蒼玉のツバメ

チカガミ

一章 スギノオカと白龍族

【1-1】

 フクロウの鳴く、月明かりの強い夜の杉林の山。その中を一人の青年が駆け降りていく。急勾配な地面から様々な枝木や根が邪魔をすると、後方から風を切る音が聞こえてきた。

 その音を聞いて、青年は身を翻して抜剣すると、一瞬だけ輝いた矢尻を見抜いて弾き落とす。しかし全てを弾き返す事は出来ず、数本の矢が身を包む黒い外套ごと身体に突き刺さってしまった。

 青年は思わず顔を顰め膝をつくが、すぐさま気合で立ち上がり、矢が刺さる右脚を引き摺りながらも歩き進める。

 一歩、また一歩と歩く度に、傷からは痛みが走る。同時に眩暈のようなくらくらとした錯覚に襲われ、青年は傍の杉の木に手を着いた。


「っ、クソ……あんなの、引き受けるんじゃ、なかった」


 そう呟きつつ、左腕の矢を引き抜く。無理やり引き抜いたせいで傷が広がり、出血が増えた気がした。それでも抜いたのは、眩暈のような症状が、矢に塗られた毒からだと思ったからだ。

 止血を後回しにして、次に右脚に刺さる矢に手を伸ばす。だがしかし、そこで背後から追尾者らしき笛の音が聞こえる。

 見つかった! 逃げなければ……!

 そんな焦りの感情が咄嗟に青年の脚を動かした。しかしその時、前はちゃんと見ていなかった。


「――!!」


 踏み出した右足首に鈍い痛みが走る。やってしまったと青年は思った。

 湿った落ち葉と地面によって、青年の身体は止まる事なく転がり、更に地面から突き出した岩が容赦なく身体を打ち付ける。

 それによって青年は意識を失うと、勢いそのままに崖下にある川へと落ちていった。



―――


 高く深緑色をした杉の山を越え、川を下った先には【スギノオカ】と呼ばれる集落があった。

 辺りを高い山々に囲まれ、窪んだような土地になっているため、季節によっては気温差は激しく、それによって川から霧が発生することから【霧の壺】とも呼ばれている。

 そんなスギノオカに住む少女ツバメは、兎の半獣人コムギと共に集落の手伝いをしながら過ごしていた。

 今日もまた近所の牧場主に頼まれて、牛や羊をぞろぞろ引き連れながら、北にある少し上った先の草原の丘へと連れて行く。

 腰のベルトに引っ掛けたベルが歩く度に揺れ、音が鳴る。それに応じて牛と羊が追いかけてきていた。

 空を見上げれば、雲一つないスッキリとした青空が広がっている。汗ばんだ時期も過ぎ、丘のススキが花を咲かせ始めている。

 この時期になると、夕陽の光も合わさって丘は黄金色の海と化していく。風に吹かれて揺れることで、波打つように見えた。ツバメはその光景を眺めながら戻るのが、最近の楽しみの一つであった。

 そんなススキの原の通り道を上りながら、辺りを見回していると、後ろから声が聞こえてくる。

 最初は羊の声に掻き消されてよく聞こえなかったが、足を止めて耳を澄ませれば、それがコムギのものだとツバメは分かった。

 振り向きコムギの名を呼べば、牛と羊の中から和栗色の長い耳が見えた。ふんわりとした結われた髪を揺らし、袴の裾を持ち上げてやってくる。

 表情からして何やら良くない事が起きたらしい。


「コムギ? どうしたの?」


 何とか辿り着き息を切らすコムギに尋ねれば、コムギは背後を指差して、途切れ途切れに話した。


「さっき、薬草、取りに行ってたんだけど……、川に人が流れ着いてて、それで……一人じゃ助けられなくて」

「人? 分かった。一緒に行こう」


 ツバメは頷くと指笛を吹く。少しして前から真っ白な犬がやってくる。牧羊犬のコロである。

 コロに牛と羊を任せるように頼むと、コロは尻尾を振って一吠えした。

 

「後でご褒美あげるからね。よろしくね」


 そう言ってツバメはコムギの後を追った。

 薬草のある場所は、ススキの丘から少し離れた山につながる林の中である。そこには上流の大きな川に繋がる穏やかな小川があった。

 コムギ曰く、その小川に人が流れ着いていたとの事だが、果たしてその人物は生きているのだろうか。何があったのかは知らないが、死んでいる可能性もあるだろう。

 そんな不安を抱えつつ、コムギを追ってしばらくすると、流れる水の音ともに小川が見えてくる。その小川の河岸に草むらと落ち葉に隠れて、白い何かが見えた。


「!」


 息を飲み、恐る恐るツバメは歩み寄る。それはうつ伏せになって、上半身だけが水面から上がり、河岸に寄りかかっていた。

 近づけば、頭に三角の耳があることから半獣人である事が分かる。だがその格好はここらの集落では見ない、上等の布が使われた黒い軍服を身につけていた。

 もしかしたら何処かの国の王族の人かもしれない。でも何故こんな所に?

 ツバメは疑問に思いつつも、横たわるその青年にそっと触れる。長い時間水に浸かっていたのだろう。服の上からでも身体がかなり冷たく感じた。

 息はしているだろうか? と、確認の為にツバメはしゃがみ込むと、微かにだが口元の草が息に合わせて揺れていた。


「! ……生きてる」

「えっ⁉︎」


 驚き喜び混じりのツバメの声に、コムギは身を乗り出す。

 しかしこのままでは危ない。まずは身体を暖めなくては。コムギを呼び二人して川から引き上げると、仰向けにして濡れた服を脱がせる。

 その際左腕などに深い傷をいくつか見かけたツバメは、眉間に皺を寄せて「酷い」と呟いた。


「怪我……してるの?」

「みたい。誰かと争ったのかな。コムギ、申し訳ないんだけど、タワラおじさん呼んできて。流石に私一人だけじゃ運べないから」

「う、うん……!」


 コムギは頷きその場から駆け出す。

 その間にツバメは自分が着ていた着物を脱ぎ、青年の身体を暖めようとすると、瞼が震えてゆっくりと開かれる。それは藤色の綺麗な瞳だった。

 

「だ、大丈夫……!? もうすぐ助けが来るからね!」

「……」


 男は何かを言おうとして唇を動かす。けれどもその声はツバメには届かず、青年は再び目を閉じた。

 一瞬不安に駆られたが、ちゃんと息はしているようだ。

 それに気付きツバメは安堵すると、着物の襟を持つ手を動かし、青年の胸元を閉じた。


「傷が心配だけど、これでいいか」


 腰が抜けたようにツバメはその場に座り込む。それから少しして、どこからかコムギの声が響いて聞こえてきた。

 ツバメは青年から目を離し、後ろを振り向くと、遠くに見えるコムギ達に向かって大きく手を振った。

 

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