【1-2】
コムギが連れて来た熊の獣人・タワラによって、青年を集落に運んでもらった後、手当てやら何やらしている内に気付けば夕方になっていた。
ツバメは牛や羊達を思い出し、青年をコムギに任せると、急いで放牧地へ向かった。
ススキの海の中を走り抜けて、ベルを手に持って鳴らせば、その音を聞きつけた牛や羊達が遠くからやってくる。
「あれ、コロはどこに行ったんだろう。コロー?」
牛と羊達を任せていたコロの姿を探していると、大群を避けるように、道を外れてコロが駆けてくる。待っていたと言わんばかりに、尻尾を激しく振り、何度も跳ねていた。
ツバメはそんなコロに笑みを浮かべ頭を撫でると、牛や羊達を牧場の方まで誘導する。
その戻り道、日が山に沈んでいくにつれ、ススキから光が消えていくのが見えた。
ちゃんと見たかったと、ちょっぴり残念な気持ちになったが、青年の事を考えれば些細な事だとツバメは頭の中で割り切った。
何とか日が完全に沈む前に牧場に辿り着き、残っていた牛を牛舎に入れた後、コロにご褒美として鹿肉の干物を与える。
それを嬉しそうに平らげるコロの様子を眺めていた時、牧場主であるヤシロに声を掛けられた。
「昼間、流れてきた奴を拾ったんだって?」
「うん、コムギに呼ばれてね」
「そうか。……その、大丈夫なのか?」
「まあ、大丈夫じゃないかな。怪我が心配だけど」
そうツバメが言うと、ヤシロは木の柵に寄りかかり、不安げに尻尾を揺らす。それを見てツバメは何となくだが、ヤシロが本当に聞きたい事が分かった気がした。
息を吐いて、ヤシロと同じく隣で柵に寄りかかり、背伸びをした後、真剣な表情で呟く。
「もし危ない奴だったら、私が何とかするよ」
「何とかって」
「……ま、そうならない事を願うけど」
可愛い妹分のコムギの為にも、出来れば争う事などはしたくない。そう願うツバメの脳裏には、過去の幼い記憶がしっかりと焼き付いていた。
――
それから数日後。一向に目を覚さない青年が気になりながらも、いつも通り集落の仕事へ向かおうと、ツバメは玄関の引き戸に手を伸ばす。
すると、青年の傍にいた筈のコムギが、突然戸を引いて部屋から飛び出してきた。
「コムギ!?」
「め、目が覚めたよ!」
「本当!?」
ツバメの蒼玉の瞳が大きく開かれ、コムギと共に部屋に入る。傷からの熱できつそうではあったが、青年はあの藤色の瞳を覗かせ、周囲を見回していた。
するとこちらの気配に気づいたのだろう。目がこちらに向けられると、乾いた唇が開く。
「お前……なんで」
「えっ?」
ツバメに向けられたその目は、驚きと警戒で満ちていた。ツバメは瞬きした後、青年が身体を起こした事で、慌てて傍に駆け寄る。
青年はツバメに身を震わせるが、まじまじと近くにきたツバメを見つめた後、目を閉じて息を吐いた。
「あいつとは、別か。良かった」
「あいつ?」
どうやら人違いらしく、青年は警戒を解く。だが、彼の言うあいつがツバメは気になった。というのも、この世界でツバメのように真っ黒な髪をしている人物はそう滅多にいないからだ。
しかし青年はツバメの問いに答える事はなく、逆に訊ねてきた。
「ここは、どこなんだ」
「ここ? ここは、スギノオカっていう集落だよ」
「スギノオカ? ……ああ、そうか。落とされて流されたのか」
納得した様子で青年は呟くと、自分の腹部を巻かれた包帯の上から撫でる。そして、ツバメとその後ろにいるコムギを見た後、小さく頭を下げて礼を言った。
「何日眠っていたかは知らんが、こうして助けてくれた事に感謝する。……俺は、西の外輪の守護の国にして、狼の王族の一人、シユウという」
「シユウさん……って、王族!?」
コムギが声を上げる。ツバメは服装からして察してはいたが、聞いた事のある名前に驚いていた。
狼の王族。それは本人が言っていた通り、西の外輪を守護する国を治める王族である。外輪というのは、この大地を囲む外輪山の事であり、東西南北それぞれに守護する国があった。
シユウはその王族の一人ではあるが、ツバメの記憶が確かであれば彼は今の王の息子だったはず。つまり、シユウは王子様でもある。
「西の王子様が何故あんな所に……?」
ツバメが尋ねると、シユウは目を逸らし言葉を詰まらせる。言おうか言うまいかしばしの間黙り込んで悩んだ後、言葉を選びつつ口にした。
「ちょっとな。用事があって」
「用事、ですか」
「ああ」
頷いた後これ以上は聞くなと言わんばかりに、シユウはツバメとコムギに背を向けて、布団に横になる。その態度にツバメはこれ以上何も聞けなかったが、代わりにコムギがシユウに尋ねた。
「とにかく目が覚めて良かったです。何か口にしませんか? 長い間眠っていて、お腹とか空いているのでは?」
「腹、か。そうだな、じゃあ頼む」
「分かりました! 今から作ってきますね!」
コムギは笑顔で返事をすると、腕まくりをして部屋を後にする。
残されたツバメは掛ける言葉が思い付かず、シユウを見つめる事しかできなかった。
「……」
「……」
その視線を背中に受け続けたシユウは、最初は黙っていた。だが一向に話しかけないツバメに耐えきれず、しまいには寝返りをうってジト目でツバメを見た。
「何だ。何か用か」
「えっ!? あ、その……」
話しかけられ吃ってしまうと、シユウは不審げにこちらを見入る。
その無言の圧にツバメは気まずくなり、観念して正直に今思っている事を伝えた。
「何か話そうかなって思ったけど……ごめんなさい。目が覚めたばっかりできついですよね」
熱もあるし傷も痛むだろう。色々と疑問はあるが、無理に聞くこともできない。それに立場上言えない事もあるだろう。
頭を下げて謝り、これ以上負担を掛けさせないようにと、ツバメはシユウの傍から離れようとした。だが、その途中でシユウに腕を掴まれ引き留められると、シユウから謝られた。
「すまん。俺が悪かった。話すから」
「えっ、いや、無理しなくても……」
「無理してない。とにかく座ってくれ」
「は、はあ……」
シユウに言われその場に座り直す。するとシユウも再び起き上がった。
顔色はあまり良くないが、微かに笑みを浮かべるとツバメを見る。
「お前。名前は何というんだ?」
「名前、ですか? ツバメです」
「ツバメ。そうか」
ツバメ、ツバメ……。
何度も口に出した後、シユウはその藤色の瞳をツバメに向ける。
あの夜、シユウはあの男をはっきりと見ていたわけではない。ただ、珍しい黒髪をしていたから、ツバメをその男だと勘違いしてしまった。
(だが、それにしても)
よく似ている。そうシユウは思った。
性別も身長も、雰囲気も何もかも違うのに、髪色と目の色だろうか。それがあの男にそっくりだから、シユウ自身もツバメに興味を持った。
無意識に距離が近づき、ツバメが困ったように声を漏らす。
「し、シユウ……様?」
「…………ん?」
至近距離でお互いに目が合うと、シユウはハッとなる。そして、真っ赤になった顔をツバメからそっと離した。
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