2章 聖女の現在過去未来

2-1


『見ぃつけた。ずっと捜していたけれど、こんなところにいたんだね。さあ、次はおじょうちゃんの番。かくれんぼだ、かくれている僕を見つけるんだよ。たくさんの恐怖と苦しみを味わうといい。お嬢ちゃんがどんな大人に成長するのか、楽しみにしているからね。どっちにしろ、僕はお嬢ちゃんを――』


 どれだけうなされていようとも、夢から覚めればたちまちあいまいになった。悪夢だったとは覚えているものの、内容も登場人物も、おぼろげにしか思い出すことができなかった。

 しかし過去のおくよみがえったと同時に、悪夢も細部までせんめいに蘇った。

 真っ赤な目、耳までけた大きな口にはするどい歯がいくにも並び、おおかみのように長いマズル、てんじょうにぶつかりそうなほどのたけ、そして背中にはコウモリのそれに似たつばさ

 あのあくは私の両親を殺したばかりか、いくとなく私の夢に現れていたのだ。

 また、記憶がもどったといっても、幼かったせいか両親の記憶はだんぺんてき。しかも楽しいものはとても少ない。一方で、きょうれつなのは両親が殺された場面だ。

 あの日、母は夕飯のたくをしていて、私は父と遊んでいた。家の呼び鈴が鳴り、扉を開けたのは父だった。

 父はすぐに戻ってきた。私の横を通りすぎ一人キッチンへと向かうと、母が使っていた包丁を取った。そして、次の瞬間ためらいもせずそれを母の胸に突き立てたのだ。

 私は何が起こったのかわからず、固まったまま眺めていた。何度も何度も刺されながら、母は私にうったえた。逃げて、と。口から血をこぼしながら、声にならない声で。

 じきに母が動かなくなると、父は笑顔で私を見た。次はお前だ、と言われた気がした。

 しかし父の体に異変が生じた。首の後ろから、黒い煙がき出したのだ。


 ――そう、悪魔だ。


 悪魔が出た、、からか、父は正気に戻った。楽しげでこうこつとした表情はみるみるうちに絶望へと変わり、母の血で染まった手で顔をおおい悲鳴を上げた。

 どうして。なぜ。

 父は悪魔に乗っ取られ、母を殺した。その父も、すぐに悪魔に殺された。

 そうしてあの悪魔は、両親を殺し私だけを生かし、かくれんぼを強要したのだ。

 今ならわかる。

 人間界にはがみの力がおよんでいるから、悪魔はそのままの姿を長く保つことができない。

人間の弱い部分にひそみ――、だからかくれんぼ、、、、、なのだ。

 両親を助けることはできなかったけれど、せめてものとむらいとしてかたきってあげたい。

 それと同じくらい、大切な人をうばわれる悲しみを、だれにも味わわせたくない。全て奪われた私だからこそ、そう強く願ってしまう。


 ――でも、「見ぃつけた」とはどういうこと? 「次はお嬢ちゃんの番」? あの悪魔は何を言おうとしていたの?


 人ならざるもの。じんえた力を持つもの。

 なぞは多い。でも、あくばらいを続けていけば、きっと謎は解けていく。私が仇とする悪魔にも、出くわす日が必ず来るはずだ。

 ヲウルしん殿でんへ戻る馬車の中、私の正面にはぶすくれたテオが座っていた。口をへの字に曲げうでみをし、目をつぶったままちんもくしている。

 私にとって今日はしょうげきの一日となったが、それは彼にとっても同じだろう。


 ――聖なる力をあたえられるって、どんな感じなんだろう。女神との会話では何を言われたの?何をしゃべったの? ……もっとくわしく聞きたかった。

 ――あの時、テオのけんが光っていたのも聖なる力のおかげ? それとも剣も特別な……たとえば、『聖剣』になったの?


 気になることは多々あれど、今のテオに質問を投げてみたところで答えてくれるとは思えない。テオにきらわれようとしてあえてあおることを言ったけれど、もう少しやりようがあったのでは……と私は少しだけこうかいした。 

 コルピピアをつ前に早馬を送ったおかげで、私とテオが戻るころには事態が神殿へ伝わっていた。正門にはたんかかえた救急班が待機していたが、私はそれを断り、馬車を降りるなり団長室へとおもむいた。


「セルマよ、一体何があったのだ! 悪魔が現れたと聞いたが……どういうことだ!?」


 エトルスクスさまはあわてて私にると、かぶりつくようにおっしゃった。

 私は微笑ほほえみ、何事もなかったかのように答える。


「どう、とおっしゃいましてもエトルスクスさま。悪魔祓いをしていたのですから、悪魔が現れるのは当然のことでございましょう?」


 悪魔祓いをしている教団の団長が、悪魔の存在を否定するのはおかしい。私も、「初めて見た」などと口が裂けても言ってはならないのだ。

 体面を保つためていねいにフォローすると、エトルスクスさまはハッとしてバツがわるそうにくちごもった。私は胸をなで下ろし、満を持してつじつま合わせの説明に入る。


「ただ、これまで見てきた悪魔と比べてとてもごわい悪魔でした。そのせいでしきずり、わたくしとテオを除く者が負傷してしまいました。ご令孫をふくむクヴァーン家の方々はご無事ですが、同行した者たちは現地のしんりょうじょにてりょうを受けています」


 エトルスクスさまがしんみょうおもちでお尋ねになる。


「それで、悪魔は今どこに?」

しょうめつし、灰となりました。クヴァーンていの一室に不自然に積もっている灰の山がそれです。わたくしとともにいたテオにもお聞きになってください」


 テオに話をってみると、不満そうだが無言でうなずこうていの意を示した。

 それを見て、エトルスクスさまは禿がった頭に手を当てた。はあ、とたため息がふるえている。


「そんな……そうか……。ねんため、手当てを受けている者たちにも事情を聞いてみねば。ああ、いや、セルマやテオフィルス殿下を疑っているわけではないのだが」

「ええ。わたくしとしても、しっかり検証していただきたいです。これからの悪魔祓いをどのようにするか、改めて考える必要がありますもの」


 人の配置、よろい、武器、神具。次にまた同じようなことがあった時、少しでも安全に悪魔をたおせるよう態勢を整えなければならない。

 私はそう考えていたが、エトルスクスさまは少しちがった。


「アピオンさまにご報告と、各神殿にれも出そう。幹部会も開かなければ。あとは何が必要か……」


 アピオンさまはおんとし九十。教団の誰よりもナミヤ教に詳しいが、三ヶ月前に引退され、現在はロェ神殿にてひっそりと女神にいのりをささげる生活を送っておられる。

 彼にもいずれ報告する必要があるだろう。でも、急ぐことではないはずだ。


「アピオンさまは余生をおうされていますわ。あまりお心をわずらわせない方がよいかと。それよりエトルスクスさま、悪魔祓いは当然今後も続けてまいりますので」

「セルマ……ほ、本気か? 安全が保障できるまでは、いったん――」

「いいえ」


 悪魔祓いは中止。――と、エトルスクスさまは言おうとしていた。

 聖典に描かれているような悪魔が実在したなど、にわかに信じられない気持ちはわかる。

 けれど、ようやくかつての記憶を取り戻した私としては、何としてもこの機をのがすわけにはいかなかった。


「わたくしは今日、だんはらっているよりも格上の悪魔をたりにして、そのじゃあくさともたらす害をさいにんしきいたしました。悪魔の支配から解放されたご令孫は、意識が戻ってまず泣きました。体の自由が一切かず、怖かったと。そして今この時も、彼女のように悪魔に苦しめられている者がいるに違いありません。わたくしは聖女として、彼らを放っておくことはできません」


 私の提案に真っ先に反応したのは、エトルスクスさまではなくその横にいる神官のラーシュだった。


「なんとらしいお考えでしょうか! わたしはセルマさまに賛同いたします。りょくながらこのラーシュ、ご助力させていただきたく! セルマさまの聖なるお力を、今発揮しなくていつ発揮するというのですっ!」


 ラーシュとは、多くの神官をはいしゅつしてきた家の生まれで、彼自身若くして神官のじょかいを受けたエリートである。ことづかいも仕草も美しく、神官らしいすらりとした体に真っ白な祭服がよく似合う。

 くせのないサラサラなくろかみを頭の後ろで一つに束ね、視力の悪さを補うのは細いフレームの質素な眼鏡。シンプルでかざりっ気のないところが、彼がどれだけ真面目な性格かを物語っていた。


「ありがとうラーシュ。とても心強いわ」


 私のそばでテオがひっそりあきれていた。彼は私の秘密を知っているから、「無能のくせに、どの口が言うのだ」とでも考えているのだろう。

 私はラーシュのあとしを受け、自信満々に頷く。


「エトルスクスさま、ええ、もちろんです。わたくしを信じて下さるなら、喜んで」

「セルマ……私はまだ何も言っておらんぞ」


 その表情とあきらめたようなくちりは、私の読みが当たったしょうだ。


「要するに、エトルスクスさまはわたくしに悪魔祓いをしてみせてほしいのでしょう?悪魔と、それをわたくしが倒すところを実際にその目でご覧になりたいと」

「また勝手に心を読んだな……。いまさらどうしようもないことだが、毎度心臓に悪い」


 エトルスクスさまは私を聖女だと信じ、私が起こすせきまがいの数々を聖なる力のおかげだと信じている。だから、聖なる力の存在も信じている。

 ところが、悪魔の存在については半信半疑のご様子だ。

 だけど悪魔は存在する。私の両親を殺し、私を捨てた悪魔のことを、私は絶対に放置したりなどしない。

とはいえ私に過去を打ち明けるつもりはないので、百聞は一見にしかず。幹部の目の前で悪魔祓いをすることにしたのであった。


「よくあんなにも、ペラペラと口が回るものだな。今回の悪魔はいつもとは異なり、たまたま強い悪魔だったと? だから負傷者が出たと? ……よく言う、力を持たない分際で」


 エトルスクスさまへの報告が終わり、執務室へ戻ったたん、テオが私を皮肉った。その顔にはれいしょうかんでいたが、私はわざと喜んでみせた。


「ありがとう。やっぱりごろの行いがいいから、みんな私を信じてくれるのね。しんらいって大事~」

めてない!」


 私の発言がどうとかこうとか、テオと反省会をするつもりはない。考えるべきはこの先のことだ。

 悪魔祓いをやってみせましょうと言ったものの、そもそも本物のあくきか、病気による不調かどうか、私では見分けることができないのだ。


 ――テオなら見分けることができるのかしら? そういう能力も聖なる力の一部ならいいんだけど……。


 テオとのたわむれもそこそこに、私はえることにした。

 鏡の前に立ち全身をかくにんしてみると、背中が大きく破れていた。悪魔のつめに引き裂かれたところだ。

 ほうだけだからよかったものの、もしもその爪が体に届いていたならば、命があったかわからない。今更ながらその事実に、私はひそかにきょうを覚えた。


「それはそうとセルマ、どうしておまえは自らすすんで悪魔祓いを引き受ける? 何かあったらどうする気だ、大した力もないくせに」


 テオはソファにじんって、鏡の前に立つ私に背を向けたままえんりょなく疑問を投げてきた。

 しかしそのこわいろは意外にも、私をばかにしているというよりも心配している印象を受ける。数時間前にはだなんだととうしていたくせに、ずいぶんやさしいことである。


「悪魔をやっつけるためよ。あんな危険な化け物を放置しちゃダメだってことくらい、テオだってわかっているでしょう? 教団は常に弱い人々の味方よ」

「それでは答えになってない。まず、どうやって悪魔を見つけるつもりだ? 倒す以前におまえに悪魔憑きをく力があるのか?」


真面目だ。言い出しっぺの私の方が本気じゃないと思えてくるくらいに。


「ないけど、なんとかなるわよ。だいじょう、いつまでに見つけなければならないという期限はないもの」


 私は破れた法衣をいだ。うすがいとうみたいなものなので下にちゃんと祭服を着ているから、脱いだところではだが見えるわけでもない。


「期限がなくとも、そう長く団長を待たせるわけにもいかないだろう」


 装身具類を日常使い用に交換し、これで着替えは終わり。用済みの法衣をくしゃっと丸め、私もテオに対面して座る。


「心配してくれてありがとう。勝手に期待した挙げ句、私が理想の聖女ではなかったからと散々ののしった割に、ずいぶん親身になってくれるじゃないの」


 テオがまゆをピクリと動かした。私の嫌味に気づくのだから、頭の回転が悪いわけではなさそうだ。


「俺は真実を言っているだけだ。息をするように噓をつくセルマとは違う」

「テオだって、かんちょうの技術をみがいてから教団に乗り込めばよかったのに。思い込みと勢いだけで飛び出すからいけないのよ」


 私がさも見てきたかのように告げると、テオがウッとひるんだ。そのすきに説明を加える。


「言っておくけど、噓をついているのは教団の中では私だけ。教団に裏なんてないから。ティグニスへいとの裏黒いつながりもない。陛下はナミヤ教の力を借りた方が早く国が落ち着くとお思いになったから、我々に協力を仰いだだけ」


 陛下は情勢をよくあくしておられた。

 めいそうする女王に早々に見切りをつけた国民は、王家ではなくナミヤ教を尊敬し、心を向けるようになっていた。彼は教団の力と勢いを利用し、教団ときょうとうすることで王家の信頼を回復させた。「女王はダメだったが、次の王は国民感情に理解がある」と思わせることに成功したのだ。


「テオは功をあせりすぎよ。落ち着いて、もっと周囲をよく見るの」


 ――ティグニス陛下の役に立ちたい、というテオのじゅんすいな気持ちはよくわかる。でも、悪魔祓いにもあれこれ口を挟もうとするのは、もはやそれだけではないような……。


 ほおづえをつきながら私がじっと見つめていると、テオがふいっと顔をらした。


「……心を読むな」

「読まれたくないならいっそ先に喋っちゃえば?」


 人を信じやすくて、女性きょうしょうで、正義感にあふれていて、お兄さまのことを大切に思っていて……。それ以外にこの人は、どんなものをかかえているのだろう。

 ち、トラウマ、幸せな記憶。あの女王のそばで、何を経験してきたのか。


「ところでテオは王宮には帰らないの? 私の正体を知ったのだから、早く帰って陛下にバラしたらいいのに。……それとも、帰れない理由があるの? 王宮には居場所がないとか、味方がいないとか? もしかして、せんにゅう調査のはずだったのに教団がごこよくなっちゃったとか?」


 せんたくを提示しながら、私はテオの表情をさぐった。最も反応したのは三つ目で、その次が一つ目。二つ目は違うみたいだ。


 ――王宮に味方はいるけれど、教団の方が居心地がよく、帰れない理由がある……。

 ――そうよね。ここにはテオを「王弟」というシンボルとしてあつかう人はいないもの。


 テオが私をギロリとにらむ。


「……おまえ、本当にいい性格をしているぞ。詐欺師だと俺にバレてから、言葉遣いも適当になった」


 おたがい様よ、と思いながら、私はふと疑問に感じたことを尋ねる。


「女神ヲウルはどうしてテオに聖なる力をさずけたのかしら? 私に授けて下さっていれば、私はかんぺきな聖女になれたのに」


 力を授ける相手として私が選ばれなかったのには、意味があるのか、ないのか。入信したてのテオが選ばれたのには、意味があるのか、ないのか。


「……おまえみたいな人格たんしゃには、多分……あれだ、任せられなかったのだろうな」


 その返答を聞いて、私は薄ら笑いを浮かべた。


「ほら。やっぱりテオは噓が下手」


 どぎまぎして視線を泳がせ始めるあたり、本当にわかりやすすぎる。

 テオはきっと自分が女神に選ばれた理由を知っている。でも、私には言いたくないのだ。

 もしくは、言えない何かが――。


「その上から目線をやめろ。詐欺師のくせに、態度がでかすぎる。聖なる力を持たない無能がえらぶるな」

「私には人の心が読める。悪魔祓いの儀式もできる。私が儀式をしない限り、テオは悪魔に手出しできない。それとも、人間ごと中に潜んでいる悪魔をるつもり?」


 対等な立場だと分かってほしかったけれど、テオには伝わらなかったようだ。彼は腹を立て、ましそうにため息を吐いた。


なおに俺をたよるのならば協力しないこともなかったが、決めた。俺はいっさいおまえにだけは手を貸さない。知らないからな。助けないからな!」


 ――あ、これはぞくにいう、図星からくる負け犬のとおえね。


 わざわざ「手を貸さない」「知らない」「助けない」と三度にわたり念押しするあたり、私にすがいてほしい気配がプンプンする。ついでに、私のことを心配してくれている気配も。気持ちよく加勢したいから、テオは私から縋りつく言葉を引き出したいのだ。

 でも残念、私が素直に「助けて」と言うわけがない。

 はいはい、とました顔であしらいながら、案じてくれる気持ちだけありがたく受け取っておいた。

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