【1-8】

 集落に忍び込む数週間前。シユウは西の国の屋敷にて、王である彼の父親に呼ばれていた。

 狼の王族にはシユウ以外にも王子がおり、兄のヒューガが次期王候補だった。

 今回はシユウのみであり、そこで何となく嫌な予感はしていたが、王から下された命令は白龍はくりゅう族の偵察だった。だがそれはただの偵察ではない。


「龍化すれば、自力では姿を保ってられん。そこでお前には出来たらその者を倒す事。……そして」


 倒した龍から鱗や皮等の素材を刈り取ってくる事。

 王から告げられたその言葉に、シユウは言い返そうとしたが、傍にいた兄のヒューガに遮られる。言葉にはしなかったが、「出来るよな?」と態度と視線で圧をかけてきたのだ。

 年齢がシユウの一回り上という事もあり、シユウが生まれる前から既に次期当主候補として育てられてきたヒューガには敵わない。

 それに、兄弟とはいえ二人は腹違いの兄弟である。シユウは側室の子であり、ヒューガの影武者として育った。

 兄弟ではなく、王子と影武者。ヒューガを立てる為ならばどんな汚れ仕事でも請け負う。そんな関係がずっと続いてきた。

 シユウは不満を飲み込み、渋々受け入れると、兵士をつける事もなく単独で白龍族の地へと忍び込んだ。


――

 

 シユウが話し終えると、男は深く息を吐いて「なるほどな」と呟いた。


「それで。お前は今までに二人倒したわけだが、素材は取れたのか?」

「……」


 シユウは無言で首を横に振る。それを聞いた男もまた何も言わずに見つめた。

 会話を聞いていたツバメはシユウに訊ねた。


「つまり、シユウ様は忍び込んでやられたって事ですよね」


 あくまでも傷つける意思はなく、純粋に気になっただけではあるが、その純粋さがかえってシユウに深く突き刺さると、顔を引き攣りながら頷く。

 

「……まあ、そうなるな」

「単独で踏み込むからだ」

「確かにそうなんだが、容赦なく抉ってくるなお前達は」


 男の追撃に苦い表情を浮かべながら、ツバメと男を交互に見る。それに対してツバメはキョトンとするが、男は当然といった確信的な顔をしていた。

 そんな三人のやりとりにコムギが苦笑いしていると、引き戸が開き、白龍族の医者が現れる。


「カラス、ここにいたのか」

「ああすまん。騒がしかったか」

「いや、騒音は別に気にしていない。だが、おさがお呼びでな」

「長が。分かった。今から向かおう」


 カラスと名を呼ばれ男は返事をすると、壁から身体を起こし医者と共に部屋を出た。

 残された三人はカラスを見送ると、ツバメは男の名を何度も口にした。


「カラス……カラスかぁ。なんでだろう。懐かしいって思うんだけど、全然思い出せないや」

「思い出せない?」


 シユウが聞き返す。それに対しツバメは頷き、続けて襲撃される前の記憶を覚えていない事を伝えれば、彼は眉を下げて言った。


「そう、なのか」

「はい。でも、あの人に出会ってからずっと何かが引っかかっていて……。覚えてはいないけど、きっと大事な人だったんじゃないかなって」


 靄がかかって、炎の記憶の先は進めなくなっている。しかしそれでも感じる、あの声や名前の響き。そのもやもやがずっとツバメの中に残っていた。

 それに、今までの反応からして、カラスは自分のことを知っている。先程も、カラスが気遣いながらも少し落ち込む反応を見せていたが、ツバメにとっては気になり申し訳なく思っていた。

 傍で耳を傾けていたコムギは、ツバメを心配しつつも、ちらりとカラスが出ていった引き戸を見つめながら言った。


「カラス……さんだっけ。あの人はずっとここに居たのかな」

「どう、だろう。でも会話からして、長くいたんじゃないかな。多分」

「そっか」


 コムギは眉を下げながらも、笑みを浮かべて「良かった」と呟く。それを聞いたツバメとシユウは疑問を抱いた。


「何で、良かったの?」

「だって、一人ぼっちじゃなさそうだったから。一人ぼっちは寂しいじゃない」

「!……うん、そうだね」

「確かにな」


 シユウは眉を下げながらも笑うと、診療所までの間のカラスの様子を思い出す。

 カラスはここに来るまでに、この土地に住む白龍族の人々と出会う度に挨拶を交わしていた。相手もまた、嫌な様子を見せず親しげに返しており、お互いに信頼しあっているのが一目で分かった。

 その光景を羨ましく思う一方、シユウは罪悪感も感じていた。

 派閥が違うとはいえ、同じ白龍族の仲間を手にかけた。それは彼らにとって許しがたく、憎むべき事ではないか。

 だが、こうして何事もなくその場に居させてもらっている。そればかりか、手当まで受けさせてもらった。一度忍んだ以上、警戒はされているが、一向に何もしてこないここの白龍族が、シユウはとても気になっていた。


(まさか、カラスあいつが何かしたのか?)


 弱っていた自分に手を貸し、負傷したツバメを助けてくれた。

 ツバメに関しては、同じ黒龍族だからというのもあるのだろうが、仇である筈の自分を助けた意味は一体何なのだろうか。もしやここに行く際にカラスが言っていた派閥の違いもあるのか?

 シユウもシユウでもやもやしながら、表情を曇らせていくと、コムギが声を掛けた。


「シユウ様、もしかして傷が……」

「ん? ああ。傷の方は大丈夫だ。ただ少し考え事をしていただけで」

「考え事?」

「まあ、些細な事だ。すまないな。心配かけて」

「い、いえ」


 作り笑いを浮かべながらシユウは謝れば、コムギはぽかんとしながらも返す。

 ツバメはシユウの様子が気にはなったが、気怠さが強まった事もあり、ゆっくりと布団の中に入って横になった。


「シユウ様も、休んでくださいね。まだ怪我治っていないんですから」

「あ、ああ。ツバメも休めよ」

「はい」


 微笑した後、ツバメは寝返りを打って背中を向ける。

 シユウも休むために立ち上がると、コムギに「それじゃ」と、手を軽く振りながら部屋を後にした。


――


 白龍族……正確には清竹きよたけ派と呼ばれるこの土地の者たちは、守備以外の戦闘を嫌い、調薬や織物などをして密かに暮らしていた。

 その派閥の長に呼ばれたカラスは、診療所から少し離れた、これまた大きな屋敷の広間にいた。

 

「突然呼び出して申し訳ございません。お客様の相手をしていらっしゃったのでしょう?」

「いえ。ある程度の用事は済みました故」


 ご心配なくと言いたげに無の表情のまま返せば、目の前の青年は笑みを浮かべた。

 数年前に長になったばかりの彼はソメイといい、カラスの仕える主人でもあった。

 障子の先に見える中庭から、スズメのさえずりが聞こえる中、話は早速本題に入る。


華蓮水かれんすい派はどうでしたか?」

「ええ、予想通りといった所で」

「そう、でしたか」


 カラスの報告にソメイは笑みを消し、深刻そうに呟いた。

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