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 以前読んだ六代前の聖女フィデスの日記には、悪魔と交戦したことが記されていた。けれどもどうやって悪魔憑きを見つけたのか、細かく書かれてはいなかった。そもそも、悪魔と戦うなど信じられず、フィデスが空想を日記に交ぜたのでは? と当時の私は考えたものだ。

 聖女フィデスの日記が本当だったとしたら。全ての聖女がそうではないものの、聖女の中には聖なる力を持つ者もいて、本当の意味での悪魔祓いを行っていたのだとしたら。

 とはいえ、私には力がないし、フィデスより以前に書かれた記録もなし。さてどうやって本物の悪魔憑きを見つけるか……。


「セルマ。おい、セルマ」


 あれこれ考えながらろうを歩いていたところ、テオが私にささやいた。いつにないきんぱくした声にびっくりして振り返ると、彼は顔を青くして廊下の向こうをぎょうしていた。


「テオ? どうしたの?」

「悪魔憑きだ」

「え?」


 テオの視線の先にいたのは、困り顔の修道女と、これまた困り顔の外部の商人。修道女は当然ながら、商人も見たことのある顔だ。

 ここら周辺の神殿に出入りする、みのお茶商人である。ナミヤ教では食事とともにお茶をたしなむ習慣があり、きゅうけい時にもお茶、信者や客をもてなす時にも酒よりお茶をふるまうので、お茶関連の取引も多く商人がひんぱんに出入りしていた。

 聞き耳を立てるに、注文した茶葉に異なるめいがらの茶葉がじっていたとかなんとか。しかも一度ではないとのことで、修道女が商人に苦情を伝えている。


「あの男だ。あいつに、悪魔がいている」

「どうしてわかるの? ちがいない?」

「間違いない。顔が、こう……ゆがんで見える。力のおかげなのだろうが、よくない感じがする。他とは明らかに違う」


 前回の悪魔祓いから、十日もっていなかった。テオにはどうやら悪魔憑きを見分ける力があるようだ。

 私が聖女となって以来十三年、幾度となく悪魔祓いをしてきたのに、本物の悪魔にそうぐうしたのは先日が初めて。にもかかわらず、こんなに早く次の悪魔憑きが見つかるなんて。

 もちろんテオはくだらない噓をつく人ではないし、演技にも見えない。

 むしろ私は喜んだ。テオの力は悪魔を倒すだけでなく、見つけることにも使えるとわかったのだから。


「なるほど。では、エトルスクスさまに報告をして、さっきゅうに悪魔祓いにかりましょうか」


 聖女用の祭服であるつめえりのワンピースの上に、ゆったりとした長い法衣を重ねる。頭にはだん使いのものよりもえするヘッドティカをせ、着々と準備を整えていく。

 ゴテゴテでふわふわで動きにくいことこの上ないが、もよおものは形から入るのが重要だ。

 私はナミヤ教のシンボル的存在だから、特に。

 ところが、テオがとてもソワソワしている。げんでもある。


「本当に悪魔祓いをする気か? 聖なる力を持たないおまえに悪魔を倒せるわけがないのに?」

「倒せるわ、まあ見ててよ」


 全身鏡の前で着衣にズレやねじれがないか確認しながら、私は話半分で豪語した。その態度がまた、テオにはもどかしいようだ。


「本気で言っているのか? あの男は間違いなく悪魔憑きだ。セルマだって悪魔の凶悪な姿を見ただろう、おまえに何とかできるはんちゅうを超えている」


 テオの言うとおり、結局のところ聖なる力がないのだから悪魔なんて倒せない。テオがてんけいを受けたように私にも天啓が降りてくればいいけれど、不確かなものをこの段階で当てにすることはできない。

 全てわかったうえで私はテオに微笑んだ。


「心配してくれてありがとう。本心では私を助けたくて仕方ないから、そうやってソワついているのよね。あなたの気持ち、ありがたくいただくわ」

「…………ま、まさか! 誰がっ! 勝手なことを言うな、俺がおまえのことなど心配するものか! この……性格が悪い……しょうわるめ!」


 テオが慌てて否定するとともに、私にせいいっぱいの悪口を送った。が、普段から言い慣れていないゆえか、ひんそうだ。


「二十五点。模範回答としては『自意識じょうもいい加減にしろ、自惚うぬぼれがゆえに全人類の信頼を失い、さいさびしく一人で死ね』みたいな感じね。どう?」

「そこまでは思っていないのだが……」


 私のからくち評定と求めているレベルの高さにテオがまどっている。素直な男だ。


「とっとにかく、絶対に、今日は手を貸さない。立ち会うことは立ち会うが、絶対に俺は何もしないからな!」

「はいはい、りょうかいよ」


 テオがしい言葉は言わない。「ごめんなさい、本当はあなたの助けが必要なの!」なんて、そもそも私のキャラじゃない。

 そして、このように思い通りにいかないところがテオにはおもしろくないのだろう。


「せいぜい化けの皮をがされろ。つらの皮の分厚いセルマには一枚くらいいたくもかゆくもないだろう?」

「そうね、ひと皮けて新しい自分に出会えるいい機会だわ」


 今のいやは五十点くらいあげてもいいが、私の相手としてはまだ物足りない。


「くっ……ああ言えばこう言う」


 たくを終えた私とテオは神殿の地下にあるへと向かった。

 ここはずっと昔から悪魔祓いに使用されていた部屋である。窓がない代わりにランプのあかりが多すぎるくらい設けてあり、広めかつ天井高めの部屋に設計されている。

 お茶売りの男性はすでにいた。白銀の鎧に身を包んだ修道に左右と背後を固められ、さらに彼自身暴れたのか、しばり付けられていた。

 少しはなれた位置に、エトルスクスさまとラーシュをはじめとする教団幹部が数名。補助・救護係の修道女も待機している。私とテオが入室すると、待ってましたと言わんばかりにみんながいっせいにこちらを見た。

 全員が全員、どことなく不安げだ。馴染みの商人のことを突然「悪魔憑きだ」などと言い出したものだから、戸惑いが隠せないでいるのだ。


「お待たせいたしました。さっそく、悪魔祓いを行います。危険ですので離れていてくださいね。……では、聖水を」


 私はテオにエトルスクスさまのとなりで待機しているよう命じ、修道女から聖水の入った小さなびんを受け取った。


 ――大丈夫、私ならできる。


 心を落ち着けるため、私は深呼吸をした。その間にお茶売りが口をはさむ。


「聖女さま、一体何が始まるんです? 俺はただの商人です。少し注文を間違えただけの、極めて善良な人間です!」


 普通の人は自らを「善良な人間」とは言わない。

 わめく彼の周囲に聖水をき、けとなるハーブを散らす。手順はいつもと変わらない。


「そうかわかったぞ、ミスを口実に俺をごうもんする気なんだろう! 教団は恐ろしい人殺し集団だ! 帰らせてくれ、今すぐこれを解いてくれ!」


 クヴァーンきょうのご令孫は悪魔祓いの最中にこんなふうに取り乱したりしなかった。悪魔の個体差だろうか。

 あまりの違いようにわずかに面食らったが、この男が悪魔憑きだとするテオの言葉を、私は変わらず信じていた。


「女神ヲウルはおっしゃった。我は天へ、やみけんぞくは根の国へ――」

「やめろ! うるさい! 誰か、助けてくれっ」


 椅子をらし暴れ、縄を切ってげようとするので、修道騎士が数人がかりで彼の体を押さえつける。

 このころになると、当初はかいてきだった者も全員、男の異常さにくぎけになっていた。目をひんいてよだれを垂らし、のどの奥からつぶれた声でうなっている。その男を、誰が正常だと思えようか。


「――女神ヲウルよりじょうされた聖なる力を行使し、お前をこの世から追放する。勇気を知れ。こわさを知れ。ばんしょうを肯定する我らに――」

「やめろと言っているのが聞こえないか! うるさいうるさい、せっかく体が馴染んだところだったのに! 貴様のせいで台無しだ、まず貴様から殺してやる!!」


 今にもみついてきそうな男のかたに、私はポン、と手を置いた。そして最後の引導を渡す。


「――さちあれ」


 しゅんかん、こと切れたように男はガクリと首を垂れ、そのまま動かなくなった。そしてすぐ、剝き出しになったうなじから黒い蒸気が音を立ててす。

 エトルスクスさまがか弱い女の子のようにラーシュのそでに縋り付いているのをしりに、私は改めて、テオの力を確信していた。


 ――やっぱりお茶売りは悪魔憑きだった。それを見分けられるテオは、確実に聖なる力を授かっている。本物だ。本物の、せい……えっと、せいだん


 他にいい名詞がないのがつらい。

 私はちらりとテオをうかがう。すると容易たやすく目が合った。

 ほら、悪魔が現れたぞ。どうするつもりだ。俺の力が必要なのではないのか?――と、口パクで私を煽っている。

 あれだけ何度も手を貸さないと言い張っていたくせに、読みどおりテオはこの状況を放っておけないらしい。私は口元をゆるめ、「ありがとう」とつぶやいた。それから顔をめて、修道騎士に指示を出す。


「あの黒いモヤはやがて集まり、固まって悪魔となり我々にこうげきをしかけてくるでしょう。だからそれまでにお茶売りの彼を安全な場所へ運んであげて。もう彼は大丈夫」


 クヴァーン家のご令孫も、悪魔がけたあとはつうの女の子へと戻った。もっとも、しばらくは気を失っていたけれど。

 時間がないので急いでテオのもとへと駆け寄り、私は彼の正面に立った。

 テオは勝利を確信したのだろう。私が自らのあやまちを認め、「お願い、力を貸して」とうと思ったはずだ。


「当然の判断だな。セルマ、とっとと俺を――」


 頼っておけばよかったんだ。――と言おうとしたかはさだかではないが、その先を私は言わせなかった。

 キスで、彼の口をふさいだからだ。

 えりもとに手を掛け引っ張って、届きそうな位置になったらびをして、一気に。

 むにゅ、というやわらかいかんしょく。自分に似て非なる体温。

 これが私のファーストキスだが、好きでもない相手に捧げることに惜しいとは思わない。

 恋よりも聖女業が大事だったし、そもそも業務上のキス。言ってしまえば経験の数に入れなくもいい部類の行為なのだ。

 一方、テオが固まっているのは当然として、その場に居合わせキスの瞬間をもくげきしたエトルスクスさまたちも、みんなそろって静かになった。説明を後回しにしたのだから無理もない。

 そろそろいいか、とくちびるを離し、がくぜんとしている彼に優しく微笑んだ。


「テオフィルス・アンヘル・オルサーク。たった今、『祝福のせっぷん』により、わたくしに宿る聖なる力をあなたにたくしました。どうやら、悪魔と人を引き剝がすだけでかなりの力をしょうもうするようです。ここよりとうばつけんじゅつすぐれたあなたに託します。どうか、……っ、わたくしの代わりに、悪魔を…… ――」


 消え入るような声を最後に、私はこんとうした。……正確には、昏倒するフリ、、だ。


「セルマっ!?」


 聖女を完璧に演じるためなら多少の痛みはいとわない。臨場感を出すために顔面からゆかに倒れ込んでみたけれど、ありがたいことにテオがきとめてくれる。


「セルマ、おい待て、おっおま、今、俺に何をした!?」


 いくら呼び掛けられたとて、演技真っ最中の私が反応するわけがない。


「起きろよ、きょうだぞ!! セル――」


 言いかけて、止まった。私は目を瞑っており見えていないため推測するに、周囲との温度差、食い違いに気づいたのだろう。


「ちっ違います! 団長、セルマは俺にっ」

「心得ておりますテオフィルス殿下。セルマはあなたさまに聖なる力を分け与えた。ちからきたセルマに代わり、あなたさまがその力で悪魔をじょうなさってくださいませ!」


 エトルスクスさまが素晴らしいえんしゃげきをしてくださったおかげで、テオの逃げ場がなくなった。

 そろそろ悪魔の形が整った頃だ。動作確認をするように、翼を動かす音が聞こえる。この様子ではいつ攻撃が始まってもおかしくはなく、テオが言い訳をするゆうもないはずだ。

 もちろん私は何もしない。そもそもできない。ここから先に関して、私はテオの言う「無能」というやつなのだから。


「……わかった。わかったよ。やればいいのだろう、やれば!」


 テオとしては、悪魔を倒せるのは自分だけだとわかっていたから、最終的にはなんだかんだと私を助けるつもりだったのだと思う。でも、私が泣きつくのを期待していただろうから、このような形で無理やり協力させられるのは、ひどく心外のはずだ。

 テオはエトルスクスさまに私のがらをポイッと預けると、ばやい足取りで悪魔とのきょめていった。

 こういう時にいつまでもぐちぐち言わないいさぎよさは、テオの長所だ。軽快な足音がひびくと同時に剣とさやこすれる音が聞こえ、まぶたしに剣から放たれる暖かな光を感じた。


「せっかく人の世に来たのに! どうして俺がっ、話が違う、ファリエルさま――」


 悪魔の台詞せりふちゅうで切れ、代わりに見学者たちからワッと歓声が上がった。それを聞

いて、テオが悪魔を斬ったのだとさとる。

 この目で悪魔がやられるところを見たかったけれど、私は意識を失っている設定なのでまんした。

 ただ、疑問は残る。


 ――『話が違う』とは? 『ファリエルさま』って、誰?


 エトルスクスさまたちが興奮し私とテオをしょうさんしているのを聞きながら、私はひとり新たな謎に頭を支配されていた。

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