第5話


 その日、僕ら学兵たちは夜間偵察に出掛けた正規兵たちのことを頭の片隅で心配しながら、修学旅行の夜のような下らない話をずっとしていた。

 まず最初に僕とレオンがハーパニエミに報告を先にしておいてくれたことに感謝の言葉を述べて、次に僕が今戦争はどうなっているかについて皆に尋ねてみた。

 勘違いがあると困るので言っておくと、一兵卒にも満たない学兵が戦争の全容を知ることができるのは、戦後か天国かのどちらかと相場が決まっている。

  一兵卒どころか下士官ですら戦争の全容なんて分かり様がない。

 僕らは戦術地図の戦術マーカーの中にある、目に見えない一粒の兵士に過ぎない。僕らが戦争を実感できるのは、戦術地図と睨めっこしたり、戦略を練りまわしている人たちの気まぐれで発行されたり送信されたりする、メディアによる戦争の宣伝とかプロパガンダだけだ。

 幸い僕らは若いから発想力には富んでいて、話題は尽きなかった。

 例えば一浪して卒業できなかった三年生のアラン・メイフィールドは、



「天候にもよるけど、きっとソダンキュラ方面じゃ総力戦になってるだろうな」



 と僕らの不安を煽るようなことを言って、下で祖父母に手紙を書いていた太っちょで眼鏡で臆病のターヴィ・アホネンを怯えさせていたし、ケトラなんかは、



「そんなの関係ない。私たちの任務はここを守ることだけ」



 とさばさばした声で言いきっていた。

 けど、真面目で学兵唯一の士官候補であるハーパニエミなんかは、じっと押し黙っていて、優等生の想像を聞いてみたいと思っていた僕らの想いを見事に裏切ってくれた。

 レオンは見た目の筋肉バカの肉体主義系からかけ離れた、妙に知的そうな声で弱々しく、



「戦争は分かんないけど、ここの戦闘は分が悪いよな」



 と零した。

 僕はそれらすべての言葉に「そうだね」とか「そうかもね」という相づちを打って、話の流れをせき止めないように努力した。

 そういった話をずっとしていると、遠くからどすんどしんという音が聞こえてきて、続いて小さな地響きが地面を揺らし始めた。

 僕らは地面が揺れているということに驚いてざわざわとこの現象について、これまた下らない議論を始めた。

 最終的にこの議論に決着をつけたのはハーパニエミだった。彼女は神経質そうな声でみんなの声を遮り、



「敵が砲撃してるんですよ、ここから遠いところを」



 とよく通る声で言った。

 僕らはなるほどとうなずいて、レツィアの奴らの下手糞な砲撃を散々に言い散らして、偵察で使い切っていなかった体力をすべて浪費した後、死んだように深く眠った。

 夢は見なかった。シャワーの時間が別々なだけ感謝しろと言われていたので、男女同室でも悶々としたりすることはなかった。

 なぜなら、ここにそんなことを考える馬鹿はいなかったし、そして何より、黒のシニカルことケトラがいたからだ。

 彼女は何があったとしても、屈しないということだけ僕らは知っていた。

 理不尽と偏見には厳しくあたり、自分の信念を一切曲げようとしないケトラがいる。

 それだけで僕らの軟弱な性的意識は、完璧に打ち砕かれ、除草されてしまっていた。



―――



 次の日、起床のベルが控えめな音量で僕らを叩き起こすと、土だらけになったラッセル伍長がどこかぼんやりとした調子で兵舎に戻ってきた。

 僕たちは自分たちの野戦服を着てブーツを履くか、もしくはラッセル伍長になにがあったのかを聞くかの二択を迫られた。

 どっちにするべきか僕が悩んでいる横では、ハーパニエミとケトラが目にも留まらぬ速さで野戦服を着て、ブーツの紐を結び始めている。

 一方のレオンは両手に野戦服とブーツを抱えてラッセル伍長の方に飛んでいった。

 ぶん殴られるなと僕は思った。けれどぶん殴られなかった。

 ラッセル伍長は落ち窪んだ目で僕らを見つめながら、その死人のような顔をぴくりとも動かさなかった。

 どうしたんです、とレオンが聞いたので、僕らは野戦服を着てブーツを履き、ベッドメイクをしながら、ラッセル伍長の声に耳を澄ませた。

 伍長は震える声で言った。

 国防演習中は厳しい下士官役として、そしていつもは良き兄貴分として僕らを引っ張ってきてくれた伍長が、まるでなにかを怖がっているような声を出したので、僕はシーツを掴んだまま体が動かなくなった。



「砲撃だった。スオリスヴォーノ川を越えて斥候に出たら、あたり一面が土色になるくらい砲弾が飛んできて、死ぬかと思った。気づいたら俺、土の中に埋もれてたんだぜ? 笑っちゃうよな、今は冬で、ここらへんは凍土が覆ってるってのにさ。周りの木がみんなズタズタになってやがるんだ」



 乾いた笑い声を出しながら、ラッセル伍長はスキットルを取り出して一口、また一口を煽り、土が辺りに飛び散るのも知らん顔で上着を脱ぎ、そのまま毛布に包まってベッドで横になった。

 レオンはぽかんとしたまま話の続きを待っていたけれど、ラッセル伍長がいびきをたて始めると失望したように肩をすくめて、急いで野戦服を着てブーツを履く。すでにレオン以外の人はベッドメイクもなにもかも終わらせていた。

 僕なんかは終わったついでにレオンのベッドメイクまでやってたし、アランなんて用具箱から箒と塵取りを持ってきて、ラッセル伍長が撒き散らした土をかき集め、ゴミ箱に捨てていたくらいだ。


 そうして僕らはラッセル伍長を見遣りながら兵舎を出て、屋内運動場に集合し、体操をやったあと筋力トレーニングとジョギングをした。体を温めるために軽く運動をする必要があるのだ。

 ラッセル伍長の代わりに訓練教官を務めたのは予備役の軍曹で、ユリウス予備役少尉の部下、ハッセ一等軍曹。

 禿げ上がった頭が特徴の猟師で、訓練教官の常としてあれこれ喋る度に唾が飛ぶし鼓膜がびりびり震えたりするけれど、僕はこれでもこの軍曹が相当優しい部類にあるというのが分かった。

 なにせ今は戦時で、僕らは訓練兵からの徴用とはいえ兵士は兵士。国家の財産なのだ。だから殴ったりなんてしない。精々が唾をぶっかけながら至近距離で怒鳴るだけだ。そして怒鳴られるのは何時も鈍間なターヴィに決まっている。ついでにいえば、ターヴィが怒鳴られると僕らは自動的に腕立て伏せをする嵌めになるのだ。


 そんなこんなで、僕らの朝は終わる。

 昼飯を食べる前に、訓練教官監視の下で野戦装備と各自銃火器の点検があるけれど、それは大抵何事もなく終わった。

 午後の斥候任務に備えてSTANAGマガジンに二八発の5.56mm×51mmNATO弾を装填して、武器管理士官に一旦各自の銃火器を預けた後、やっと昼飯になる。

 三十発装填のところをわざわざ二八発にしているのは、マガジンのバネがヘタらないようにとの配慮からだ。マガジン一つでも長く使えるようにしなければならないのは、それだけ経済規模が小さく、国防費がその程度という表れだと思う。


 昼飯はまだマシだなと僕らの意見は一致している。暖かいものは暖かいし、料理名どおりの食感と味がする。

 体がくたくたに疲れているから、美味しい。味の濃いここのご飯は身に染みるようで、寒冷地というもともあってカロリーの高いものが多い。

 食事を作るのは本職が食堂だという予備役の剥げ頭の中年で、今日の昼飯は捻りのないまさに『食べられて生きれればいい』とでも言いたげなシンプルなもので、厚切りのハムにふかした芋、豆とキノコとミートボールのスープ、それにライ麦パンやらだ。


 僕らは特別にカレリアパイを一人一つ貰って、それを食べた。

 実家の暖炉の前で転寝したい欲求が、僕の心をぐらぐらと揺らす。

 そんな贅沢、戦争の中にあって兵士がどうあがいたところで、できっこないっていうのに。

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