1-3


 我々教団の日々の仕事はさまざまだ。うらうらに足を運んで布教活動にいそしんだり、き出しやバザーなどをもよおしたり。教えをきわめるしゅぎょうや、信者との対話も日々行われている。

 それに加え、ひんは低いがあくばらいもっていた。

 と言っても、それができるのは聖女、つまり私だけ。ナミヤ教三大聖典の一つ、『泉下の書』に悪魔祓いの方法が記されているが、読むことを許されているのが聖女に限られているからだ。

 しかしながらこれまでに私が関わった悪魔祓いの中で、神話に描かれているような本物の悪魔にそうぐうしたことはなかった。

 あくきとされる者は、自分に自信がなく落ち込みすぎたり、仕事のしすぎで心にろうまっている者ばかりだ。中には、本人に自覚がないまま病におかされている者もいる。

 信者たちはみな、心身に不調を感じるとまずは神殿にやってくる。対話を通し落ち着くのならそれに越したことはないし、病が原因であれば適切なりょうにたどり着けるよう、我々聖職者が医師をしょうかいするはずになっている。


 ところが、しんこうしんうすい者、信者でない者、あるいはしょうじょうの重い者はそもそも神殿へ寄り付かないので、なんともかんが難しい。

 そんな時こそ、悪魔祓いの出番である。

 私たちは神殿だけではなく、悪魔憑きとされる人々のもとへおもむいての出張、、悪魔祓いも引き受けている。この場合、悪魔憑きは信者でなくても構わない。

 することは基本的に対話と同じ。少々奇抜なパフォーマンスを見せながら、彼らがどんな問題を抱えているか探るのだ。

 その結果、困っている人が助かり私は「病すら見抜く聖女」だと評判を上げることもできて、互いにとっていいことしかないのだ。

 悪魔の存在が噓かまことかなど関係ない。悪魔祓いを必要とする者がいる限り、私は求めに応じるだけ。

 大事なのは彼らが楽になれること。だから私は真実に蓋をし、今日も聖女として悪魔祓いを行うのである。


「女神ヲウルはおっしゃった。我は天へ、やみけんぞくは根の国へ。我らが間は人の世とし、永遠に見守り育もうと。闇の眷属に問う。ここは人が生きる世である。どうしてお前がここにる。どうしてお前が人に住まう――」


 今回の悪魔祓いのらいしゃは、ヲウル神殿の建つ山の麓の街、コルピピアに住むクヴァーンきょう。古くからの熱心な信者で前団長のアピオンさまとは個人的に親しい間柄で、彼が団長を退いた後も個人的にこんになさっているのだとか。

 そのえんで、ご令孫が悪魔憑きだからはらってほしいと依頼を頂いたのだ。

 ご令孫は十歳の少女。私や修道女が話しかけてみたものの、目はうつろで外的げきへの反応が薄い。


 ――帰る前に、医師にてもらうことをすすめた方がよさそうね。


 見たところ、心の不調というよりも、よくない病にかかっているように思えた。対話で治るものではなく、医学的な治療を必要としているということだ。

 悪魔祓いは成功したが、悪魔によるこうしょうを治すには医療に頼った方が早い。――と、そんなことをうま手く告げてみよう。

 悪魔祓い後のことを考えながら、私は最後の一節を口にする。


「女神ヲウルよりじょうされた聖なる力を行使し、お前をこの世から追放する。勇気を知れ。こわさを知れ。ばんしょうを肯定する我らにさちあれ」


 に座った少女の背後に回り、小さなかたを優しくたたく。

 これで悪魔が人の体から「出た」ことになる。みんなには見えないけれど、聖女の私にだけは見えているという設定だ。


 ――この後再度対話を試みてみよう。医療は私の領分じゃないけど、どこが悪いか少しでも手がかりが摑めたら……。


 この時、私は完全に油断していた。私だけでなく修道女も修道もテオでさえ、終わった気になっていた。

 しかしここから「始まった」のである。

 とつぜん、少女のうなじの辺りから黒い気体がき出した。ふっとうしたケトルから湯気が立ち上るような勢いに、私は危険を感じあと退ずさりする。


 ――これは……なに? 人間に蒸気の出る穴って、あった?


 少女がくずおれ、椅子から落ちた。それと同時に彼女の側にいた修道女のロザリオがはじけ、精霊石が音を立てて散らばる。

 黒いモヤはてんじょう付近を漂っていたが、やがて一つのかたまりとなってゆかの上にドスンと落ちた。最初はつぶれた球体で、じょじょに腕が生え頭が生え、何かの形になろうとしていた。


「なんておぞましい姿! まさか、こんな……化け物が現れるなんて。セルマさま、悪魔は本当にい――」


 修道女のふるえ声がれたのは、こうげきを受けたせいだった。軽い棒切れか何かのように、彼女の体が浮いたと思ったしゅんかんにはしょだなに叩きつけられていた。


「セルマさまお下がりください、ここは我らが!」


 三人の修道騎士が、けんを構え私をその背にかばってくれた。たのもしいが、相手は未知の物体である。立ち向かって危険なのは彼らもいっしょ


 ――悪魔が実在した? ならば今までの悪魔祓いで遭遇しなかったのはどうして?

 ――戦闘の邪魔になるくらいならここから離れた方がいい? でも、その前に……。


 私の足元には、少女が意識のない状態でたおれていた。目覚める気配はない。

 私は床に膝をつき、彼女のわきに手を回した。力を入れ、必死になってソファのかげへと引きずっていき身を隠す。

 安堵しているゆうはない。部屋の中央では悪魔がみにくたけびを上げ、家具や壁に何かが強くぶつかる音が立て続けにひびいている。

 恐る恐る確認すると、悪魔が立っているのが見えた。大きく黒くまがまがしいたいと、かまのような爪、背中に生えた大きなつばさ

 初めて見たにもかかわらず、私はそれが悪魔であると疑わなかった。あんなに恐ろしい異形のものが、人の世のものであるはずがないからだ。

 三人いたはずの修道騎士は、全員気配が消えていた。あたりは静まり返り、悪魔のあらいきづかいだけが聞こえる。

 部屋を見回せばすぐに見つかった。


 くだけた家具、へこんだ壁。床に転がる彼らの顔には、のりがべったりと付着している。ぴくりとも動かず、生きているのか死んでいるのかもわからない。

 そして、惨状を目の当たりにして、きょうよりもまず先に、私はかんを覚えた。


 ――遠い昔、これと似た場面に遭遇したような気がする。真っ赤になった人が、私の名を呼んでいた。

 ――夢で見た、黒く大きな体……。


 ざわざわと心が揺れ動く。みだされる。それと同時に、記憶が繫がる。


 ――お父さん、お母さん。……私の両親は、悪魔のせいで死んだんだ。


 頭の中のきりが晴れていくように、私は唐突に思い出した。

 三歳の頃、ひとりぼっちだった私はひんみんがいでエトルスクスさまに拾われた。これまで私は両親に捨てられたのだと思い込んでいた。でも、違った。

 両親が私を捨てたのではない。悪魔だ。

 悪魔が私の両親を殺し、生き残った私をわざと、、、貧民街に捨てたんだ――。

 ソファをはさんだ向こう側では、悪魔がするどい爪を振り回し、攻撃相手を探している。姿を見せたら最後、たちどころにおそってくるだろう。

 にもかかわらず、私は今にも笑い出しそうだった。きんぱくした状況のなかちがいなかんがこみ上げていた。


 ――家族を悪魔に殺されたなんて、あり得る? ……現にあり得てる。信じたくないけど。


 この気持ちが肉親をうばわれた純粋ないかりかと問われると、少しだけかんがある。そこはかとない悲しみに、変えられない過去への諦め。きっと自分の心を守るためだろうが、今まで忘れていたことへの悔しさ、罪悪感。様々な感情が共存していて、一言ではとても言い表しようがなかった。

 ただ、それ以上に嬉しかった。

 私は両親に捨てられていないどころか、両親に愛されていたことを思い出したからだ。

 幸いなことに私は聖女で、時折悪魔祓いの依頼がくる。それを一つ一つ当たっていけば、いつか私の両親を殺した悪魔にも相まみえることができるかもしれない。

 こんなきゅうにあって、私はまるで力がみなぎるかのようにこうようするのをおさえられなかった。


 ――向こうが先に手を出したのよ。いいわ、やってやる。たり次第に悪魔を倒して、人の世にいられなくしてやる。


 私のように悪魔によって大切なものを奪われる人が現れないように。

 それと、理不尽に命を奪われた両親へのとむらい――かたきちのために。

 私は決意し、強く歯を食いしばった。この震えは恐怖ではない、しゃぶるいなのだと己に言い聞かせながら。



 ところが決意して早々、一つの問題に行き当たる。私にできるのは、人と悪魔をぶんするところまで。悪魔を倒す方法については、実のところ知識がない。

 泉下の書にも「力で倒す」としか書かれていなかった。物理的な「力」が効かないのは修道騎士がやられたことで明らかだし、もしも「力」が「聖なる力」を指すのだとしたら、それを持たない私ではちできないことになる。


「セルマ殿、指示を出してくれ。この後はどうし…………なぜ笑っているんだ?」


 思案する私に、テオが悪魔の死角から声をかけてきた。彼は最初に吹き飛ばされた修道女をかいほうしていたため、悪魔に気付かれていなかったみたいだ。

 私の表情がさぞかし不気味だったのだろう。テオは口元をらせ、ろんな視線を私に向ける。

 私は急ぎほおを引き締め、いつもの口調とこわいろを意識する。


「案ずる必要はないわ。だいじょうよ、わたくしたちなら切り抜けられる」


 みを誤魔化すためにそう言ってみたものの、無策。わかるのは、隠れていても何も解決しないことくらい。


「切り抜けるとは、どのように……? セルマ殿、このままでは危険すぎる」


 具体的な解決策を急ぎ求められているのは理解する。不安な気持ちも理解するけど、長身で体格もいい彼にこうもガッツリ頼られては、正直ちょっと暑苦しい。

 部屋の中央には悪魔。すでに臨戦態勢で、攻撃をかけてもちがいなくはんげきされてしまうだろう。

 負傷者多数、動けるのは私とテオだけ……。


「セルマ殿っ、早く何か、案を!」


 私の横に待機しながら、テオが返答を待っていた。家具に身を隠しつつ、すぐそばまで来たようだ。

 どうやって切り抜ければいいか。その答えは、いまだ私の中にない。でも、これ以上はテオも悪魔も待ってくれない。


「わたくしの言う通りにすれば、必ずやみな助かるでしょう」

「言う通りとは? 一体どうすれば――」


 平常心をよそおいながら、私はしとやかに告げる。


「逃げるのよ」

「……逃げ? い、いや……は? 何を言っているんだ、仲間を置いて逃げるなど……おい、待て!」


 みなまで言わせず立ち上がり、勢いのまま最も近いとびらへと駆けた。テオが反射的に私を追うが、動きに気づいた悪魔もまた、私たちを追おうとする。


「セルマ殿! なぜ――」

「話は後で聞くから、まずは口より足を動かしましょうね? でないと、悪魔が追って……きゃっ!」


 ろうに飛び出して数秒も経たないうちに、ドンッという音とともにわくざいの一部がかいされる。悪魔がテオの後を追い扉から出ようとしたが、体がつっかえて止まったみたいだ。

 代わりに、長く硬そうな腕だけがにゅっと廊下に現れた。

 しき用のほうというのはどうしてもかさり動きにくい。私のそれは聖女用の特別仕様となっていて、特にふわふわしていた。そのせいで悪魔につかまれてしまうが、布が薄かったおかげでけて悪魔の手からこぼれた。

 この機に乗じて私は再び走り出す。


「テオ、こっち! ついてきて」


 しきの廊下を駆け、突き当たりを曲がったところで手近なドアノブを回した。幸いにもじょうされておらず、私たちは身を隠すべくその部屋へとなだれ込んだ。

 扉、窓、だん、テーブル。位置関係を確認しながら、心を落ち着けるため深呼吸する。

 一方、テオはこの「逃げる」という行動に納得がいっていないみたいだ。気色ばみ、ありえないとこうする。


「セルマ殿、なぜ一人で逃げようとする!? 仲間は? 悪魔は? あのむすめは? 聖女だろう、ここぞとばかりに聖なる力でなんとかするのがそなたの仕事ではないのかっ!?」


 聖女。

 女神から聖なる力をたくされた娘。

 人の心や未来を読み、人には見えないものを感じ、人には聞こえないものを聞いて、信者を正しい道に導く存在。


「そうよ、わたくしは聖女……」


 誰にもバレてはいけない。アピオンさまやエトルスクスさまでさえ、私には聖なる力があると信じているのだから。


「早く力を使ってくれ。あの黒いやつはこの世のものではない。だから修道騎士では倒せなかったのだ。きっと、――『聖なる力』ならば! セルマ殿の持つ『聖なる力』でなくては!」


 テオがナミヤ教に抱いていた疑問や不信感を解消させたのは私だ。でも、放っておいた方がよかったかもしれない。こんなにも私にもうしんてきになられるのも困りものだ。


えんはする。何でも言ってくれ。早くっ!」


 ――ああ、そのけがれのない眼差し。勇気あふれる頼もしい言葉。

 噓には慣れていたはずの私が、珍しくしょうそうし、さらにはテオに追い詰められていた。

 廊下には、悪魔の気配。重い体を引きずる音が、少しずつ近づいている。


「あらかじめクヴァーンていの者を全員退たいさせておいて正解だったな。だが、あれが屋外に出たらさらなる問題に繫がる。その前に――」

「ないのよ」

「セルマ殿? すまない、何がないと……?」

「わたくし――いえ、、本当は聖なる力なんて持ってないの」


 これ以上、隠し通すことは不可能。切羽詰まった結果、私は開き直ることにした。

 隠し続けたところで悪魔を倒せないのだからどうしようもない。だから私は早々に見切りをつけ、自分の口から正直に告げたわけである。


「は? ……ない? いや、あるぞ。いつも使っていただろう」


 だというのに、テオは信じようとしない。

 たしかにこれまで「ない」ものを「ある」ように見せかけていたのだから、テオの気持ちも少しはわかる。彼には悪いことをした。


「人の心を読むのは私の特技であって、聖なる力ではないの。あの子から悪魔を追い出せたのは、聖典に手順がっていたから。でも、その先については〝力で倒す〞という記述だけで、どうやったら倒せるのか、実は私も知らない。そもそも、悪魔が実在するとも思ってなかったし」


 厳しい状況は続いていた。せめて何か、聖なる力以外で悪魔に効果てき面な武器のヒントでもあればいいのに。

 テオは驚きすぎるあまり、金魚みたいに口をパクパク動かした。


「いや、……待っ…………、本気で!? 本当に、聖なる力を持っていないのか!? ならばなぜ、初対面の人間の性格や隠しごとがわかるんだ! 俺のことも言い当てただろう!?」

「別に特別なことじゃないわ、洞察力や推理力を活かしてそれっぽく言っただけよ。それよりもテオ、悪魔がすぐそこまで来てる」

「それっぽく……? いや、待て、俺……待て……、信じかけていたんだが!?」


 テオの驚きももっともだが、彼の相手をしている場合ではない。


「静かにして。せっかくこうして隠れているのに、悪魔に気づかれると面倒な――」


 忠告しようとした時点で、すでにおくれだった。廊下に面した壁がぶち抜かれ、悪魔が姿を現したのだ。

 私はとっだっしゅつ経路を考える。悪魔の位置からして窓を使うしかなさそうだが、鍵を開けている間に攻撃されてはひとたまりもない。我々を追い屋外へ悪魔が飛び出しても、今度は外が危険になる。

 それにここは三階。無事に飛び降りられるとも限らない。

 ふと思い出し、私は胸にあるロザリオに目を落とした。聖典に登場する悪魔が相手であるならば、同じく聖典に登場する精霊石に聖なる力が宿っていても不思議じゃない。これをとうてきしてみれば、あるいは。


 ――とりあえず、やらないよりは見込みがある……?


 留め具を外し、ロザリオを持つ。振りかぶって投げようとした時、テオが私の一歩前へと歩み出た。


「えっ……? 危険よ、下がった方が――」

「俺は逃げない。逃げたいなら、好きにしろ」


 腰の剣に手をけ構え、悪魔をにらみつけながらテオが宣言した。

 弱点不明の難敵にも立ち向かえる勇敢さは彼のいいところだけど、今はそれを発揮すべき時ではない。完全に空気が読めない男のそれだ。


「あのね、ちょっと提案があるんだけど! ロザリオで――」


 悪魔がきばいた。大きな口は四方に裂け、赤黒いしるらし、頭が割れそうな雄叫びとともに黒い腕をテオへと向ける。

 ヒュッと空気がうなる音。目では追い切れない悪魔の腕。

 対するテオも動いた。悪魔との距離を詰めながら、さやから剣を抜き――。

 とつじょ部屋が光に包まれた。光の出どころはテオの剣だ。白く暖かく、まばゆい。

 あまりのまぶしさに私は目を閉じた。ハッとしてすぐに開くが、チカチカとしてよく見えない。

 何度も瞬きをかえし、私の目が再び機能し始めた頃には、二者の勝敗は決していた。

 勝ったのは、テオ。悪魔は消えていた。正確には、消えていく途中、、

 どうたいはすでになく、首と、灰の積もった床の上にあしが残っているのみ。私が見つめてい

る間にもほうかいは進んでいき、やがて全てが灰となった。


 ――どういうこと? 悪魔を倒した? テオが? ……なぜ?


 テオの手には、いまだ淡く光を放つ剣があった。


「テオ……今のは何? 説明してくれないかしら」


 私の問いかけに、テオがゆるやかに振り返った。その表情の、うろた狽えぶりと言ったら。


「さっき、女が……女神……あれが、女神ヲウル? 俺に力を授けると……。夢か?」


 何かを捜しているかのように、テオは視線をちゅうに泳がせる。そしてまた、呟く。


「女神が……『救ってくれ』? 俺が、なぜ……?」

「それってつまり、てんけいを授けられたってこと? テオは女神ヲウルに聖なる力を与えられたと……?」


 私は聖女と呼ばれながらもその実、神を信じていなかった。厳密には、どうでもよかった。

 神を信じることで元気になれる人は信じたらいいし、必要なければ信じなくてもいい。

 実際に関わることは不可能な存在なのだから、おのおのが自分に都合よくかいしゃくすればいいと思っていた。


 しかしこの状況では、そうも言っていられない。悪魔はいたし、奇跡の力を私も目の当たりにしたのだ。

 剣は発光を終えていた。テオもそれに気づいたのか、ぼうっとしながら剣を鞘に戻す。


「ちょっと失礼するわね」

「あ? セ、おい、セルマ!?」


 私はテオにツカツカと近寄り、短いマントを勢いよくぎ取った。中の服に手をばし、燕尾ベストとシャツのボタンを上から順に外していく。

 テオが一般的な輔祭と同じ祭服を着用していたなら、もっと簡単にがせることができていた。彼の場合は王族だから、輔祭のマントさえ羽織ればその下には何を着てもいいと特別な許可が与えられている。だからベストだのシャツだの、めんどうくさいことこの上ない。


「え? え? ちょ……え!? セルマ、何を――」

「暴れないで。天啓が本当なら、聖痕が体のどこかに浮き出ているかも。私はそれを確認したいだけ」


 テオの女性恐怖症は、教団の暮らしでずいぶんと落ち着いていた。当然だ、みな真面目な信徒ばかりで、テオに色目を使う者なんていないのだから。

 もちろん、私だってそんなものを使う予定はない。

 私のだいたんな行動にテオは顔を青くしたが、理由を聞くと「ああ……」と呟き、とりあえず納得してくれた。


「わ、わかった、自分で脱ぐから」


 彼が背を向けたので、私はあっさりとはなれた。聖痕のは本人としても気になるところだったのだろう。

 しばらくして、テオからアッという声が上がる。


「あった。これが……聖痕か?」


 テオの聖痕は左胸の上にあった。私の左手の甲にあるのとよく似た、×印のきずあとだ。

 目の色は今更にじいろには変わらないだろうから、それはそれでいいとして、これでテオに聖なる力が授けられたということになる。……のだろう。


「つまり、私じゃなくてテオの方が真の聖女……ならぬ、『せいおとこ』だったということ?」

「俺が、女神から聖なる力を……。信じられないが、結論を言えばそういうことなのだろうな。ただ、『せいおとこ』はが悪すぎて不快だ」

「それは私も思った。ごめん」


 ――私に聖なる力はない。でも、テオにはある。ということは……。


 私はまたにやけそうになったけれど、それよりも先にすべきことがある。


「テオは服を直して。その間に人を呼んでくるわ。まずはにんを運び出して手当てしてもらわなければ」

「待て」


 少女や仲間を残してきた部屋へ戻るため廊下に出ようとした私を、テオが引き止めた。


「おまえは先ほど、『聖なる力は持っていない』と言ったな。どういうことだ?」


 テオの口調が硬くなった。「そなた」というにんしょうも「おまえ」に格下げされたし、以

前よりもとげとげしさを感じる。

 目を瞑っておいてほしかったけれど、仕方がない。ここまで来て誤魔化そうとするのは不自然だ。


「……どうということもないわ。聞いてのとおりよ」


 肩をすくめ両手を上げて白旗のサインを送ると、テオがぎこちなく口元をゆがめた。


「残念だったな。悪魔が現れさえしなければ、ネタバラシの必要もなく俺を騙し続けられたのに」


 私に皮肉をぶつけるやいなや、テオがぷいっと顔を背けた。腰に手を当てため息をつき、悔しそうに吐き捨てる。


「セルマの正体を見抜けなかった自分自身にも反吐へどが出る。ナミヤ教団の悪事をあばくためせんにゅうしたにもかかわらず、あわや取り込まれそうになって……。兄上の目を覚ますどころか、これでは俺までねむりしていたようなものだ」


 私の名への敬称が消えた。

 当然ながら、それくらいで傷ついたりしない。今、私が一番気がかりなのは、テオが自身を責めていることだ。


「教団のみんなも誰一人疑わないくらい、私の演技はかんぺきなんだもの。だからテオ、あなたは悪くないわ」

「詐欺師の分際で俺をなぐさめようとするな!」


 テオがカッとなって言い返したが、私も引くつもりはない。


「詐欺師とは失礼じゃない? 私には聖なる力がないだけで、それを除けばかなり質のいい聖女だと自負しているのだけど」

「ほ、お、おまえはとんだこうがんだな……! 聖なる力がないのなら、信者たちに語った言葉も全てが噓だということだろうが。噓つきが聖女の名をかたるなどっ」


 テオは私が噓をついたという事実が許せないのだろう。聖女であるならせいれん潔白であるべきだと。でも、私の知ったことではない。

「私はただ、彼らがほっするものをあげただけ。私の言葉で彼らが救われるのなら、誰に何と言われようとこれからも喜んで噓をつくわ」

 テオにテオなりのルールがあるのと同じように、私には私のルールがあり、私はそれを守っているだけ。これからも曲げるつもりはない。

 逆にテオに問う。


「真実が必ずしもその人のためになるとは限らない。私は信者を支えたいだけよ。誰かを救うための噓の、何がいけないと言うの?」

「そっ、それは――」


 予想どおりテオがよどんだので、髪を耳にかけ気合いを入れ、ここぞとばかりにたた

かける。


「教団も私も間違ったことはしていない。困っている人を助け、悪魔を祓い、世界平和にこうけんしている。だからこそ、ティグニス陛下も我々を頼ってくださったのよ」


 テオがナミヤ教に入信した理由は、敬愛する兄がなぜ教団を頼ったのか探るため。教団が言葉たくみにティグニス陛下を騙したのだと、テオは思いたいのだ。


「ち、違う。あの兄上が宗教なんかにけいとうするわけがない!」

「そうね、傾倒まではしていない。宗教を利用なさっただけ、、、、、、、、

「…………っ」


 テオはさぞかし私にげんめつしただろう。私に誤りを認めさせ、謝罪の言葉を引き出そうとしていた。他方で彼は、私の噓を見抜けなかった自分自身に失望している。

 ここで私がていよく謝ったとしても、テオが抱える自責の念はこの先ずっと残るだろう。

 私はテオに自分を責めないでほしかった。だからその気持ちを私への怒りに変えようと、あえて彼の神経をさかでする言葉を選んだのだ。


「俺はこの数ヶ月間、何件もの対話を見て、セルマが本物の聖女だと確信した。セルマを疑う俺の方がどうかしていたと恥じもした。……だが、どうかしていたのはおまえだ。聖なる力もないくせに、聖女だといつわるなど!」


 私は高らかに笑った。

 我ながら、悪役れいじょうみたいだと思える高飛車な笑い声になった。


「勝手に信じておいて、何を。なら聞くけれど、聖なる力を持たなければ、どれだけ人を助けても聖女にはなれないの? そもそも聖女って?」

「自分で考えろ。俺はおまえを聖女とは認めない」

「あなたに認められずとも結構。私は聖女を続けるわ」


 ことごとくテオの気にさわる言葉を返した。そのうちテオは諦めて、うんざりした表情で短いため息を吐いた。


「……もういいセルマ、終わりだ。悪いのは教団ではない、おまえだ。詐欺師だとバラさないでほしければ、今のうちに俺にこんがんすることだな。それを俺が聞き入れるかは別だが」


 女神はどうして私に聖なる力を授けてくださらなかったのだろうか。……なんて、今更考えたって意味のないことだけど。

 なんちゃって、、、、、、悪魔祓いではなく、本物の悪魔祓いをするためには、聖なる力、つまりテオの協力がひっだ。正義感溢れる彼のことだ、誠心誠意謝ればきっと手伝ってくれただろう。

 でも、私はそんな真似しない。


「テオ、待って」


 私を置いて出て行こうとする彼に声をかけると、足を止めてくれた。しかし振り向こうとはしないので、その背に忠告することにする。


「私が偽物の聖女だとのたまうのはやめた方がいい。あなたにとって不利益となる」

「…………俺の不利益? おまえ、何を――」


 テオがげんな表情で振り返った。私は腰に手を当て、見下すように顎を上げる。


「言いふらしたいなら、どうぞ? 私は別に困らない。ただ、あなたが困ることになるのよ。私ではなく、あなたが、、、、


 テオはあくを倒せるゆいいつの存在だ。だからこの言葉のせんたくは合っている。

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