双子探偵と動く花の謎

黄黒真直

動く花の謎

「お兄ちゃ~ん! これ、今日の待ち合わせ場所!」


昼休み。二年一組の教室に、三科みしな真実まさみが顔を見せた。もはや毎日の恒例になっていて、クラスメイトたちはとっくに興味を失っていた。真実と仲の良い女子たちが話しかける中、三科真解まさとは渋々と真実に近寄った。


「よく飽きないな、真実は」

「だって楽しいんだもん。私に会うために推理するお兄ちゃん、私との待ち合わせ場所に向かうお兄ちゃん、待ち合わせ場所に現れるお兄ちゃん……全部好き」

「はいはい」


クラスの女子たちが、好奇の目で自分たちを見ている。中二の女子といえば恋バナに花を咲かせる時期だが、真解たちを見る目はそれとは毛色が違う。オポッサム可愛い珍獣でも見るような目だ。真解は恥ずかしくなり、真実から便箋を受け取ると足早に席へ戻った。


真解と真実は双子の兄妹だ。ここ、遊学学園中等部の二年生で、見た目が瓜二つだと評判だった。

しかし性格は正反対である。真実は人懐っこくて活動的だが、真解は独りが好きで引きこもりがちだった。中学に入ってから、その違いはますます大きくなっている。


真実はそんな真解を心配して……というわけでは全然なく、単なる趣味で、最近こうして真解に手紙を持ってくる。どうせすぐ飽きるだろうと思っているのだが、もう一ヶ月くらい続いていた。

毎日律儀に対応している真解にも原因はあるのだろう。たまには無視しようかと思いながら、真解は便箋を開いた。

そこには、可愛らしい文字でたった一行、こう書かれていた。


『ただの金貨』


——この長さなら、場所の名前かな。

と真解は当たりをつけた。


これは、暗号だ。真実の手紙はすべて暗号で書かれていた。それは場所の名前だったり、道順だったりする。暗号が短ければ名前の可能性が高く、長ければ道順の可能性が高い。


だが油断はできない。数日前の暗号はたったの六文字、

『校コまパちた』

と縦に書かれていたが、これは道順だった。

『校門を出て、

 コインランドリーの方へ進み、

 まろん書店の角を曲がり、

 パルフェ(洋菓子屋)の角を曲がり、

 ちよだ薬局の角を曲がった先にある、

 たますだれ(喫茶店)で待ち合わせ』

の頭文字だったのだ。


このときはさすがに解けず、真実に電話した。

「お兄ちゃん、わからなかったの? 『校コ』の並びでわかると思ったのに」

「わかるわけないよ……それに『たますだれ』なんて喫茶店、初めて聞いた」

真実に言われた道順通りに行ってみると、中学生が入るにはハードルの高い物静かな喫茶店があった。真実はその店内で、美味しそうに和風パフェを食べていたのだ。


そんなこともあったが、今日の暗号は簡単なものだった。真解は放課後、待ち合わせ場所に向かった。校内の、人気の少ない静かな場所だった。


「あ、お兄ちゃん、やっと来た。遅かったじゃん。難しかった?」

「いや、暗号自体は簡単だった。アナグラムってやつだろ?」


アナグラムとは、単語や文章を並べ替えて作った暗号のことだ。


「『ただの金貨』を平仮名にして並べ替えると、『北の花壇』になる。だろ?」

「うん。でもこの学園は広いから、『北の花壇』だけじゃ一つに絞れないよね?」

「そうだ。でも学園の案内図を見てわかった。僕の教室から真北にまっすぐ線を引くと、その線が通る花壇はひとつだけなんだ。それが、ここだ」


真解の説明を聞くと、真実はうっとりとした笑顔になった。


「正解! さすがお兄ちゃん!」


真実は、この瞬間が好きだった。

真解はときどき、小さな事件を解決することがあった。同級生の失くし物を見つけたり、悪戯書きの犯人を言い当てたりするだけだが、真実の目にはそれが物凄くカッコよく映るのだ。

そしていつしか、真実は自主的に謎を持ってくるようになった。


「こんなところに花壇があったんだな」

「お兄ちゃん、知らなかったの? ここ、美術室から見えるよ」


真実は校舎を指差した。窓の向こうに美術室が見える。中では美術部員たちが活動していた。


「お兄ちゃん、美術の授業サボってるの?」

「サボってないよ。窓の外なんか気にしてないだけだ。そんなことより、早く帰るぞ」


真解が背を向けて帰ろうとすると、


「待って、お兄ちゃん!」


と真実が真解の袖を引っ張った。


「ねえ、謎を解いていかない?」

「謎? 謎なんて、どこにも……」


人気のない校舎の裏側。あるのはレンガブロックで作られた花壇だけ。

その花壇も大きなものではない。教室の机一、二脚分くらいの面積しかない。そこに何本もの花が植えられている。花壇の前の小さな名札によると、全部で五種類。パンジー、マーガレット、タンポポ、コスモス、チューリップ。


「何が謎なんだ?」

「これ」


真実が指差したのは、タンポポの名札……の前に生えている一輪の花だった。オレンジ色の目立つ花だ。


「実は、この花……動くんだよ」

「え?」


花が、動く? 真解はもう一度、その花を見た。

よく見ると、それは造花だった。偽物の花なら電池で動いたりしても不思議はない。しかし、どう見てもその手の仕掛けのない、ただのプラスチックの造花だった。


「うちのクラスは美術の授業が火曜と木曜にあるんだけど、授業のたびに花の位置が変わってるの。今はタンポポの前にあるけど、一昨日はマーガレットの前だった」

「誰かが移動させてるだけだろ?」

「うん、そうだと思う。でも、誰が、何のために?」

「それは……わからないけど」


悪戯にしては地味過ぎる。こんなところの花壇、誰も見ていない。誰にも見られない悪戯に、意味はない。

つまり、これは悪戯ではない。何らかの明確な意図がある。


「で、気になったからたまに確認してたんだけど、花の移動は決まって月曜と水曜に起こってるみたい」

「そこまでわかってるなら、その曜日に張り込んで犯人に聞けばいいんじゃないか?」

「やだよ。変質者だったら怖いじゃん」

「こんなことする変質者いるかな……」


しかし、こんな目的不明のことをする人物と会うのは、少し怖い。その気持ちはわかった。


「今日は木曜だから、移動したのは昨日ってことか?」

「うん。だから今日は犯人は来ないと思うけど——あれ、誰か来た」


まさか、犯人か。

真実の視線を追うと、じょうろを持った女子生徒が一人、こちらへ歩いてきていた。真実は躊躇なくその生徒に話しかけた。


「二年三組の志田しだ花梨かりんさんだよね? 初めまして、二組の三科真実です」

「えっ?」花梨は明らかに戸惑っていた。「な、なんで知ってるの?」

「私、中等部の全員の顔と名前を覚えてるから」

「ええっ!?」

「えーと、志田さん、だっけ。真実が驚かせて悪い」


真解が近づくと、花梨は驚いたように二人の顔を見比べた。そして、急に叫んだ。


「あー、あなた達! 噂の双子だ!」

「噂なのか僕ら……」


真解はため息を吐いた。

二人は学園内で有名人だった。真実は人懐っこく交友関係が広いため知る者が多く、真解は女顔で物静かなため、ミステリアスな雰囲気があるとして一部の女子に人気があった(そのことを真解自身は知らないのだが)。


「すごーい、生で初めて見た。こんなところで何してるの?」

「志田さんこそ何しに来たの? 水やり?」

「うん、そう。私、園芸部なんだ。そこの花壇、園芸部のものだから、毎日水あげてるの」


ということは、動く花について何か知っているかもしれない。真実は食いついた。


「ちょうどよかった! 私たち、そこの動く花について調べてたところなの」

「え、動く花?」

「あれ、気付いてない? こっち来て――ほら、この造花、毎週月曜と水曜に動いてるの」

「あ、ああ。なんだ、これのことか」


真実が「動く」というから、花梨は本物の花がダンスでもしてるのかと思ったようだ。


「何か知ってるの?」

「ううん、知らない。しばらく前からあって、ときどき位置が変わってるのには気付いてたけど……特に気にしてなかった」

「しばらく前って、いつ頃?」

「四月頃かな」


一、二ヶ月前ということだ。


「他に何か、気付いてることは?」

真実が聞くも、花梨は「うーん?」と首をひねるだけだった。


「ごめんね、そこまで気にしてなかったから」

「そっか……ありがと!」


真実は残念そうだったが、真解はほっとしていた。


「真実、これ以上は手詰まりだ。今日はもう帰るぞ」


と言って歩き出したが、再び袖を掴まれた。


「何言ってるの、お兄ちゃん。まだ手はあるよ」

「どこに?」

「ほら、そこ。目の前の美術室。もしかしたら、美術部員が何か知ってるかもしれない」



「え、あの花? いや、俺はわからないな」


美術部の部長を務める三年一組の貝浜かいはま純弥じゅんやは、真実の質問にそう答えた。


「ここから見えるのに?」

「見えるけど……」


純弥は窓の外を見た。花壇までは十メートルもない。例の動く花もよく見えた。


「見えるけど、気にしたことなかったよ。しかも動いているだなんて知らなかった。毎日見てるわけじゃないし……」

「毎日じゃない?」

「美術部の活動日は火曜と木曜なんだ。二日前にあんな小さな造花がどこにあったかなんて、覚えてないよ」

「ふぅん……」


真実はつまらなさそうに唇を尖らせた。


美術室では、何人もの部員がそれぞれの活動をしていた。画用紙に絵を描いている生徒もいれば、粘土を捏ねている生徒もいる。

そんな中で、一人の女子がじっと真解を見つめていた。


「何?」


真解が尋ねると、その女子はもじもじしながら近付いてきた。


「あのっ、三科くんだよね?」

「そうだけど」


そう答えるだけで、その女子はなぜか妙に嬉しそうな顔になった。


「ど、どうして美術部に?」

「なんか、真実があの花壇を気にしてて……」

「へぇ、真実ちゃんのこと、名前で呼んでるんだ」

「そりゃ、双子だからね」

「いいなぁ。私も名前で呼んでもらいたいな……」


誰に? と聞く前に、真実が二人の間に割って入った。


「ちょっと。お兄ちゃんに手を出さないでくれる?」

「べ、別に、手なんか出してないよ!」その女子は慌てて言った。「あの花壇について、いいものを見せようと思っただけだよ!」

「いいもの?」

「ちょっと待ってて。前に部長が描いた花壇の絵があるの」


と言って、彼女は大きな段ボール箱の中を探り始めた。


「ちょ、ちょっと」と純弥部長が止めに入る。

「いいじゃないですか、部長」

「恥ずかしいからやめてって」

「あ、あった。これだよ、三科くん」


渡されたのは、画用紙に色鉛筆で描かれた絵だった。美術室の窓枠の向こうで、色とりどりの花が咲いている。


「これ、本当にそこの花壇なの? 咲いている花が違うけど」

「描いたのが二月なの。部長は写実主義だから、見たままを描いてるよ」彼女はいつの間にか、真解のすぐ隣で絵を覗き込んでいた。「ほら、これはアネモネで、こっちはスイセン。どっちも冬の花でしょ?」


真解は花壇の名札を確認しようとしたが、絵には描かれていなかった。つまり彼女は、花の名前を覚えているのだ。


「花に詳しいんだね」

「えっ!? う、うん。まぁねっ!」


彼女はパッと顔を赤らめた。


「ちょっと江藤さん、お兄ちゃんに近付きすぎ!」


と真実が二人を引き剥がした。この子は江藤というのか、と真解は認識した。


「真実、今日はもう帰ろう。どうせ来週も花は動くだろうから。江藤さんも、この絵、ありがとう」

「えっ、あっ、うんっ!」


江藤は天にも昇るような笑顔になった。



「あれ、お兄ちゃん、どこ行くの?」


帰る途中で、真解は家とは反対方向に角を曲がった。


「ちょっと気になることがあって。もしかしたら謎が解けたかもしれない」

「えっ!」


真実は途端に笑顔になった。パタパタと小走りで、真解の隣に並ぶ。


「こっちに犯人がいるの?」

「どうだろう。正直、他にいくらでも可能性はあるし」


真解が立ち止まったのは、喫茶店「たますだれ」の前だった。中学生が入るにはハードルの高い物静かな店だ。真解は窓から覗き込むと、

「あ、いた」

と言った。

真実も横から覗き込む。店の奥のカウンター席に、学園の制服を着た少女がいた。あの後ろ姿は、園芸部の志田花梨だ。


「え、なんでここに?」

「真実、ちょっとこっちへ隠れよう」


言いながら、真解は「たますだれ」の横の路地に入った。


「ここら辺で、学園の生徒があまり利用せず、『た』で始まるお店……そう考えたとき、真っ先に浮かんだのがここだった。どうやら運よく当たったみたいだ」

「どういうこと?」

「今日、造花は『タンポポ』の前にあった。そしてこのお店の名前は『たますだれ』。頭文字が同じだろ?」

「え?」

「同じ関係性のお店は他にもある。『パンジー』と頭文字が同じ洋菓子店『パルフェ』とか、『チューリップ』と頭文字が同じで子供にはあまり用のない『ちよだ薬局』とかね」

「ごめん。お兄ちゃんが何を言ってるのか、全然わからない」


真解は微笑むと、店の前を指差した。そこには、学園の制服を着た一人の男子生徒がいた。


「あれっ、美術部の部長さん?」

「しーっ、声が大きい」


貝浜純弥が店に入るのを見届けると、二人は路地から出た。そしてもう一度店内を覗く。

すると、花梨と純弥が並んで座り……テーブルの下で、手を繋いでいた。


「えぇっ、あの二人、付き合ってるの!?」

「だから声が大きいっ!」


真実の口を塞いで、また路地に連れ込んだ。


「どういうこと、お兄ちゃん?」

「あの動く花は、暗号だったんだよ。タンポポの前にあるときは『たますだれ』で待ち合わせ、パンジーのときは『パルフェ』で待ち合わせ……そんな風に、二人の間で取り決めがしてあったんだ。周りにバレずに待ち合わせ場所を連絡する手段としてね」


純弥が描いた二月の花壇の絵には、花の名札がなかった。二人は三月か四月に付き合い始め、連絡手段としてあの花壇を選び、そのとき名札と造花を設置したのだ。


純弥は放課後、部室に来たときに花の位置を確認する。花梨はその前に花を移動させなくてはいけないので、前日の水やりのときに花を移動させていたのだ。


「おおかた、二人が付き合い始めたのもあの花壇がきっかけなんだろう。貝浜部長があの花壇の絵を描いてるとき、水やりに来ている志田さんを好きになった、とかね。だからあの花壇を連絡手段にしたんだ」

「でも、なんでそんな回りくどい方法を使ってるの? スマホとかで連絡すればいいじゃん」

「真実にそれを言う権利はないと思うぞ?」


真解はカバンから一通の便箋を取り出した。そこにはたった一行、『ただの金貨』と書いてある。


「真実と同じだよ。二人の間で、秘密のやりとりがしたいんだ」


真実はハッとしたあと、フニャッとした笑顔になった。


「お兄ちゃん、手紙持ち帰ってるんだ」

「そこかよ」

「えへへ」


真実が腕に抱きついた。


「お兄ちゃん、大好き」

「はいはい、わかったから帰るぞ」


真解は腕をほどくと、元来た道を戻り始めた。真実は笑顔のまま、真解の手を握る。真解は諦めたように、その手を握り返した。

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