1-3
我々教団の日々の仕事はさまざまだ。
それに加え、
と言っても、それができるのは聖女、つまり私だけ。ナミヤ教三大聖典の一つ、『泉下の書』に悪魔祓いの方法が記されているが、読むことを許されているのが聖女に限られているからだ。
しかしながらこれまでに私が関わった悪魔祓いの中で、神話に描かれているような本物の悪魔に
信者たちはみな、心身に不調を感じるとまずは神殿にやってくる。対話を通し落ち着くのならそれに越したことはないし、病が原因であれば適切な
ところが、
そんな時こそ、悪魔祓いの出番である。
私たちは神殿だけではなく、悪魔憑きとされる人々のもとへ
することは基本的に対話と同じ。少々奇抜なパフォーマンスを見せながら、彼らがどんな問題を抱えているか探るのだ。
その結果、困っている人が助かり私は「病すら見抜く聖女」だと評判を上げることもできて、互いにとっていいことしかないのだ。
悪魔の存在が噓か
大事なのは彼らが楽になれること。だから私は真実に蓋をし、今日も聖女として悪魔祓いを行うのである。
「女神ヲウルはおっしゃった。我は天へ、
今回の悪魔祓いの
その
ご令孫は十歳の少女。私や修道女が話しかけてみたものの、目はうつろで外的
――帰る前に、医師に
見たところ、心の不調というよりも、よくない病にかかっているように思えた。対話で治るものではなく、医学的な治療を必要としているということだ。
悪魔祓いは成功したが、悪魔による
悪魔祓い後のことを考えながら、私は最後の一節を口にする。
「女神ヲウルより
これで悪魔が人の体から「出た」ことになる。みんなには見えないけれど、聖女の私にだけは見えているという設定だ。
――この後再度対話を試みてみよう。医療は私の領分じゃないけど、どこが悪いか少しでも手がかりが摑めたら……。
この時、私は完全に油断していた。私だけでなく修道女も修道
しかしここから「始まった」のである。
――これは……なに? 人間に蒸気の出る穴って、あった?
少女がくずおれ、椅子から落ちた。それと同時に彼女の側にいた修道女のロザリオが
黒いモヤは
「なんて
修道女の
「セルマさまお下がりください、ここは我らが!」
三人の修道騎士が、
――悪魔が実在した? ならば今までの悪魔祓いで遭遇しなかったのはどうして?
――戦闘の邪魔になるくらいならここから離れた方がいい? でも、その前に……。
私の足元には、少女が意識のない状態で
私は床に膝をつき、彼女の
安堵している
恐る恐る確認すると、悪魔が立っているのが見えた。大きく黒く
初めて見たにもかかわらず、私はそれが悪魔であると疑わなかった。あんなに恐ろしい異形のものが、人の世のものであるはずがないからだ。
三人いたはずの修道騎士は、全員気配が消えていた。あたりは静まり返り、悪魔の
部屋を見回せばすぐに見つかった。
そして、惨状を目の当たりにして、
――遠い昔、これと似た場面に遭遇したような気がする。真っ赤になった人が、私の名を呼んでいた。
――夢で見た、黒く大きな体……。
ざわざわと心が揺れ動く。
――お父さん、お母さん。……私の両親は、悪魔のせいで死んだんだ。
頭の中の
三歳の頃、ひとりぼっちだった私は
両親が私を捨てたのではない。悪魔だ。
悪魔が私の両親を殺し、生き残った私を
ソファを
にもかかわらず、私は今にも笑い出しそうだった。
――家族を悪魔に殺されたなんて、あり得る? ……現にあり得てる。信じたくないけど。
この気持ちが肉親を
ただ、それ以上に嬉しかった。
私は両親に捨てられていないどころか、両親に愛されていたことを思い出したからだ。
幸いなことに私は聖女で、時折悪魔祓いの依頼がくる。それを一つ一つ当たっていけば、いつか私の両親を殺した悪魔にも相まみえることができるかもしれない。
こんな
――向こうが先に手を出したのよ。いいわ、やってやる。
私のように悪魔によって大切なものを奪われる人が現れないように。
それと、理不尽に命を奪われた両親への
私は決意し、強く歯を食いしばった。この震えは恐怖ではない、
ところが決意して早々、一つの問題に行き当たる。私にできるのは、人と悪魔を
泉下の書にも「力で倒す」としか書かれていなかった。物理的な「力」が効かないのは修道騎士がやられたことで明らかだし、もしも「力」が「聖なる力」を指すのだとしたら、それを持たない私では
「セルマ殿、指示を出してくれ。この後はどうし…………なぜ笑っているんだ?」
思案する私に、テオが悪魔の死角から声をかけてきた。彼は最初に吹き飛ばされた修道女を
私の表情がさぞかし不気味だったのだろう。テオは口元を
私は急ぎ
「案ずる必要はないわ。
「切り抜けるとは、どのように……? セルマ殿、このままでは危険すぎる」
具体的な解決策を急ぎ求められているのは理解する。不安な気持ちも理解するけど、長身で体格もいい彼にこうもガッツリ頼られては、正直ちょっと暑苦しい。
部屋の中央には悪魔。すでに臨戦態勢で、攻撃を
負傷者多数、動けるのは私とテオだけ……。
「セルマ殿っ、早く何か、案を!」
私の横に待機しながら、テオが返答を待っていた。家具に身を隠しつつ、すぐそばまで来たようだ。
どうやって切り抜ければいいか。その答えは、いまだ私の中にない。でも、これ以上はテオも悪魔も待ってくれない。
「わたくしの言う通りにすれば、必ずやみな助かるでしょう」
「言う通りとは? 一体どうすれば――」
平常心を
「逃げるのよ」
「……逃げ? い、いや……は? 何を言っているんだ、仲間を置いて逃げるなど……おい、待て!」
みなまで言わせず立ち上がり、勢いのまま最も近い
「セルマ殿! なぜ――」
「話は後で聞くから、まずは口より足を動かしましょうね? でないと、悪魔が追って……きゃっ!」
代わりに、長く硬そうな腕だけがにゅっと廊下に現れた。
この機に乗じて私は再び走り出す。
「テオ、こっち! ついてきて」
扉、窓、
一方、テオはこの「逃げる」という行動に納得がいっていないみたいだ。気色ばみ、ありえないと
「セルマ殿、なぜ一人で逃げようとする!? 仲間は? 悪魔は? あの
聖女。
女神から聖なる力を
人の心や未来を読み、人には見えないものを感じ、人には聞こえないものを聞いて、信者を正しい道に導く存在。
「そうよ、わたくしは聖女……」
誰にもバレてはいけない。アピオンさまやエトルスクスさまでさえ、私には聖なる力があると信じているのだから。
「早く力を使ってくれ。あの黒いやつはこの世のものではない。だから修道騎士では倒せなかったのだ。きっと、――『聖なる力』ならば! セルマ殿の持つ『聖なる力』でなくては!」
テオがナミヤ教に抱いていた疑問や不信感を解消させたのは私だ。でも、放っておいた方がよかったかもしれない。こんなにも私に
「
――ああ、その
噓には慣れていたはずの私が、珍しく
廊下には、悪魔の気配。重い体を引きずる音が、少しずつ近づいている。
「あらかじめクヴァーン
「ないのよ」
「セルマ殿? すまない、何がないと……?」
「わたくし――いえ、
これ以上、隠し通すことは不可能。切羽詰まった結果、私は開き直ることにした。
隠し続けたところで悪魔を倒せないのだからどうしようもない。だから私は早々に見切りをつけ、自分の口から正直に告げたわけである。
「は? ……ない? いや、あるぞ。いつも使っていただろう」
だというのに、テオは信じようとしない。
たしかにこれまで「ない」ものを「ある」ように見せかけていたのだから、テオの気持ちも少しはわかる。彼には悪いことをした。
「人の心を読むのは私の特技であって、聖なる力ではないの。あの子から悪魔を追い出せたのは、聖典に手順が
厳しい状況は続いていた。せめて何か、聖なる力以外で悪魔に効果てき面な武器のヒントでもあればいいのに。
テオは驚きすぎるあまり、金魚みたいに口をパクパク動かした。
「いや、……待っ…………、本気で!? 本当に、聖なる力を持っていないのか!? ならばなぜ、初対面の人間の性格や隠しごとがわかるんだ! 俺のことも言い当てただろう!?」
「別に特別なことじゃないわ、洞察力や推理力を活かしてそれっぽく言っただけよ。それよりもテオ、悪魔がすぐそこまで来てる」
「それっぽく……? いや、待て、俺……待て……、信じかけていたんだが!?」
テオの驚きももっともだが、彼の相手をしている場合ではない。
「静かにして。せっかくこうして隠れているのに、悪魔に気づかれると面倒な――」
忠告しようとした時点で、すでに
私は
それにここは三階。無事に飛び降りられるとも限らない。
ふと思い出し、私は胸にあるロザリオに目を落とした。聖典に登場する悪魔が相手であるならば、同じく聖典に登場する精霊石に聖なる力が宿っていても不思議じゃない。これを
――とりあえず、やらないよりは見込みがある……?
留め具を外し、ロザリオを持つ。振りかぶって投げようとした時、テオが私の一歩前へと歩み出た。
「えっ……? 危険よ、下がった方が――」
「俺は逃げない。逃げたいなら、好きにしろ」
腰の剣に手を
弱点不明の難敵にも立ち向かえる勇敢さは彼のいいところだけど、今はそれを発揮すべき時ではない。完全に空気が読めない男のそれだ。
「あのね、ちょっと提案があるんだけど! ロザリオで――」
悪魔が
ヒュッと空気が
対するテオも動いた。悪魔との距離を詰めながら、
あまりの
何度も瞬きを
勝ったのは、テオ。悪魔は消えていた。正確には、消えていく
る間にも
――どういうこと? 悪魔を倒した? テオが? ……なぜ?
テオの手には、いまだ淡く光を放つ剣があった。
「テオ……今のは何? 説明してくれないかしら」
私の問いかけに、テオがゆるやかに振り返った。その表情の、
「さっき、女が……女神……あれが、女神ヲウル? 俺に力を授けると……。夢か?」
何かを捜しているかのように、テオは視線を
「女神が……『救ってくれ』? 俺が、なぜ……?」
「それってつまり、
私は聖女と呼ばれながらもその実、神を信じていなかった。厳密には、どうでもよかった。
神を信じることで元気になれる人は信じたらいいし、必要なければ信じなくてもいい。
実際に関わることは不可能な存在なのだから、
しかしこの状況では、そうも言っていられない。悪魔はいたし、奇跡の力を私も目の当たりにしたのだ。
剣は発光を終えていた。テオもそれに気づいたのか、ぼうっとしながら剣を鞘に戻す。
「ちょっと失礼するわね」
「あ? セ、おい、セルマ!?」
私はテオにツカツカと近寄り、短いマントを勢いよく
テオが一般的な輔祭と同じ祭服を着用していたなら、もっと簡単に
「え? え? ちょ……え!? セルマ、何を――」
「暴れないで。天啓が本当なら、聖痕が体のどこかに浮き出ているかも。私はそれを確認したいだけ」
テオの女性恐怖症は、教団の暮らしでずいぶんと落ち着いていた。当然だ、みな真面目な信徒ばかりで、テオに色目を使う者なんていないのだから。
もちろん、私だってそんなものを使う予定はない。
私の
「わ、わかった、自分で脱ぐから」
彼が背を向けたので、私はあっさりと
しばらくして、テオからアッという声が上がる。
「あった。これが……聖痕か?」
テオの聖痕は左胸の上にあった。私の左手の甲にあるのとよく似た、×印の
目の色は今更
「つまり、私じゃなくてテオの方が真の聖女……ならぬ、『
「俺が、女神から聖なる力を……。信じられないが、結論を言えばそういうことなのだろうな。ただ、『
「それは私も思った。ごめん」
――私に聖なる力はない。でも、テオにはある。ということは……。
私はまたにやけそうになったけれど、それよりも先にすべきことがある。
「テオは服を直して。その間に人を呼んでくるわ。まずは
「待て」
少女や仲間を残してきた部屋へ戻るため廊下に出ようとした私を、テオが引き止めた。
「おまえは先ほど、『聖なる力は持っていない』と言ったな。どういうことだ?」
テオの口調が硬くなった。「そなた」という
前よりも
目を瞑っておいてほしかったけれど、仕方がない。ここまで来て誤魔化そうとするのは不自然だ。
「……どうということもないわ。聞いてのとおりよ」
肩をすくめ両手を上げて白旗のサインを送ると、テオがぎこちなく口元を
「残念だったな。悪魔が現れさえしなければ、ネタバラシの必要もなく俺を騙し続けられたのに」
私に皮肉をぶつけるやいなや、テオがぷいっと顔を背けた。腰に手を当てため息をつき、悔しそうに吐き捨てる。
「セルマの正体を見抜けなかった自分自身にも
私の名への敬称が消えた。
当然ながら、それくらいで傷ついたりしない。今、私が一番気がかりなのは、テオが自身を責めていることだ。
「教団のみんなも誰一人疑わないくらい、私の演技は
「詐欺師の分際で俺を
テオがカッとなって言い返したが、私も引くつもりはない。
「詐欺師とは失礼じゃない? 私には聖なる力がないだけで、それを除けばかなり質のいい聖女だと自負しているのだけど」
「ほ、お、おまえはとんだ
テオは私が噓をついたという事実が許せないのだろう。聖女であるなら
「私はただ、彼らが
テオにテオなりのルールがあるのと同じように、私には私のルールがあり、私はそれを守っているだけ。これからも曲げるつもりはない。
逆にテオに問う。
「真実が必ずしもその人のためになるとは限らない。私は信者を支えたいだけよ。誰かを救うための噓の、何がいけないと言うの?」
「そっ、それは――」
予想どおりテオが
かける。
「教団も私も間違ったことはしていない。困っている人を助け、悪魔を祓い、世界平和に
テオがナミヤ教に入信した理由は、敬愛する兄がなぜ教団を頼ったのか探るため。教団が言葉
「ち、違う。あの兄上が宗教なんかに
「そうね、傾倒まではしていない。宗教を
「…………っ」
テオはさぞかし私に
ここで私が
私はテオに自分を責めないでほしかった。だからその気持ちを私への怒りに変えようと、あえて彼の神経を
「俺はこの数ヶ月間、何件もの対話を見て、セルマが本物の聖女だと確信した。セルマを疑う俺の方がどうかしていたと恥じもした。……だが、どうかしていたのはおまえだ。聖なる力もないくせに、聖女だと
私は高らかに笑った。
我ながら、悪役
「勝手に信じておいて、何を。なら聞くけれど、聖なる力を持たなければ、どれだけ人を助けても聖女にはなれないの? そもそも聖女って?」
「自分で考えろ。俺はおまえを聖女とは認めない」
「あなたに認められずとも結構。私は聖女を続けるわ」
ことごとくテオの気に
「……もういいセルマ、終わりだ。悪いのは教団ではない、おまえだ。詐欺師だとバラさないでほしければ、今のうちに俺に
女神はどうして私に聖なる力を授けてくださらなかったのだろうか。……なんて、今更考えたって意味のないことだけど。
でも、私はそんな真似しない。
「テオ、待って」
私を置いて出て行こうとする彼に声をかけると、足を止めてくれた。しかし振り向こうとはしないので、その背に忠告することにする。
「私が偽物の聖女だとのたまうのはやめた方がいい。あなたにとって不利益となる」
「…………俺の不利益? おまえ、何を――」
テオが
「言いふらしたいなら、どうぞ? 私は別に困らない。ただ、あなたが困ることになるのよ。私ではなく、
テオは
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