第7話
各方面からの情報が中々入ってこないというのは、この方面に進撃する以前から分かっていたことであったが、実際に各方面の戦況を知らずに敵中へ進撃していくというのは、なかなか気分の乗らない仕事であった。
ローライト・マクドゥーガルは歩兵に地雷や待ち伏せに警戒しながら前進させ、その後ろを戦車で追随するという基本的な行軍方式を取ることにした。こうすることで戦車は歩兵を援護しやすくなり、歩兵もまた戦車の欠点である索敵能力を補うことが出来る。
敵の対戦車兵器が不足気味だという情報はもちろん確かだろうが、かといって数の少ないT-55Lを前面に押し立ててまで自信があるわけでもない。
戦車のように不正地でも動ける装甲車があればいいのだが、と思いながら、マクドゥーガルは戦車のハッチから上半身だけを晒して、斥候からの報告を受け持っているセミョーノフと、まだ歳若い兵士たちを眺めた。
戦死者が出てからというもの、空気は重く張り詰めている。
行き所のない不満と恐怖が、胸の中でふつふつと煮え滾り、敵への憎悪が気付かぬ合間に溜まっていっているのだ。
それは決して悪いとは単に言う事は出来ない。
敵への攻撃本能はそれこそ是とすべきだが、しかし、敵が人間であることを、人間とは時として忘れてしまいがちな生物だ。特に恐怖と憎悪が合わさったときにそれは起き易い。
それが起きたとき、人間が人間らしく振舞うことが、どれだけ難しいということかをマクドゥーガルは知っている。
ただの戦争であればいい。
ただの戦争が、どちらか一方を絶滅させるような戦いになったとき、それは原罪を伴って目の前に現れるだろう。
「敵の待ち伏せはめっきりなくなったそうですが、代わりに地雷がちらほら見られるようになってきましたな」
片手に地図を持ち、あいた手でサーベルの柄を撫でながらセミョーノフが言った。
「できるようなら迂回するが、無理そうか?」
「本格的な地雷原がどこからなのかがまだ分かりませんからな。解除に成功した班によれば、通常型の下に対戦車地雷を敷いたものもいくつか混じってます。厄介なのは対人地雷ですな。ドイツ人が使っていた跳躍型の散弾地雷と、アメリカ人の弁当箱が併用されていまさ。あれに引っかかると身体が滅茶苦茶になりますから、我々の軍勢じゃあさぞ士気が落ちるでしょう」
「若者ばかりだからな。戦争の悲惨さというやつは、目に見えた時には手遅れだ。あれは全部持っていく」
「ええ、ええ。思考も記憶も平和も、一切合財なにもかも、でさあね」
苦虫を噛み潰したような表情で真っ白な雪に覆われた地面を見つめるセミョーノフに対して、マクドゥーガルの表情は無かった。
マクドゥーガルは戦車の周辺に展開している歩兵部隊も、セミョーノフにも目もくれず、じっと森の奥を見つめて動こうとしない。
「………サーミ人の国。響きは良いが、ラップランドは辺境もいいところの僻地だ」
「そんなところでも戦争はしなきゃなりません。なぜって、戦争がそうしたいと言っている以上はそうしなきゃなりゃあせん」
「砲撃範囲を広げよう。旅団本部にかけあって、航空支援も要請するか。敵の前哨拠点が近い。地雷さえなんとかなれば、あとは戦車でなんとかなる」
「燃料気化爆弾でも使おうってんですかい?」
「ああ、そうだ。対人地雷の除去にはあれが一番いい」
「敵さんには同情しますがね」
肩を竦めてセミョーノフは「ガスマスクの準備をさせます」と短く言った。
マクドゥーガルは静かに頷いて、T-55Lから這い出し、旅団本部と通信するためにその場を離れた。
―――
ターヴィは今もどこかで隠れているだけなんだ、ともう一人の僕が言っている。
もちろん、それは僕自身が僕の精神を保護するための嘘なんだと分かっている。
分かってはいるんだ。
でも、ターヴィの顔が頭から離れない。
死に際の絶叫が、血溜まりの中に横たわる肉体が。
僕の頭の中にフラッシュバックするのは、ターヴィ、血溜まり、そして肉片と、任務前に食べたミートボール。
「僕が……ウージーを地べたに置くなって言ったんだ」
「うん」
「そうしたら、音がしたんだよ。カチってさ、それでターヴィが間抜けな声をあげて……」
「……うん」
「気がついたらターヴィはもうだめだったんだ。血まみれで、すごい声をあげてて、暴れて……それで、踏んだんだよ……」
「………うん」
僕はおかしくなっていた。
それを古参の兵士が見抜けないわけがなかった。
彼らはすぐにケトラをシフトから外して、僕と一緒にした。
ケトラは優秀だ。
こんな状況になっても平静でいる。
だから彼らはケトラと僕を一緒にした。
なにが起きても大丈夫なように。
ケトラの腰にはホルスターが吊るされていて、そこにはFN社のブローニング・ハイパワーが収まっている。
冷たい鉄製の暴力が、僕の壊れた理性を繋ぎとめている。
「ターヴィは死んだんだ……」
「知っているわ。見ていたもの」
「ならどうしてケトラは平気なんだよ!」
「平気じゃないわ。同じクラスだったの」
「じゃあなんで、そんなに落ち着いているんだ! 死んだんだ! ターヴィはもういないんだ!」
「落ち着いてないわ。でも……そう、ターヴィは救われたと思えて」
「そんなの―――」
「もう、虐められない。誰かにへこへこしなくても、いい。きっと、ターヴィはそんな世界に行ったの」
僕がケトラを見ると、ケトラも僕を見ていた。
その瞳からすっと銀色の雫が、涙の雫が頬を伝う。
そして彼女は不器用に口元に笑みを浮かべながら、静かに、震える声で言った。
「お願い。今は私にそう、思わせて。あなたも、そう、思っていて」
遠くで爆発でも起きているのか、地面が揺れる。
音がビリビリと響いてきていて、基地のあちこちが騒がしくなっていく。
僕はケトラをそっと抱き締める。ケトラは僕をそっと抱き締める。
この温もりが失われたのだと、僕はケトラの温もりと柔らかさを感じながら思った。ターヴィはもう、いない。
死神が僕らの首に手を回している。
僕はそれを退けるようなことはしないだろう。
死は雪のごとく僕らの存在を覆っていって、温もりも柔らかさも、なにもかもを奪っていく。
真っ白で平坦で、冷たい空間が僕らの残りかすになる。
ケトラは暖かかった。
とても、とても。
それは僕に、死と生を実感させるのに、十分すぎるほどに。
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