三成のおいしい柿の食い方
橋本洋一
三成の美味しい柿の食い方
「佐吉。美味しい柿の食べ方を知っているか?」
天正十三年十月のことであった。
関白になられた殿下が不意に言われたのだ。
堺奉行の松井有閑殿の不手際を報告し、ならばお主がやれと内々に命じられた直後の、何の気なしの雑談だった。殿下は家臣との会話を好む方だった。
「柿……でございますか。いえ、存じません」
「ほう。物知りのお主でも知らんのか」
「申し訳ございません。それに殿下が柿を好むことも知りませんでした」
「御屋形様より猿と呼ばれた余なれど、蟹から奪って食うわけではないがな」
上手いのか下手なのか、分からないことを殿下はおっしゃった。
殿下はさらに「余は美味い柿が食べたい」と笑った。
「佐吉。用意せよ」
「かしこまりました。近日中に用意させます」
殿下の気まぐれ……不意の要求は、私が佐吉だった頃からあった。
だから常のように準備をすることとなった。
築城途中ではあるが住めるようにはできている大坂城の廊下を歩いていると、真向かいから大谷刑部殿が見えた。顔色が悪く病に罹っているのが分かる。不治のものだと聞いていた。
「これは刑部殿。今日はいかがか?」
「相も変わらん。小康なのが良い証だ」
ぶっきらぼうではあるが、これが私と彼のやりとりである。
私は「美味しい柿を知らないか?」と知識のある刑部殿に訊ねた。
「美味しい柿? 美濃柿が美味しいと聞くが……珍しいな、食に関心がないと思っていたが」
「殿下の命令で、美味い柿が食べたいとのことだ」
殿下とのやり取りを事細かく話すと、刑部殿は「難しい注文だな」と顎に手を置いた。
戦場で物事を考える仕草だった。
それほど重大なことだろうか?
「美濃柿では満足せぬと?」
「殿下は『美味しい柿の食べ方』をご所望だ。柿が美味しいことはもちろんだが、食べ方を工夫せぬと機嫌を損なうぞ」
流石、刑部殿。私が気づかなかったことを鋭く指摘する。
私は礼を述べつつ「刑部殿はご存じか?」とさらに訊ねる。
「ううむ。お主ほどではないが、わしも食には関心がない」
「そうか……では、どなたに訊ねるべきか」
「千宗易殿なら良い知恵を貸してくださるかもしれん」
その案はあまりいただけなかった。かの商人は殿下に対する影響力が大きい。これ以上、信任を得られるのは……
「宗易殿は西瓜に砂糖をかけた者を叱ったと聞く。そのような偏屈な者の意見など聞けん」
「お主も相当だがな」
私は刑部殿と別れ、大坂城周辺に建てられた武家屋敷にある、私の屋敷へ帰ることとした。
その道すがら、私の屋敷前で諍いがあった。
人が大勢、集まっていたのだ。
同行していた家臣に「その方、見てまいれ」と命じる。
家臣は困った顔で戻ると「浪人、いえ物乞いが暴れているそうです」と答えた。
「追い払えばよかろう」
「それが、家臣五人でも敵わないと……」
言いにくそうに言う家臣を余所に、私は馬上から様子を窺う。
刀が打ち合う音は聞こえない。
だが暴力の音はする。
「道を空けよ! 治部少輔のお帰りだ!」
家臣に命じて道を空けさせ、諍いの場に現れる。
浪人風の身なりをしている男が、私の家臣を相手に大立ち回りをしていた。
三人は倒れていて、二人の首根っこを両脇に抱えている。全員、気絶しているようだ。
「手前は何者だ?」
ぎろりと睨みをきかせる浪人。
迫力に圧倒されないように気を保ちつつ「私の屋敷の前だ」と言う。
「主の顔も知らぬのに狼藉をするとは。貴様、何者だ」
「……島左近清興だ」
その名を聞いて息を飲む。
かの名将が何故……
私は馬を下りて「石田治部少輔である」と名乗った。
「貴殿が何故そのような出で立ちで、このような諍いを?」
「この者たちが以前、俺が世話になった方を嘲笑ったと聞いた。その仕返しに来たのだ」
私は「まことか」と言いつつ、見れば普段傲慢な振る舞いの目立つ者ばかりが気絶していた。
私は観衆の前で「すまないことをした」と頭を下げる。
「これで侘びとさせていただきたい」
「……いいだろう」
島殿は二人を放して立ち去ろうとする。
私は「少しお待ちくだされ」と呼び止めた。
「茶を馳走したい。よろしいか?」
「家臣を痛い目に合わせた俺を誘うのか?」
「この者たちの灸をすえたお礼がしたい」
島殿はしばし迷った後「いいだろう」と頷いた。
屋敷の中に入り、自ら茶を用意する。
ぬるめの茶を一気に飲み干す島殿。
「美味しい茶だった」
「お粗末様である。島殿は今、何をしている?」
「見て分かるだろう。浪人でその日暮らしをしている」
「良ければ仕官先を斡旋するが」
「いらん。自分で見つける」
歴戦の将なだけあって、慎重と呼ぶべき態度だった。
私は島殿に「一つ訊きたいことがある」と切り出した。
「美味しい柿の食べ方、知っているだろうか?」
「……なんだそれは」
「殿下からの命令なのだ」
島殿は「天下人もその側近も暇なことだ」と言う。
「私が思うに、美味しい柿の食べ方はやはり菓子の材料にして食べるのが良いと――」
「そのような小手先、殿下はつまらぬと思うぞ」
島殿はそこで初めて笑った。
「先ほどの茶を飲んで、思いついた」
「聞かせていただけるか?」
「ああ。まず――」
島殿は不敵な笑みを崩さなかった。
「殿下に畑仕事をさせろ。その後で冷えた柿を食べさせるのだ」
◆◇◆◇
私は今、囚われている。
天下分け目の大戦に負けたのだ。
京の市中を引き回された後、私は首を刎ねられる。
そのとき思い出すのは、殿下の笑顔だった。
『佐吉! こりゃあでぇらうみゃぁー!』
尾張訛りで殿下は喜んだ。
畑仕事は嫌いだと殿下は言った。
しかし終わった後の食は好きだとも言った。
私も手伝いをして、柿を食した。
すっかり好物となった。
死の淵で蘇る思い出は、殿下の笑顔。
今思うと、殿下の笑顔が見たかったから、私は頑張ってきたのかもしれない。
負けた今、私にはそれしか残されていない。
刑部殿も左近もいない。
負けて死んでしまった。
「石田殿。ご覚悟召されたか」
刑場へ引き回される前、私は「水を所望したい」と刑吏に言う。
「生憎、干し柿しかない」
私は断った。
建前として痰の毒であるからと言ったが、本当はあの柿の美味しさを損ないたくなかったからだ。
口さがない者は親切を無下にする器量の無さと私を罵るだろう。
だがそれでいい。
私は美味しい柿の食べ方を知ったのだ。
自然と笑みが溢れる――
三成のおいしい柿の食い方 橋本洋一 @hashimotoyoichi
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