよ! その後体調はどう?」


 仕事を一通り終わらせたあと、私はテオの私室を訪れた。

 彼の部屋に入るのは、今回が初めてだ。見たところ輔祭の部屋にしては広いが、王宮にある彼の自室に比べたら狭いだろう。


 それでも文句一つ言わずこの部屋を使い続けているところは、褒めてあげたいと思う。

 対話と雑務を終わらせてテオの部屋に突撃した私に、彼は喜ぶでも怒るでもなく、寝台から頭だけを起こし私を見て眉をひそめた。


「おまえにもうつしてしまう。早く帰れ」

「ええ、やることやったらすぐに帰るわ。だから大人しくしていてちょうだい」


 修道女からワゴンを借り、その上に色々載せて持ってきたのだ。それらを使わずして帰ることなど、一体誰ができようか。


「じゃあまず、これよ!」


 いいから寝ていて、と促しながら手始めに私が取り出したのは、水の入った洗面器と布巾。その布巾を水で濡らし、テオの額の上に置いた。


「どう? ひんやりして気持ちいいでしょう?」


 見た感じ、数時間前よりも熱が上がっているようだ。「あられもない姿」とまでは言えないが、顔が赤く、息も荒い。だからこそ、この濡らした布巾もより効果的のはず。

 ところがテオの辛そうな表情は、期待したほど改善しない。


「気持ちいいにはいいが……どうしてこんなにビタビタなんだ? 絞ってから載せた……んだよな?」

「いいえ? だって水分が多ければ多いほど、冷えて気持ちいいでしょう?」

「……少し絞ってくれ」


 好みの差異は仕方ない。テオがそう言うなら、と私は再度水に浸け、今度は絞ってから載せた。ふう、と小さく息を吐き出したのを見て、私もひとまず安堵する。


「それから、回復には栄養も必須でしょう? だからパン粥を持ってきたの」


 ほら起きて、と座らせて――布巾は早々に回収した――、お盆ごと彼の膝の上に置いた。やはり発熱のせいか、栄養満点なこれを見たテオの表情がどうにも冴えない。


「言いにくいが……言おう。どうしてこんなに毒々しい色合いと臭いなんだ?」

「体に良いものを手当たり次第入れたからよ。トカゲの燻(くん)製(せい)、ハブ酒、マンドラゴラ……。これを食べたらあっという間に元気になるわ!」

「い、『入れた』って……まさか、おまえが?」


 テオが聞き返したので、私は待ってましたとばかりに鼻高々で答える。


「そうよ、私が作ったの! こんなこと誰にでもしないわよ? でも、テオには借りがあったから。この前私が熱を出した時、気を使ってあれやこれやと手配してくれたでしょう? だからその借りを返しにきたってわけ」


 貸し借りもあるし、私だってテオが憎いわけじゃない。これからも相棒として、元気に私の横にいてもらわないと困るのだ。

 今は無理やり悪魔祓いを手伝わせている状況だけど、そうしたくてしたのではない。できれば、もう少し、いい関係になれたらとは願っている。


 テオがスプーンを手に取り、紫色のパン粥を掬ってゆっくり口に運んでいく。とても緩慢な動きなのでまるで気がすすまないみたいに見えるが、全ては発熱のせいだろう。摂取したら元気になれるとわかっている食べ物を忌避する理由なんてないはずだ。


「――っぷ、もう食べられない……」


 私がじっと見守っていると、八割方食べたところでテオはついに音を上げた。完食してもらえなかったのは残念だけど、これだけ食べれば上出来だ。


「これで満足か? 俺は寝るからセルマは――」


 再び横になろうとするテオ。すかさず私はワゴンを漁り、とっておきの一冊を取り出す。


「いいえ、最後に一つ。あなたがぐっすり眠るお手伝いをしてあげる。ちゃんとそれ向きの本をつくろってきたんだから」

「寝かしつけの絵本か? 子どもではないんだぞ。そんなもの不要だ」

「いいのいいの、こういう時くらい私に甘えておきなさいって」


 椅子に座り直し、ゴホンと咳払いを一つ。


「じゃあ、読むわね。――父親が息子と二人で遠乗りに出掛けました。ところがその帰り道、嵐にってしまいました。早くおうちに帰ろうと、父親は馬を急がせます。すると息子が尋ねました。お父さん、あそこにいるのは誰? 父親は答えます、誰もいないよあれは霧だよ、と。息子は更に尋ねます。お父さんお父さん、聞こえないの? 父親は答えます、あれは木の葉のそよぐ音だよ、と――」


 突然テオがガバッと体を起こす。


「セルマ、その話……不吉な結末が予想されるんだが? それが病人向けの物語か!?」

「どこかおかしい? これは教団が出版した絵本の一つで――」


 テオは私の説明を遮り、うんうん、と何度も頷いた。


「わかった、ありがとうセルマ。本当にありがとう! おまえの善意は受け取った。これで貸し借りもなし。そうとわかったら、頼むから、もう出ていってくれ!!」


 尋常ではない彼の様子。私が想像していたよりも、テオの病状は悪かったのだろう。


「わ、わかったわ。ごめんなさい、そこまで辛いと気づけなくて……おやすみなさい、お大事にね」



 翌日――。

 あの様子ではもう一日寝込んでも仕方ないと思っていたが、予想に反しテオはいつも通り私の部屋を訪れた。熱は落ち着き鼻水も止まりケロッとし、何事もなかったかのようだ。


「テオ、おはよう。顔色も良さそうね。やっぱり私の看病が効いたのかしら?」

「そうだな……これ以上おまえに看病されなくて済むよう、強くあろうと固く誓った」


 一癖も二癖もある意味深な発言だが、揉めるのも億劫(おっくう)だった私は流すことにして微笑む。


「何はともあれ、健康が一番ね!」


 みなが健康で、世界が平和でありますように。女神のご加護がありますように――。


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本物の聖女じゃないとバレたのに、王弟殿下に迫られています 葛城阿高/ビーズログ文庫 @bslog

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