二章 西の国

【2-1】

 シユウが離れてから数週間近く経った頃、西の国では緊迫した空気が漂っていた。

 偵察の命令以降、報告どころか中々帰ってこないシユウに王は日に日に苛立ちを露わにすると、傍にいたヒューガが顔を上げる。


「明日には兵を送ります。あいつがそう簡単にやられるとは思いませんが……帰ってこないということはそういう事なのでしょう」

「ふん。多少使えると思ったが、所詮ただの駒に過ぎぬか。まあ良い。これで口実も出来た。見下す蛇どもを縛り上げよ」

「はい」


 命じた王に頭を下げた後、ヒューガは数人の家臣を引き連れ、広間を後にする。

 開いた障子の先には、あいも変わらず晴天の空と色付いた紅葉がある。いつもならば立ち止まる景色も、今のヒューガはそれを気にする暇もなく。前を見つめたまま渡り廊下を歩いていくと、視界に軍服を着た男が姿を現した。


「これはこれはヒューガ殿」

「……郷田ごうだか」


 郷田九平太くへいた。軍をまとめる元帥であり、今回西の国に話を持ちかけた人間である。

 ヒューガは足を止め、少し眉を寄せながら「また来たのか」と嫌そうに呟くと、郷田は笑みを絶やす事なく見つめた。

 ここ最近よくヒューガの元に訪れているが、その理由は決まってアレである。


「進捗はどうですかな。例のブツはまだ届きませんか」

「龍の素材だろう。まだ調達中だ」

「そうですか。その、連日訪ねてきて申し訳ないのですが、できれば急いでいただけるとありがたいなと……」

「……」


 へり下りながらも急かす郷田に、ヒューガは本人には分からぬよう小さく息を吐くと、再び家臣と共に歩き始める。

 そして郷田の先に行こうとして傍を通り過ぎるが、そこで郷田は先程までとは一変し、笑みを消した表情でヒューガに言った。


「ヒューガ殿。貴方達が我ら人間を好ましく思っていないのは理解していますが、かと言ってこのままで済ますおつもりで?」

「……」


 郷田の言葉に、ヒューガは再び立ち止まる。立ち止まったヒューガに対し郷田はにやりとすると、そのまま話を続けた。

 

「人間は貴方達の言う通り、恐ろしく欲深い。近々、自分の欲の為に、価値も知らない人間が何も知らない輩がこの素晴らしい世界を壊す時もやってくるかもしれません」

「……だから、自分達が守ってやる。そう言いたいのだろう。その見返りに物資を補給しろと」


 ヒューガがそう返せば、郷田はより笑みを深くする。その通りと言いたげに、何度も頷くと口を開いた。


「龍族は少ないとは聞いておりますが、数人犠牲になった所で全滅はしないのしょう?」

「そうだな。しかしそう言って、人間は今までに数多の種を消してきただろう」


 仕方がない。環境が変わった。そんなことを言って、色々な種の生き物が次々と減っていった。

 数が減る中で、唯一人間の形に近い自分達は、王族として、そしてその犠牲となった生き物達の意思を継ぎ、仲間達の為に人間に言葉を伝える代行者として命を繋いできた。だというのに、その使命すらも奪われようとしている。

 今現在、外輪山の外側は人間だけの世界である。故に外の世界にとって自分達の立場はあまりにもちっぽけで弱々しい。それに文明の差もあって、こちらに勝ち目がないのは明白だった。攻められたらあっという間に焼け野原になってしまうだろう。

 そんな弱い立場故に、手を貸してやると言った郷田やその国には何が何でもいて欲しかった。だから彼の頼みもおざなりには出来ない。

 自分の本音を口にしつつも、ヒューガは苦々しい表情で郷田を見つめる。さらに間を置き、精一杯の反抗として「畜生が」と郷田に吐き捨てると、その場を後にした。


「畜生か。……それはこちらの台詞なんだがな」


 口調が崩れた郷田は胸ポケットから扇子を手にすると、冷酷な表情を浮かべ、ヒューガ達の後ろ姿を見た。


「貴様らが蔓延っていなければ、今頃こちらの計画も問題なく進んでいたというのに。これでも充分譲歩してやっているつもりなんだがな」


 そう言って鼻で笑えば、郷田は王のいる部屋へと向かって行ったのだった。


 

――



「おはよー! コムギちゃん!」

「あ、おはようございますラクさん」


 元気よく挨拶をしてきたのは、二日前に家に忍び込んだアライグマの半獣人の青年・ラクーンだった。

 ラクーンという名前自体、この大地でも馴染みがないものだった為、「ラク」という愛称でコムギは呼んでいる。

 ラクーンは縞模様の尻尾を振りながら朝食の献立を訊ねると、コムギは味噌汁の入った鍋を卓に持ってきながら話した。


「今日は焼き鮭にお味噌汁です。タワラさんが鮭を取ってきてくれたので、沢山ありますよ」

「わー美味しそう! 俺魚大好き!」


 嬉々として宅に並ぶ食卓にラクーンは目を輝かせる。そんな様子にコムギも笑み、既に置かれている鍋敷きの上に鍋を置いた。

 二人が微笑ましく楽しげに話す一方、外からカン、カンとぶつかる音が響く。その外ではシユウとカラスが木刀でやり合っていた。


「まーたやってんのか、お二人さん」


 と、偶然家の傍を通りがかったヤシロが見守るツバメに話しかければ、ツバメは苦笑いして頷く。

 家に戻って来て以来、こうして二人はいつも戦っている。勝敗に関しては今の所カラスの勝ちが続いていた。

 ツバメとヤシロが眺めていれば、辺りに大きく弾かれるような音が響く。そこには、膝をつくシユウに木刀を突きつけているカラスの姿があった。


「勝負あったな」

「クソッ……またかよ」

「お前は隙が多い。後すぐに冷静さを失う」

「う、うるせぇ!」


 吠えるシユウにカラスは小馬鹿にしたように笑った。それもまたいつもの光景である。

 ヤシロは騒ぐ二人に半ば呆れながらも、腕を組んで見つめ、「賑やかだな」と言った。それに対し、ツバメは少し困ったように笑う。シユウはともかく、まさかカラスとラクまで滞在するとは思わなかった。

 カラスに関しては最初、「女の家に男が泊まるわけには」と敬遠していた。だが少し前からシユウがいた事と、コムギを気に入ったラクーンがどうしても泊まると言い出した事で、カラスは考えをすぐに変え、二人の監視目的として泊まる事にした。

 だが、普段は二人で暮らしていたということもあり、部屋はそこまで多くはない。両親が生きていた時は、コムギの部屋に両親が、ツバメの部屋に二人が眠っていた位には狭く小さな家である。

 どうにかして用意しようかと悩むツバメとコムギに対し、三人は居間で良いと言ったものの、やはり身体の大きい三人にとっては狭い様で、夜中寝相が悪いとかで言い合う声が聞こえたりする。


「仲良くしてほしいんだけどなぁ」


 ツバメがそう呟くと、ヤシロは難しい顔をして「仲良くねぇ」と返す。


「そういや、王子様はそろそろ国に顔を出さなくていいのか? 流石にこれだけ離れていると心配するんじゃないか?」

「うーん」


 ヤシロに言われ、ツバメは確かにと思う。

 だが、以前白龍はくりゅう族の土地の診療所で聞いた話を思い出すと、何とも言えない気持ちにもなった。


(結局、龍化した白龍族の素材取れなかったんだよね)


 それに、龍化した人々があの戦いで全員いなくなったとは考えられない。

 今はまだ何も言ってはこないものの、近々また白龍族の方へ向かうのだろうか。


(そうだとしても、私達はもう付いていく理由はないよね)


 未だ傷跡が残る右腕を着物の上から摩りながら、ツバメは別れが近づいている事に気落ちする。


「はぁ……」

「ツバメ?」

「……あ、ごめんヤシロ。もう少ししたら仕事に向かうね」

「いや今はまだいいぞ。それにまだ怪我痛むだろ?」

「うん。でも、身体動かしたいし」


 振り向き気遣うヤシロに向かって、にこりとツバメは笑いながら言うと、「じゃあまた後でね」と言って家に入っていく。

 そんなツバメの様子に、ヤシロは頭を掻きながら心配そうにその方向を眺めていた。

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