第6話

 

 午後、僕は貧乏くじを引いた。

 比喩ではなく、僕は実際に誰もがやりたくない仕事をやるはめになった。

 地雷敷設任務というのは危険な割に単調で疲れるし、なにより間抜けに見える。

 穴を掘って踏んだら爆発するアルミだか樹脂だか分らないミリタリーグリーンの缶を、あちこちに埋めては雪をかぶせていく。それでいて、自分たちが敷設した地雷を踏んだら、その時点で僕の足はTNT爆薬によって木っ端微塵になる。

 最悪なのはそれで一発で死なないことで、僕は足を失ってなお、明瞭な意識の中で苦痛と羞恥と出血による死の眠気に耐えなければならない。

 本当に最悪なのはターヴィーとこの任務をやることになったせいだ。



「……えーっと?」

「何回言わせるんだよ、ターヴィー」

「ごめん。ぼく、カールグスタフの射撃くらいしか取り得なくって……」

「それとこれとは別の話だよ。ほら、いいかい。もう一回説明するよ」



 最悪だ。

 訓練でやったことを、まったく同じことをやったはずの人間に、三度も同じ手順を極寒の針葉樹林帯でやらなければならないと思ったとき、人間は自分の頭か、あるいは相手の頭かを選ぶはずだ。どちらか一方の頭を吹き飛ばせば、この地獄のような、ひどい出来事から救われるだろうに。

 僕らはアメリカ製M16A2跳躍地雷と、クレイモアをあちこちにセットしている。

 もっと外側ではアランとレオンが一緒になって、緑色の出来の悪い鍋みたいな見た目をしたM5対戦車地雷を埋めている。

 でもあっちは順調だろう。

 こっちにはターヴィーがいる。

 こんなに危険で惨めなことはない。

 あちこちに張り巡らせているワイヤーに引っかかれば、僕らの間際でTNT爆薬が炸裂してボールベアリング数百個が肌を引き裂くし、あちこちにあるM16A2跳躍地雷を踏んでしまえば、足を外そうとしたが最後、圧力の変化を感知してミリタリーグリーンの地雷がぽんっという爆竹以下の音をたてて空中に打ち出され、周囲三六〇度にこれまたボールベアリングをばら撒いて殺しにかかってくる。ボールベアリング様様だ。

 殺してくれるならまだいい。

 こいつらはまず僕らをすぐには殺さない。

 殺してくれない。

 地雷というのは製造されてこのかた、生粋のサディストなのだ。



「ああっ、くそ……。僕は君に同じ事を何回説明すれば良いんだ」

「も、もう分ったよ。ごめん、ヘルレヴィ。あ、あっちの方は獣道になってるんだよね?」

「そうだよ、だからあそこ一体に一つでも地雷をやってみろ。レオンやアランがミンチになるんだからな」

「分ってる、分ってるよ……。ごめん、ヘルレヴィ。ごめんよ」

「分ってるなら教えられたとおりにやってくれよ。僕だって寒いし、腰だってガチガチなんだからな」



 家にだって帰れないし、民間人だからと言って逃げ出すわけにもいかない。

 ここにいるのはそんな人たちばっかりだ。司令の大佐と一部の下士官だけが、正規の軍人で、他はみんな予備役かなにかの所謂雑兵ってやつだ。

 僕はスリングで肩に担いでいたガリルを一度担ぎなおして、一通り掘った穴にM16A2跳躍地雷を埋めていった。このガリルだって四キロもある。イライラして、そこら辺にぶん投げたくなるが、それで地雷が作動したら僕は吹っ飛ぶ。

 それから、水で溶かした石灰で白に塗られたクレイモアをあちこちに敷設して、なんとか自分の分は終わった。

 痛む腰を叩いて解したつもりになって、ターヴィの方を見ると、最後に見たときよりはマシになっていた。ただ、肩から掛けるかするべきウージー短機関銃が地面に起きっぱなしになっていた。

 下士官に見つかったら怒鳴られるどころか、鉄拳をもらいかねないミスだ。



「ターヴィ! ウージーを地べたにおいてなにしてるんだよ!」

「えっ……? あ、ごめん! ごめんよ、今拾うよ。肩からかけてないと駄目なんだよね? あ、いや、身につけてないと駄目なんだったっけ?」



 グズで鈍間なターヴィの馬鹿野郎、と心の中で吐き捨てながら、僕は一際大きな白樺の根元に敷設したクレイモアのワイヤーの張りをたしかめ、それとなく雪を持ってカモフラージュした。

 あとはターヴィが敷設し終わるのを待つだけだと思っていた僕の耳に、耳障りなカチッという音と、ターヴィの「あ」という間の抜けた声が響く。

 そのあと起きたのは、座学で聞いたアメリカ製M16A2跳躍地雷の作動シークエンスそのままだった。

 ぽんっ、とコルク栓が飛んだような音と、炸裂音、そして周囲を切り裂くボールベアリングに、肉や骨が裂けたり砕けたりする音。

 そして、僕が震えてがちがちと歯がたてる音。

 反射的に白樺の木の影に飛び込めたのは、そして飛び込んだ先にクレイモアがなかったのは、奇跡だった。不運を与えてから奇跡を起こせば、神様は自分の信徒が増えるとでも思っているんだろうか。

 ターヴィは最期まで不運だった。

 獣みたいな絶叫をあげてあいつは転げまわって、クレイモアのワイヤーをひっかけてしまったんだと思う。

 誰かがうっかり落として歪んだ弁当箱のようなクレイモア地雷の中にあるTNT爆薬が炸裂し、数百個のボールベアリングがターヴィを襲った。



「ターヴィ、……嘘だろ、だってそんな」



 なんだよ、こんなときにいったい誰が取り乱しているんだと僕は怒った。

 そんなことする暇があったらターヴィを助けにいくんだと。

 でも、よく考えてみると、冷静になってみると、取り乱しているのは僕であって、その言葉も僕の口から発せられているのであって、僕の身体はがちがちと赤ん坊みたいに震えていて、もし膀胱に小便が残っていたのなら漏らしていたはずだ。

 僕は言うことを聞こうとしない身体をなんとか動かしながら、木の向こう側を覗いた。

 覗かなければ良かった。

 もっとよく考えれば良かった。

 そこにもう、ターヴィなんて人間が、形を保って残っているわけがなかったのだ。



―――



 胃の中身をすべて吐き出して泣き喚いて楽になると、意識がはっきりとしてきた。

 いつの間にかそばにはシニ・ケトラが立っていた。まるで女の死神がターヴィの魂を連れ去りに来たみたいだった。あたりはほとんど白いのに、ターヴィだった物とケトラだけは赤と黒の色彩を持っていた。僕は感情さえ真っ白になりそうだっていうのに。

 片手に狙撃銃を持った彼女はそのシニカルな表情を少し歪めて、ターヴィだったものを眺めている。

 過去形なのは僕が詩的表現に凝っているからだとか、そういうわけではない。むしろ教えて欲しいくらいだ。

 火薬の力によって、物理的に破壊の神の熱狂的信徒と化したボールベアリングの弾雨を受けて、ミンチになった人間をどう表現するのが正当なのか。

 僕は過去形を用いてそれを表現することが精一杯だ。あまりにも惨く生々しく、醜いものだ。

 


「ターヴィね」

「ああ、そうだったよ」



 黒髪を揺らしながらケトラは僕のほうへと歩いてきた。表情は変わらない。

 やっぱり、まるでターヴィを迎えに来た死神みたいだと僕は思った。

 片手に狙撃銃を持った死神。黒い死の女神。



「二人だけじゃ運べないわ。人を呼ばないと。遺体袋ボディバックだって必要になる」

「分かってる。分かってるよ」

「なら早く。ほら立って。のんびりできる状況じゃないって分かってるでしょう?」

「分かってるよ! やればいいんだろ!」



 僕は立ち上がってターヴィが死んだこと、遺体袋が必要だということ、死体を運ぶのに人がいることを連絡した。

 そのあとはターヴィが暴れまわってボールベアリングと爆薬が炸裂したこの場を隠蔽する作業になった。

 針葉樹の枝はこの手の作業にとても役に立つ。針葉樹の枝も雪もあるのなら隠蔽は簡単だ。昔の戦車兵も同じような手段で履帯の痕跡を消していた。

 隠蔽が終わると、ターヴィの死体だけが浮いて見えた。どうしても視線がターヴィの死体のほうに向いてしまうのだ。僕はそれをターヴィだと自分が思ってしまうことが、少しだけ恐ろしかった。

 ボールベアリングで滅茶苦茶にされたターヴィの身体は至近距離で散弾銃を喰らった豚みたいで、服がなければ僕はきっとそれをターヴィではなく豚だと思っていただろう。豚じゃないと思えるのは、僕の中でまだターヴィがターヴィであったころの記憶があるからだ。

 デブで鈍間のターヴィが、僕の記憶の中でまだ生きている。

 まだ動いている。

 まだ、そこにいる。

 まだ、

 まだ、

 まだ、―――だ。



「……もう、ターヴィは口をきかないのね」



 ケトラが僕の隣で呟く。

 僕は彼女を一瞥して、思ったことをそのまま口に出した。



「聞こうとしたって、僕らには聞こえない。住む世界が別になったんだ」

「そう。なら、ターヴィがもう、いじめられない世界だと良いわ」

「……あいつなら、天国に行けるはずだ。鈍間で愚図で、なんにもできないターヴィなんだ。いじめられたりなんてしない世界で、笑ってるはずだ」



 せめてそれくらい、情けがあってもいいじゃないかと、僕は噛み締めるように言う。

 それからしばらくして、レオンやハーパニエミ、それからアラン・メイフィールドに、基地の下士官が一人やって来た。

 全員でターヴィだったものをゲロを吐きながら掻き集める作業は、それでも体力的に地雷敷設任務より楽だった。

 自分が今拾い上げた肉片が、ターヴィの腹肉だとか、そんなことさえ想像しなければ、これほど楽な仕事はない。

 全部を拾い上げ、死体袋に積めると、下士官がそれを抱えて基地に持って帰った。

 僕らはそれから、少しの間だけターヴィの死について悲しんだ後、のろのろとしたペースで地雷を敷設する作業に戻った。


 そうすることが、僕らの任務だった。

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