2-3


「いい加減、起きろセルマ」


 ヲウル神殿最上階、聖女の私室まで私を運んでくれたのはテオだった。六十過ぎのエトルスクスさまには部屋へ続く階段がきつく、代わりに、聖女付きで体力もあり余っているテオがを言わせずうんぱん役にさせられた。

 彼は私がたぬきりを決め込んでいることに気づいていたにもかかわらず、二人きりになるまで私を起こさずにいてくれた。

 思いやりなのか、頼まれたら断れないだけなのかはわからない。でも、テオのおかげで私が起きていることを誰にも疑われずに済んだ。


「セルマ、わかっているんだぞ」


 テオが再度声を掛けた。


 ――ずっと目覚めないままだったら、テオはどうするんだろう。


 急にいたずら心がいた。


「どうせ起きているのだろう? ……セルマ? そうだよな? ……おい、まさか、本当に気を失って……?」

「ふふっ」


 わかりやすく不安になっているテオの声を聞いたら、え切れず噴き出してしまった。

 そっと目を開くと、いかりに震えるテオが見えた。

 彼は勢いに任せて立ち上がり、そのひょうに椅子が倒れる。


「セルマ……ふざけすぎだぞ、最低だ、度を越えてる!」


 私はしんだいから体を起こし、気色ばんで私を見下ろす彼の顔を見上げた。


「とんでもない、最高よ。誰にも危険が及ぶことなく悪魔祓いが無事に終わった。その上、エトルスクスさまたちも悪魔のしゅうあくさを認識できたはず。これからは意欲的に悪魔祓いを引き受けることになる。つまり、助かる人が増えるということ。これ以上、何を不満に思う必要が?」


 私はテオがなっとくしていないことも重々承知していた。それを無視せざるを得ないのが少し申し訳ないけれど。


「おまえは俺を利用した! せめて素直に『力を貸してほしい』と言ってくれればまだ話は違ったものを、頭も下げず、俺を動かざるを得ないじょうきょうに追い込んだ! 挙げ句、おまえのくだらない噓に加担させるなどっ!」


 テオの言うとおり、私は卑怯なことをした。

 おそらく、過去を含めて私が正直に打ち明けたら、テオならきっと同情し、親身になって協力してくれたに違いない。でも、私はそれがいやだった。無関係なテオに、な使命感を背負ってほしくなかったのだ。


「テオが私を聖女だと認めないのが悪いのよ。私は何としてでも、テオに協力してもらう必要があった。そのために、手段を選ばなかっただけよ」


 言わばこれは両親を殺された私の個人的な事情。失敗してもくやしく思うのは私だけで十分。むしろテオはえんなんて一切知らないままでいい。

 だからこそ、テオが同情しないように、私は彼に嫌々手伝わせる道を選んだのだ。

 そんなおもわくなどよしもなく、テオは視線を外すとほんのりほおを赤らめた。


「そうだとしても、あれはない! あんな、あんなをっ」

「……『あんな』っていうのは、キスをしたこと?」


 その単語を出した途端、彼の肩がビクリとねた。


「そ、そうだ。まさか、おまえも他の女たちといっしょだったなんてな。俺が王族で王弟だから、俺の地位に目がくらみ――」

「は?」

「え?」


 話が逸れたのはよかったけれど、逸れすぎ。だっせんが酷い。


「何言ってんの、あなたこそ、あの時ちゃんと起きてた? まさか、あのキスをいろかけか何かだとでも思ったわけ?」

「セル――」

「そんなわけないでしょう! あれは『祝福の接吻』。私に聖なる力がないことを隠したまま悪魔祓いをするためのおためごかし。単なる儀式、、、、、なのよ、信者たちが私のこうに口付けするのと同じこと。びんになる方がどうかしてる」


 単なる儀式、というところを強調して告げたことを、テオは気づいてくれただろうか。

 多分気づいた。目を丸くして、「ハッ!」と息を吸ったから大丈夫だ。


「そうか。それなら……いや、儀式だとしても、俺はもうこれ以上協力しない。詐欺師に加担するなどまっぴらだ」


 詐欺師という評価はていせいしたいけれど、収拾がつかなくなるので今回は放っておく。

 私はじっとテオを見つめ、声を落として意味深に告げる。


「それは不可能よ。あなたの選択肢は全部私が奪っておいたから」

「……何の話だ」


 テオのけんしわが寄った。


「逆に聞くけど、テオはこれからどうするつもりなの? 私が詐欺師だとふいちょうする? 今度こそ王宮に戻ってお兄さまに報告する?」

「ああ、もちろんだ。おまえ自身が白状した通り、聖女セルマは力を持たないただの人間だと広めてやる。もっと早くそうしていればよかったがな!」


 彼は王族だ。その権力をもってすれば、人々にうわさをばら撒くのも容易たやすいことだろう。

 しかし私だってこの国にしんとうしている宗教の聖女であり、そこそこの有名人だ。どちらかといえばテオよりも私の方が民衆に近く、えいきょうりょくもあるだろう。

 寝台から足を下ろし、立ち上がる。テオより頭一つ背は低いが、詰め寄ると彼の方が怯み後ずさった。


「テオ、よく考えてみて。今や教団の力は広く国の内外に及び、私は世間に聖女だと認められている。ここであなたがそれを否定し、王弟である自分こそが聖なる力を持っていると宣言したら、どうなると思う?」

「ど、どうなるとは――」


 目が泳ぎ、どうようしているあたり、私の勝利は確定したようなものだ。でも、ここでついきゅうを止めるわけにもいかないので、好きにたたみかけさせてもらう。


「人々は思うわ、『聖なる力があるのならなぜ、世のこんめいに王族としてその力を使ってくれなかったのか?』とね。最近天啓が降りてきたと事情を説明してみたところで、都合が良すぎると疑われるわ。それにテオは私と違って人の心を読むことができない。どんなに真実を語ろうとも、あなたが噓つき扱いされる。噓つきで、聖女セルマが築いた名声を横取りしようとするごうよくにんだ――と」


 あのテレシアさまが母親という点も、彼には不利に働くだろう。親は選べないのだから、彼には可哀想かわいそうなことだけど。


「じ、実際に俺一人で悪魔を倒してみせれば――」

「人の体から悪魔を追い出す方法も知らないのに?」

「…………っ」


 悪魔と人間をぶんするには泉下の書を読む必要があるが、えつらんを許されているのは聖女だけ。保管場所も禁書庫のさいおうとくしゅかぎと許可がないと入れない。

 つまり、私がテオを必要としているように、テオにも私が必要なのだ。二人いないと悪魔祓いは成立しないということだ。


「ティグニス陛下としても、国民からボロクソにけなされる弟がいるってどうなのかしら。もしかしたら、テオのせいでかたせまい思いをすることになる……かも?」


 私の噓をもくにんするか、兄とともに後ろ指を指されるか。

 このたくは、二択の形をしたいったくだ。兄思いのテオには後者を選ぶことはできない。絶対に。


「テオ、もう一度言うわ。あなたに、せんたくけんは、ないの。……わかる?」


 言葉一つ一つを言い含めるように、私はゆっくりと説き伏せた。

 テオは動かない。目の前のくうを見つめたまま。にぎりしめた手には力が入っており、ギリギリと音が聞こえてきそうだった。

 彼がおこるのは想定内。もてあそび、怒らせているのが私であることも、当然自覚している。

 テオは一度目をせて、深呼吸してから私を見た。とおった空色のひとみが、わずかにうるんで血走っている。


 ――かくはしていたけど、にくしみを向けられるのは嫌な気分ね……。


 でも仕方ない。これが最善の方法なのだ。人を怒らせる噓は、できればこれで最後にしたいものだ。


「俺に噓をつけというのか? 聖女から力を分け与えられ、その力で悪魔を倒したと……噓を」

「そんなこと言ってない。テオは噓をつかなくていい。ただ、真実を話せとも言っていないだけ」


 曲がったことがだいきらいで正しくあろうと奮闘するテオを、私みたいな噓つきに仕立てたくはなかった。そもそも彼の下手な噓などすぐにバレるに決まっている。

 私のくつをテオが鼻で笑う。


だまっていろということか」

「簡単に言えば、そうね」


 テオが再び目を伏せた。私はそこで、彼が覚悟を決めたことを悟る。


「……それで? セルマは俺に何を望む?」


 だつりょくしたうでと、顔面の筋肉。私に対する友好的な感情は彼から完全に消えていた。失望されたことに胸がチクリと痛んだが、私への評価なんてどうでもいい。


「私と一緒に悪魔祓いをして。悪魔をぶちのめし、取り憑かれた人を救うのよ」


 ――まずはあの悪魔を見つけて、ボコボコにしたい。私の人生を歪めたあの悪魔を。

 ……テオじゃなきゃボコボコにはできないんだけど。


「救う? 悪魔が一体何をしたんだ? 今日倒した悪魔も、何か悪いことをしたのか?神話上の悪魔は邪悪な存在だが、現実でもそうとは限らないだろう?」

「そうとは限るのよ。まず、ここは人間の領域。悪魔がいていい場所ではない。悪魔は人間に取り憑き、操り、精神を食らうと言われている。そんな状態を見過ごしていいわけがないでしょう?」


 わかりやすくて大きな実害がない限り、理解するのは難しいのかもしれない。私の両親のことはこの場合参考例としてふさわしいのだろうが、伏せた。


「悪魔の全体数は? 終わりはあるのか?」


 私は首を振る。


「さぁ。具体的な数は知らない。でも、見つけだい全部よ。たり次第、根こそぎ悪魔を灰にする。私の一生をけてもいい」


 語調がわずかに強くなったのに気づいたのは、言ってしまった後だった。でも、テオは別段気にした様子もなく頷いた。


「わかった。俺も苦しむ者は放っておけない。協力してやる。……だがその代わり、一つ条件がある」


 おや、と私は目を見張る。と同時に、どんな無理難題がふっかけられるかと身構えた。


「これから俺が質問したことには、全て正直に答えろ」

「もちろんいいわ。……いいけど、それだけ?」

「それだけだ」


 想像以上に簡単なこうかん条件に落ち着いて、私はひょうけしてしまった。気を取り直してがおを作り、テオに右手を差し出した。


「了解したわ。テオの質問には全て正直に答える。だから改めて、よろしく」


 テオが私の手を握り返し、やや投げやりにブンブン振ってまた離れた。


 ――なんだかんだ言って、テオはふところが深いのよね。ずるい手で協力させられたのに、結局は悪魔に憑かれた人のことが気がかりなのよ。こういうところが私とは違う。だから女神さまもテオをお選びになったのかしら。


 倒した椅子を起こし座り直してから、テオが早速私に問う。


「ではまず聞くが、どうして悪魔を全て退治したいんだ?」

「答えたくない」


 はあ? という声が上がった。


「おいセルマ……さっき『正直に答える』と約束したばかりだろう。いきなり破るなよ」

「破ってない。『答えたくない』って正直に答えたもの」


 言葉遊びは私の十八番おはこ。しれっと言ってのけたあと、あっに取られているテオを置いて私は団長室へ向かった。

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