嘘つきな伝書鳩

赤崎幸

短編 嘘つきな伝書鳩

「ねぇ、ちゃんと書いてる?」


「書いてるよ」


 僕は病気で指が動かなくなった彼女の代わりに手紙を代筆している。彼女との付き合いも長いもので、もう10年くらいだろうか。気づけば小学生が大学生になるくらいの時間を一緒に過ごしたことになる。いわゆる腐れ縁というやつだ。結果的に同じ大学に進学することになり、いまだに縁が続いている。学部が違うから、四六時中一緒というわけではないけれど昼時とか時間が合えば学食で時間を共にしたりもしている。

 大学2年の夏ごろ、ある日彼女は指が動かなくなってしまった。

 当時彼女には付き合っている人がいた。何でもバイト先の先輩らしい。病気が発覚してから彼とは会うことができず、指が満足に動かなくなったから連絡もままならないという。

 そこで手紙の代筆役に僕が抜擢された。SNSみたいに無機質なメッセージのやり取りよりも直筆の手紙の方が思いが伝わると彼女は言っていた。病魔に侵されているというのになんとまぁ呑気な事かと思うが、知己の頼みとあれば無下にできない。そんな自分の性格を若干呪っている。


「そうねー前回の手紙の内容よりもより過激なものにしたいよね。何というか『もう君なしじゃ生きていけない!いつまでも待つよ

』って言ってくれそうな」


「手紙の内容は君が考えてくれよ?あくまで僕がするのは代筆だけだからね」


「はいはい分かってるよ伝書鳩クン」


「鳥扱いかよ。というかせめてパソコンで書いた方が楽なんですが」


「直筆の方が愛がこもるのよ」


 何とも直線的な性格の彼女らしい返事だった。とはいえ代筆という大役を任されたのだ。期待に応えねばならないというもの。なるべく丁寧に手紙を書くことに努めた。


「何で僕を代筆役に選んだの?」


「それはもちろん。私の字に一番似ているからよ。同じ習字の教室に通っていたこと忘れたの?」


 何年前の話を持ち出しているんだ。確かにそれなりに字は綺麗ではあると思うけれど、それだけの理由なのか。


「もしかして何かトクベツな意味があると思ってる?残念でした。私はもう先輩と付き合ってます!残念ですが、君と付き合うことはできません」


 彼女は得意げに微笑を浮かべた。何だかイラっとした。


「いやそこまで聞いてないから。それよりほら。結びの言葉は何にする?」


「そうねーここはやっぱり思い切るべきか...『これからも私のことを想っていてください』かな」


「思い切りにしてはずいぶんしおらしい表現だね」


「分かってないわね。こういうのは緩急が大事なのよ」


「はいはい書きますよ」


 僕は結びの言葉を書き終えて彼女に一度読んでもらう。どうやら彼女のOKが出たようだ。彼女は伸びをしている。満足気ではあるけれど、実質働いたのは僕なのだから少し割に合わない。


「そういえばだけど」


「なあに?」


「この手紙のやり取りのこと、ご両親は知ってるの?」


「そりゃあもちろんよ。このことを話したらすごくロマンチックだって言ってたわよ。親以外にも看護師さんとか」


「そう。それなら良かった」


 彼女が手紙のやり取りをしているのはどうやら周りの皆が知っているようだった。でも僕は知っている。僕だけが。この手紙の宛先の彼はこれまで一通たりとも手紙を受け取っていないことを。彼女が病気に、しかも不治のものになったと分かってから、手紙の君は態度を一変した。要するにそういう重い女とは付き合いきれないのだと。

 彼女は手紙を手渡しで渡すことを重要視している。必然、宛先の彼と直接会うことになる。このことで彼と口論になったこともある。何故彼女のことを受け入れないのかと。受け入れないにしてもその理由を彼女に伝えないのかと。


 理由はごく単純なものだった。

 曰く、「面倒ごとには巻き込まれたくない」とのことだった。

 最初こそ、怒りをあらわにしていた僕だったが、次第に手紙の君に愛想をつかし、それだったら彼女のことを一番に考えた方が建設的だという判断に至った。


 そう。つまりは彼女への手紙の返事は僕が書いている。もちろん彼女は気づいていない。気づかせない自信があった。彼女は明るく、気丈にふるまっていたが、本当は普通の女の子のように繊細で傷つきやすいことを僕は知っている。

だから、これだけは絶対にバレてはいけないことだった。


 そんなやり取りを続けているうちに、だんだんと彼女の容体は悪化している。一日に目が覚めているのが数時間程度くらいにまで弱まってしまった。

 そんな中でも彼女は手紙を書くことにこだわっていた。何か使命を背負っているかのように、まるで残り少ない命を燃やしているかのように。彼女は手紙を書くことにとことんこだわっていた。


「ねぇ...この手紙届くかな」


「届くさ。僕が届ける」


「じゃあさ。あと何通書くことができるかな」


「...君が望むならいくらでも」


「あと100通は書きたいな」


「書けるさ」


「ありがと。じゃあね今日の手紙は...」


 彼女は弱弱しくも手紙の内容を口に出す。

 

 それを僕は一字一句漏らすことなく書き連ねていく。


「じゃあ最後の結びの言葉だね。何かいい言葉は浮かんだ?」


「さぁ?...何が良いんだろうね。君だったらなんて書く?」


「僕だったら?さぁそれは分からないけど、君の言葉で書いた方がいい」


「そうだね。それじゃあ...『私を忘れないで』でよろしく」


「...本当にそれでいいの?」


「うん。大丈夫。別にこれが最後なわけじゃないから」


「それは...そうだけど」


 嘘だ。きっと彼女はこれが最後の手紙になると思っている。口には出さないけれど、そんな気がする。

そんなことあるはずがないけれど、僕がこれを書くことで彼女の命を結果的に終わらせてしまうのではないか。

そんな気がしてならない。


「大丈夫。書いて」


「...分かった。」


「君とのこの時間中々に楽しいよ」


「それはどうも」


 僕は震えそうな手で最後の結びの文を書いた。


 最後の手紙を書いてからまもなくして彼女は永い眠りについた。

 葬式には行かなかった。僕は彼女に最後まで嘘をついていたのだ。彼女のためを思っていたとはいえ、一番大切なことに嘘を。僕には出る資格はないと思っていた。その間僕は何もしなかった。ただ彼女との代筆の日々を思い返していてはもっと良いことができたんじゃないか。そう思い続けていた。


 それから数日経って、彼女の両親から見てほしいものがあると動画を手渡された。彼女の両親からは、闘病中に何度もお世話になったと頭を下げられた。君が友達でいてくれて良かったこと。

僕が代筆をしてくれたおかげで、最期まで恋人のことを思っていられたこと。

 他人の親に向かっていう言葉じゃないけれど、この両親は節穴だと思った。一度も病室に顔を見せなかった奴が本当の恋人なわけあるか。

 もっともこれは彼女の自業自得なわけだけれど、今更それを言ったところで何も変わらない。むしろ彼女の名誉が汚されると思った。だから僕は何も言わない。素直に動画を受け取って自宅に戻った。すぐにでも一人になりたかったから。


 動画はすぐに見られるけれど、中々手が伸びなかった。この動画で彼女が語っていることを聴くことが怖かったのだ。それを見ることは彼女と永遠の別れを告げることだと思ってしまった。


 あれから何時間経っただろうか。


 長い時間をかけて僕は動画を見る決心がついた。


 再生しよう。


 きっとこの中身は彼女の最後の思いが詰まっているはずだから。


『あー聞こえてるかな?私だよ。噓つきの伝書鳩クン。ふふーふ。君は気づいていなかったみたいだけど、私は全部知ってたよ。彼が私に愛想をつかしたことも、君が代わりに返事を書いてくれていたこともぜーんぶね。それでも私が手紙を止めなかったことはね。えーっと。つまりその。君と文通をしたかったんだ。私がこうなってからさ、周りの人たちがみんな離れていったでしょ?でも君だけは残っていてくれた。君とも付き合いが長いから、それはきっと施しとかそういう意味じゃないと思う。私のことを思っていたからだと、うぬぼれだけどね。そう思いたいんだ。ゲホッ...ちょっと待って』


『やーやーごめんね。割と体にガタが来ているね。つまり、私は君のことが好きだったんだよ。恋愛の意味ではなく、親愛。勘違いしちゃダメだよ?でもそう落ち込まないで。私にとって親愛の人っていうのは最高の栄誉なんだよ』


『君のことだから今までの手紙残してあるでしょ。読み返してみれば分かるよ。途中からあの手紙の結びの言葉のところだけは全部君を思って書いたんだから』


 その後も彼女の独白が続いた。時折休憩を入れて。

無理もない。日付からしてこの動画を撮ったのは彼女が眠りにつく前日だったから。

彼女の最期にどれほどの力があったのだろうか。

それは分からないけれど、少なくとも彼女の眼は本気だった。

 何か覚悟を決めた人の目そのものだと思った。あの時の手紙が好きだったとか、あの表現には笑ったとか。

そんなことを彼女は言っていた気がするけれど、僕は彼女の顔から目が離せなかった。


『じゃあね嘘つきの伝書鳩クン。どうせ君のことだから私の葬式には来ないでしょ。律儀だなー。じゃあこれが最後だね。私のことは気にしなくてもいいよ。君の思い出の片隅にでも入れておいて。何なら忘れてくれてもいい。これが本当に最後。バイバイ嘘つきの...いや優しい伝書鳩クン』


 動画が終わった。


 なんだ。彼女は知っていたのか。


 でも彼女が最後まで気づいていたことを教えなかったのは何となくわかる。彼女はそういう優しい人だから。

でもそれなら、一度くらい僕自身の言葉で手紙を書いてもよかったかもしれないな。

 親愛の意味ではなく、恋愛。恋愛としての好きだと。そして見事にフラれていればよかった。きっと彼女なら鮮やかに僕のことをフッてくれるはずだ。そして次の日からは何事もなかったかのような日常が訪れていた。と思う。うぬぼれだけれど。


 彼女が眠りについてからもう数年になる。今でも彼女の命日には手紙を書いている。その手紙の中身は誰にも見せない。もちろん彼女にも。誰にも言ってはいけない僕の思い。誰にも知られてはいけない僕の彼女への思い。


 親愛する彼女に愛をこめて。

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嘘つきな伝書鳩 赤崎幸 @amaryllis1204

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