【4-3】
それから随分と時間が経ち、地平線から徐々に空が明るくなってきた頃、座ったまま眠っていた燕寺は顔を上げる。
壁の上部に設けられた、唯一の小さな窓から光が差し込み目を細めると、隣から声が掛けられた。
「起きたのか」
「……」
「気が済んだか?」
それに対してコクリと頷きながら、「はい」と口で答えれば、隣の男は「そうか」と言って息を吐く。男はかなり気怠そうだった。
燕寺が大丈夫かと声を掛けようとした時、ふと男はうわ言のように言葉を漏らした。
「今日で、何度めの朝だろうな。三日か? 四日か? もう分からなくなってきたな……」
「……食事は、出されるんですか?」
「出される。ただ、味の薄い水っぽい粥だけどな」
「……」
「なんだ、もう腹減ったのか。あんなに泣くからだろ」
呆れたような声に燕寺は小さく苦笑する。そのつもりで訊いた訳ではなかったのだが、やりとりしている内に空腹を感じ始めていた。
他の牢を見れば誰も居らず、それどころか見張りすらいない。それに疑問を感じつつも、それを他所に隣の男は呟く。
「そういや、お前の名前……聞いてなかったな……。最期なんだ、人間とはいえ隣人の名前くらいは聞きたい」
「最期って……」
「いいから。早く教えろ」
「……燕寺翔一」
「家の名持ちなんだな。いや、人間だから普通か。字はどう書く?」
「燕の寺に、飛翔の翔と数の一です」
「燕……か」
兵士……燕寺は、そんな男の反応を物珍しそうに見つめる。
確かに少々変わった名字ではあるものの、そんなに興味を持たれる事はなかったからだ。やはり文化の違いというものもあるのだろうか。
男は何度か燕と呟いた後、小さく笑って天井を見上げた。
「思い出すな。あの男の事を」
「あの男?」
「ああ。一見すると、お前達人間と変わらない姿の奴でな。敵対する派閥に所属していた奴だったんだが、以前そいつが話していた妹の名前がツバメだったんだよ」
「そう、なんですか」
「ああ。……だから、そいつをふと思い出してな」
敵対する派閥に所属していた……という割には、男の声はどこか楽しげではあった。
燕と聞いただけで、すぐにその人物の事を思い出すくらいだから、きっと印象深い何かがあったのだろう。燕寺はそう思いながら、男の話に耳を傾ける。
「俺達は、
「……」
「けど、実際は違った。ある奴らはその龍化する力を、自分達の誇示の為に使い、またある奴らは他の種族を威圧する為に使った。……龍化は一度なってしまえば、元には戻れない。禁断の力だ。それを俺達華蓮水は甘く見ていた」
「龍化……?」
白龍族、龍化……。
それを聞いた燕寺の顔色が悪くなっていく。燕寺自身は今回の作戦でまだ前線に出てはいないものの、自分達の目当ては白龍であった。
ただえさえ半獣人やら獣人やら、見た事ない種族ばかりで、百鬼夜行を見ているような気分であったが、前線部隊が初めて一頭の白龍を捕獲した時は酷く安心したのを覚えている。
ああ、白龍は龍の姿なんだ。人型じゃないんだな。
そう思っていた過去の自分を、燕寺は今すぐにでも殴りに行きたくなった。
(白龍は白龍の姿ではなく、元は僕達と同じ人の姿だったんだ……)
まあ、こんな考えも一部の人達からしてみれば偏見に過ぎないだろう。人型であっても無くても守ってあげるべきだと、そう言われるに違いない。
けれども、そうだとしても、燕寺はとても衝撃だった。頭を抱えて、なんて事をと罪悪感に苛まれる中、隣の男は表情の変化なく話を続ける。
「怒りのままになってしまった奴は、酷かったな。親も兄弟も分からずに、無差別に傷つけてしまうんだ。……だから、そこで奴らの言っていた龍を仕留めるのは正しいんだって思ってしまった」
「仕留める……? 仲間を?」
「ああ」
「た、助ける方法は他になかったんですか?」
「ない。俺達はそういう生き物だから」
「いき、もの……」
呪いでもなければ病でもない。元からそういう生物だった。
男は真剣な表情でそう説明すると燕寺は唇を噛み、抱えている頭から手を滑らせる。
自分達が手を出そうが出さないでいようが、彼らの命は龍化してしまった時点でもうだめなようだ。
それを知らずに、ただ自分の力の誇示の為に使う事がどれ程恐ろしい事なのかと燕寺でもはっきりと分かると、声を震わせて呟いた。
「じゃあ、貴方の仲間はもう」
「……知ってる奴らは、手の指じゃ収まりきれない位に死んだよ。でも俺はな。いくらあいつらが愚かな理由で死んでしまっただろうが、罵る資格も弔う資格もないんだよ」
「?」
「俺は……そんな華蓮水を変えようとして、人間達に手を貸した裏切り者だ。そして結果的に、白龍族の滅亡の危機を作り上げた張本人でもある。合わせる顔もない」
「……」
燕寺は黙り込む。裏切り者という言葉が、深く胸に突き刺さった気がした。
燕寺自身、郷田や軍の考えを変えようとか、そんな大層な事は考えていない。ただ帰れたらいい。そんな気持ちからだ。
しかしこれからの自分の行為次第では、自分だけでなく他の兵士達にも危害が加わるかもしれない。いや、実際もうなっている可能性だってある。
再び頭を抱え、様々な事を想像しては顔を青褪めると、隣の男が咳き込んだ事で、意識がそちらに向く。
「ゲホッ、少し、喋りすぎたな」
喘鳴混じりに息をしながら小さく笑うと、少しして男は気を失うようにその場で眠りにつく。声が聞こえなくなった事で燕寺はかなり慌てたが、微かに聞こえる寝息に脱力すると、その場でゆっくりと立ち上がる。
座ったまま眠っていたせいか、身体のあちこちが凝って痛む中、腕を回して解しながらも小さな窓を見つめる。
「……これから、どうなるんだろう」
ずっとここで閉じ込められて一生を過ごすのだろうか。
壁際に背中を預けて小さな窓から天井を見上げると、廊下から足音が聞こえてくる。
格子の傍に戻り廊下を見れば、白い三角の耳を頭から生やした兵士数人が燕寺の前で止まった。
「おい、人間。生きているか」
「あ、は、はい」
「……王がお呼びだ。郷田氏の事で聞きたい事があると」
そう兵士は言って牢の鍵を開ける。開いたその隙に逃げようかとも思ったが相手は複数人いる為大人しく従う。
両手を背中で縛られ連れて行かれると、隣の牢を横目に見る。そこには自分と同じくらいかそれよりも年上のような、綺麗な若い男の姿がいた。
その男は目を閉じていたが、燕寺の視線に気付いたかのように目を覚ますと、燕寺を見て何かを呟いた。
「?」
何と言っていたかは分からなかったが、とにかく自分に何か伝えようとしていたのだけは理解すると、小さく頷き、牢を後にした。
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