第4話
第二斥候班のハッキネン兵長とグレゴリー一等兵の戦死が確認されたのは、マクドゥーガルが仮眠から目を覚ました午後七時丁度のことだった。
銃声の後、定時連絡がないということで隣接するエリアを偵察していた第三斥候班が向かったところ、二人は大量の弾丸を近距離で撃たれ、純白のカーペットを赤く染めていたらしい。すでに死体は凍り付き始めていた。
ハッキネンはマクドゥーガルとは長い付き合いだったが、こうして死体袋が二つ並んで、その内の一つがそのハッキネンだと言われても、なんの実感も沸いてこない。ハッキネンがここまでだんまりを決め込むことなど今までになかった。あいつはいつも減らず口を叩いていて、お人好しで、面倒見が良かった。おれがこんなに静かなのにお前はだんまりなのかと、マクドゥーガルは死体袋に抗議するように目元に皺を寄せる。
しばらく死体袋を見つめながら、これでハッキネンの四角い岩みたいな顔も、中ほどで折れ曲がったあの鼻も見納めなのだと自分に言い聞かせて、ようやくわずかばかりの喪失感がやって来た。あいつには、もう二度と会えないのだ。あいつの減らず口を今日ばかりは聞いていてやりたいというのに。
「グレゴリーはまだ十八歳になったばっかりだってのに……」
防寒コートのポケットに両手を突っ込んだまま固まっているマクドゥーガルの隣で、セミョーノフが顔を顰めながら呟く。
童顔で赤毛のグレゴリー一等兵は、たしかテントの中で暖をとっていた青年たちと仲が良かったなと、マクドゥーガルは思い出す。
「……一等兵の友人は、これが彼だと確認したのか?」
「しました。顔は綺麗なもんでしたよ。だが、胴体に四発、足に二発もらってます。ハッキネンは頭に一発、身体に三発」
「そうか。ではセミョーノフ、旅団本部に連絡しろ。我、敵前哨部隊と戦闘開始と」
「了解しました。では、早速通信小隊に通達してきましょう」
敬礼をしてセミョーノフが去ろうとすると、マクドゥーガルは彼の肩を掴んで引き止めた。
「後方の第九四砲兵旅団に火力支援要請もだ。スオリスヴォーノ川より東を南東に二キロメートル、南西に四キロメートル焼き払えと伝えろ。もっと広域を破砕できるならそれでいい。出来ないのであれば、その付近を砲撃するだけでいい。敵はそこにいる」
「りょ、了解です大尉。しかし、どうして川のこちら側にいると思ったんですか?」
「この時期のラップランドは河川が凍りつく。河川の上を通れるからと言っても、渡河中は我々がもっとも無防備になる時だ。なにせ障害物がないからな。だがそれは敵軍も同じこと。そんな危険を、人的資源に乏しい彼らがやるとは思えない」
「なるほど……。さすがですな、大尉」
神妙な顔をしてセミョーノフが頷いて見せる。しかしマクドゥーガルは表情のない顔を死体袋に向けたまま、ぼそりと呟くように言う。
「そこに居らずとも、地雷原に穴を開けることはできる。空が晴れれば偵察機や攻撃機も上がる。それまでは、戦場の女神に縋るしかない」
古来より戦争に置いてもっとも人間を殺傷したのは、大砲から撃ち出される砲弾だとされている。
ソヴィエト連邦陸軍の基本戦略を受け継いでいるレツィア共和国陸軍としても、砲兵による敵陣の粉砕殲滅とそれに続く突撃は常套手段だ。
事実として、ソダンキュラ方面での最終作戦案は、準備砲撃で敵防衛網に打撃を与えた後、前衛六個旅団の突撃により防衛網を突破するというものだ。
風切り音を響かせながら頭上を飛び越えた砲弾が、敵陣で炸裂するのは身体が震える。
轟音と音圧が数十キロ離れた陣地にまで響き、地面がぐらぐらと揺れるのだから、銃と手榴弾がせいぜいの歩兵が砲兵たちを女神と評するのも当然の流れと言える。
だが、マクドゥーガルは砲撃だけで敵の防衛網が瓦解するとは思っていなかった。
本当に厳しい戦闘になるのは、砲弾で掘り返された地獄のような大地の先。凍土と氷の上に積もった雪と針葉樹林が突撃の勢いを削ぎ、正確無比な狩人が存在する敵地にある。
「―――その後は、我々が鉄の軍馬を率いて蹂躙するだけだ」
しかし、マクドゥーガルには戦車があった。
ソヴィエト連邦製の旧式戦車T-55に近代化改修を施した、T-55Lが五両。砲塔前面に空間装甲を、車体前面に追加装甲を施しただけの何の変哲もない旧式戦車だ。
対戦車戦では時代遅れ感が否めないが、対歩兵となれば話は別だ。一〇〇ミリ砲はあらゆる障害物や掩蔽を破壊し、同軸機関銃は敵を薙ぎ払い、ハッチに据え付けられたDshk重機関銃は人体など容易く真っ二つにする。
強力な火砲はどんな強固な火点であろうとも破壊でき、強固な装甲は重機関銃の連続射撃にも耐え、その機動力は地面を掻いて進む履帯のおかげで大抵の悪路は乗り越えてしまう。
西側の対戦車火器の配備率がどうなっているのかは分からないが、この攻撃が失敗したとしても、後続の部隊が任務を引き継いでくれるはずだ。
胸の前で十字を切りながら、マクドゥーガルは自分の乗り込みT-55Lに歩み出し、来るべき砲撃に備えて歩兵たちに進撃準備を命じた。
―――
シャワーを浴びて軍服を鏡の前で整えた後、僕らは地下にある会議室に向った。
地下は無愛想なコンクリート製で、灰色だけが目に入ってくる。
そんなところに幾つか水色の扉が並んでいるのは、安っぽすぎて失笑したくなるほどだが、それがなんだか物々しく感じるのは、ドアの前にユリウス予備役少尉が立っているからだろう。
軍を退役して予備役になった御年四十六歳のユリウスは、岩を削り出して全高185㎝の人型に成形したら動き始めた、と言われたら納得できそうなほど屈強そうな老いぼれ兵士だ。
けれど彼は寒さに弱く、特に今日みたいに酷く冷え込むと関節が痛みだすらしい。
そういうこともあって、ユリウスはここで歩哨を、僕らは外でパトロールをしたってわけ。
「ユーリ・ヘルレヴィ、レオン・アイティカイネン、大佐に報告があって参りました」
「うむ、パトロールご苦労だったな、二人共。ニスカヴァーラ大佐がお待ちだ。入りたまえ」
灰色の髭でもじゃもじゃな口元を緩めながら、ユリウスは素早くドアをノックし、中から返答があるや否や、ドアを開いて僕ら二人を中に押し込んだ。
体勢を崩したのも一瞬の事で、僕ら二人は体育の授業で叩き込まれた〝気を付け〟の姿勢を取り、素早く顎を引いて、ただ事務的に、けれどそれなりの声量で言った。
「ユーリ・ヘルレヴィ学兵、報告に参りました!」
「同じくレオン・アイティカイネン、参りました!」
「よかろう。二人とも楽にしたまえ」
緊張でがちがちに固まっていた僕らを解きほぐすように、低く落ち着いた声がやんわりと返ってきた。
無愛想なコンクリート壁に飾りっ気のない長机がいくつか鎮座し、その上に通信機や戦略地図、戦術単位ごとの駒などが置かれている会議室に一人、髭を生やした老人が立っている。
スコルト王国陸軍の灰色の軍服に身を包み、腰には拳銃のホルスターを吊るし、深い皺の刻まれた顔には猛禽類の如き眼光を湛えた碧眼と、にんまりと微笑む小さな唇が同居していた。首元には真新しい『大佐』の階級章を張り付けており、その立ち振る舞いも声音も、すべてが指揮官然としたものだ。
彼こそ、スコルト王国陸軍第一一三七訓練施設の最高責任者であり、僕らの上官だ。
かつての第二次世界大戦を生き抜き、その功績を称えて大佐に昇進したヴィルヘルム・グスタフ・ニスカヴァーラ。たかが学生の国防実習に本気で力を注いでいる、国防意識の高過ぎるタカ派軍人って噂な人だ。
―――僕らがいきなり実戦投入されたのも、この人の『国防意識』だとかのせいだと思うと、ちょっとやりきれない。
「ヘルレヴィ上級曹長、君はアルファ・スリー地点で敵の斥候を撃破して帰還した。そうだね?」
「はい、その通りであります」
「アイティカイネン二等兵はベータ・セブン地点にて偵察を行い、なにも発見できずに帰還。そうだね?」
「その通りであります、大佐殿」
テンプレート通りに「はい、その通りであります」と言った僕だったが、レオンが図々しくも「大佐殿」なんて最後に付け足したものだから、僕は不安になった。
軍隊って奴は絶対階級主義な割に、ときおり自分の命令とか思考だとかをやたら褒めてくれるゴマ擦り野郎を出世させる奴がいるんだと、僕の学校ではやたら噂になっていたのだ。
けど、僕はふと気づく。絶望的とかふざけけた戦いとか、そんなことを想っているのに、どうして僕は戦争が終わった後の事なんて心配してるんだろうと。
僕も大佐も、このまま生きて戦争を終えることができるかなんて、誰にも分かりはしないっていうのに。
「よろしい。君らが疲労しているということで、事前に報告を行ったくれたハーパニエミ少尉に感謝しておくことだな。報告は完了した。もう下がって良い」
「「はっ、了解致しました」」
中等軍事教練で身に付いた陸軍式の敬礼をして、僕とレオンは大佐の部屋から退室した。
ドアを閉めると身体から力が抜け、ほっとしたような気持ちになって、僕ら二人はお互いに笑いあって拳を突き合わせる。
「やっぱ偉い人はオーラが違うよな、ユーリ」
「僕はそのオーラに気圧されて緊張しっぱなしだったよ、レオン」
苦笑しながら、僕らは兵舎に戻ることにした。図々しくも階段のところで座って休んでいたユリウス予備役少尉殿には一応敬礼して、隣を通り過ぎる時に軽く蹴りをいれてやる。
ユリウスは老いぼれた声で小さく笑っただけだった。
僕ら学兵に割り当てられた兵舎は、正規兵の兵舎の一番隅に当たるところだ。
本当は正規兵の兵舎を使わせたくなかったらしいが、この基地で長時間就寝できるところでこれ以上の底辺はないので、しかたなく僕らは身の程に会わない場所で寝泊まりすることになっていた。
数分ほど歩くと、僕らはその兵舎に辿り着く。
内装とか娯楽品とか贅沢なものは洗い落とされたような、シンプルイズベストを体現する大部屋だ。
天井には蛍光灯が等間隔に並んでいて、その数も明かりも最小限で、二段のパイプベットがずらりと隅から隅まで並んでいる。
兵舎のドアの近くは駐屯していた正規兵及び予備役兵専用のスペースになっていて、僕ら学兵は一番奥辺りの割り当てになっている。
緊急招集なんてのがあったら、筋力と経験の差から僕らはきっと遅刻して腕立て伏せだよ、と僕は毎回思っているのだが、正規兵はその分だけ戦闘で役立つつもりなのだろうから、僕に不満はなかった。
「おう、学生諸君の内の二人。偵察任務御苦労、試しにスコッチ・ウィスキーなんてどうだ?」
僕とレオンが兵舎のドアを開けていきなりそう言ってきたのは、駐屯正規兵の一人であるラッセル伍長だった。
年齢は二五歳で、黒髪を刈り上げにしている若き下士官であり、僕は彼が有能で将来有望な士官候補だと基地内の噂で聞いたことがあった。
「僕は遠慮しときます。それよりも伍長、それが見つかったらえらいことになったりしませんか? 僕ら学兵にも連帯責任が飛んでくるようなえらいことに」
「見つからなきゃいいんだ、ヘルレヴィ。寒い夜はこいつが一番よく効くしな」
それじゃあ、と僕はラッセル伍長に言って、自分のベッドにおいてある荷物の中から水筒を取り出して、その中にウィスキーを注いでもらった。
レオンはその様子をしかめ面で見ていただけで、結局なにも貰わなかった。
僕は大量の水と少しのウィスキーの混じった水筒の蓋を閉めて、上下に振ってよく混ぜた。
「レオンはなんで貰わなかったんだよ」
ラッセル伍長が周辺偵察の準備をするために兵舎を出て行った後、僕はレオンに言った。
レオンは呆れたような顔で、僕にこう返した。
「酔いながらグスタフが背負えるかよ」
どうやら、少しのアルコールと十キロというのは等価らしいと分かって、僕は自慢げに水筒を揺すって笑った。
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