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 かつてこの世は平らであり、女神ヲウルを中心として人間が暮らしを営んでいた。しかしある時、女神が不老不死であることをねたむ人間が現れる。

 彼の名をメナヘムといった。

 メナヘムは死をおそれるがあまり不老不死を追い求め、自らも神になろうとした。しかし失敗し、人間でも神でもない、ちゅうはんな存在に成り果ててしまう。

 彼は常にひどい苦痛にさいなまれ、かといって死ぬこともできぬまま、ひたすらにえるしかないごくの日々を送る。その結果、メナヘムはだいに世をうらむようになっていく。

 メナヘムの恨みは周囲にでんせんした。女神に暴言をき、誰彼構わず他者に危害を加えようとする者が現れ始めたのだ。

 事態を重く見た女神は、メナヘムをかくする。世界の下層に『根の国』を作り、そこにメナヘムを閉じ込めた。ついでに二度とがれぬよう、重いふたをしてかぎもつけて。

 女神ヲウルもまた人間との共存をあきらめ、世界の上層に『天の国』を作り移住した。と同時にメナヘムのようなしきたましいを、次々に根の国へ送り閉じ込めていった。

 根の国の住人は女神と人間を恨んだ。そのぞうふくれ、やがてあくとなり凶暴な実体を持ち、根の国と地上のわずかなすきから人の世へやってきては、悪さをするようになる。

 一方で、女神ヲウルはおのれの力を分け与えた少女を『聖女』とし、聖女に悪魔を退治させることで、今も人の世を守り続けているのである――。

 ……というのが、レグルスレネト王国に伝わる神話であり、聖女をあがめるナミヤ教の始まりの物語だ。

 ナミヤ教の教えの中で最も大切なことは「認めること」。己の弱さを認め、ありのままの己を受け入れることで、何ものにも負けない強さを手に入れることができる。――と、ナミヤ教は説いている。


「セルマさま……聖女さまっ。ありがとうございます、ああ……何と感謝を伝えたらいいか。父が私のことを大切に思っていただなんて……!」


 私のとなりに座っているのは、四十代の信者の男性。上流階級のしんだ。

 その彼は、己の半分も生きていない私の言葉を信じ込み、私の両手にすがりつきながら体面も気にせずくずれていた。


「生きているうちにもっとあなたに愛していると伝えていればよかったと、お父さまは大変こうかいしていらっしゃいます。そうすれば、あなたがあんな出来事、、、、、、に巻き込まれることもなかったのにとおっしゃって、今、あなたのうしろでなみだを流しておいでです」

「な、なぜ……誰にも打ち明けたことがなかったのに、どうしてあのことをご存じなのですか!? さすが聖女さまだ、私の過去などお見通しなのか……」


 ナミヤ教団は事業のいっかんとして、聖職者によるカウンセリング、通称『対話』をじっしていた。なやみや過去のつらい体験を打ち明ける過程で、信者はゆっくりと己を受容し過去をこくふくし、強く尊い姿へと生まれ変わることができるのだ。

 神殿に来る者はみな、何かしらの救いを求めている。救いというのはめれば、「自分を理解してほしい」というものが大半だ。

 私に聖なる力はないが、相手の気持ちを読み取ることは得意だった。だから持ち前の洞察力をかして、信者が望む言葉をかけた。そうすることで彼らは落ち着き、みな少しずつ前向きになっていった。

 噓をついているのは百も承知。でも、彼らが楽になれるのならばそれにしたことはない。噓つきだろうがなんだろうが、信者を幸せにすることが、聖女としてのあるべき姿だ。

 だから私は聖なる力などなくとも、歴代の聖女の中で誰よりも「聖女」をしているという自負すらあった。

 紳士がはなをすすりながら独白する。


「あれは、私のおろかさが招いた事故です。認めます、私のせいです。だから父が後悔することなんてない。……父に、謝りたいっ」


 当然ながら私には他人の心の声なんて聞こえないし、ゆうれいが見えるわけでもない。今回だってこの信者が過去にどんなトラブルに巻き込まれたかなんて知らない。

 ただ「あんな出来事」とほのめかしたのを、彼が勝手に関連づけて連想してくれたにすぎないのだ。

 しばらく泣いて彼が落ち着いたところで、私は部屋のすみで控えているテオに声をかけた。


「そこのたなにある白い小箱を持ってきてちょうだい。月のはくしがしてある箱よ」


 手のひらにるほどの小さな四角い箱。私はそこに、加工済みのせいれいせきを入れていた。

 精霊石とはナミヤ教の神具やほうしょくに使用される宝石のことで、さまざまな色の石がある。私が箱に入れていたものは、全て丸くけんされひもを通す穴が開いていた。

 私はそのうちの一つを選んだ。小指のつめほどの大きさで、あわむらさきいろのものだ。両手でにぎり、目をつぶる。


 ――どうかこの方が、これから先、心おだやかに過ごせますように。


 いのりによってご利益が増すわけではないけれど、そう願ってから私は石を彼にわたす。


「あなたにこれを差し上げます。お父さまは天の国から常にあなたを見守っておいでです。今後また心が乱されることがあっても、この石があればきっと、自信をもどすことができるでしょう。何も心配はいりません。あなたは愛されていたし、おくさまもあなたの帰りを待っている。あなたを大切に思っている」

「妻が……。本当でしょうか。まだふうとして、やり直す余地はあるでしょうか?」


 彼は真剣なまなしで私の話に耳をかたむけてくれていた。その思いに応えるように、私はぶかうなずく。


「わたくしは噓をつきません。わたくしには人に見えないものが見え、聞こえない声が聞こえます。それをあなたに伝えているだけ」


 というのは噓。私は噓をつく。でも、必要な噓だ。

 彼は両親、特に父親に愛されたおくがなく、そのせいで妻や子へどう接していいかわからなくなっていた。肉親にすら愛されない自分が、はいぐうしゃにも子にも愛されるはずがない。

 周囲の人間はみな、自分が金持ちだから相手をしてくれるだけだ。││ と思い込み、誰のことも信じられずに苦しんでいた。

 私にできることは、彼の自己こうていかんを高めてあげること。幼少期にできた心の傷を多少なりともやすことができたなら、きっと彼は楽になる。

 だから私は筋書きを用意して、役者になりきり演じたのである。


「――なぜ」


 対話を終え二人きりになった執務室で、テオがぽつりとつぶやいた。

 振り向くと、彼はかべにもたれかかりながら輔祭の短いマントの下でうでを組み、私を熱心

に見つめていた。

 その瞳にあるのは疑いの色ではない。わずかな興奮と尊敬、興味。まるでせきもくげきしたと言わんばかりだ。


「対話に同席するたびに思うが、なぜセルマ殿には信者たちの悩みがわかる?」


 おや、と私はテオを見る。そんな疑問をいだくということは私の力を疑っているの? 

 ……とはさすがに口に出せないので、聖女としてのはん解答を告げておく。


「女神ヲウルのお力のおかげよ。いつも申し上げているけれど、女神より授かったこの力のおかげで、わたくしにはみなの心の声が聞こえるのです。心を読む、と言ってもいい。この奇跡を表現するのにちょうどいい言葉は存在しないから」

「……要するに、俺たちが心の中で考えるだけで、その内容がセルマ殿に伝わってしまうということなのか?」


 テオが教団にやってきた理由は、気になっていたもののあえてさぐりを入れなかった。噓が下手な彼ならば、そのうちボロを出すに違いないと思ったからだ。

 案の定、三ヶ月もてばなんとなく見えてきた。

 テオはたぶん、教団を疑っていたのだ。ナミヤ教団はこの国に古くから伝わる女神の名を利用した組織で、信者をだまし洗脳し、よからぬことを企んでいるのだと。

 もしかしたらナミヤ教が国教となったことからして、なっとくがいっていないのかもしれない。だから、私が信者の悩みを言い当てることが不思議でならないのだろう。

 私としては「国のこんめいに助けてあげたのに、なぜ疑うの?」と少々困惑してしまうけれど、入信当初と比べると、テオの不信感はいくらかマシになっているようにも見受けられた。

 私はソファに座ったまま、上半身をひねりテオの方へ体を向けた。聖女の証しの一つだという虹色の瞳を、これ見よがしに細める。


「こんなに間近で見ていながら、テオはわたくしの力を信じていないの?」

「ちっ違う、これまで一度も聖なる力などたりにしたことがなかったから! だから正直さんくさか……し、しんせんでっ。セルマ殿のこともにせもの……いや、疑っているわけではない!」


 ――ほほう。聖なる力が胡散臭いと。私のことも疑っていたと。


 本音をかくそうとしてか、テオはますますじょうぜつになる。


「国を救ってくれたことには感謝している。だから兄上はナミヤ教を国教にしたのだ。俺は王弟として、兄上の決定をあとしする必要がある」

「そうね。ティグニス陛下は正しいお方。だから当時の我々も陛下を信じ、協力をしまなかった」

「…………」


 テオが口をとがらせて、あからさまにげんになった。まるでティグニス陛下が正しくないとでも言いたげだ。

 私がこうして観察しているのにも気づかず、テオは自分に言い聞かせるように呟く。


「あの完全無欠の兄上が頼るくらいだ、ナミヤ教は素晴らしい宗教なのだろう。だが、兄上のお力だけでも国を平定させることはできたはず。俺ももっと力になれた。たった一人の弟として、兄上のみぎうでとなるかくも実力もあった。それなのに、兄上は俺ではなく教団を頼り―― 」


 思うに、テオが今言ったことは本来私に打ち明ける予定のものではなかったはずだ。

 ――現在進行形で口がすべっているのか、私をしんらいし気持ちをしてくれているのか……どっち?


「つまり、テオはティグニス陛下が弟の自分そっちのけで教団を頼ったから、おもしろくなくてねているのね」


 私がかくしんを突くと、テオはわかりやすく動揺した。


「そん……ち、ちが、俺は、拗ねるだなんて、子どもじみた……無礼だぞっ!」


 テオと私の性格は、おそらく対極に位置している。私は本音を隠すのが得意。テオは大の苦手。噓がかいめつてきに下手で、思ったことがそのまま口に出るタイプだ。

 テレシア女王の時代、そこかしこに敵がうごめいていた中では、このじゅんすいさは利用されたり騙されたり、とても危険だったはず。ティグニス陛下が守ってくださったから今のテオがあり、だからこそお兄さまを大切に思っているのだろう。


「陛下と二人、そうらんの世をいてきたテオですもの。お兄さまの力になりたくてたんれんを重ねていたにもかかわらず、ここぞというところで頼ってもらえず、さぞかしくやしかったでしょう。わたくしにはわかります」


 言葉をえて共感していることを告げると、テオはおずおずとしょげた。


「……宗教など、弱い者が縋るものだ。兄上はお強い。そんなものに頼らずともお一人で立てる」

「だから陛下が教団を頼った理由を探るため、入信を決意したのね」


 テオが私をじっと見つめた。ふう、と諦めのため息をき、それと同時に全身の緊張を解く。

 これ以上隠せないと悟り、開き直ることにしたようだ。隠すもなにも、ほとんど丸見えだったけれど。


「聖なる力というのはすごいな。何でもお見通しだ」


 想像通り、策など練らなくてもテオの本心がわかった。とても簡単だった。

 これ以上噓を重ねなくてよくなったことにあんしたのか、彼の表情が晴れやかに見える。

 そんなにストレスになるなら、みっていこうなどやめておけばよかったのに。


「テオは我々教団側がティグニス陛下を騙していると思うの?」

「え、違うのか?」


 ――そこはさすがにしなさいよ!


 キョトンとされたってこっちが困る。き出しそうになるのをつくろい、私はいつもの聖女のしょうかべる。


「もちろん、違います。ティグニス陛下はかしこいお方。騙そうとして騙せるお方ではないもの。そもそも、陛下の方から我々に接触してきたのよ? 教団側から働きかけは一切していないわ」

「そうか……。では、セルマ殿はなぜ兄上が教団を頼ったのだと思う?」


 ――私に聞かないでよ~!


 テオよりも教団を頼った方が利になるとお思いになったのよ、とは可哀想かわいそうでさすがに言えない。代わりに、私はあることを提案する。


「わたくしも存じ上げません。でも、思うの。そのなぞは、あなた自身が解けばいいのではないかと。ティグニス陛下が何をお考えになり、なぜ教団を頼ったのか。ナミヤ教への見識を深めていけば、テオにもわかる時が来るのではないかしら」

「なるほど……それもそうか」


 あごに指を当てうんうん、と頷くテオ。その様子を眺めながら、私の頭の中には聖女にあるまじき言葉が浮かんでいた。


 ――チョロい。


 確かに彼はこっちが心配してしまうほど純粋だ。でも、そんなテオが本当に聖職者となってくれたなら、教団は大きなあしかりを得ることに繫がる。王族という身分に加え、この心の清らかさ。テオがいれば、レグルスレネト全土どころかもっとはばひろい地域でも、新たな層をとり込めるかもしれない。

 テオはもはや私のことをしょうしんしょうめいの聖女だと信じている。

 王族を聖女付きにするなんて、面倒だと最初は思った。でも今は、案外悪くないかも、と内なる私がささやいていた。


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