【4-2】

 その日の夜。兵士達は浮かない表情を浮かべ、今後の事を考えていた。


「……俺、帰ろうかな」

「お、帰る?」


 燕寺の背後でもそんな話が交わされていた。

 以前から郷田の考えに疑問を持つ者が多かったが、今回の敗戦の件を知らなかった事や、その後の過度に張り切る郷田の姿についていけないという者が続出し、あちこちから抜けるという声が上がっていた。

 話し声を聞いて自分もそんな気持ちだと、薄いコーヒーを口にしながら、燕寺はぼんやりと焚き火を見つめていると、日中の白い生き物が再び目に入る。


(犬、じゃないよな)


 何だろう。そう思って彼は、コーヒーの入ったカップを地面に置き立ち上がる。

 そんな燕寺に仲間の兵士が燕寺の様子に気付き、「どうした?」と声を掛けてきた。


「ちょ、ちょっと小便をしに」

「おー、そうか。けど気をつけろよ。何がいるか分からないからな」

「は、はあ」


 咄嗟に嘘をついてしまったと罪悪感を感じながらも、彼はヘラヘラとして頷き、そしてそのまま小走りでその場を後にする。

 焚き火の光や兵士達の声が遠のき、真っ暗な林と草木を踏む音だけが耳に入ってくる中、燕寺はその白い獣にそっと近づく。

 危ないかもしれないが、それよりも好奇心が勝り、ゆっくりと背後に歩み寄る。

 だが誰かが捨てたのか、食べ終わった携帯食料の缶が足元に当たり音を立てると、その生き物はこちらを振り向き牙を向いた。


(あ、やばい)


 死んだかもしれない。そう燕寺は思った。

 唸り声と共に飛びつかれ声を上げそうになるが、次の瞬間「騒ぐな」と声が聞こえた。


「えっ」

「噛み殺されたくなければ、大人しく俺に従え、人間」

「あ、えと、その……もしかして君が話してるの?」


 ポカンとして、自分の身体に乗り掛かったその生き物に訊ねる。改めて見ればやはり犬のように見えたが、その割には身体が大きく、気を抜けば容赦なく噛み殺されてしまいそうな鋭い圧を感じた。

 その圧に本当に尿が出そうになるが、不思議とそんな質問が口から出ると、それは目を丸くして呆れた様に呟く。


「そうだが? それよりも騒ぐなと言った筈だが」

「わ、分かってる騒がない。だから降りてくれ」

「武器を地面に置けば降りてやる。出せ」

「……」


 呆れながら言う白い獣に燕寺は従い、拳銃やナイフ、そして手榴弾をいくつか地面に置く。それを確認し、白い獣は兵士から降りると、他にもないか匂いを嗅いだ後、納得して目の前に座る。

 兵士は緊張したまま次の指示を待っていると、その白い獣の背後から、いつの間にか赤い外套の西の国の兵士達の存在に気付く。


「貴様にはこれから捕虜として、我らの国に来て貰おう」

「え……捕虜?」


 何で自分が? と、思わず燕寺は泣きそうになった。だがそうなったのも、元はと言えば好奇心で近づいたこちらが悪いと分かっていたので何も言えなかった。……寧ろそうなった方が良いのでは? と、そんな自暴自棄な考えも頭の中のどこかにあって、燕寺は半泣きのまま彼らに従う。

 そのあまりの対応の良さに、西の国の兵士達は不審げに燕寺を見つめるが、いつまで経っても騒ぐこともない彼に、恐る恐る縄で縛る。

 縛られた燕寺は俯き目を閉じると、西の国の兵士達に連れられ、そっと郷田達の拠点から離れていく。

 ……しばらくして、一向に帰ってこない燕寺に、仲間の兵士が気が付いたのは燕寺達が西の国に着いた頃であった。


――


(あーあ)


 捕まっちゃった。と、一人牢の中で膝を抱える。彼にとっては時代劇でしか見たことのない古い石畳の牢に、早くも驚き絶望する中、見張りが居なくなった隙に、立ち上がって柵の先を見つめる。


(何か出そうだなぁ)


 そばの排水口らしき穴からは、ネズミが目を光らせながら身を乗り出している。噛まれたら嫌だなぁと思っていると、隣から激しく咳き込む声が聞こえて燕寺は跳ねた。

 長く苦しげな咳が続き、時折何かを吐き出す様な音が聞こえた後、燕寺は身を震わせながらも隣に向かって声を掛けてみる。


「だ、大丈夫ですか? よ、呼びましょうか?」


 そう訊ねるも、それを隠す様に咳が大きくなる。やがて、か細い息の音が聞こえ始めると、幻覚を見ている様な感じで声を掛けられた。


「だれか、いる、のか?」

「は、はい。います。えと、貴方は」

「……」


 床を這う音が聞こえる。

 ごくりと唾を飲み、目を泳がせながらも、やがて顔が見えた時燕寺は腰を抜かした。

 真っ白な髪に、蒼白の顔。手には血らしき何かで濡れていて、彼には悪いと思いつつも、その姿はどうしても幽霊にしか見えなかった。


「あ、あああ……」

「……お前、まさか、にん、げんか」


 言われて燕寺は何度も縦に頷く。振りすぎて首が折れるのではないか、そう思うくらいに激しく振った。

 と、訊ねたその白い髪の男は低い声で「そうか」と呟き、手を伸ばす。


「最期の最期に人間と隣同士だとは……夢にも思わなかった……」

「え、えと」

「残念だな。貴様はここで一生囚われ、身体に鞭打たれながら死ぬだろう。この大地じゃ、人間は好かれていないからな……」

「……」


 燕寺は何も言えず表情を曇らせる。やはり、あの時従わずに死に物狂いで逃げれば良かったかもしれない。

 そう後悔していると、隣の男は息を吐いて口を開く。


「見た感じ、さっき来た感じか」

「……はい」

「捕虜か?」

「まあ、そんな所です」

「見たところ、抵抗した傷はないようだが、もしかして従ってやってきたのか?」

「……」


 頷く。その返答に、男は「何故だ」と聞く。

 燕寺は少し考えた後、前から抱えていた郷田の不満を口にした。


「離れたかったから。あの人の所から」

「離れたかった、だと?」

「……だって、元はと言えば好きで兵士になった訳じゃなかったし、あの人は自分の事ばっかりだし」


 普段は決して口には出来ない、郷田に対する不満。そして、戦争に対する恐怖や、かつて駆け抜けた戦場の恐怖。思い出しては止めどなく流れ出すその感情は、乾ききった心を一気に濡らしていく。

 一時人形の様に生きてきた時もあったけど、脳裏に浮かぶ故郷の母や父の顔がちらついた時、涙が溢れた。帰りたい。その一心で、何とかここまで生きてきた。


「帰りたいのに捕まってしまうとは愚かだな」

「……」


 静かに話を聞いていた男は、憐れむ様に呟く。それを聞いて燕寺は柵に背を預け鼻を啜ると、膝に顔を埋めた。


「泣くな。仕方がないだろう」


 そう男はイラつきながら言うが、燕寺は泣き止むどころか、より涙を流してしまう。

 嗚咽が増えていき、それが耳障りに感じた男は大きくため息を漏らすと、さっきよりも強い口調で「泣くな」と言った。

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