【1-3】

 しばしの間二人は互いに黙り込んでいた。

 そんな沈黙を破るように台所からコムギが戻ってきた。両手には小鍋があり、蓋の上には茶碗が被せられ、木製の匙が器用に置かれている。

 入ってきたコムギに場所を譲り、ツバメは彼女の後ろに立つと、コムギが茶碗に雑炊をよそう様子を見つめる。

 三つ葉や山菜に混じり、煮られ、ふわふわとした卵の入っている雑炊を見て、シユウは目を丸くした。

 

「卵? ここの集落は卵も採れるのか?」

「え、は、はい。……と言っても、その卵は今日早朝に隣のおばさまから貰ったものですが」

「貰ったもの……貴重なものを申し訳ない」

「あ、えと、毎朝貰うので!」


 よそわれた雑炊を申し訳なさそうに貰うシユウに、コムギは慌てて返す。そして卵の事を聞いたシユウは再び驚いた後、恐る恐る木の匙で雑炊を掬った。


「卵は俺の所じゃ高級品だってのに、ここじゃ毎日食べられるのか……知らなかった」

「高級品」

「ああ。鶏を育てようにも物盗りが多いからな。それに国民の大半が肉食だから、卵よりも肉に回されるんだ」


 ツバメの呟きに、シユウは丁寧に説明する。

 確かにここスギノオカは、どちらかというと野菜や穀物などを主食にしている種族が多い為、常に肉不足になる事は早々ない。その為、卵はよく朝食に出てくる。

 シユウは、その卵がかかった雑炊をまじまじと見つめた後、口にする。するとほんのりとした味噌に混じり、卵の優しい味が口に広がった。


「美味い……」


 そう言葉を漏らせば、コムギは耳を上げ嬉しそうに笑った。


「まだ沢山ありますから。いっぱい食べて、元気になってください!」

「……ああ、すまないな」


 シユウにも笑顔が浮かぶ。その様子にツバメも壁に寄りかかりながら、微笑ましく見つめる。

 すると、玄関から引き戸を開ける音が聞こえると、ヤシロの声がツバメの耳に入った。


「ツバメーいるかー?」

「あっ!? そうだった……」


 仕事の事をすっかり忘れていたと、ツバメは急いで玄関に向かう。コムギも立ち上がり、部屋から顔を出して見送る。


「いってらっしゃい、ツバメ」

「ああ。いってきます」


 ツバメも手を振り返し、ヤシロと共に家を後にした。


 

――



 仕事場である集落の中心部に向かっている最中、ふとヤシロがシユウの事を訊ねてきた。

 ツバメは笑って目が覚めた事を伝えると、ヤシロも笑みを浮かべる。


「で、どうだ?」

「何が?」

「大丈夫そうな奴かって事だよ」

「うーん。大丈夫かどうかは分からないけど、本人曰く、西の王子らしい」

「え」


 面白いくらいに口をあんぐりと開け、ぽかんと放心するヤシロ。

 そこまで驚くのも無理はないのだが、あまりにも長い間驚いていた為、ツバメはヤシロの目の前で手を振って気を確かめる。と、その手を掴まれ詰め寄られた。


「に、に、西の王子!?!?!? マジで!? 本物の!?」

「う、うん。本物……だと思う」

「ハァ……」


 声を上げたかと思いきや、ヤシロは頭を抱える。もしかして何か問題があるのだろうか。

 ツバメは不安になりつつも、「どうしたの」と聞けば、ヤシロは半分呆れながらも話し始める。


「最近白龍はくりゅう族の奴らが、西の王子の事で集落内を聞き回ってんだよ。何か忍び込まれたとか何とか言っててさ」

「え……」


 その話に、ツバメの顔も険しくなった。

 白龍の民は気高く、こちらから危害を加えない限り集落を降りてくる事もなければ、手を出す事もない。

 だが過去に一度、集落の子どもが勝手に忍び込んだ事で、白龍の人々が降りてきた時があった。


「あの光景は見たくねえよ」

「っ……」


 いくら子どもといえど、龍の巣に入れば痛い目にある。

 そう、あの時やってきた白龍族の一人の男は言うと、泣き叫ぶ子どもを他所に、両親を捕縛し何処かへと連れて行ったのを二人は覚えている。

 その後、両親は戻ってきたものの、どちらも正気を奪われ衰弱しており、翌年母親が命を落としている。

 子どもの過ちとはいえ、まだ幼い子から親を離し、そのせいで母と死別するのは残酷だ。しかし、力の強い白龍族相手では何も出来ず、二人はもどかしい思いをした。


「ツバメよ。お願いだから、あいつらには刃向かうなよ? 俺はもう二度とあんな光景は見たくないからな」

「分かってるよ。コムギもいるしね。……でも、もし万が一の時は」


 右手を強く握り、腹を据えたような表情に、ヤシロはまた溜息を漏す。

 せめて、その万が一が訪れない事を願うばかりだと、ヤシロは心の中で思った。

 そんな話をしているうちに、二人は集落の中心部にある大きな合掌造りの家の前に着く。

 家の中では、障子戸を全開にした大広間の床の上に座り、集落の女達が籠を作っている最中だった。

 そんな作業中の女達に、縁側からヤシロが声を掛ける。


「呼んできたよマツさん」

「来たねぇツバメちゃん。用事でもあったのかい?」

「うん。保護していた人が目が覚めたからさ」



 皺くちゃの手で編みながら、狸の半獣人のマツが「良かったねぇ」と、にっこり笑いながら返す。

 その他の女性たちも、声には出さずとも笑んだりして喜ぶ。

 ヤシロは牧場の仕事があるからと離れていくと、ツバメは玄関から入り、マツの前に座った。

 最近はこればっかり作っていたのもあり、材料である木の皮を渡されれば、教えられる事もなく、すぐに製作に取り掛かった。


「それにしても、こんなに大量の籠どうするのかしら?」


 猫の半獣人のユカが呟く。彼女はまだこの集落に嫁いできたばかりだった。

 それを聞いたユカの隣に座る狸の半獣人のイネが、「言ったでしょう?」と、少しキツめの口調で言った。


「西の国が欲しがっているから、いっぱい作って持っていくのよって昨日も言ったじゃない」

「え、言いましたっけ」

「言ったわよ」

「ふーん」


 ユカは少しムスッとした顔で、尻尾をパタパタと大きく振る。その二人の様子にまたかと言わんばかりに、周りが苦笑いを浮かべる。

 すると、マツが「イネ」と諭すように名前を呼んだ。


「ユカちゃんはまだ来たばかりだから、優しく教えなさい」

「母さん……」

「スズシロはいつも心配しているんだからね。ユカちゃんと、母ちゃんの仲が悪いって」

「……」


 納得いかなそうな表情でイネはユカを見る。だが、ユカはそっぽを向いた事で、イネは盛大に溜息を吐いた。


「全く。可愛げのない」


 仲の悪い二人に、傍で作業していた狐の獣人のキナコが「まあまあ」と二人を諫める。

 二人は互いに顔を逸らしていたが、キナコがどこからか竹の皮の包みを取り出して広げた途端、意識はそちらに向いた。


「あっ、胡桃餅」

「沢山作ったので良かったら」

「あらぁ、良いわね〜。ユカ、お茶の準備をするわよ」

「はーいお義母様!」


 先程の険悪な空気から一転し、協力し合う二人に周りの女達は思わず笑ってしまう。

 マツも二人の様子に呆れながらも、手を止め外を見ると、「休憩にしようかね」と言って、作りかけの籠を床に置いた。

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