第2話

 長い銃声だと、レツィア共和国陸軍・第三独立戦車旅団・第三戦車大隊・第十七任務部隊長、ローライト・マクドゥーガル大尉は感じた。

 一発の銃声は空気中に炸裂音を響かせ、途中でイカロスが墜落死するかのように、ある種の空しさを残して消失するのに対し、今し方聞こえた銃声は連発した時にしか発生しない、長い銃声だった。

 突発的な銃声に兵士は怯えていないだろうかと思い、乗車であるT-55Lの上で、マクドゥーガルは湯気をたてるコーヒーカップを片手に立ち上がり、第十七任務部隊を見回す。



「……なんだ、今の音」


「銃声だろ。きっと斥候がスコルトの兵隊をやっつけたんだ」


「でもあれ、AKMの銃声とは少し違う音だったぜ?」



 テントの中から頭だけひょっこり出してこそこそと話をするのは、随伴歩兵の青年たちだ。テントの中は暖かいため、赤らみ、むくんだ顔をしている。

 髭も満足に生えない若者ばかりよく集められたものだと思いつつ、マクドゥーガルは修学旅行気分の青年たちと、テントの外で焚火をしながら四方を警戒している歩兵に向け、ジョークを飛ばすことにした。そうでもしなければ士気モラルが低くなる。

 わざとらしく咳払いをして注目を集めてから、マクドゥーガルは顎鬚を擦りながら、教師然とした顔で言う。



「古い森には妖精が住むと言うからな。きっと、妖精に悪戯でもされたんだろう」

 


 ぽかん、と口を開けたまま、青年たちはマクドゥーガルを見たまま固まり、歩兵たちは「また始まったよ」と言わんばかりにくすくすと笑い始める。

 にんまりと笑みを浮かべながら、マクドゥーガルは青年たちに視線を送り、コーヒーを啜りながらウィンクしてみせた。

 すると、テントの向こう側にある焚火から、声が飛んできた。



「またその話ですか大尉! やめてくださいよ、サーミ人の自称祈祷師なんて、今時誰も信じちゃくれないんですから!」


「おい、その掠れ声はセミョーノフ伍長だな? サーミ人の祈祷師が信じられないなら、伍長の自称コサックの戦士というのも、誰も信じてはくれんぞ!」



 最初の一撃を叩き込んだ筈が、きついカウンターパンチを貰ったセミョーノフ伍長は、髭で丸顔の半分が黒に染まっている古参兵だ。

 分厚い防寒コートにロシア帽を被り、いやはや参ったと言いたげなおどけた表情をしながら、伍長はぺろりと舌を出して青年たちの笑いを誘う。

 しかし、そんな冗談を言い合いながらも、マクドゥーガルの心境は気が気でないものだった。

 たしかに先程の銃声は、斥候が装備しているAKとは明らかに違う。



「セミョーノフっ。こっちに来い、上官命令だ! その精神を一度叩きなおしてやる!」



 そう言うとマクドゥーガルは身体を内側から温めてくれる、泥水のように不味いコーヒーを一気に飲み欲す。

 空のコップを戦車の上におき、戦車からマクドゥーガルが飛び降りると、小走りでにたにた笑いを顔に張り付かせたセミョーノフがやって来た。

 マクドゥーガルは無言でセミョーノフにヘッドロックをかけ、そのまま戦車の影まで引きずってから、声のボリュームとトーンを落として尋ねる。



「今の銃声、スコルトだと思うか?」


「ありゃぁAKの銃声じゃないです。音が軽すぎる。でもこんなところに部隊がいるなんて報告、情報部から一度だってされてないですよ」


「分かってる。だがな、セミョーノフ。事実として、AKではない銃声が響き、こうして私たちの耳に入り込み、鼓膜を震わせているんだ。その意味が分からないお前ではあるまい?」



 戦場で銃声が響く。しかも、一度だけ。

 その意味は、少し頭を巡らせれば分かることだ。

 誰かが撃ち、そして撃たれた側は撃てなかった。

 何故撃てなかったのか。多くは撃たれ、そして死んだために撃ち返すことができない者だ。

 それ以外の例外は、最悪の場合、軍法会議に出頭する羽目になる。



「……死体袋を用意させましょうか?」



 勘の鋭いセミョーノフは、睨みつけるような視線でマクドゥーガルを見た。

 それがセミョーノフの戦士としての目だと、マクドゥーガルは知っている。



「死体が届いたらな。縁起の悪いことはしたくない」


「分かりました。どちらに転ぼうが、悪いことに変わりはありませんがね」



 部隊で初めての戦死者が出るか、軍法会議に出頭させることになるか。

 どちらにしても部隊の士気が下がるのは目に見えている。

 ただでさえ、この戦争はレツィア国民の意思ではなく、ソヴィエト連邦の意向に沿って行われた、代理戦争の一つでしかないと言うのに。



「……しかし、こんなところに敵ですか。イナリ郡に展開している部隊が、運良く国境付近に来てたってことですかね」


「さあ、どうだろうな。少なくとも、ソダンキュラ郡に駐屯してるラッピ狙撃旅団は、恐らく中央国境方面に出張っている筈だ。最精鋭がこちらに回ってくる……と言うことはないだろう」



 フィンランドの北部に位置するスコルト王国は、辺境の地ラップランドと呼ばれるだけあり、山や湖が多く、整備された道路や線路が少ない。

 今回、マクドゥーガルが指揮する第一七任務部隊は、そうしたスコルト王国の北部、イナリ郡に侵攻している。その背後にはウツヨキ郡があり、南には精強な狙撃師団が駐屯していることで知られる、ソダンキュラ郡が存在している。スコルツ王国の首都はそのソダンキュラの奥に位置するロヴァニエミ郡のロヴァニエミ市だ。

 事前に配布された作戦計画書には、レツィア陸軍第一、第二独立自動車化狙撃旅団と、第七独立親衛隊戦車旅団がロヴァニエミへ進撃することになっていた。

 このロヴァニエミ攻略に展開する戦線を、レツィア軍は『中央部』と呼称し、マクドゥーガルらが属す、イナリ郡へ侵攻中の第四、第七独立自動車化狙撃旅団、第三独立戦車旅団は『右翼』と呼ばれている。

 現在、第十七任務部隊はイナリ郡に存在する湖、イナリ湖を右へ迂回中だった。

 この第十七任務部隊の行動に戦術上意味はないが、ウツヨキ方面からの援軍を分散することと、万が一、イナリ湖左側面へ侵攻した旅団本隊をスコルト軍が迂回して背面攻撃に転じてきた場合に、本部が迎撃態勢を整える時間を稼げる戦略上の利点があった。もし迂回攻撃が本当にあった時、それを相手に撃退できるだけの戦力は、第十七任務部隊にはない。

 要するに、当て馬というわけだ。



「ウツヨキ方面から援軍が来れば、面倒な事にはなりそうですが。なにせ、こっちは戦車六両に随伴歩兵五十六人だけなんですから」


「旅団本部はそれが御所望なんだろう。だが、ノルウェーのフィンマルクから攻め込まれないだけまだマシだ。後方はロシア人が面倒を見てくれている。簡単に手は出せんだろう」



 あくまで第十七任務部隊としての見解を述べるセミョーノフに対して、マクドゥーガルは旅団本部の考えをくみ取りながら語り、苦笑した。

 二十七年も前に登場した旧式のT-55をあちこち涙ぐましく改修して使用しているマクドゥーガルの部隊に対し、後方に控えているロシア人旅団は、新型のT-72主力戦車を保有し、その戦闘力は本家ソヴィエト陸軍に勝るとも劣らないとされている。

 新型の主砲、新型の装甲、新型にエンジンに新型の駆動系。T-55では人力装填だった砲弾の装填作業は、T-72では全て自動で行われるようになっている。T-72はT-55の火力、防護力、機動力の三点すべてを上回る。

 そんな戦車が数十両も配備されているのだから、いくらアメリカ寄りのノルウェーでもそうそう手は出せない筈だ。



「……不思議なもんですな。我々はいつもロシア人に虐げられてきた筈なのに、今はロシア語を喋ってロシアの文字を読み書きし、彼らの毛皮に包まって生き永らえている」



 コサック騎兵の生き残りであるイヴァン・セミョーノフはそう言うと、腰に帯びた古臭いサーベルに手をやり、毛むくじゃらの顔を歪め、にこやかに笑った。

 対するマクドゥーガルは岩のような体躯を微かに震わせ、斥候隊が消えていった白い雪の中に針葉樹が茂るこの光景ををじっと見つめる。強靭な生命力を持つ針葉樹林は異国の民に口を閉ざし、雲は物騒な来客に太陽の笑顔を見せ渋っている。

 しばらく沈黙が続いた後、マクドゥーガルは溜息を吐き、すっかり老いた男の目で言った。



「強国とはそういうものだろう、セミョーノフ。何時の時代も強国は理不尽を持って小国を搾取し、民族を蔑ろにする。アフリカで起こっていることが、ここでも起きている。ただそれだけのことだ。……俺たちは、ロシア人じゃないんだ」



 サーミ人猟師の子孫であるローライト・マクドゥーガルは肩を落としてそれだけ言い残すと、すっかり慣れた動作でT-55Lに昇り、幾分かは暖かい車内に巨体を引っ込める。

 残されたセミョーノフは肩を竦め、のんびりとした歩調で焚火に戻っていく。北極圏の極寒を生き残るには、火の暖かさが必要不可欠なのだから。

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