第8話

 どうやら数機のTu-16クラスの爆撃機が、地雷原と思われる地点一体に爆撃したらしい、とヴィルヘルム・グスタフ・ニスカヴェーラ大佐が僕らに向けて言った。

 今や第一一三七訓練施設の戦闘要員たちは皆、揃いも揃ってありったけの武器で武装し、戦争をしてやろうという面構えで整列している。

 集まったのはたったの50人足らずの予備役ばかりで、その中には僕らがいた。

 完全武装で、これから本当に戦争をするんだという格好で、僕たち〝国防実習生〟たちは整列している。

 そこにターヴィの顔はない。そこにターヴィはもういない。あの横に長い臆病なターヴィは、もうここにはいない。

 ガリルの重みを両手に感じ、身につけた装具でがんじがらめにされた僕らは、今から人を殺しにいったり、殺されたりするわけだ。

 ニスカヴェーラ大佐の愛国的演説が空虚に鼓膜を震わせ、寒さに凍えた僕らはツルハシで凍土を叩き割って作った塹壕や施設のトーチカなどに身を隠す。

 僕の脳裏にはケトラの温もりと柔らかさがあり、そして同時にターヴィだったものの赤が、雪の上に広がっている情景があり、複雑に絡み合っている。

 学生の本分であるはずの学校での勉学や、スキーや狩猟の思い出はモノクロ映画のように現実味がなく、薄れてしまっている。



「……おい、大丈夫かよ」

「うん、大丈夫だよ。レツィアの連中くらいなら、殺せるさ」

「なら大丈夫そうだ。ターヴィほどじゃないが、俺はグスタフの扱いには自信がある。守ってくれよ、ユーリ」

「僕の抱えた弾がなきゃ、そのグスタフもただの筒だものな」

「ははは、ちげえねえ」



 塹壕の中でカール・グスタフを片手に、レオンは言った。口調こそいつものレオンだったけれど、その表情は張り詰めていて、笑みはなかった。

 ターヴィは消えた。みんなの表情から笑顔が、笑いが消えていった。日常はどこかへと旅立ち、僕らはその日常と再び会うことが出来るか不安を感じながら銃を手に取る。

 ガリルのマガジンには二八発の弾丸が、そしてチェストポーチには四本のマガジンが入っている。禄に投擲訓練も出来ていないのに手榴弾まで二つ持たされ、足元の木箱には装填済みのマガジンが五個入っていた。全部で二五二発だ。これが僕らの生命線の数字だ。

 そして僕の左手にあるのは、カール・グスタフの八四ミリ無反動砲の弾が入ったケースだ。一つで二発分あるが、とても重い。もう一つがレオンの足元に転がっているから、ここには四発の八十四ミリ砲弾がある。僕は背負うのも手に持つのも諦めて、底をべったりと地面につけて楽をしている。戦える時に体力がないと悲惨なことになるのは、この国防実習の訓練で身に染みていた。僕には今、戦える分の体力がありったけ必要だった。

 塹壕の中には他にも見慣れた顔ぶれがそろっている。予備役の面々、ユリウス予備役少尉、ラッセル伍長、ハッセ一等軍曹、みんな寒さで白くなった顔だ。表情筋は緊張で凍り付いて、笑顔など忘れてしまったかのような顔で銃を握っている。ハッセ一等軍曹の指揮する機関銃分隊なんかは、時代遅れもいいところのマキシムのPM1910水冷重機関銃を使っているのだ。水とガソリンを混ぜ込んで不凍液にしたから、塹壕には少しばかりガソリンの臭いが漂っている。

 僕はスコッチ・ウィスキーの混じった水を水筒から一口飲んで、しんしんと降り始めた雪の粒たちを見上げる。

 こうして、すべてが白に覆われていくのだ。温もりも柔らかさもなにもかもが、雪と氷で忘れ去られていく。僕らのことを知るのは、きっとこの針葉樹の森だけになる。



「なあ、レオ」



 雪と森の中に言葉が溶け込んでいくかのような静寂の中、僕はレオンに言った。



「……どうしたよ、ユーリ」

「一緒に学校に、家に帰ろうな」

「当たり前だ。お前に数学のノートを見せてもらわなきゃ、俺はこの先やっていけねえ」

「そうだな。僕らはそうやって、助け合ってきたもんな」

「ああ、これからもそうだ。なに一つ変わりゃしない」



 どーんどーんと、空気が震えて地面が揺れる。がさがさと針葉樹から雪が落ちてきて、舞い散った雪の粒子が白い幕となって森を覆う。

 寒さで震えているのか、恐怖で震えているのか、あるいは怒りで震えているのか僕には分からない。両手が震えて、両足ががくがくとおぼつかない。冷え切って凍り付いた感情からはなにも出てこないはずなのに、僕の身体は正直だった。

 でも、レオンは違った。がっしりとした背中を僕に見せ、白い布でくるんだカール・グスタフを構えながら、僕の一番の親友は針葉樹の森の先を見据えている。



「なに一つ変わってたまるもんか」



 その時、僕の震えはどこかへと消え去り、心は平静を取り戻して温もりと柔らかさを思い出す。

 ケトラが悲しんでいたように、レオンだって怒っている。だれもがこの理不尽を前にして、いろいろな感情を抱いている。怒りであれ悲しみであれ憎しみであれ、あるいは絶望であっても。

 ならば僕は、僕も、ほんの少しのなけなしの勇気をかき集めて怒りを抱いて戦おう。僕らの学校の日常を、放課後のあの夕日を、帰路につく道筋でのくだらない会話を、僕たちのすべてであったあの日常を理不尽に奪っていったレツィアという敵に対して、怒りを。



「来るぞ、ユーリ」



 雪を掴んでそれを口に含みながら、レオンは言う。

 僕も雪を掴みそれを口に含み、シニ・ケトラの温もりと柔らかさをたった一つの縁として、怒りを抱いて塹壕の淵にガリルを据える。



「ああ、やろうレオ」



 だって、―――だって僕らはずっと、これからもずっと親友でいたいから。

 あの懐かしくて優しい、忘れてしまいそうな儚い日常の中に一緒に肩を並べて帰りたいから。

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